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信長の庶子  作者: 壬生一郎
織田信正編
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第三十四話・織田信正軍編成

 「何をしているのですか母上」

 「何を、って、ナニをしたのですよ」

 「上手いこと言った、みたいな顔をしないで下さい。ナニも上手くないです」

 「いえね、私も随分前から御褥辞退をしていたのですけれども、畿内の戦について、銭を運用した統治について、家臣団の編成についてと様々な話をしている間に何となく、盛り上がってしまいましていつも話の最後には」

 「やめて下さい聞きたくありません」


 両親の性事情について本人から聞かされるだなんて殆ど拷問の域である。


 「丁度よく良い指南書が手に入りもしましたので」

 「黄素妙論、母にも渡されたのですね、弾正少弼様は」

 「正直に言って舐めてましたよ。参考になりました。ねえ?」

 「それはまあ、確かに」


 「良かったですね帯刀殿、これでそなたも兄上か姉上になりますよ」

 「何故生まれてくる同腹の子のせいでこちらの性別が左右されなければならないのですか。弟か妹が産まれるのです」

 「どちらが良いですか?」

 「それは……」

 「お二方、ナニ一つ話が進んでおりませぬ」


 悩んでいるところを嘉兵衛に言われ、話を進めることとした。母は今妊娠三ヶ月目に入ったそうだ。十月十日(とつきとおか)が妊娠期間と聞いたことがあるので、八月には出産する計算になる。


 「お体の方は大丈夫なのですか? 御年の事もあります」

 「まあ、そなたは母を年寄り扱いするつもりかしら?」

 「そうではなく、私はもう十六歳です。つまり母上が子を産んだのはそれほど昔のこと。体が無事なのかを心配しているのです」


 そうではないと言いつつ、結局年齢で不安がる俺であるが、仕方がないだろう。別に母が老けているとか若く見えるとかの話をしたいわけではないのだ。


 「心配はいりませぬよ。私がそなたを産んだのは丁度今のそなたと同じ年。数えで三十二歳であるのならば高齢出産にはなりませぬ。そなたを産んだ時よりも良い物を食べておりますし、二人目なれば勝手も分かっております。そなたのように愛らしい子供を産んでみせますとも」


 そう言って母は父の真似をしてケッケッケと笑ってみせた。そう言えばここに来た父は疲れた顔で帰ることが多かった気がする。逆に最近母が若く見えるようになったとは周囲の者どもがよく言っていたことだ。生命力を吸うとは、流石は玉藻の前。まあ、そんな母もじきに赤ん坊に栄養を吸われて髪の毛なども乾いてゆくのだろうが。


 「相も嫁ぎ先が決まりましたし、勘九郎様は武田との婚姻があります。徳姫は三河へ行き、茶筅殿と勘八殿は伊勢へ行きました」


 母が言い、俺が頷く。相の嫁ぎ先は蒲生賢秀の三男だ。蒲生殿は観音寺城攻めの際、主が逃げ出した城に唯一立てこもり抵抗を見せた気骨ある人物である。その後降伏し三男の鶴千代は人質として織田家に出されたのだが、父がその眼を見て只者ではないと見染めた。年の頃も丁度良いと、相の夫にあてがったらしい。蒲生殿からしてみれば思わぬ儲けものであっただろう。人生万事塞翁が馬だ。


「そなたの婚姻は織田の結束を強めるのに一役買いましたが、これで残るは産まれたばかりの於次丸殿だけです。殿にとって駒が増えることは良い事でしょう」

 「我々母子が下手に家督争いに興味を持たないということは証明済みでありますしね」

 「それは、とても重要です」


 俺とて一つ間違えばどうなっていたか分からない。父の性格からして問答無用で殺すなどという事はしないと思うが寺送りにはなったかもしれない。産まれてくる子が弟であったならばその辺りをしっかり教え込まなければ。


 「勝子様、お見えになられました」

 「うむ」


 利久殿の声がし、通すように言うとすぐに勝子殿と、勝子殿に手を引かれた相が現れた。

 「今丁度勝子殿と相の話をしておりました。御体調は如何でしょうか」


 座布団を用意させ、脚も崩すように言って座らせると母子二人が並んで座った。顔立ちはよく似ている。勝子殿は器量よしという風ではないがどこか人を安心させる容姿をしている。ふっくらとして胸が大きく、困り眉毛が特徴的だ。偉そうな様子はまるでなく、この城に来てすぐの頃は随分と俺に恐縮していた。思えば、吉乃様も母も、偉ぶったりお高く止まるという事をしない。きっと父の好みはそういうところにあるのだろう。


 「はい、産後の肥立ちも良く体調は悪くありませぬ」

 「於次丸殿は?」

 「眠っておりまする」

 「そうですか、いつも言っている事ですが何かご不便がおありでしたら何なりと申しつけて下さい。父上からの銭もまだまだ余っておりますれば」


 笑顔で言うと、勝子殿がありがとうございますると頭を下げ、相もそれにならって頭を下げた。勝子殿に緊張している様子はないが、相はその勝子殿に隠れるようにして座り、俺と目が合うとビクっと肩を震わせる。いかんな、まだ怯えられている。それでも大分マシになったが。


 勝子殿や周囲の大人達から何と言われたのか知らないけれど、相は初めて会った時から俺に怯えている。最初は俺が近づくと泣きそうになっていた。これではいかんなと、隙を見つけては砂糖菓子を与えたり、綺麗な色紙をあげたりして機嫌を取っている。どちらも結構な高級品だが知ったことではない。俺は全ての弟妹と仲良くしたいのだ。家臣を追放したというのは本当ですかと聞かれたらそれは茶筅がしたことだと答えよう。そうしよう。


 「相」


 ゆっくりと、優しい声音で声をかけた。可能な限りの猫なで声を出してみたのだけれどそれでも相はおっかなびっくりはいと返事をした。ふむ。信方に言って可愛らしい小袖などを仕入れるとしようか。


 「相の結婚が決まったのだよ」

 「けっこん……」


 ゆっくりと、噛んで含めるかの如くに話す。相は、結婚の意味を理解しているようではあった。


 「勝子殿はご存知かもしれませんが、元六角の家臣であった蒲生家の三男です。父上はこの通り、庶子たる私にも一城をお任せ下さる程に子煩悩なお方ですので、決していい加減な相手を選んだわけではありません。父上が只者ならずと認めた相手です」


 「格別のご配慮、感謝致します」

 「あいは……」

 勝子殿が頭を下げた後、相が口を開いた。


 「どこかお外へ行くのですか?」


 声に心配そうな色がありありと乗っていた。古渡城から出たくないのだろうか。いや、勝子殿の袖をギュッと握っているところを見るに、母親と引き離されてしまうと心配しているのだろう。


 「すぐのことじゃない。ずっとここにいていい」


 言うと、ホッとしたように頷いた。よし、大丈夫だ。怯えられていない。俺は怯えられていない。


 「雪が解ければ私は越前朝倉攻めに出陣致します。暫く留守となりますので私がいない間宜しくお願い致します。城代には前田利久殿がおります。普段であれば母上が女中達の一切を取り仕切るところですが身重の身でございますのでお助け下さいますように」

 「また、戦となるのですか?」

 「はい、公方様よりの御命令でもございますので」


 今回の朝倉攻めは、名目上若狭武田氏の家臣武藤友益を成敗する戦である。若狭武田氏は越前国の朝倉氏に従属しており、武藤友益は越前一乗谷に住む当主武田元明の命で織田家に抵抗する動きを見せている。越前攻め、ではなくその西の若狭攻めが名目である。朝倉と関係の深い浅井家は今回出陣せず、琵琶湖東岸を守ってもらう手はずとなっている。大和の弾正少弼様や摂津の池田勝正殿らの畿内勢力も引き込み、京都にて馬揃えを行った後、約三万の兵でもって敦賀港辺りまでを攻め落とすのが今回の目的だ。


 「東での戦も終わっておりませぬのに、又出陣なのですね」

 「東で戦があるうちにこそなのです」


 勝子殿の言葉に、俺は少し安心した。いつも母がいるから麻痺してしまうが、本来女性とはこれくらい戦に疎い生き物だ。


 「徳川・今川・武田・北条の争いが終らないうちならば、彼らは西に兵を差し向けることは出来ませぬ。故に、今のうちに朝倉を屈服させることが肝要なのです」

 「徳川様も武田様もお味方なのではないのですか?」

 「そうですが、何が起こるのか分からないのが戦国の世というものですから」


 武田は勿論、徳川だって一つ間違えばどう動くかは分からない。婚姻関係は重要だが時として気休め程度にすら働かないこともある。


 恐らく今回の戦い、滅ぼすとすれば朝倉ではなく若狭武田家だ。観音寺城攻めや伊勢侵攻の際のように六万や七万といった大軍勢で押しつぶすという戦ではない。雇い兵がどれだけ使えるかを試し、農民兵に頼らない織田家は季節に関係なく出兵が出来るという事を知らしめる。その上で若狭を朝倉から切り取り圧力をかけ、既に分裂状態にある朝倉家を揺さぶる。上手くいけば次の初雪が降る頃には越前若狭二国が織田家の領地となる。上手くいく公算はかなり高い。


 「分かりました、御武運をお祈り申し上げます」

 「おいのりもうしあげます」

 二人から言われ、俺はうんと頷いた。




 そしてそれから一ケ月後の、元亀元年二月中旬の事。


 「結局朝倉家は何の釈明もしませんでしたね」

 「座して死を待つようなものだ。愚かよ」


 息子の嘉兵衛の言葉に、父親の長則が答える。評定の間と俺が呼んでいる部屋の中に、六人の男達が集まっていた。


 「蔵人殿、留守居は任せた。前田の兵達も有難く使わせて頂く」

 「しかと承りました」


 無口な利久殿が力強く頷いてくれた。病弱を理由に家督を譲らされた利久殿だが、見たところ病弱さは全く無い。利家殿を普通とするのであれば病弱なのかもしれないが、それだと美濃尾張の殆ど誰もが病弱だ。父上が、単に自分に忠実な利家殿を無理押ししたというだけだろう。そういうことをするのは父の欠点の一つだと俺は思う。


 「御恩は必ずや奉公にてお返しいたします。前田の者どもには命を捨てて帯刀様に尽くすよう言い含めております」

 無口な利久殿が、珍しく長文を、それも熱の籠ったことを言った。


 「御恩と奉公か、蔵人殿らしい」


 古き良き御家人といった風情の利久殿に相応しい言い様に、俺は少し笑いながら言う。すると隣に座っていた古左がひっひひと笑った。


 「左様ですな。拙者も五百貫分の御奉公を返さねばなりませぬ」

 「右に同じく、我が矢にて、お役に立ってみせまする」


 古田左介、そしてもう一人は大宮景連、二人とも最近になって迎え入れた俺の家臣だ。


 古渡の石高三万二千石を銭に、即ち貫に直すと幾らであるのか、季節や年、または米そのものの出来によって余りにも変動は大きい。大きいがそれらを全て排除し、語弊も多分に残る事を承知の上で言い切ってしまえば一貫は二石から三石となる。即ち、俺の領地の貫高は少なく見積もって一万六百貫強、多く見積もって一万六千貫である。


 松下長則二千貫

 前田利久千五百貫

 大宮景連千貫

 古田左介五百貫

 松下嘉兵衛二百貫


 この五名に俺が与えている禄高である。嘉兵衛は長則の跡を継ぐ際に、現状の二百貫を加えて相続と言い渡してある。


 この禄高が高いか安いかの判断は余人により異なるだろうが、個人的にはかなり太っ腹な大盤振る舞いであると自負している。利久殿については以前荒子城主として領地経営の経験がある点を買っての抜擢なのだが、その荒子領の貫高が二千四百五十貫であったのだ。当主を辞めさせられ、利久殿の家臣は当然あらかたが又左殿の家臣となった。養わなければならない者達が殆どいなくなったところに、以前の六割強の禄を得たのだ。恩義に感じてもらえると信じている。実際、先程の言葉は恩義を感じていることの証左であろう。


 古左は、元々二百貫取りだったところを俺が父から買い上げた。父は本人が良いのなら良いと二つ返事であったし、古左は五百貫出すぞと言ったところ、言い終わる前に平伏していた。利久殿のような品もあり、貫禄もある人間に対してはどうしても殿を付けてしまうが、古左を相手に付けていた殿はすぐに取ることが出来た。笑い方が気持ち悪いからだ。五百貫は高い買い物とは思っていない。この男の軍事的な能力は押しなべて中の上であるから重宝する。そして焼き物の目利きなどは上級者である。口も上手く、出来上がった良い焼き物を高値で売ることも得意そうだ。利益が出たら小遣いをやるぞと言ったらうれしそうにひょひょひょひょと鳴いていた。


 最後の大宮景連は何と茶筅の口利きだ。北畠家に仕える阿坂城主、大宮含忍斎殿の嫡子だ。当主の弟すら内応した伊勢攻めの際に忠義を尽くして戦った肚の太い家である。景連は伊勢に攻め寄せる大軍を阻止せんと先鋒を賜り、織田軍の指揮官に矢を射て太ももを射貫くという功をあげた。その指揮官が何を隠そう斉天大聖だったそうだ。


 『織田の猿を射貫いたという弓の名人がいる』と、茶筅から手紙が来た際には驚き、そしてそれが北畠家の家臣家嫡男と聞いて落胆した。朝倉家ですら織田家を馬鹿にしているのだ、その数段上の名門北畠家であれば、家臣とはいえ相当な誇りを持っている筈。正式には息子として認められたことすらない庶子の招きになど応じてもらえるはずもない。そう思っていたのだが、その一月後、俺は尾張の港で景連を迎えていた。


 『本当に拙者の家臣で良いのですか、景連殿』

 『景連とお呼び下さい、殿。これより我が主は殿お一人でございます』

 強く言い切られ、それからは景連と呼んでいる。古左と違ってまだ慣れない。


 後から聞いた話によると、北畠家で茶筅が随分と動き回っているらしい。曰く、兄が北畠大将軍と、その父を大変尊敬しているから些細な事でもいいから教えてくれ。と、重臣はおろか近習、果ては女中やら草履取りにすら聞いているようだ。『あの織田家の庶長子が』と話題になったらしい。あのとはどのことなのかは気になるが、結果としてよかった。あの弟は本当に周囲をかき回すのが上手い。名前通りだ。泡立つが波立たないのも良い。


 『我が弓の腕を高く評価して頂けたことは望外の喜び、大宮の家は弟が継ぎます故、拙者は殿の下で家を興させて頂きまする』


 そうして、愛用だという弓を取り出し腕前を見せてもらったがそれはもう那須与一もかくやと言わざるを得ない腕前だった。面白いくらいに的に当たるものだから、調子に乗って船を出させて扇の的を射させてみた。それも見事に射貫いた。現在、主力となる直属兵二百の弓術指導にあたらせている。


 「我ら古渡織田家にとって、そして殿にとっても初陣である。各々方手柄を立て、必ずや勝利を掴んで見せようぞ」


 長則が力強く言い、盃を掲げた。皆がそれに倣う。そう。初陣だ。前回は戦いに参加したのではなく見物しただけである。今回は実際に戦う。俺が敵兵と切り結ぶことはないと思うが、六百の兵を動かし戦わせるのは俺だ。全体指揮と槍兵は長則が、弓兵は景連が、騎兵や遊撃部隊は古左が受け持つ。戦場経験のある彼らを邪魔するつもりはないし、怯えて慌てふためき足を引っ張ることは無いと思う。だが、やはり不安はある。


 「雪解けは、近いですな」

 噛みしめるように、利久殿が呟いた。


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[一言] 越前・朝倉攻めと言えば、金ヶ崎の退き口…
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