表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長の庶子  作者: 壬生一郎
織田信正編
30/190

第三十話・戦国の梟雄

松永弾正少弼久秀。現在の実質的な大和国主である。生まれは永正五年であるというから、永正十三年生まれの十兵衛殿より更に八歳年上、今年数えで六十一歳、本卦還りの年だ。元は摂津の出であると聞いたことがあるが、前半生はよく分かっていない。天下人三好長慶が細川氏の被官であった際に、その右筆として頭角を現し、三好家が細川氏を打倒し、畿内を征してゆく黄金期を支えた人物。そして三好家の凋落を陰で操ったともされる人物。弾正少弼よりも久秀よりも、乱世の梟雄と呼ばれることの方が多いくらいに、一筋縄ではいかない人物だ。


「上総介様は息災であろうか」


「は、主織田上総介は公方様よりの覚えも目出度く、畿内、近畿のみならず日ノ本から戦乱を滅せんと励んでおりまする。これも弾正少弼様の御助力によるもの。主に成り代わり、今一度御礼申し上げます」

結構。と弾正少弼様が頷かれた。背は低い。筋骨も逞しいとは言えず、十兵衛殿のように周囲が驚く若作りではない。見事な緋色の坊主合羽を羽織っているところが洒落ているが、髭の白さも、頭髪の薄さも、年齢通りの老人だ。ただ、馬に乗る姿が極自然で、降りる際にも身軽にひょいと自分一人で降りた。健康的な人物であるのだろう。


「上総介様のとりなしにより公方様からの御赦免を賜り、大和切り取り次第の御沙汰あったればこそ今の儂がある。繰り返し礼を言うは、こちらがすべきこと」

言って、弾正少弼様は供の者を馬から降ろし、俺達三人に乗るように促した。


「直子殿から頼まれている。我が領内、大和にいる間の全ては保証しよう。付いて参られよ」


馬上からの挨拶は無礼と考えて馬から降りたのだろうけれど、簡単な挨拶を終えると弾正少弼様は再びさっと馬に乗ってしまった。馬に跨ったまま二呼吸、三呼吸、俺達が馬に乗るのを待つ。話し方はゆっくりであるのに行動が早い。俺が馬に乗ると、うむと頷いて馬を進ませた。俺達を連れて来た本多正信は徒歩だ。足が悪いと言っていたけれど辛そうな様子はない。桶狭間で足を悪くしてからも徳川殿に仕え、一向一揆に参加して敗れたら大和まで逃げて来たくらいなのだ、恐らく移動に不備はないのだろう。


「弾正少弼様、お聞きしたいのですが」

馬を並べるのは無礼かと思い、僅かに後ろから話しかけると、弾正少弼様の方から馬を下げ、並びかけてくれた。視線で何だと聞いて来る。


「母直子が弾正少弼様にいかなる計らいを致したのでございましょうや」

聞くと、弾正少弼様がむふん、と喉を鳴らすような笑いを漏らした。分かりにくい笑い方だけれど、村井の親父殿に近しい笑い方だ。嫌いではない。


「上総介様の上洛戦、誠見事なるお点前であった」

しかし、帰ってきた言葉は質問とは何ら関係のないものだった。褒められているようであるのでありがとうございますと答えておく。


「予想するに、もしあの上洛戦が無ければ儂は三好三人衆や篠原右京進に抗しきれず、寺社仏閣を焼き、時を稼ぎつつ講和を目指しておったであろう」


篠原右京進。篠原長房は三好長慶の弟三好実休に仕えた人物である。実休討死の後は遺児三好長治を補佐し阿波において三好家中を纏めた。阿波三好家の支柱たる人物で、三好長慶死後に大和を実質支配していた弾正少弼様に唯一単独で対抗しうる実力を持っていた人物と言える。


「戦の後、儂は吉光の太刀と共に九十九髪茄子(つくもなす)をお譲りした。あれは修理大夫様同様に、畿内を征されたお方が持つに相応しい」

「九十九髪茄子」


抹茶を入れる茶入れのうち、上にすぼまる形で、かつ小型のものを茄子茶入れという。その中でも九十九髪茄子は成りの良さだけでなくその遍歴も見事なる逸品だ。始め足利義満公が所有し、幕府全盛期における足利将軍達が使用した。後に足利義政公により山名是豊に下賜された後、幾度かの所有者移転を経て朝倉宗滴公の手に渡った。それが弾正少弼様の手にあったことは、降伏の印として父に譲る時まで知らなかった。確かに、その時々の強者が有している。そういう意味では大和を征した弾正少弼様が持っていることは必ずしも相応しからずとは言えない。


「九十九髪茄子をお譲りした後、直子殿から文と、大仰な荷が届いた。中は美濃焼とそれらが割れぬように詰め込まれたおがくずやそば殻や羽毛が詰め込まれた袋であった。肘おきや枕にと言われたが、中々使い勝手が良い」

「恐れいりまする」

茶器を作ると共に、母は緩衝材も開発している。緩衝材としてはおがくずがもっとも使い勝手が良く、安価だ。それ以外の物は弾正少弼様からの感想が欲しくて詰め込んだのだろう。


美濃制圧後、俺は大量の窯を作らせて主に永楽銭と刀剣を作成した。母は食事に関するものの他焼き物を大量に作らせていた。茶器に限らず、大きな皿や小さな水差しなど、とにかく作らせてはいずれこれらを古渡の産物としようと目論んでいるようであった。食事関係のものはともかく、焼き物については道楽とも言い切れないので銭に余裕がある限り続けさせている。


「評するに、それらの焼き物の中に良きものは少なく、我が目に叶うものは皆無であった。だが、面白きものは多く、見事なる駄作揃いであり、我が目を楽しませてくれた」


久秀殿が言う。そうして、すぅ、と息を吸い、噛みしめるように謳う。



「今はまだ 九十九の駄器を 作るとも 超ゆる一つが 百の成す日に」



「それは?」

「直子殿から送られてきた手紙の一文だ。やろうとしていることは面白いが、まだまだ駄作揃いだと伝えたところ、それでも、何か面白きと思う点、こうすべきであると思える点を教えてくれと書かれていた。締めにこのような詩を添えられたのは初めてであった」


今は、まだ九十九の失敗作を作っているが、それらを越える一つが、百も出来上がる日に。最後の成すが九十九茄子に一を加え、それ以上の百茄子を作ろうという決意に読めなくもない。けったいではあるが、誠に母らしい。


「不完全な作ではあるがな」

「ええ、百を成す日に何であるのか、どうしたいのか、それらが書かれておりませぬ。駄作というより、未完成と呼ぶべきかと」


弾正少弼様は当代でも随一の文化人であり連歌などにも造詣が深い。俺が何か解説するまでもなく、母が何を言いたいのかは分かり切っているのだろう。


「だが、この未完成が我が心を打った」

言いながら、弾正少弼様が緋色の坊主合羽を撫でた。お気に入りなのだろうか。褒めた方が良いだろうか。


「これらを運んできた古田何某という騎馬武者も面白き男であった。儂よりも熱心に器を見るものでな。つい話し込んでしもうた」

「ああ、古左殿ですね」


古田、何と言う名前だっただろうか。皆左助左助と呼び、俺は縮めて古左殿と呼んでいるから今一つ諱が判然としない。父の馬廻り衆で、馬も弓も剣も槍も、全て上手にこなす。書に関しても帯刀仮名や漢字の編纂などされずとも無難に読み書きをこなせる人物だ。ただ、うひょひょひょ、と奇妙奇天烈な笑い方をし、人は労わってもせいぜいが百年。物は労わればその三倍は世に残ると言って憚らない変人でもある。


「創意工夫の面白きを思い出させて貰うた。九十九茄子以上の名物を我が手で作り上げるという野心は老いて飼い犬となり果てた儂に新たな火を灯した」


その言い分を聞いて、俺はむしろこの人は飼い犬ではなく根っからの餓狼なのだという印象を受けた。大和一国切り取り次第の許しを得て、幕臣という足場も固めた。そのような権勢を得られる者が世に何人いるというのか。にも拘らず弾正少弼様はその現状を飼い犬となり果てた。と評している。


「故に、儂は直子殿に大きな借りがある。何か聞きたいことがあれば遠慮なく聞くが良い」


母が俺に、東大寺金堂を見て来いと言った理由が分かった。建物を見ることも一つの理由だろうが、それ以上にこの松永久秀という人物に触れて何かを学んで来いという事でもあったのだろう。


俺達は東大寺南大門へと馬を進め、門下を通過した。東大寺の様子を簡単に表すのであれば静謐、であるだろうか。尾張にはない、数百年の時をかけて熟成してきた犯し難いなにがしかを感じる。道幅は広く、戦向きではない。小谷城も観音寺城も、それぞれの道には必ず精々馬がすれ違えるかどうか、といった狭い場所があった。岐阜城はその限りではないが、前身たる稲葉山城もあえて道幅を狭く作っていたと聞いている。いざの際には籠城し敵を防ぐ城と、目的が戦闘ではない寺との差がこれであろうか。但し、槍を構えた僧兵は至る所に立っており、重要な場所であると思しき建物は決して中が見えないようにもなっていた。弾正少弼様に対してすら、彼らは警戒の視線を隠していない。


「この寺も、場合によれば焼き払わねばならぬところであった。御坊らが儂を警戒するのは当然であろうよ」


俺が訝しんでいる様子を見てとったのか、弾正少弼様が言う。弾正少弼様は大和一国切り取り次第の許可を取ってからも寺社に対して弾圧を強めたと聞いてはいないが。


「戦う必要がなく、焼く必要もないので保護をしているのだ。戦う必要があり、焼かねばならぬ理由があるのであれば、儂は迷わずこの寺を焼いたであろう。事実般若寺等は敵方の陣地とされぬように焼き払った」


やはり俺の表情を見て、更なる説明を加えられた。いけないな。こんなにあっさりと顔色を読まれているようでは。


「多聞山城にての戦の折、三好三人衆と筒井順慶はここ、東大寺に布陣した。多聞山城から見ても、一面覆い尽くすような雲霞の如き兵だと慄いたものだ」

進行方向左前方の山を指差す弾正少弼様。この地に集結した三好三人衆派の兵数は三万に達したと聞いている。


「元より、阿波に確固たる地盤のある篠原右京進を味方につけた三人衆と、儂独力とでは地力が余りにも違った。義継様を迎え入れることが出来たとはいえ、あのままではやがて攻め潰されることは必定。であれば、残された道は屈服か、或いは賭けに出ること」


そう言ってから、弾正少弼様は手を正面へと向けた。見えるのは中心堂宇の大仏殿のほか、東西二つの七重塔を含む大伽藍。あれらが戦禍に焼け落ちる様子が、俺には何とも想像がつかなかった。


「無論、焼きたくて焼くものではない。だが、焼いて勝つか、焼かずに負けるかであれば儂は焼く。九十九茄子も然り。手放すは口惜しい。だが手放さなくば義昭公に首を討たれていたやもしれぬ。手放したからこそ、大和一国切り取り次第の許可を得た。それが出来るうちは生き残り、出来なくなれば死ぬる。それが戦国の世」


聞きながら、この人も朝倉宗滴公と同じ、犬畜生と呼ばれようとも勝つことを正義と成す人物であるのだと理解した。間違いなく、父もそうだろう。天下に名を成したる三人。犬畜生と呼ばれても勝ちに拘る三人が所有してきた九十九茄子は、やはり天下の名物と呼ぶに相応しいものだ。


「何か、思うところあり、という表情であるな」

「思うところは二つありまする」

「聞こう」


七重の塔、大仏殿、そして大仏、それらはそれぞれに俺を圧倒する大きさがあり、迫力だった。だがそれらは皆、人の気まぐれで焼け落ちたり、又は再建する類のものであるのだ。


「ひとつは、寺社勢力について。紀伊を回り、石山本願寺を見て、彼らの権勢の強さを知りました。同時に、鎮護国家の為に何故このような力が必要であるのかについても考えました。公方様はおろか、朝廷にすら従わず、御仏の力により国を守ると言いながら同じ仏教徒同士で争う。国を乱すのはお前達ではないかと。ですが、この大仏殿を見て、武家の争いによって兵火を避けられなくなった寺社の悲哀と、それを潔しとせず武装蜂起した彼らの気持ちも理解出来ました」

「若者らしい、誠多感なる感想よな」


儂には最早そのような感慨はないがと、突き放すようなことを言いながらも弾正少弼様は何やら言葉を模索するように思案し、やがて口を開いた。


「鑑みるに、人を綺麗に被害者、加害者などと分けることは能わぬ。ある時には加害者であった者が、別のある時には被害者となるのだ。武家の弱体化により戦禍に晒された僧達は誠被害者であった。だが、戦禍を防ぐために得た力を他宗派への攻撃に使い、御仏の名を騙り無用の乱を起こしたる者らは加害者であったろう。禍福は糾える縄の如しと言うが、善悪も又、それに近いものであるのかもしれぬ」

「お言葉、一々身に沁みまする」


「儂は丹波の戦にて弟を亡くし、今年の春に母を亡くした。弟は当然として、天寿を全うした母の死ですら、心が痛いのだ。それらの心をあがなう為、救いとなるものは必要である。儂にとってそれは茶器であり茶の湯であり芸事であるが、多くの者はそれを仏に求める。人の心がそうである以上、宗教は世から無くならぬ。弟の息子は南蛮より来る宣教師に教えを受け、伴天連の神を信仰しておる。我が軍中にはそういった者も多くおるのだ。何が正しいのか儂には分らぬ。良しも悪しきも面白きものと言える蒐集に凝るのはその辺りが理由か」


弾正少弼様が笑い、俺も笑った。両親を始め、俺の周りには神や仏に心を埋めて貰おうと考える者が少ないような気がする。後ろで何やら話をしている二人もそうであるし、例えば斉天大聖辺りが浄土真宗に傾倒する想像は中々出来ない。


「もう一つの思うところとやらを教えてもらおうか」

「弾正少弼様についてです」

聞かれ、言い返す。ほう、と弾正少弼様が呻くような声を漏らす。


「弾正少弼様はよく人の表情を見ておられる。拙者のような若造の『何か思うところがある顔』を見極め話を聞いて下された。そのような心配りこそ、弾正少弼様の御人徳ではないかと」


言ってから頭を下げる。頭を上げた時、弾正少弼様は顔を上げて鼻を摘まみながら何かごにょごにょと呟いていた。どうやら照れているらしい。可愛い老人だと思えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ