第二十八話・帯刀のライフは最早ゼロになりける
「待て待てお主らこの場をどこであると心得たるか!? 鎮護国家の大道場、畏れ多くも本願寺法主顕如上人のおわす町、大坂本願寺の寺内町であると知っての狼藉か!?」
「「よく言うよ」」
ただ喧嘩がしたいだけで駆け出して行った慶さんがのたまう大仰な言葉を聞き、俺と助さんの突っ込みが被った。
「そのような罰当たり共はこの穀蔵院飄戸斎が成敗してくれよう!」
何だその道号はと、再び突っ込みを入れるのとほぼ同時に、慶さんと男達の喧嘩が始まった。
「助さんどうする?」
「いつも通りだ、奴がやり過ぎるようなら止める」
「慶さんが危なくなったら?」
「珍しいものが見れたと納得し、逃げる」
「助けてあげないの?」
「たいとうよ、お主、あの男が危なくなるほどの手練れと喧嘩をして勝てるのか?」
「勝てない」
「であろう。どうあっても慶が死ぬことは無い。のんびりと見学していれば良い」
中々酷いことを言うものだな。と俺が思っていると、冷たい言葉とは裏腹に、助さんは素早く動きだした。喧騒に弾き飛ばされた女性を立たせてやったり、喧嘩に巻き込まれそうな野次馬達を下がらせたりと、実に無駄がない。その間慶さんはというと、殺気立つ男達を相手に文字通り千切っては投げ千切っては投げと大立ち回りを演じていた。
「言葉で言うて分からぬようなら、拙僧が頭を冷やして進ぜよう!」
男が一人、慶さんに殴りかかる。慶さんはそれを前に出てかわし、相手の懐に潜り込んだかと思うと、またぐらにグイと腕を差し込み、男を肩車してその場でグルグルと三回転。そうしてからホイと男を投げ飛ばす。投げ飛ばした先は川。男がドボンと大きな音を立てて水に落ちると、周囲の野次馬から歓声が上がった。
「さあさあ! 次はどなたが水浴びをなさるかな!?」
足を引っかけたり、体当たりをしたり、相手が突っ込んでくる勢いを利用したり、実に見事な身のこなしで、慶さんは喧嘩をしていた男達を次々と川に送り込み、最早喧嘩はいかに慶さんから逃れるかという類のものに変わっていた。
「克!」
どれほどの時間が経過しただろうか。最早慶さんが投げ飛ばす男の数も限られてきた丁度そこに、大地を切り裂くような大音声が響き、束の間喧騒が鎮まった。その沈められた喧騒の間隙を縫って、現れたるは武蔵坊弁慶が如き威風堂々とした僧形の集団。
「本願寺の僧兵だ。跪いておけ」
人垣が割れ、割れた人垣の真ん中を僧兵達がのしのしと近づいて来る。自然と野次馬達が身を屈め、それに従って助さんと俺も地面に膝を付いた。慶さんは喧嘩をしていた男達のうち、二人の首根っこを掴み、抑えつけている。跪こうという雰囲気は微塵もないし、近づいて来る僧兵を相手に怖じた風もまるでない。
「これはこれは、騒ぎやて言うから聞きつけて来てみれば、随分な大者がおったもんや」
殺気立つ男達の奥から、一人の男がスッと姿を現した。周囲の僧兵達と比べて特別目立つわけではない。三十代半ばといったところか、顔が平べったく目が離れて横に付いているかのようだ。慶さん程大柄ではないものの体格は良い。
「騒ぎを止めようて、大立回りしてもろたみたいやな。おおきに」
男が前に出ると、慶さんは如何程の事もありませんよと答え、両手に掴んでいた男達を渡した。
「事情は分かっておりませぬが、この者らが騒ぎの大将達にてござる。どうぞ御仏の名において公平なるご沙汰を願いたい」
一つ説明を間違えれば騒ぎを起こした張本人として捕まってしまうかもしれない場面で、慶さんはいつも以上に堂々としている。その様子を見ると、下手にコソコソするよりも堂々としていたほうが疑いを避けられるものだということがよく分かる。
「これはこれは」
ははは、と、男が朗らかに笑う。あんたあんな状況でよく集団の大将が誰かなんて見て取れたなというのが俺の感想だ。慶さんがすることだから今更驚いたりはしないけれど。
「刑部卿」
「ああ、ここは拙僧に任せてくれればええよ。このお方が今更暴れるとも思えん。連れて行ったって。そこで水遊びしてるんも纏めて」
刑部卿、と男が呼ばれた。僧衣や周囲の態度で何となく分かっていたけれど、無位無官の者ではなく、それなり以上の立場を持っているらしい。
「さて、こうまでしてもろて、ほなさいならとは出来ませんでな。貴君、穀蔵院飄戸斎と名乗ったそうやが、これから何ぞ用でもおありかいな?」
「別段何もございませんが」
「ほならウチで食事でも」
「拙僧も御仏の教えに従い当然の事したまで。礼などされる程の事ではございません」
「そないいけずは言いっこなしやろ」
言いながら刑部卿と呼ばれた男は慶さんの頭から腰元を見る。剃り上げておらず、髷を結っている頭髪に腰元には刀。着ている服も僧形とは似ても似つかない。こっちだって突っ込まないでおいてやってるんだから。と言外に主張しているようだ。
「言い遅れた。拙僧、法名を了悟と申す。所以は真理を明らかに悟ること。未だその域には達する兆しも見えへんけどもな。本願寺では刑部卿と呼ばれて、今は大坂のちょっとした纏め役をやらせてもろうとる。決して怪しいもんやないよ」
朗らかに、聞き取りやすい声音で了悟殿が言う。やっぱり説法や説教をしている分、自己紹介も得意なのだろうか。
「勿論そちらの二人も、な?」
言いながら、ふい、と了悟がこちらを見た。俺達が連れであることに気が付いていたのか。
「宗巴」
「はい」
言われて、少年が二人出て来た。一人は宗巴と呼ばれた少年で、俺より一つ二つ年下といったところ。もう一人は十一、二歳程度だ。
「茶々麿様も、宜しいですな?」
「ええよ」
宗巴と呼ばれた少年は了悟殿とよく似ていた。多分親子なんだろうなと思い、年下の子もそうなのかと思っていたのだが、どうやら違うようだ。鷹揚としていて、それでいて目が爛々と輝いている。どことなく我が強そうな印象を受けた。
「精進料理なんぞ不味いと思うかもしれへんけど、話のタネに食うていったらええ」
「そこまでして誘って頂いたら、断るのも無粋というもの。助右ヱ門、たいとう、お邪魔しよう」
そう言って、俺達二人もそれぞれ名乗り、了悟殿の屋敷に連れてゆかれることとなった。
「こんなん中々食べられないやろ」
「ええ、とても美味しいです」
一刻程後、俺達は了悟殿の屋敷にて、話通り精進料理を食べさせてもらっていた。
「これは、蓮根の、真丈というやつですか?」
「そうや! 詳しいのか!?」
「いいえ、話に聞いたことがあるくらいで、蓮根真丈を食べるのは初めてです」
すり身に山芋や卵白、だし汁などを加えて味をつけ、蒸したり、ゆでたり、揚げたりしたものを真丈という。母は海老や白身魚で時々真丈を出してくれるが蓮根の真丈は初めて食べた。それがすまし汁の中に入っている。京で食べたものと違って、薄味だけれどちゃんと味があり美味しい。
「この茄子も美味しいです。上に乗っているものは何ですか?」
「海苔と、生姜と、あと野菜やな」
茶々麿様は利発な少年だった。野菜の名前がわからず恥ずかし気にしつつも、大根おろしと餡を上からかけて味付けしていると教えてくれる。しっとりとした食感と程よい塩味が口の中に広がる。
「味ではなく、風味を楽しむのが精進料理なのですかな」
「それは言い得て妙です、飄戸斎殿」
「意外と酒が進みますな。見た目も美しく酒精も濃い澄み酒、我々だけ頂戴して些か申し訳ない」
「良いのですよ助右ヱ門殿、元々客人をもてなす為に用意してあるものです」
「酒や精進料理はもてなし用ですか?」
「左様です。精進料理は八寸などを見ても分かる通り一切の手間を惜しみませんから。拙僧は肉をあまり食べませぬゆえ毎日でも構いませんけれども、それでは作るのが大変です。なので、客人が来た時には話のタネに精進料理をお出しするのですよ」
大人達三人は三人で楽しそうに話をしている。普段はならず者なのに、こういう時になると二人ともしっかりと正しい所作で食事をするのだから不思議なものだ。
あくまで我が家ではという話ですけれどね、と宗巴殿が言って笑った。
「普段は肉を食べるのですか?」
慶さんが質問した。興味があるけれど、中々聞きづらく控えていた質問だったのだ。慶さんが聞くと嫌味がない。
「元々、血を穢れとし、肉食を卑しいと考えるのは仏教ではなく神道の教えです故。浄土真宗では、親鸞聖人が公然と肉食をなさいましたし、妻帯もなされました。これは厳しい修行を行われている方も、生きる為に修行を行うことの出来ない方も、又老若男女の区別もなく、押しなべて皆救われると示されての行いです。むしろ、肉食妻帯をしていないからこそ自分は偉いのだ。と考えることこそが罪深いのですよ」
説明に慣れているなと分かる口ぶりだった。肉も食って嫁もいるのに何が坊主だ。という言葉は、多分浄土宗や浄土真宗が百年単位で言われ続けてきたことなのであろう。
「なめこの雑炊も良いですね。上に乗った小粒の梅が良い味を出している」
「せやろ! こっちの若竹煮も美味しいで」
「竹ですか。竹は私も好きです。大きくなった竹は役に立つし、若い竹は美味しい」
「大きな竹は食べられへんけど使い道が沢山やからな」
「ええ、そうですね」
茶々麿様とお話をしながら、やはり俺は元気な子供と話をするのが好きなのだなと確信した。弟達の中で誰が最も可愛いのかと言えばやはり茶筅が馬鹿可愛い。茶々麿様は利発で頭の回転も良いようだが、年相応に無邪気なのがとても良い。
「豆腐もございます。大豆は我々にとって欠かせぬものです。豆腐の味こそ、寺の味と言って過言ではありません」
俺達の様子を見て、宗巴殿が控えめに皿を出してくれた。畑の肉、大豆。一口大に切り取られた豆腐を、丁寧に掴んで口に運ぶ。豆腐を食べたことがない訳ではなかったが、新鮮な驚きがあった。明らかに違う。
「水が良いのかな。美味しいです」
「こちらのごま豆腐も食べてみて下さい。同じようですがかなり違うのですよ」
言いながら手で指し示された豆腐は僅かにくすんでいる。食べてみると口の中が一気にごまの香りに包まれた。びっくりして目が見開く、宗巴殿と茶々麿様が嬉しそうに笑った。
「そこでもう一度すまし汁を飲み、口の中を落ち着けるのです」
宗巴殿に言われて、言われた通りにした。成程。これは良い。いくらでも食べられる。
「素食ではありますが、贅だけではなく工夫が凝らされていますね。美味しいし、健康にも良い」
「今ウチも尾張の乞食に五千貫も持っていかれてもうて金ないからな。質素倹約に努めなあかんと言われとるんよ」
ほほう、と、声が漏れた。
「知っとるやろ? 義昭公を連れて来た織田上総介信長や。堺には二万貫要求しよった。三好が負けても会合衆は強気やったんやけどな、連中情けないわ、あっちゅうまにやられてもうた」
本願寺は分かりましたと頷いて支払った矢銭だが、堺を支配する会合衆は俺達には鉄砲があるのだからいつでもかかってこいと言って戦い、そして三好勢ともども敗北した。負けて屈服する形で二万貫を支払わされている。二条御所の建設も、禁裏御料の立て直しも、かなりの部分ここから出された。
「畿内での織田家の力は日に日に増しとるからな。大坂も無駄金は使えへん」
「その割に、良い物を食べさせてもらっていますね」
御膳を見ながら、思わず言っていた。素食、というのは粗末な、という意味ではなくて肉や魚を使わない食事という意味が本来だ。そういう意味で今目の前にあるものは間違いなく素食であるけれど、恐らく使われている食材は優に三十を超す。多分、出汁には椎茸が使われているとも思う。
「騒ぎを収めてくれはった客人に良い物食わせることが無駄金とは言わんやろ」
ほほう、と、又唸らされた。一瞬で論破されてしまった。確かにその通りだ。ちょっと爪の垢を持って帰らせて欲しい、煎じて飲むようにと手紙を書いて伊勢に送りたい。
「この大坂城がある限り本願寺がそう簡単に潰されるとは思いませんけれどね」
「左様ですとも。金城鉄壁の石山本願寺があり、畿内の本願寺門徒ある限り、三好も細川も足利も、そして織田もおいそれとは手が出せない筈です」
やや控えめに俺達の会話を聞いていた宗巴殿が、この時は強く主張した。二人とも、本願寺の中では明らかに上層部の子供達だろう。その二人がこう言うという事はこの大坂城寺内町での織田家に対しての風当たりはかなり強い筈だ。
「せやけど、俺は親父ではのうて倅と女に興味がある」
「倅と女、勘九郎、それと生駒吉乃と言いましたかな」
「博学やな。でも違う。その上に一人男がいるんや。バケモンみたく賢い母と息子や」
「……そのような者を聞いたことがありませんね」
「せやろうな。でもおるんや。今の俺くらいの年で平仮名を編纂して、それが終ったら漢字を二千字纏めてそれを常用漢字とした。帯刀仮名って聞いたことあるやろ?」
「ええ、まあ、少しは」
「少しはて、たいとう賢いんやからそれくらい知っておかな。宗巴、持って来て」
「はいな」
言われて、宗巴殿が立ち上がり部屋を出て行った。いや、いいよ持って来なくて。知ってるし、うちにあるし、書けるし。
「ほんでな。その帯刀仮名を虚仮にした家臣を論破して追い出したりとか、帯刀仮名使ていろはかるた作ったりとか、滅茶苦茶凄いねん。母親もなあ」
と、そこで駆け出して出て行った宗巴殿が早くも戻って来た。手に持っているのは帯刀仮名の五十音表と、いろは唄だ。しかもどちらも竹簡である。うちの女中達が作ったやつかな。
「これ、この竹簡も帯刀が作ったらしいねん。一巻につき四百字や。ホラ」
見せられた。ああ、これ俺の直筆だ。恥ずかしい。
「凄いやろ。これ直筆やねん。竹簡の裏に分からんように名前書いてあんねん」
そんなことしてた時期もあったなあ、すぐに面倒になって辞めたけど。
「この筆跡があるからな。俺はこの人の手で書かれた竹簡を集められんねん」
止めて。死にたい。
「この帯刀言う人にな。片仮名も編纂してもらえへんかて思てるんやけども」
「武家の人間に寺文字を編纂させてはまずいでしょう。茶々麿様が編纂してみては?」
片仮名の編纂自体は、実はもうした。しかし発表はしていない。片仮名はヲコト点(漢文訓読のこと、レ点など)と併用し、漢文を話分に直す為の補助として使われるものだ。平仮名を纏めてしまった以上、それと同じ音の読みでもう一揃え字を当てれば良いだけの簡単な作業だった。ただ、それをすると寺の人達が怒る気がするのと、漢文を読むのに平仮名を補助として使っても何ら不便はないのとで、結局棚の肥やしとしている。
「出来るかなあ?」
「出来ますとも、頑張って下さい」
俺が励ますと、茶々麿様は満更でもなさそうな表情で頷いた。うん、本願寺の人間が作るのならば問題はない筈だ。南都北嶺や法華宗辺りと喧嘩にならないように気を付けて。
それから話は母に飛んだ。この子供を育てた母親も傑物で、最近では尾張で書物を集めて売買する祭りを開こうとしているのだと、かなり正確かつ直近な話をされた。菅原孝標女以来の文人女性ではないかなどと言われているらしい。随分高く見られたな。でも母には三ヶ月かけて関東から京に移動したり、四十年分の回想日記を記したりする根性はないような気がする。
「それでいて、肉とかメッチャ食うらしいねん。キジやら魚やらとちゃうで。五畜を食うねん。よく分からんくておもろいやろ? 母親の方は中々出てこられへんやろから、帯刀の方に会って話聞きたいなって普段からお祈りしとるんやけど」
「……今初めて、御仏の御加護に触れた気がします」
そして俺には現在進行形で罰が当たっている最中な気がします。
その後も、茶々麿様の直子・帯刀話は収まらず、俺は大いに恥ずかしい思いをしつつ、側で聞いている慶さん、助さんのうすら温かい笑顔に晒されるのだった。
料理については当時あり得るものを調べて使ったつもりなのですが、おかしなものがあったら教えて下さい。推敲中、普通に「アボカドペーストとトマトソース」とか書いてあるのを見て愕然としました。




