第二十七話・敵か味方か本願寺
紀州を共和国たらしめる原因として、五つの宗教集団の存在が挙げられる。即ち高野山・熊野三山・粉河寺・根来寺・雑賀衆の五つだ。このうち熊野三山のみは紀伊中央南部に存在するが、残る四つの宗教集団については皆紀伊北西部に本拠を構え、割拠している。高野山が全国に持つ寺領を合計すれば十七万石に達するという事であるし、根来寺に至っては七十万石を越すそうだ。彼らがもし本気で天下統一を狙い協力していたのなら今頃公家でも武家でもなく、寺社の世が訪れているのではないかと割と真剣に思う。
南蛮より種子島が、つまり鉄砲がやってきてより、彼ら紀伊の宗教集団達はいち早くこの最新兵器を使用するようになった。特に、根来寺及び雑賀衆はその潤沢な資金と畿内にも近い沿岸部という地理的な優位性を活かし鉄砲を大量に購入。更に、自ら生産するようになった。今や雑賀衆と言えば鉄砲集団の事だと認識している者すらいる。
俺達は今そんな雑賀衆の船に乗り移動していた。
「どうしたたいとう。あの船に捕まったら首を打たれるからと恐れているのか」
「そんなんじゃないよ」
「ではまた船酔いか?」
「あれは船酔いではなくて酒酔いの所を船に無理やり乗せられただけだよ」
北上する船の舷側から進行方向左側を見る。あれに見える四国は三好家の本領だ。俺のような若い人間からしてみれば三好家というものは初めから京都で幅を利かせていたような印象であるけれど、もとはと言えば四国の阿波三好郡を領していた一国人衆だ。相次ぐ室町幕府の政変や争乱に乗じ、徐々に力を付け畿内に勢力を伸ばしては時に負けて四国へと戻り、時に勝ち再び本州上陸を果たしてきた。だが、いかなる勢力もいまだ三好家の本領阿波を攻め落とすに至ってはいない。そういった本領を持つからこその、三好家の粘り強さであるように思う。
同じことは、織田家にも言えることだ。今後織田家がいずれかの勢力に敗れて畿内を追い出される日が来たとしても、尾張一国があれば再起は可能であろうし、美濃までを保持できればいかな勢力であろうと防戦することは出来る。
「やっぱり貿易や海運というものは大切なのだなと思って」
そんな三好家と隣近所でありながら繁栄を続ける彼ら雑賀衆というものがどういうものであるのか、俺は考えていた。
「何だ、随分と勤勉な事じゃないか」
「そりゃあそうだよ。俺は母上の温情によって今ここにいられるのだから。楽しむべきところは楽しむけれど、学べる部分については全て学ぶ」
次期当主となる勘九郎は勿論の事、茶筅や勘八でも許してもらえないことだ。無駄には出来ない。
雑賀衆の船に乗る際、俺はこの旅で初めて明確に金を要求された。どこまでだったらいくら、あの船であればいくら、そんな具合に運賃が定められていた。それは慶さんのようなどこででも暮らしてゆける人間であれば損であるかもしれないけれど、ごく一般的な人間にとってしてみれば便利の一言だろう。これだけの金があればこれだけのことが出来るという予定が立てられる。以前俺が考え母から習った定価というものを、雑賀衆は作り上げようとしている。
「では勤勉な青年、先程も色々と話を聞いていたようであるけれど、一体何を学んだ?」
慶さんと話をしていると、助さんから聞かれた。
「一言で雑賀衆と言っても、雑賀荘の中で十ヶ郷・中郷・南郷・三上郷・宮郷という五つの集団に分かれていて、ことがあれば合議で決定をするらしい。石山御坊に詣でる者が多く、大半は浄土真宗系の教徒だ」
「その事実から、お前は何を見る?」
続けて慶さんから聞かれた。二人とも、俺が知見を述べるのが楽しいのか、それとも間違えるのを見たいのか、悪戯をする子供のような表情をしている。
「非常に柔軟であることが雑賀衆の強さと見る」
「その心は?」
「お隣の根来寺は真言宗系統の行者で構成されてる。それなのに敵対どころかむしろ友好的な関係を持っている。鉄砲の技術や生産方法を雑賀衆に教えたのは根来だそうだ。熊野三山も高野山も粉河寺も、それぞれ異なる教義や主義主張を持っているにも拘らず小競り合い以上の大きな争いになったという話を聞かない。勿論三好氏とも」
そもそも紀伊の宗教勢力の内、雑賀だけは寺でも山でもなく、衆と呼ばれている。一段飛びぬけて宗教色は薄いのだ。
「それでいて、他の勢力に侮られることはない。鉄砲があり、海運があり、金があるから」
「結論は?」
うんうんと聞いていた慶さんに問われた。結論はもう、一つしかない。
「雑賀衆とは戦いたくない」
笑われた。途中まで良かったというのに結論が阿呆のようだな。というのが二人の感想だ。仰せ御尤もである。俺もあほらしい結論だなと大いに思う。
「それで、鈴木重秀、土橋守重なる人物が現在の雑賀衆で重要な人物であるという事だけは覚えた。それと、鉄砲の原料となる素材についても教えてもらった。鉄と真鍮、それに硝石というらしい」
前者は既に父上が、後者は母上が知っていそうなものだけれど、覚えておいて損はないだろう。
そのような話をしているうちに、船は紀伊半島西岸を北上し、堺港を越え、紀伊水道、友ヶ島水道を越え湾へと入り、淀川、木津川口の手前までやってきた。
「北の淀川を遡上すれば京だ。南側の木津川からなら大坂城寺内町まで一気に向かえる」
「歩いた方が安いのではないかな?」
「お前の後学の為だ。いつかここを船で攻めあがる日が来るかもしれん。地形を覚えておけ」
「そんな縁起でもない」
そんな笑い話をしながら、なくはないかもしれないなどと俺は思っていた。父は上洛して畿内を征した後、将軍家の名目で寺に矢銭を命じている。鎮護国家の思想を盾に『御仏の力で国を鎮め、護るのが務めなのであるから、国の礎たる御所の再建に力を貸すのは当然である』というのが父の言い分である。それらの命令は教行寺など畿内の本願寺系の寺にも及び、応じなかった幾つかの末寺には取り潰しなどの措置が行われている。当然だが、印象は良くない。そして本山たる本願寺には京都御所再建費用の名目で五千貫を請求し、本願寺第十一代法主の顕如はこれを支払った。顕如は父の言い分に対して『尤もな仰せ』と表面上は両者確執なく合意に達している。何一つ言い返すことなく、そして五千貫という莫大な矢銭を一括でポンと支払うところに、本願寺の懐の深さを感じ、またそれが不気味でもあった。
「御母上が見ておけと言ったのは、恐らく争いになる可能性があると見越しての事であろう」
船の上から、ゆっくりと近づいて来る寺内町を見つつ、助さんが言う。寺内町や本願寺御坊を見るのに興が乗ったのか、慶さんはゴロリと船に横たわり、満足げに黙ってしまった。話が聞こえていないでもないのだろうけれど、別段身じろぎもしない。木津川の川幅は少しずつ狭くなってゆき、山と積まれた米や塩が小舟に満載されながら遡上してゆく。それらの中には恐らく弾薬と思しき荷もある。
「関白殿下の出方次第という気もするけれど」
「近衛前久様か、あのお方が静かに流れを見て過ごすとは思わんな。法主の嫡男を猶子としたという話でもあるし」
関白近衛前久様は、公家らしからぬ武断派の人物として有名である。何しろ現職の関白でありながら越後まで下向し、上杉輝虎による関東平定戦に参加しているのだ。下総古河城まで御自ら向かい、総大将たる関東管領上杉輝虎殿に状況を報告する豪胆さは並大抵の武家では及ぶべくもない。
その前久様はしかし、持ち前の豪胆さが災いしてか公方様の兄君、十三代足利義輝公暗殺についての嫌疑がかけられてしまった。そこに先関白であり前久様の政敵でもある二条晴良様も前久様の罪を追及した為、遂に京都から追放処分とされてしまう。関白の地位もはく奪されるに至り、現在では先の関白として、太閤殿下とお呼びするのが正しいこととなる。
「前久様と父上の間に直接の遺恨はない。あくまで公方様と二条晴良様が前久様にお疑いをお持ちであるというだけだ。織田家との直接対決はない」
と、思いたい。
「御三方に共通して言えることがある。皆権威はあるが手持ちの武力に欠けるという点だ。そこに来て、公方様の後ろ盾に織田家が、前久様の後ろ盾に本願寺が台頭した。代理戦争となるかもしれん」
「その織田家と本願寺が戦う理由がないのでは?」
「あるさ、寺内町という存在が戦いの理由だ」
黙らされた。確かにその通りだ。寺内町というものの定義は仏教寺院、道場即ち御坊を中心に形成された自治集落のこと。だけでは不十分だ。そこに、濠や土塁で囲まれるなど防御的性格を持つこと、更に信者、商工業者などが集住すること。という一文が加わってもなお不十分である。最も重要な点は寺内町が自治特権を持ち、経済的に独立し、政治的に有利な立場を得ているという点にある。つまり、仮に父が五畿内全てを直轄地として支配したとしても寺内町に税はかけられず、独立した自治権を与えざるを得ない。罪人や敵対勢力の人間が逃げ込んでもそれを無理に追捕することも出来ず、ここは不入の地であると言われてしまえば泣き寝入りをする以外にない。日ノ本の統一、天下への号令、これらの言葉の日ノ本にも、天下にも、寺社領は含まれないという事になる。歴代の幕府上層部が特権を認め、その勢力を拡大させ過ぎてしまった結果と言える。
「鎮護国家の教えの為に、何万石何十万石という寺社領など必要ない。寺社特権などというものも、御仏の教えを守ることと何一つ関係ない」
「その理屈を聞いて全国の寺社勢力がその通りだと言ってくれるのならば良い。そうでないのならば戦になる。現在、最も矢面に立つ可能性が高いのはどことどこだ?」
「……武家であれば、織田家。寺社であれば、石山本願寺」
そうだなと、助さんが頷いた。俺だって、そんな事は薄々分かっていた。父はもっと強く感じているだろう。寺社勢力と天下人は相容れない。正に水と油だ。三好長慶公は彼らと粘り強く交渉し、時に上手く利用し何とか関係を保っていたようだが、彼をしてなお、畿内を完全に統一出来ていたとは言えなかったのだ。足利義昭公を奉じる織田家という統一勢力の前に、服従するか抵抗するか、抵抗するのならどの程度なのか、予断は許されない。
「本願寺勢力と戦いたくない理由はよく分かる。だが、こうあって欲しいという結論ありきで物事を考えていては大事はなせないぞ。俺のような小者で終わりたくなくば、希望と予想は分けて考えろ」
「助さんを小者とは思わないけれど」
「主命に逆らい出奔した浪人だぞ、俺は」
「その行動が十分大物じゃないか」
俺の言葉に、ニッと笑った助さんは返事をしなかった。もう目と鼻の先になった寺内町を見る。見れば見るほど、この城を持つ者達と争い、そしてこの城を攻め落とすという事が出来る気がしない。明らかに岐阜城より、観音寺城よりも堅固に見える。最早、城という感じすらしない。小国一つが丸ごと入った要塞。表現としてはこれが一番近いだろうか。
「流石、活気がある街はいいなあ」
不意に、寝そべっていた慶さんの声が聞こえたと思うと、船が揺れた。何が起こったのか分からず、船から落とされないよう身を低く構えていると、いつの間にか船から飛び降り駆け出してゆく慶さんの後ろ姿が見えた。
「相変わらずの身のこなしだな」
助さんの声が笑っている。慶さんの前方には人だかりが出来ていた。どうやら喧嘩らしい。一人二人ではなく合わせて十名程の、そこそこの喧嘩だ。その喧嘩を見て大喜びで参加しに行ったらしい。
「置いてゆかれてはならん。奴が全員殴り倒すよりも先に我らも」
助さんが、言ってから身を低く構え、船から飛んだ。川べりに着地し、お前もと呼ばれる。俺は船頭に一言礼を言ってから船べりに足をかけ、そして飛び上がった。
「ふう」
「良い跳躍だ」
そうして駆け出した俺達の視線の先には、笑顔で拳を握る前田慶次郎利益の姿があった。




