第二十六話・紀伊半島ヒッチハイクの旅
「春終わり、夏が過ぎゆき、秋暮れる。どうだ? 見事な五・七・五の俳句であろう?」
「カカカカ、慶さんそれ何にも言っていないのと変わらないじゃないか」
「ただ、冬であることは明確だな」
お師匠様の冗談に俺が大笑いすると、同じく笑っていた助右ヱ門殿が腹を抑えながら言う。
美しい月が出た日の翌日、お師匠様と助右ヱ門殿は早くも古渡城に戻って来て、そして明日日の出と共に出発だと言った。
折しもその直前に、斉天大聖から早馬がやってきた。武田が今川領駿河に侵攻。間もなく徳川殿も遠江に出兵するとのこと。どうやら、織田家のあまりにも早い京都掌握と伊勢志摩や近畿での勢力拡大に焦りを感じた信玄入道が出兵を早めたとのことだった。そのようなこともあり得ようと予想していた徳川殿もあらかじめ準備を整えていたらしい。
このような時であるから、暫く出発は見合わせようかとも思ったのだが、そんなことを言っていては永遠に出発出来ないというお師匠様の言葉と、後事一切は私に任せなさいという母の言葉に後押しされ、俺は城を出た。
再びの上洛という事であるので、俺は前回出兵した時と同様に美濃から関ケ原を越え、南近江を通過しそして山城へ、という道行を考えていた。しかし、俺の計画を聞いたお師匠様は『なぜわざわざそんな面倒なことをしなければならないのだ』と、俺の頭をガシガシと撫でつけ、地図を広げてみせた。
尾張の南には伊勢湾が存在し、その西側には伊勢、志摩がある。伊勢志摩を含めた近畿の南部を紀伊半島と言い、紀伊半島東側の北半分が現在では織田の勢力範囲だ。その、紀伊半島をぐるりと一周船で渡るとお師匠様は言った。
本気かと俺は問い返した。紀伊半島沿岸の諸国を尾張に近い方から挙げてゆくと伊勢・志摩・紀伊・和泉となる。その内伊勢志摩は完全とは言えないものの織田家の勢力下にあるので良いだろう。畿内の和泉もこの際問題がないものとする。問題があるのは紀伊だ。
紀伊半島沿岸部の南部を占めるこの国は明確な支配者というものがいない。認めていないというべきか、或いは必要がないというべきか。数多いる国人・豪族衆らがそれぞれにほぼ独立した存在として濫立しながらも、紀伊という国一国においては協力し共存している。それはまるで中国における殷・周王朝や南蛮、遥か古代南蛮に存在したというギリシアなる国の統治体制の如しだ。一人の王を戴くのではなく、多くの実力者が協議することで共に和を成したる政治体制。共和国制度と母は呼んでいた。
それだけを聞くと平和な国に聞こえないでもないが、紀伊は遥か西国九州でもなければ東国は陸奥でもない。九州ですら、新田・楠木・北畠の連合軍に敗れて西に落ち延びた足利尊氏公を助け幕府成立の礎となった。陸奥ですら、奥州藤原氏が源頼朝公に攻められた際には屈服し、幕府・朝廷に帰順した。畿内、大和に接する隣国にありながら国外勢力に首を垂れることのない紀伊国人衆の独立心は並大抵のものではない。幕府という上位存在の権威を認めつつもその支配は受け入れず。紀伊守護畠山氏を敬いつつも服従はしない。室町幕府成立以降現在までの紀伊国の在り方は一貫している。
『敵対したわけではあるまい。船を雇って、ゆるりと河内までの水路を通してもらうだけだ。金を払っている限りは客なのだ。何を恐れる必要がある』
俺の心配をよそに、お師匠様はあっけらかんと言い放った。この人物があっけらかんとしていない時などそうそうないのだが、それにしても恐れるという事がない御仁だと改めて思った。
ただ、一理も二理もあると思うのは、金さえ払えば客という点だ。共和国たる紀伊国は、国人衆それぞれが自分と領民を食わせてやる必要があるので経済的にも小規模にかなり独立している。無駄に関所が多くて面倒ではあるが、逆に言えば金を支払うことが出来れば当地での安全は確保される。紀伊には比叡山延暦寺とも石山本願寺ともまた違う熊野三山や根来寺、雑賀衆と呼ばれる寺社、宗教集団がおり、それぞれの寺に寄進しながら通行すれば寝床も確保出来るだろう。
幸いにして、金はある。佐治水軍の伝手で、紀伊半島南を回る船に乗る手配も付けて貰えた。一貫文の銭をお師匠様の身体に何本か巻き付け、覚悟を決めて船に乗り込むこととした。そうして今、俺達は船上で阿呆なことを言って大笑いしている。
「しかし帯刀、お前新婚の癖に嫁を置いて来てよかったのか?」
「ちゃんと話はしてきたさ。慶さんこそ、女房子供を置いて来てよかったのかい?」
「俺についてはとっくに女房も諦めている。またですか? と言ってそれきりだ。俺などよりも父御殿の方がよっぽど子供の面倒もみているしな。助の字も似たようなもんだ」
「一緒にしてくれるな。俺は事情を話したら妻から労われたよ。『また慶さんの面倒を見なければならないのですね、お勤めご苦労様です』とこうだ」
カカカカ、と俺の笑い声が船上に響く。今回旅をするにあたって、俺の名前、帯刀や信正はそこそこに広まっている可能性がある為偽名を使うことになった。読みだけを変えて『たいとう』。姓はない。お師匠様は慶さん、助右ヱ門殿のことは助さんと呼ぶ。助さんが旅の行商人で、俺がその見習い、慶さんは用心棒兼荷物運びという事になった。
「北畠の、大河内城には行かんで良いのか?」
慶さんに聞かれた。首を横に振る。まだ茶筅が大河内城に入ってそれ程時も経っていない。俺がひょっこり顔を出して里心を付けさせてしまうのもよくないだろう。親戚連中が付いているとはいえ、親兄弟がいないところで何年か揉まれた方が為になる筈だ。
「まずは伊勢志摩だな。となれば」
「となれば?」
「伊勢海老だ」
そのような次第で、まず俺達は志摩国鳥羽港にて伊勢海老を食すことになった。大人しく漁港の者達に売ってもらうなどということはしていない。密漁だ。
「良いか、伊勢海老など飛んで火にいる夏の虫と大して変わらん。火を焚いて待っていれば勝手に寄って来る。寄って来たところを網で掬って縛り上げろ」
そう俺に指示を出したのが慶さん。荷物持ちとして背負っていた籠から麻縄を何本も取り出して俺に渡した。言葉通り、向こうから寄って来た伊勢海老を捕まえては縛り、半刻程で四十匹は捕まえた。
「良いか、伊勢海老というものはこれでいて中々勇敢であるのだ。水底を一列に進み、もし敵に襲われることあらばその最後尾の一匹が敵に立ち向かうことで他の仲間達を逃がす。似たような戦法を使う武士が薩摩にいるという。『捨てがまり』と言う戦法だ」
そんなことを教えてくれたのが助さん。言っていることは博識だが、それにしては慶さんの隣で伊勢海老を捕まえる動きが熟達し過ぎていた。
二人は頻りに時間との勝負だ。などと言っていたのでどういう事であるのかと疑問であったのだが理由はすぐにわかった。地元の漁師達が手前ら勝手に何をしていやがると集まって来たのだ。
「この漁法は簡単で金もかからんが、火は人間も釣っちまう。覚えておけ」
言うが早いか慶さんは縛った伊勢海老を体に巻き付け駆け出した。
「捕まったら良くて半殺しだ、走れ」
言いながら、助さんは近付いてきた漁師の顔に小ぶりの伊勢海老を投げつけて転倒させ、俺の背中を押した。二人は山道へと走り、何故だか一切迷うことなく山を突っ切り、翌日の朝には島の南岸へと出た。夜を徹しての、それも体に伊勢海老を巻き付けての行軍に俺は疲労困憊で、辿り着いた浜辺にてつい眠ってしまった。
「おい起きろ。出来たぞ」
目が覚めた時、日は既に中天に差し掛かっていた。重い瞼を開けると、鍋で味噌汁を作っている慶さんと助さんがいた。
「見ろ、伊勢海老を丸ごと使った鍋だ。こんな贅沢は中々出来んぞ」
「米ももう炊ける。顔を洗って来ると良い」
身体は重たかったが、伊勢海老の味噌汁の匂いを嗅ぐともうそれを食うまで寝る気にはなれなかった。樽のように大きな鍋の中に伊勢海老がゴロゴロと転がっている。一匹や二匹ではない。見ると、俺が身体に巻いてきた分も含め、既に伊勢海老は一匹もいなかった。
「四十匹全て使ったのかい? それに、そんなでかい鍋持っていたっけ?」
「ああ、伊勢海老と交換でな」
言って慶さんが指さすと、漁民なのか農民なのか分からないが、ともかく地元の人間だと思える人々が七、八人近づいて来るところだった。皆手に手に椀と箸を持っている。
「伊勢海老を売る代わりに鍋を借りたのさ。紀伊の中頃まで載せてくれる船も見つけた。伊勢海老はこの辺りでは永楽銭と大して変わらないのだ」
助さんが、みそ汁の味見をしながら言った。俺が寝ている間にどれだけの事をしているんだこの二人は。体力は平気なのだろうか。
そうこうしているうちに集まってきた地元民は二十人を越し、あっという間に小さな祭りのようになった。
「どうだたいとう」
「……旨い」
伊勢海老の味噌汁は感動的な味だった。余りにも感動的に旨かったせいで、俺は食い終わるまで旨い以外の感想を言えなかったくらいだ。殻ごと煮込んだ伊勢海老がこれほど濃厚芳醇に旨味を出すとは知らなかった。殻に付いた身はむしゃぶりつくように食った。米はアケビやタラの芽などの山菜と、僅かな醤油で味が付けられていて、伊勢海老の身を乗せて食べても良し、汁に放り込んでおじや風にして食べても良し。品数は少ないにも関わらず、食べても食べても全く飽きることは無かった。
そのうちに、どこからともなく酒が出て来て、俺は普段飲まない酒を飲んでひっくり帰った。次目が覚めた時、既に俺は船の上だった。
「おう起きたかたいとう。次は鯨を食うぞ。とっとと腹を空にしろ」
「頭が痛い。先に頭を空にしたいよ」
「安心しろ。頭の中などとっくに空っぽだ」
船だからというだけの理由ではなくグラグラと体を揺らしながら、俺は特に感動もなく、大海原を見て美しいなと感慨に耽る間もなく紀伊に入った。おかしいな、少し前まで、月を見上げながら情緒的な話などをしていたような気がするのだけれど。
到着したのは太地町なる紀伊半島の南端近くの町だった。
「鯨はでかいだろう? 三人でどうにかなるものかい?」
「心配いらん、タダで食わせてもらえる」
言いながら慶さんはのしのしと漁船に近づいて行った。助さんは船上で釣り上げた魚を小刀で綺麗に捌いている。心配はいらんとのことだ。
「白浜の辺りまで乗せてもらえることになったぞ」
行って、挨拶だけして戻って来た。それくらいの短い時間で慶さんは話を纏めた。前日の宴会で余ったから貰ったという酒壺が二つ無くなっていた。
「乗船賃にした。船の上で今日の夜は鯨肉だぞ。明日の船上でも鯨だ。鯨肉は噛み応えがあるぞ。覚悟しろよ」
「船代だけじゃなく、飯代も酒で賄ったの?」
「この辺りじゃあ、鯨肉は売れんのだ」
俺の疑問にはいつも通り助さんが答えてくれた。何でもこの辺りで鯨漁をしているのは鯨が旨いからではなく、鯨に魚を食われてしまうからなのだそうだ。鯨はでかすぎて生きたまま運ぶことも出来ないし、すぐに肉が臭くなる。それでも漁はしなければならないので毎年一定の数獲るが余ると捨てるしかない。なら、食って貰った方がまだしもいいだろうと、この辺りでは殆どタダ同然に振舞われているとのこと。
「運賃もタダで貰った酒で済んだしなあ。得したな」
「その酒も密漁した伊勢海老で貰ったようなものだったよね」
初日の船も信方の協力で用意してもらったものだし、考えてみればこの旅でまだ金を一銭も使っていない。
「運が良かったな。俺の日ごろの行いが良いおかげだろう」
「いや、慶さんの生活力が高すぎるせいだと思う」
最初に盗みを働いているのに日ごろの行いが良い筈もなし。どこででも生きてゆける人間はいるという見本だ。
その日は分厚く切った鯨肉をそのまま焼いて食べた。肉質は猪に近く、脂身も濃かった。魚の味とは明らかに違う。新鮮であった為か生臭さなどは感じなかった。ただ、生臭さとは違う独特の香りは人によっては臭みだと思うこともあるだろう。こういう癖を消す調理法は母が詳しい。もしここから古渡城まで鯨を直接輸送できるようになったら考えて頂くこととしよう。得意の天ぷらにもしてみた。地元の人間は旨い旨いと言って食ってくれたが、正直俺はそんなに旨いとは思えなかった。単純に衣が物珍しかっただけなのではなかろうか。付け合わせに作った野菜の天ぷらは最高だった。
翌朝も鯨肉を食い、船上でも食い、土産に串焼きにされた鯨肉を貰い、鯨尽くしで太地町を通過。遂に紀州西岸に出た。降り立ったのは、南紀白浜。
「う、うおおお」
竜宮城がそこにあった。
「絶景かな、絶景かな」
「砂浜が白い。海も透き通るように青いな」
言葉に出来ずにいる俺に対し、慶さんと助さんが楽しげに笑う。絵にもかけない美しさとはよく言ったものだ。
「やはり美しいものを見ると心が洗われるな。よし、サザエとアワビとウニを盗るぞ」
「洗われろよ少しくらい!」
真っ黒なままじゃないか心!
言うが早いか慶さんはザブザブと砂浜に入って行った。俺は助さんに習い、岩場へ行き岩にくっついたアワビの剥がし方やサザエ、ウニの見つけ方などを学んだ。
「この辺りでなら盗っても漁師に追われることは無い。ここの収穫が旅後半の旅費になるかもしれんので懸命に探すと良い」
「金はあるのだから、買って食うことも出来るけどなあ」
俺が言うと、助さんは何を言っているんだと、微笑みながら首を横に振った。
「柿しかり海老しかり貝しかり、店で買ったものを食うよりも人の目を欺いて盗って食ったものの方が十倍は旨いものだ」
「……助さんは真面目な人だと思っていたのだけれど」
薄々感づいてはいたけれど、この人も中々の悪だ。助さんははっはっはと笑い、何を今更と答えた。
「慶次郎と共にいると退屈することがない。それが面白いから、俺はお目付け役と嘯きながらその隣で遊んでおるのだよ」
そうですかと答えた時、海からザブザブと上がってくる慶さんの姿が見えた。既に麻縄の網にいっぱいの獲物がある。何者なんだ慶さんは。
結局この日も盗れるだけの海の幸を盗り、それを使って船を雇った。漁師は又も酒宴を開いてくれたので、俺達が盗った海の幸は彼らの腹に収まった。俺は調子に乗って酒を鯨飲するような真似はするまいと水を飲んでいた。だが、小用を足している隙に酒を混ぜられ、最終的にはぐでんぐでんに酔っ払い、翌日の船上では日がな一日ゲロを吐いていた。おかしい、こんなのまるで茶筅じゃないか。
「おいおいどうしたたいとう。だから調子に乗るなとあれだけ言っただろうに」
許すまじ……
 




