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信長の庶子  作者: 壬生一郎
織田信正編
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第十九話・出来人の青春

「そう言えば土岐氏の出身でありましたね」

「ええ、清和源氏源頼光流の土岐氏傍流です。力及ばず没落に没落を重ね、今では妻と二人きりですが。公方様や殿のお陰で何とか糊口を凌いでおります」

「土岐氏の没落に十兵衛殿の責など些かもありませんよ」

「忝いお言葉です」


清和源氏、というのは清和天皇の王子や諸王が皇族の身分を捨てて臣籍に降り武士となった際に名乗った氏名だ。その中でも、源頼光は名高い人物で平安中期に活躍している。

名族土岐氏の出であるから、という訳ではないと思うけれど、十兵衛殿は

『左に見えるは金地院。右手少々遠くでありますが公方様も訪れた清水寺がございます。あれなるは天智天皇の山科陵。この大文字山を越えた北側にありますは鎮護国家の総本山たる比叡山延暦寺。天然の要害にして気炎充足たる僧侶達がおります』

などと、京都から大津へ向かうまでの間にある名所を教えてくれた。京からまっすぐに東へ進むと大文字山に遮られてしまうのでそれを南に回避し半円を描いて進む。ゆっくりと半日程かけて大津に到着し、船に乗って移動しながら、期せずして夕まずめの頃合いに恵まれた湖に釣り糸を垂らすことができた。


「十兵衛殿は朝倉様の世話になっていたことがあると聞いておりますが、京にも御詳しいのですね」

てっきり船に乗るところで帰ると思っていた十兵衛殿が俺の隣で釣りを始めたので、気になっていたことを聞いてみた。


「ええ、某元々刀鍛冶の倅でありまして、出身は若狭にございます」

「刀鍛冶? 清和源氏の出というのは?」

「嘘ではございません。没落した家程過去の栄光に縋るものですので家系図だけは後生大事に床の間に飾っておりました。落ちに落ちて手に職が必要になったという事でございます」


クスクスと笑いながら十兵衛殿が言う。話しながら既に鮒を釣り上げていた。


「由緒正しき清和源氏という名が物を言ったのでしょう。父は若狭武田家に客を抱え、実入りは良かったと記憶しております。刀に銘を入れるにも、武家から注文を受けるのにも字の読み書きは必須ですのでそこで文字を覚えました。当時から若狭武田家は朝倉家からの強い影響力を受けておりましたので、一乗谷に行くことも、若狭・越前の港に向かうこともありましたね」

「それで、朝倉家との繋がりを持ったという事ですか」


和田惟正殿と共に、十兵衛殿は朝倉家と公方様の間を取り持った。あともう少しの所で実現はしなかったものの、公方様は一乗谷で丁寧に遇されたそうだ。十兵衛殿の存在は公方様にとって実に頼りがいのあるものだっただろう。


「いえ、それは某がまだ若い頃の話です。それから出身の若狭が荒れてしまいまして、思い切って国を出たのです」

「それは本当に、思い切りましたね」

「京大坂堺に行けば、多少の商売は出来ると思っておりましたし、いざとなれば、このように……」

言いながら、十兵衛殿が釣竿を引いた。大きな魚影が見える。鯉だ。鼻筋が長くどこか狐のような顔をしている。親父殿に食わせてもらった似鯉だろう。


「魚を釣り上げてその日の飯を食うくらいのことは出来ますので」

十兵衛殿は袖が濡れるのも構わず腕を伸ばし鯉の口に指を入れて引き上げた。小刀を使って自らエラを切断し、生き締めにする。一目見て、手慣れていると分かる動きだった。


「包丁の研ぎをしたり、捌いた魚を売ったり、あの頃は楽しかったですな。堺では他国に先駆けて鉄砲が出回っておりましてな。金を渡すと射撃の練習をさせて頂けたのです。これがべらぼうに高いのですが、楽しくて楽しくて日銭を稼いではその金で鉄砲の練習をする時期もありました。お陰で鉄砲の腕はそれなりのものになりました」

「織田家にも滝川一益殿という鉄砲の名人がおります。いつかお二人が並んで射撃を行う姿を見たいものです」

「そうですか、それは良いことを聞きました。ぜひご教授願いたいものです」


どちらの方が上手いかなど張り合うつもりは更々ないという十兵衛殿の言葉。元々持っていたつもりもない毒気が更に抜かれる気がした。

「そうそう、当時十三代様にもお会いし、暫くの間お仕えしていたのです」

「十三代、義輝公にですか!?」


びっくりして問うとそうですそうですとにっこり頷いて言い返された。


「刀がお好きでありましたので研ぎ方をご教示致しまして、同じく鉄砲にもご興味を持たれておりましたので御指導申し上げました。気骨のある気風も良いお方で、もし自分が足利中興の祖となれたならお前に畿内で一国任せる。などと言って下さったのですよ」

「ああ、そういうことは父上もよく言っておりますな」


偉い人の常套句なのかもしれない。言われた方も悪い気はしないだろう。

「しかし、可愛がっていただけたことがあだになったのか他の家臣方々に嫌われてしまいまして。結局お暇乞いをせざるを得なくなってしまいました」


ほへぇ~、と、馬鹿みたいな声を出してしまった。波乱万丈とはこのことだ。話をしながら十兵衛殿は次々魚を釣り上げているのに俺は全然釣れない、話が興味深すぎる。


「公方様の御家臣から嫌われた者を迎えて下さる有力者などおりませんでした。いえ、いないことは無かったのですがそれらは皆公方様とは敵対関係にありました。幾ら追い出された身とはいえどもそう露骨に鞍替えすることは出来ません。結局親類の伝手を頼って美濃へ向かったのです。美濃は土岐氏の本領、行ってみれば浮かぶ瀬もあろうと思いまして」


それでそれでと話の続きを求めたところで船が到着してしまった。手際よく道具を纏め、俺の分の荷物まで背負ってくれた十兵衛殿は話はまた明日にでも、と言い釣った魚で軽く一杯と楽し気にしていた。

釣りたての鮒や鯉は泥臭くて食べられたものではないので一晩泥抜きすることにし、鮎を塩焼きに、食いでのない小魚の類は山菜と和えて俺が天ぷらにした。


「何と、これは旨い」


母から教わった天ぷら粉作りも上手くいき、出した料理は大いに喜ばれた。自分で作った永楽銭を、今回の旅では全く使っていないのでここぞとばかりばら撒き、塙家の連中にも酒を飲ませてやった。

「何処まで話しましたかな?」

「美濃へ下ったところからです」


翌日、十兵衛殿はゆったりと温泉に浸かり、自分は岐阜城へ向かうと言った。尾張の古渡城に向かう俺とはすぐに道が分かれてしまうがここまで来て話を全て聞かないという選択肢はないと、自分も岐阜城にて用事があると嘘を吐いた。


「そうでした、叔母の旦那様が大した出世人でありまして。何と一介の油売りから美濃一国の国主まで成り上がりましてな……おや? 驚いておりませぬな」

「いえ、驚きすぎて言葉になっていないだけにございます」


油を注ぐときに漏斗(ろうと)を使わず、一文銭の穴に通して売るという見世物を行った油売り。後に美濃国主土岐氏に仕え、父長井新左衛門尉(ながいしんざえもん)殿と二代の時をかけ美濃を強奪した男。通称美濃のマムシ。父信長の義父、斎藤道三。


「昨日も思っておりましたが、帯刀様は話し甲斐がありますなあ。こまごまとした知識もその前後の関係もよくお分かりでありますから、こちらがこう受け取って欲しいというところでしっかり驚いて下さる」

「……面白がっておりますね?」

「面白うございます。若く賢い方が驚く時、それは成長する時。少なく見積もっても尾張美濃二国筆頭と目される若き賢人の成長をこれほど間近で見られるは我が生涯の誉れ」


滅茶苦茶褒められている。けれど掌の上で転がされている感が半端ではない。何故俺の周囲の大人は俺に敗北感を植え付けるのが得意であるのか。


「あの時期は忙しかったですな。今となっては、道三様は土岐氏の一族を追い出した悪党という扱いですが、美濃は荒れておりましたので毎日のようにどこかで農民が逃散しておりました。またあの当時は越前朝倉、近江六角両家共に盛んで善政を敷いておりました故、このままでは美濃は滅びると誰もが感じておりました。言い訳でありますが、道三様が美濃を奪ったのにはやむに已まれぬ事情があったのだとお知りおき下さい」


その時だけ、十兵衛殿が気持ち真剣な表情で俺を見た。悪党と呼ばれマムシと呼ばれ謀反人と呼ばれた人を、きっと十兵衛殿は好きだったのだろう。


「ともあれ、某も微力を尽くしましてな、一城を任せて頂けるようにもなりました。時折叔母上の元へ行き、お子様方の面倒も見たのですよ。まだ童であった姫君と共に遊んだりもしたものです」

その姫君ってもしかして、とは言わない。これ以上簡単に驚かされるのは悔しいからだ。今更な気がしなくもないけれど。


「ですから、美しく成長したその姫君が尾張の虚けと呼ばれる方に嫁ぐと決まった際には複雑でしたなあ…………」

空を眺め、感慨深そうに呟いて、少しの間を取った後俺の事をチラリと見た。しれっとした表情を返してやった。


「おや、驚いて頂けませんか」

「これだけ驚かされれば身構えもします。濃姫様が道三様の娘であることなど誰でも知っておりますれば」

それは残念至極と、十兵衛殿は話を続ける。


「それからの事は多くの方がご存じの通りです。弘治二年の四月、我らは長良川河畔で義龍様に敗れ、道三様は討ち死に致しました」


 大国美濃を奪い取った斎藤道三であったが、その最期は惨めだった。嫡子斎藤義龍と義絶し、長良川にて戦い、敗れた。長年にわたる悪辣ともいえる国盗りの手法が仇を成したのか、道三の元に馳せ参じた兵は二千五百余り、義龍軍はその七倍はいたという。戦いの原因は、道三が末の子供を可愛がり義龍を廃嫡しようとしたからであるとか、実は義龍が道三の子ではなかったとか、色々と言われている。だが、結果だけ見れば道三は義龍に完敗し、戦場で討ち死にした。


 「あの戦は、不思議な戦いでありました。戦う前より勝敗は明らかでありましたが、集まった者達はどこか楽観的で、逆に遥かに多くの数をそろえた義龍様の軍がどこか浮き足立っておりました。我らは『この川の名前を湊川にするか』『いや、三途の川と名付けて誰が最初に渡れるか競争しよう』などと言って大笑いしたものです。道三様も『これだけの人を集められるなら義龍と義絶せずとっとと耄碌しておればよかったわ』と高笑いしておりました」


 湊川とは、南北朝時代の英雄楠木正成公最後の戦場だ。即ち勝てる筈のない戦いである例えに使われる。三途の川については、何を言っているのか考察するまでもないだろう。


 「戦いはあっという間に決着がつき、道三様は自ら首を取られに行くかのように前進し、討ち死になさいました。残った我らは逃げ出しましたがその時既に敵の只中にあった為、逃げても全員討ち死には避けられないと思っていたのです。ところが、逃げ出す我らへの追撃は余りに優しく、我らを逃がさんとするかのようでした。這う這うの体で城に逃げ帰ると、城門の前で家族が美濃から逃げる準備を済ませて待ってくれていたのです。思えばあれは、道三様の時代を知る者と、新しい時代を生きる者との、手荒な世代交代の儀式であったのかもしれません」

 「……興味深いお話です」


 戦後、斎藤義龍は美濃を纏め、騒乱なく治めている。彼の不手際が一つあるとすれば早世に過ぎたという事だろう。もし美濃が盤石であったのなら父は美濃と結び、東の三河か、あるいは西の伊勢に兵を出していたかもしれない。


 「拾ってしまった命、既に妻もいる身で、それからどうすべきか考え、私は北へ逃げました。越前朝倉家です。折しも前年に名将朝倉宗滴公がお亡くなりになり、家中必ずしも安泰とは言えない状況にありました。宗滴公は信長様の去就に注目しておられたそうで、その妻の従兄弟たる私も頻りに話を聞かれました」

 「宗滴公が、父を?」

 「ええ、織田上総介が行く末を見届けたいのであと三年生きたいと仰せになったそうです」

 「三年ではまだ足りなかったでしょうね」


 それだとまだ尾張を統一し、桶狭間の戦いが起こる前だ。せめて桶狭間を見なければ行く末を見たとは言えないだろう。


 「お話を伺う限り、足腰の立つ限り前線で戦い続けると言い切り、最期の瞬間までボケるようなことは無かったとのことです。恐らく三年生きたらもう三年、更にもう三年と言い出したであろうとは、朝倉家中の総意でございましたよ」

 成程英傑だなと、二人で笑った。


 「『犬とも言え畜生とも言え、武士は勝つことが本にて候』戦場にてそう仰せになったそうです」

 「宗滴公らしいお言葉です」


 浅井家の磯野殿などはあまり好きではない考え方かもしれないが、戦国の世においての一つの答えであることには間違いないだろう。闘戦経の感想に北畠顕家公の名を出した俺だけれど、宗滴公も顕家公もどちらが正しくどちらが偉いという訳でもない。とにかく勝ちたかった宗滴公と最後まで忠義と意地を通した顕家公、どちらも格好いいのだ。


 「ともあれ、又も私は全てを失った訳です。しかも此度は妻もおり、食わせてやらねばならない。必死に奉公をし、気が付けば十年経っておりました。かつての城持ちは夢のまた夢。されど女房子供と共に、何とか口に糊をして来られた次第です。一乗谷に来られた義昭公をお迎えし、義輝公の話などをしているうちに再び幕臣にと言われ、義昭公上洛の為に朝倉・浅井・六角・毛利・上杉と多くの大名に話をし」

 「そして最後に、父上がそれに応じたと」


 左様でございますと十兵衛殿が微笑む。話をしている間、各所で度々歓待され話が中断したせいもあって既に岐阜城は目の前だ。


 「丁度良い頃合いですな。私実は可愛い従姉妹から共に夕餉をと誘われております。友人を連れていくので皆で、と許可も取ってございますのでご一緒致しませんか? 塙家の方々にも、別室にてご馳走を用意致しております」


 俺が何かを言うよりも先に塙家の男子(ならずもの)達がウェ~イ! とかヒーハー! とか叫び出したので断れなくなった。お前ら母から新しい言葉を教わるなといつも言っているのに。


 「元々某は直接古渡城に帰ると言っておりましたが」

 「魚を釣るのには旨い餌、賢人を釣るのには面白き話、そういうことでございます」

 ため息を吐いた。掌の上だったのは話だけではなく、帰りの道中ずっとだったという事か。

 「最後に一つお聞かせ頂きたい」

 「何なりと」


 今回の話を聞きながらずっと思っていたことだ。見たところ斉天大聖や又左殿と大して変わらない、三十前後の十兵衛殿が、随分と長い遍歴を持っている。


 「今、お幾つで?」

 「永正十三年の生まれですので、今年で五十二になります」


 死ぬほどびっくりした俺の叫び声は、後ろで聞いていたならずもの達の叫びに混じり合い、かき消された。


 「一休宗純に朝倉宗滴、人の世五十年を越えてより活躍した者は天下に山とございます。この明智十兵衛光秀もまたそうなるつもりにござる故、幾久しく知遇を重ねていきたいと思っておりまする」

 眼光鋭く口元で笑うその様子は、これまでで最も若々しく見えた。


光秀殿の前半生について言われてる推測や考察、全部ぶち込んでかき揚げにしてみたんですけど?

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― 新着の感想 ―
[一言] 知識のかき揚げうめぇ〜!!!!! …不躾な文章、誠に申し訳ございませんでした。大変美味しゅうございました。
[良い点] 面白い面白いと読んでいたけど、この話のオチがことに面白い!
[一言] かき揚げ、大変美味しゅうございましたw
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