第十八話・恐るるべき者達
「どうした帯刀、久しぶりに故郷に帰れるのだ、嬉しくはないのか?」
一連の出来事が一応の終結を見た後、俺は本来の古渡城主として尾張へ帰ることとなった。俺とは入れ違いに京都にやってきた親父殿は今後、京都の治安維持、ひいては政についてその辣腕を振るうのだそうだ。
「尾張に帰れるのは嬉しいですが、母がおりますので」
「はて、お主ら、母子の関係は良かったであろう」
細身で小柄な親父殿は見かけ通りに小食であるが、かと言って食に興味がない訳ではないらしく、京に来てからというもの珍しい料理を毎日のように食べていた。大抵は少し食べて満足してしまうので、残りは俺が食べることになる。今食べているのは、琵琶湖で取れた鯉を塩と卵白で包んで蒸し焼きにしたものだ。石膏のように固まった塩を木槌で割ると、フワフワとした白身魚が現れる。淡泊な味わいの白身魚に程よく塩味がきいていて旨い。川魚特有の泥臭さも卵白が吸い取ってくれるのだそうだ。
「母子の仲は良いですが、美濃を出る前に一つ賭けをしてしまいまして」
「負けたか」
頷くと、唸るような声で笑われた。今回は浅井久政にもいいようにやられかけたし、大人にはいつもやられてばかりだが、それにつけても母にはしてやられた。負けた方が勝った方の言う事を一つ聞く約束だ。
「成程、二ヶ月でか、それは、お主でなくとも勝てる賭けと思うであろうな」
「そうでしょうとも」
賭けの内容を説明すると、親父殿が呟いた。もう塩釜焼に手を付けるのを止め、横に並べてあった鳥の串焼きを一切れもぐもぐとやっている。
「本当に、あの母は最近狐どころか天狗じみております」
「直子殿の神通力は今に始まったことではない。息子であるのならばじきに帯刀にも受け継がれよう」
「そのような兆しは全く見えません」
鳥の串焼きを食べる。何だか味わったことのない味だ。鴨や雉ではない。鶴は食べたことがないのでもしかして鶴だろうか。鷺という事もあり得る。しかし何だか身が赤いが大丈夫だろうか。親父殿が腐りかけを俺に出すとも思えないが。
「まあ、余り無体なことは言われるまいよ。面倒ごとを押し付けられはするであろうが」
京風の薄いお吸い物を啜り、親父殿は食事を止めた。残りはすべて俺が食べることになる。
「この、薄味が京都の味というのは、正直好きませんね。品が良いのではなく単に味付けするだけの調味料が買えなかっただけのような気がします」
「無い話ではないな」
「塩釜焼も、聞いたところによると京都ではなく近江の料理というではありませんか。琵琶湖や敦賀港の近い近江はこうやって卵や塩を贅沢に使える余裕があるという事です」
「禁裏ですら障子に穴だらけなのだ。金については言うてやるな。応仁の乱以来、生きるのに精いっぱいであったのは主上から農民まで皆同じ事」
そんな戯れ事を垂れ流しながら俺は食事を全て食い終え、ご馳走様でしたと席を立った。
「旨かったか?」
「塩釜焼は旨かったです。吸い物は、あれでは湯を飲んでいるのと変わらない気がします」
そう感想を述べると、親父殿は束の間ニヤリと笑った後、鳥はどうであったかと聞いてきた。
「鶏肉はよく分からない味でしたね。癖になる気もするし、もう食べなくともよい気もする。何という鳥なのですか?」
「鴇じゃ」
「ああ、害鳥駆除と美食の両立ですか、流石は親父殿」
であろう、と言って軽く笑った父はそれからでかい握り飯を五つも持たせてくれた。帰りの道中での土産らしい。中身は食っての楽しみじゃとか言っているけれど、混ぜご飯になっていて楽しみもへったくれもないものが三つある。
「東に気を付けるのだぞ」
食後に湯を飲んでいると親父殿が呟くように言った。東で気を付けるべきと言えば。
「武田ですね。嫡男義信を廃嫡し、今川領に度々兵を出している様子」
桶狭間の後、三河徳川家が独立したことによって織田と今川は隣接する家ではなくなった。代わりに、美濃へ進出した織田家が東に接することになったのが甲斐源氏武田家だ。信濃の南を得、北に兵を進めていたが第四次川中島の戦いにおいて甚大な被害を出し方向転換した。武田家当主武田晴信は名君義元を失い弱った今川家を攻め駿河遠江二ヶ国を得ようとしている。それに待ったをかけていたのが今川家から妻を娶った嫡男義信だったのだが、晴信は息子を廃嫡し、幽閉した上で今川家侵攻を開始した。
「徳川殿にも十分に気を付けよ」
分かっておりますと言ったつもりだったが、親父殿は首を横に振った。
「徳川殿に? 何故です?」
「あの男が徳川家康であるからだ」
首を傾げた。明瞭な言葉でいつも分かり易く説明をしてくれる父らしくもなく、何を言っているのかが分からない言い回しだ。
「そもさん、元康殿は何故に、家康と名を変えたのか?」
「説破。今川義元から頂戴した元の字を捨て、独立の意思を鮮明にする為」
「では、なぜ松平の姓を徳川に変えた?」
「それは……」
分からない。そもそも徳川という名を俺は聞いたことがない。
「あれはな、改姓したのではなく復姓したのだ」
分かりませんと答えると、親父殿が答えをくれた。
「香でも焚くか」
言って父が手を叩くと部屋の外で何人かが動いた。間もなく、扇で仰がれる風に乗って香木の香りが室内に漂い始めた。
「松平家は新田氏支流世良田氏系統の清和源氏を自称しておる。これは儂が知る限り先々代清康殿の頃にはそうであった。徳川殿が三河統治の大義名分を欲していたことは帯刀も知っての通り。が、世良田氏系統の清和源氏が三河守を叙任した前例はない。これを理由に正親町の帝から三河守就任を断られてしまったのだ」
守護職を得る利点は大きく二つある。一つは単純に箔が付くということ。これをしたいがために日ノ本中の大名小名達やその家臣が勝手にどこそこの守と名乗っている。もう一つが、徳川殿がしたように統治の大義名分にできるということ。徳川殿は勝手に三河守を名乗らず上洛前から献金や手紙のやり取りをして三河守叙任を願い出ていたそうだ。
「そこで一計を案じた。知恵を出したのは関白左大臣、近衛前久殿下」
「関白様が……」
「関白殿下は松平氏の祖とされる世良田義季が得川氏を名乗った文献があることを見つけ、また新田系得川氏が藤原姓を名乗ったことがあると、松平元康殿に徳川姓に戻すことを勧めた。故に、親戚一同は松平のまま、己一人が徳川に復姓することで三河守叙任の大義名分を得たのだ。朝廷、帝よりのお墨付きである。最早義昭公から言われたとしても、徳川殿が三河を明け渡す理由にはならぬ」
その大義名分は、織田家が持つ尾張・美濃の大義名分よりも重いのだと、親父殿は言った。
「己の名をこうも見事に利用する男だ。こうなると何故家“康”であるのかも、少々気になる」
「それは、確か名将であった祖父清康殿にあやかったとか」
「切り捨てられた一字は信の字だ」
「…………」
その時俺はどのような顔をしていただろうか。徳川家康。かつては松平元信と名乗っていた。祖父にあやかって元康とした時にはまだ今川義元家臣の一人でしかなかった筈だ。敵国だった織田家の当主が扱う信の字を消し主に忠義を尽くすと主張しただけとも取れる。当時の織田家当主は父ではなく祖父信秀だ。父に対しての遺恨とは考え辛い。だが。
「織田家の信も今川家の元も切り捨て、我が家を康んじる。即ち天下への野心を孕んだ名前。そう考えるのは考えすぎか?」
「い、些か考えすぎかとは思いますが……」
けれど、世迷言だと笑う気にもなれない。俺の表情を見て、親父殿がその皺の深い顔をクシャリと歪ませた。
「まあ、考えすぎであろう。嫡男の信康殿にはしっかり信の字を与えている事でもある。だが、油断はするな。徳川がどの勢力にも属さず独立していることは事実なのだ。戦国の世において、己の脚のみで立っている家は尽く天下を狙っていると見よ」
「お言葉、肝に命じます」
頭を下げ、答えた。んん、と唸るような首肯が返され、そろそろ行くがよいと促される。
「親父殿もお体ご自愛下さい」
「帯刀の子を見るまでに死ぬ予定はない」
最後に言われた一言は温かかった。
「京洛だな」
京の町を眺めながら呟いた。皆が天下と呼ぶ地だ。流石日ノ本の都だ、何もかもが雅である。とは思わない。応仁の乱のみならず、天文法華の乱、足利義輝公暗殺、三好・六角・朝倉ら大名の争いなど、目まぐるしく騒乱が起こって来たのだ。雅さなど育つ暇がなかっただろう。だが、それでも活気はある。崩れた家の前にゴザを敷き、家屋が焼けて開けた場所で芸を行い、背に商品を負って物を売り歩く人々が多くいる。将軍が追い出されようと街並みが焼けようと、この国に住む人間の誰もが京の都が日ノ本の都だと認識している限りここに人が集まるのだろう。そして人さえいれば街も国も栄える。人は国だと言ったのは一体誰だっただろうか。
「帰るか」
外で待っていた連中に話しかけた。又左殿も可隆君も今はいない。又左殿は父が、可隆君は可成殿が連れて行ってしまった。何人か塙家の若い衆が付けられている。彼らが帰りの道中の護衛だ。
「はい、案内致します。帯刀様」
と、その中に塙家の人間ではない男が一人混じっていることに気が付いた。質素な服装だが粗野な様子が全くなくどこか気高い風貌をしている。毛並みが違うとでも言うべきだろうか。明らかに周囲の男達から浮き上がっている。
「貴方がこちらに来られて宜しいのですか? 公方様も父上も十兵衛殿を頼りにしておりますが」
人を一目で判断出来る人相見ではないけれど、彼はいつも柔和な笑みを浮かべており、偉ぶった様子がなく、見るからに誠実そうな印象を見る者に与える。斉天大聖殿とは全く異なるが、人の懐に入るということを自然に出来てしまう稀有な御仁だ。
「京や堺、或いは大坂についてであれば三好殿や松永殿の方が御詳しく、殿上人とのお話であれば藤孝殿や藤長殿の方が得手であります。私はそれ程頼られるような人材ではないのですよ」
卑下している訳でも謙遜している訳でもない口ぶりで十兵衛殿は言う。少しくらいは暗い空気が流れてしまいそうなものだが、彼が言うと、『だからこれから頑張ります』と言葉の最後に付け加えられているかのような前向きな印象となる。
「そうですか、某は頼りにしておりますので、帰りの道中宜しくお願い致します」
そう言って頭を下げると、こちらこそと十兵衛殿も頭を下げた。帰りの道中は途中まで船旅だ、ゆるりと釣りでもしたい。
「京に来て何を食べられました?」
京を出て東へ二里ほど進み大津、つまり琵琶湖畔へ。船に乗って観音寺城まで向かう。そこで馬に乗り換えて美濃へ、岐阜城には寄らずに尾張古渡城へと戻る。ほぼ二ヶ月だ。母は俺の事を満面の笑みで迎えるだろう。得意満面の笑みで。
「京野菜や琵琶湖の魚などを頂きました」
「その様子では余りお好みではなかったようですね」
十兵衛殿がやはりという感じに言う。聞くと、父も俺と同じように味が薄いと文句を言っているらしい。
「塩や味噌をきかせすぎるのは下品であると言われ、ならば出汁を取れば良い。干し椎茸ならば下品な塩味にはなるまいと仰せでした」
「公家衆相手に無体なことを」
父らしいなと俺は笑った。干し椎茸などという高級品、今の公家が取り寄せられる筈もない。
船に乗るまでの間、俺達はポツポツとおだやかな空気の中で話をした。父のように結論を急ぐでもなく、斉天大聖のように強く何かを求めるでもない。沈黙が苦にならない会話というのは良いものだ。
「先程村井の父上から頂いた塩釜焼は旨かったです」
「ほう、琵琶湖の料理ですな。似鯉と言う、鼻のツンと尖った鯉でやると旨いのですよ。そう言えば、村井殿は元々近江の出であるとか、帯刀様に食べて欲しかったのでしょう」
言われてから初めてはっと気が付いた。俺に自身の郷土料理を食わせたかったのか。それならそうと言ってくれれば俺だってお世辞の一つや二つ言ったのに。いや、そういうおべっかが嫌だからあえて言わなかったのだろう。
「それと鴇も食べました。赤い肉は最初少々気味が悪かったですが、食べてみると悪くありませんでした」
「ほほう、帯刀様もトキを食らいましたか。親子ですなあ」
俺にとっては二ヶ月の旅行と言って良いような呑気な道程となったが、この二ヶ月で畿内における多くの実力者がその明暗をはっきりさせた。明の立役者たるは勿論織田信長。その息子である俺はその中で多くの人々と出会った。
浅井家の人々とは当主である長政様はじめ多くの重臣達とも知遇を得ることが出来た。十四代将軍、公方様となられた義昭公とも、僅かではあるが会話することが出来た。一色藤長、細川藤孝、和田惟正らの幕臣、三好義継、松永久秀らの畿内有力者、皆、母が注意深く観察し、可能なら知遇を得よと言ってきた相手だ。
「父も鴇を召し上がられたので?」
「いえいえ、私めも、この明智十兵衛光秀もまた、トキでありますので」
しかし、今回最も良い出会いだと思えたのは、それらのうち誰でもなく、今目の前にいる人物との出会いだ。




