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信長の庶子  作者: 壬生一郎
帯刀編
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第十一話・スーパー木下ブラザーズ弟(地図有)

永禄九年のこの年、父織田信長の勢力は確実に美濃を覆わんとしていた。美濃南部の城を幾つも攻め落とし、又調略によって国人衆を寝返らせ、国主斎藤竜興と不仲であった西美濃三人衆との間に離間の計を仕掛けることで、美濃勢が協力して織田と戦えないようにした。既に斎藤竜興の勢力範囲は美濃の半分にも満たない程度まで縮小している。一方で、俺と母が行う様々な試みは決して順風満帆とは言えない状況にあった。


 まず、永楽銭作りだが、これはまだまだ途上だ。銭を作るという事は、鉄を溶かす炉が必要という事。銭の素材は銅だ。見た感じ、錫が混じっている。それは即ち青銅と呼ばれるものだ。俺は永楽銭の鋳型を作り、溶かした銅と僅かな(すず)を流し込めば終わりだと思っていたのだけれど、その鋳型を作るのにまず苦労した。なぜなら、溶けた青銅を流し込む鋳型は銅や錫よりも融解温度が高い鉱物で出来ていなければならないからだ。ということは鉄の鋳型が必要となるのだが純鉄の鋳型を作れる炉が今の尾張にはない。かつては日ノ本でも銭貨を作ったという記録が残っている。本朝の人間には出来ない特殊な技能と言う事ではない。長らく続いた戦乱で技術が散逸したそうだ。幸い、美濃は焼き物が有名で技術力のある陶工も多いと聞く。頑張って造った失敗作を父に送って、早く美濃を統一して下さいと一筆したためた。気軽に言うな。と返事がきた。


 それ以外だと、取り敢えず漢字は纏めて父に提出した。切りよく二千字。帯刀仮名同様、この二千字が尾張での正しい漢字として認められた。それに合わせて竹簡も書式を整えた。

紙は貴重だ。大量の文字を書いて一冊の本に纏めることなど相当な金持ちにしか出来ることではない。金のない家の人間は竹の本を読むことになるだろう。その際、統一規格があったほうが良かろうと考えた俺は手首から肘くらいまでの長さの最も読みやすいと俺が思う長さに整え、そこに二十文字を書き込むこととした。その竹を竹の節二本半分、つまり二十柵で一つの竹簡とすることに決めた。そうすると一つの竹簡に書ける文字は二十×二十で四百文字となる。帯刀規格と早くも呼ばれつつある竹簡だ。


その他、年貢の取り立てやら商売やらに使う枡がバラバラだとやり辛いのでこれも統一しようとしたのだけれどこれは失敗した。どうも既に米はこの枡、水はこの枡、という大きさがあるらしく統一は難しいそうだ。京桝という枡が最も広く使われているそうなので、いつか尾張はこれで全ての物を測るようにしましょうと父に伝えるとお前は何でもかんでも統一したがるな。と返事が来た。自分だって天下統一を目指しているのだからお互い様だろうに。


こうして色々と試行錯誤している俺だけれど、母は俺よりも派手に色々と動いた。もっと甘いものが食べたいと言い出し、ミツバチを飼い、その蜜を集め出した。つまり養蜂だ。他にも、出汁が取れないと言って椎茸を栽培しだしたり、もっと柔らかくておいしい食用肉をと言って猪や牛を飼育し始めた。尾張湊にやって来る商人に頼んで、羊や山羊も手に入れようとしているみたいだ。昔からちょこちょことやっていた鶏の飼育も、人を雇って大々的に始めた。全て食べ物関係、食い意地が張っているなと苦笑をしたのは俺だけで、周囲の殆ど誰もが驚愕の表情で母を遠巻きに見るようになった。どうも、苦笑で済ませることの出来る俺も相当な変人であるらしい。何故周囲が驚愕するのか、多少は説明しておこう。


まず養蜂だけれど、そんなことをしている人間は少なくとも尾張にはいない。初めて母がミツバチの巣となる籠を作った時、周囲はこの世の誰がこのようなことをするというのか、と言い止めようとした。母は今鏡や今昔物語を取り出し、ここで蜂が飼われている記述があると反論した。文学少女の面目躍如というべきだろう。

椎茸栽培について。実のところこれだけは周囲も頑張れと応援している。何故なら椎茸は滅茶苦茶高いからだ。母は昔松茸を見ると興奮し、こんなに大きな松茸が、などと戦慄(わなな)いていたそうだが、今となっては『松茸って別に美味しくない』と一顧だにしていない。


牛や馬は既に述べた通り宗教上忌避されることが多い。俺は今まで死にかけの牛や馬を買っては潰し、自分が食べる分を確保してきたが、母は積極的に売り出せるくらいの農場にしようとしている。それはそのまま宗教家の人々に喧嘩を売るような行為だ。母がそれを分かっていない筈もないと思い指摘すると『わらわ、馬鹿な小娘だから分からないわ。キャハッ』と言われた。それで許されるのは十代までだ。と思っていると手刀を頭に振りおろされた。口に出してはいなかったのに。


羊や山羊に関しては、羊や山羊がどうという話ではなく、わざわざ大金を投じて牧場を作ろうとしている母について皆が変人だと言っているのが現状だ。つまり母は変人扱いされつつも全然めげずに山羊や羊を心待ちにしているのだ。個人的には、母が確信をもって行動した時は最終的に面白い結果が待っていることが多いので頑張って欲しいと密かに応援している。恐らく、母はどこかで実際に山羊や羊を食べ、美味しかったことを覚えているのだ。


最後に一つだけ。食べ物についてのみ執念深いくらいの探求心を見せている母だが、唯一例外がある。それは街道作りだ。


古渡城、那古野城、小牧山城が南から北へほぼ直線に並んでいることは既に述べたことだが、古渡城から更に南へと進むと何があるのか、熱田神社がある。熱田大神を祀り、伊勢神宮には及ばないものの高い格式を持つこの神社は、桶狭間の戦いの折り父が参拝しその後勝利を収めたという織田家にとっても縁起の良い神宮である。霊験(れいげん)あらたかな神社であるが故にここには人が集まる。人が集まるところには物が集まり、物が多く集まれば町が栄えるのは道理。しかも熱田は伊勢湾の目の前であり、知多半島にも通じる。知多半島西岸の大野城を治める佐治信方殿は父信長の妹、お犬の方の夫でもある。東に三河、西に伊勢、北は言うまでもなく父の本拠地となった美濃、これらの中心地にある古渡城とその周辺地域の交通の便を良くしようと、母上はまず古渡城周辺の道を整えた。具体的には道に石畳を敷き、昼は暑くないように背の高い木を植え、茶屋を設けて旅人や商人が行き来しやすくし、夜もかがり火を焚きつつ宿を作り街道の安全を確保した。旅人からも商人からも概ね好評だが、家臣団からは賛否両論が出ている。街道を広げ人や物の往来を増やすことは確かに経済的には良いことであるが軍事的には危険も孕んでいるからだ。旅人が通りやすい道というのは軍隊も通りやすい道であるからして。


母は父に対して街道整備の必要性を説く手紙を送り、その為の資金をせびっているが今のところ父からはっきりした返事は返ってきていない。ただ、一度言いだした母を止める想像ができない俺がいる。因みに、古渡城周辺の街道整備の資金は俺が父から貰った金や竹簡作りなどで僅かに得た金で行われた。贅沢な暮らしをしているわけでもなく大金を消費出来る母、ある意味才能だと思う。


 「お久しゅうござる、名刀様」

 そんな風に俺と母が遊んでいる間、美濃の前線で着々と出世を遂げている人物が一人。言わずと知れた斉天大聖だ。

「小一郎殿、兄君は美濃攻めの先鋒を賜ったと聞いているが、そんな時に小一郎殿がこのような場所に来てよいのかな?」

「なればこそ、名刀様のお知恵をお借りして来いと兄よりの命令にございます」


美濃の南を攻め落とした際にも、斉天大聖は調略にて松倉城主の坪内利定(つぼうちとしさだ)鵜沼(うぬま)城主の大沢次郎左衛門おおさわじろうざえもんといった者達を織田に降らせた。その他にはこの間の彦右衛門殿こと滝川一益や、森、丹羽といった名前もよく聞く。森家や丹羽家は一族総ざらえで事に当たっているが、斉天大聖や彦右衛門殿は殆ど着の身着のまま、裸一貫で手柄稼ぎに奔走している。その手柄稼ぎの争いの中で、斉天大聖を陰日向に支えているのが実弟の小一郎長秀殿だ。


「知恵を貸せと、又俺のような小僧に?」

「左様にございます。織田家随一の御神童にでございます」


俺の言葉に、小一郎殿が柔らかく微笑みながら返した。兄の斉天大聖よりは背が高いけれど大柄でもない。父親違いの兄弟で、斉天大聖のような底抜けの明るさはないが何となく助けてやりたくなるような雰囲気は同じだ。斉天大聖がおね殿と結婚した直後に家臣となったそうだから、兄弟の付き合いはまだそれほど長くはない筈だが兄弟仲は極めて良い。斉天大聖の出世速度が格段に上がったのは小一郎殿が家臣になってからという事もよく知られている。


「此度兄が殿より無理難題を押し付けられてしまいました故に、名刀様に縋りつこうと、我が木下家一同の家族会議で決まりまして」

恥も外聞も誇りも意地もない言い分に、思わず笑ってしまった。木下家一同の家族会議、旦那と嫁と弟、本当にささやかな一同ではあるけれど、認めて貰えているんだな俺は。


「父は何をしろと言ってるのかね?」

「何でも斎藤家を攻める為に城が必要とのことで、長良川西岸に城を建築せよと」

「そいつはまた、無理難題だね」



挿絵(By みてみん)



尾張を領地とする織田家は美濃を治める斎藤家相手に優勢な戦いを続けている。しかしながら美濃斎藤家が本城とする稲葉山城は難攻不落の名城であり、力押しにするのは難しい。長良川西岸とはその稲葉山城の目の前だ。ここに城を建設し敵の戦意を削ぎたいという気持ちはよく分かる。わかるけれども相手だって馬鹿ではないのだから必死で阻止しに来るだろう。目の前にあるという事は、いつでも兵を差し向けられるという事でもあるのだ。


「西美濃三人衆が内応を承知しました。築城と西美濃三人衆の裏切りが連続すれば後は将棋倒しにございます。名刀様、何卒、その切れ味の程をお見せ下さい」

 「あの三人が、ということは、例の今孔明殿も?」

 「所領安堵と、かつての戦いを罪に問わぬとの条件を殿が認めました故」

 となればもう、勝ちは決まったようなものだ。なんなら今孔明殿にもう一度稲葉山城を落として頂きたい。周囲が魔法と驚くような奇策は、俺の頭をどれだけ回しても出てこないのだ。


 「今まで仕事をしていて腹が減っているんだ。また母が変な物を作ったから一緒に食べよう」

 「ご相伴にあずかります」

 言ってから外に声をかけると、すぐに外から味噌の香りがしてきた。持ってこられたのは漬け物とごまの握り飯、そして豚の肉が入った味噌汁だ。トン汁と母は言っていた。入っている肉が腹の肉の塊なので角煮を味噌で煮しめたような汁になっている。


 「いやぁ、これは旨い。握り飯ともよく合う」

 箸で豚肉を摘み上げ、ガブリと噛んでからおにぎりを頬張る小一郎殿。その様子を見て美味しそうだなあと思ってしまった。自分も同じものを食べているというのに。


 「これだけ旨いものが食えるのでしたら、直子様の行う試みを御道楽と馬鹿には出来ませんな」

 「いやあ、確かにこれは旨いと思うけど、これ一杯作れるようになるまでにかかった金が笑えないよ」

 「出世しましたら是非直子様と名刀様の研究に金を出させて頂きたいと兄が申しておりました」

 「とても期待してるよ」

 本当に、滅茶苦茶期待してますよ。


 暫く、俺達は雑談を交わした。俺は母についての愚痴を言い、小一郎は兄が中々子宝に恵まれずに悩んでいるのが可哀想だという話をした。何でもおね殿が責任を感じて自分を責めているのだそうだ。兄弟がいてよかった。という話はおおいに納得しあえた。

「まずは理詰めで考えるべきだな」

「ほう、理詰めですか?」


豚汁があらかた片付いた後、俺は不意に呟いた。いきなり話を変えた形になったけれど、何の話です? などと小一郎殿は言わない。


「城作り、まともに建てようとしたらどれくらいの時間がかかる?」

「急いで三月というところでしょうか」

「その間、斎藤家の目を欺いたり、築城途中の城を護ることは出来るだろうか? 出来るのならそのやり方でやればいい」

「出来たとしても、それでは意味がありませんな」

「どうして?」

「三ヶ月も戦いを続けるくらいであれば、その時間を使って稲葉山城を取り囲んだ方が宜しい。稲葉山城を囲む為に、大急ぎで城を建てる必要があるのです」

「その大急ぎというのは具体的にどれくらい?」

「せっかちな殿の事でございますからな。それこそ十日程度でございましょう」

「三月と言えば九十日だ。どう頑張っても九倍の速度にすることは出来ない。つまり」

「つまり?」

「斉天大聖が建てるべきものは、厳密に言えば城ではないという事だ」


十日で城は出来上がらない。十日で建てる必要がある。ならば十日で、城ではない何かを建てる。簡単な三段論法だ。


「今思ったんだけれど、長良川西岸に城を建てるとして、斎藤家は何日でどれくらいの兵を出してくるのかな?」

「三日で二千とお思い下さい」

具体的な質問をすると、即座に返答された。この辺りの知識や予測をしっかり頭に入れてから相談しに来るのが流石だなと思う。


「分かった。つまり、『建て始めて三日で、二千の兵を撃退出来る建物』を作れれば良い。便宜上それを砦と呼ぼう」

「となれば、撃退するのに不必要なものは削って良い訳ですな。台所など作らずとも良い。客間も寝室も、暮らす為の場所などなくとも構わない」

我ながら無茶苦茶なことを言っていると自覚はあったけれど、驚くべきことに小一郎殿はこの話に遅れることなく付いて来てくれた。


「そうだね。あくまで防衛の為に、何が必要かを考えよう。まず壁が必要だ。矢倉があって、弓や槍や鉄砲で攻撃しつつ相手の攻撃を防げる設備があればいい。馬止めの逆茂木があれば尚良い。堀を作れれば最高だ。丈夫な城門と」

「城門は必要ありませぬ」

小一郎殿に言葉を遮られた。


「あくまで守ることが出来れば宜しいのです。逃げることは出来なくとも構いません。砦の内側からは梯子を用意し、味方を引き入れる時は縄で引き上げる。一旦砦に籠った後は逃げることも出来ず、守る以外に方法がない。そのような建物であった方が守備兵は必死となり防衛力は上がりましょう」


漬け物を口に入れ、チュピ、っと音を鳴らして指を舐めつつ、阿呆のように感心してしまった。確かに、考えてみれば城門を用意してしまったら防衛力はむしろ弱まる。しかしだからと言って建物の出入り口を無くすという発想がこうも簡単に出てくるものだろうか。この兄弟は頭の柔らかさというものが根本から違う。


「それと、砦をどこに築くか、どの程度の大きさとするかは予め決めておけば多少期間を短く出来ますな。夜中にこっそりと寸法を測るくらいの事は出来ましょう」

「材料も、まさか現地調達するような馬鹿な真似は出来ないね」

「左様ですな。兄が知る土豪達に頼み都合をつけてもらいましょう……」

そんな風に、小一郎殿は俺と小一時間ほど話をしてから帰っていった。


「お忙しいところお知恵をお借りいたしまして誠にありがとうございました名刀様」

「いやあ、うちは義父とか嘉兵衛とか、優秀な人が揃っているから俺がいなくても何ともなかったりはするんだよ」

言いながら、俺は今朝取れたての鶏卵を茹でた卵を二つ放って渡した。


「馬で帰るんだろう? 腹が減るだろうから途中でそれを食べると良い」

「痛み入ります」

小一郎はさっと頭を下げ、そして一直線に北へと走り去っていった。迷いもなく、足取り確かだ。


それから僅かに十日後、木下藤吉郎秀吉が墨俣において僅か三日で城を建て、美濃攻めにくさびを打ち込んだという報せが届いた。

「律儀なもんだね」


素直に自分の手柄にしておけばよいのに、帯刀様からお知恵を頂戴し、言われたままにしたのみでございますと斉天大聖は報告したらしい。父は息子を褒められ満更でもない様子だったと聞いた。


「これでまた『家督は帯刀様に』とか言い出す奴がいなければ良いんだけれど」

永禄三年に桶狭間にて父織田信長が今川義元の首を奪ってより六年。これより始まる織田家の時代に、俺は織田信正として名を刻みつつあった。


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[一言] アフォはGのように湧いて出るものw
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