第一話・清洲同盟と狐の子(地図有)
暇つぶしに読んで頂ければ幸いです。
「これにて織田、松平両家に遺恨はなく、両家はそれぞれ手を取り合い、織田家は北の美濃へ、松平家は東の奥三河から遠江へ。上総介殿も、二郎三郎殿も、宜しゅうございますな」
立会人の言葉に、宜しゅうございますなと言われた二人が頷いた。
「ようござる。立会人はこれなる水野信元が務め申した。先代信秀殿の頃より恩のある織田家と、甥が当主を勤める松平家、この両家の縁を取り持つことが叶い、感無量にござる」
「水野家も含めた三家の同盟、甲相駿三国同盟に勝るとも劣りませぬ。この元康、叔父上には深く感謝いたします」
水野信元から二郎三郎と呼ばれた松平元康が満足げに頷くと、周囲の者達も水野信元も顔をほころばせた。
「これで東の守りは成った。竹千代。いや、松平殿。貴殿が三河を統一し、今川家打倒を成すことを期待しておる。水野殿も、よく尾張三河両国の間を取り持って貰いたい」
上座に座る、城主織田上総介信長が言うと、両名が頭を下げた。その様子に満足そうな笑みを浮かべた信長は頷き、続ける。
「俺は来年には居城を小牧山城へと移し、美濃の斎藤家に圧力をかける。斎藤家の当主は未だ若輩の龍興。俺は必ずや、濃尾二国をこの手に収め、京へと上る」
「二年前の桶狭間以来、織田家の勢いは正に日の出、必ずや成りましょう」
松平元康が言うと、周囲もその通りだと頷いた。そうして、場は和やかな雰囲気のまま散会となりかけていた。
「すまんが相暫く」
とそこへ、この会合の主役の一人であり、城主でもある織田信長が待ったをかけた。
「はて、まだ何か話がありましたでしょうか?」
水野信元が首を傾げ、ほんの僅かに不安そうな表情を見せた。現在の織田家松平家の両当主は知遇があり、友好的な関係を築いているが、元々織田と松平は先代から相争って来た不倶戴天の敵同士。当主が納得しても家臣共が納得いかず結局同盟はうやむやに、という可能性は常にある話であり、そしてあってほしくない話でもあるのだろう。
「いや、織田松平の同盟については何一つ不満などない。勿論水野殿との同盟もだ。そうではなく、一つ、我が家中の戦を見物していって欲しい」
「「家中の戦?」」
客人二人の声が被さりそれから二人が顔を見合わせた。そんな様子を見て、悪戯好きの織田信長はケッケッケと怪鳥のような声で笑い、周囲を見回す。織田家臣の反応は大きく分けて二つ。又殿の悪い癖が始まったと呆れる者、そして、苦虫を噛み潰したような忌々しい顔をする者。見物しよう、などと楽し気な表情をしている者は極僅かだった。
「先年より、我が家中で使用する女文字を統一すると決めた。松平殿、水野殿は俺と手紙をやり取りすることもある故知っていると思うが」
「ああ、仮名文字を統一するというあれですな」
「上総介殿らしい面白い試みと思うてはおりましたが」
「アレに反対する者が家中におってな、筆頭はここにいる林秀貞だ」
名指しされたのは先程から苦虫を噛み潰したような顔筆頭でもあった林秀貞。織田家筆頭家老であり、武人というよりも内政や外交向きの人物で、既に初老ながら文字にも算術にも明るく、毛一筋すらない頭部を除けば老いた様子は見られない人物である。
筆頭家老という事で当然、この会談においても家臣筆頭の席に座っており、同盟者たる松平、水野両名にとっても決して疎かにしてよい人物ではない。
「佐久間や平手も反対であるらしく、古参の家臣共の多くは気に食わぬようだ」
「殿、我らは」
「気に食わんのであろうが、女子供の浅知恵と言った事を無かった事にはさせんぞ」
苦々しい顔のまま言い訳をせんとした林秀貞の頭部をピシャリと叩くかのように、幼いながらも存分に怒りを込めた俺の声が場に響いた。
「これは……」
水野信元が唖然とした口調で呟き、松平元康は元より口を開かずに沈黙を守った。両名共に、今の厳しい一言を発した人物を見て驚いているようだった。
「倅だ。まだ元服は済ませていないが信正と名乗らせるつもりでいる。普段は帯刀と呼んでいるのでな、二人とも帯刀と呼んでやってくれ。例の、帯刀仮名の帯刀だ」
「拙者の呼び名などどうでも宜しい」
ピシャリと切り捨てるように言うと、言われた父、織田信長がそうかそうかと、ケラケラ笑いながら答えた。
「狐のように掴みどころのない女に産ませた子が、天狗のように鼻っ柱の強い男に育ちよった」
下らない冗談で一人笑う父の声を無視して、俺は居た堪れない、という表情をしている林秀貞達をジッと睨み付けていた。
この状況について語る前に、幾つか説明が必要だろう。まずは人物について。
尾張一国の主にして我が父織田上総介信長。俺が生まれる前は随分と馬鹿をやったらしく、俺が物心ついた頃にはしょっちゅう家臣やら親戚やらに背かれて右往左往していた。しかし二年前、隣国の大名今川義元に攻められた際、今川義元その人を討ち取るという大逆転劇を演じ、以降着々と勢力を固め、更に伸ばそうとしているようだ。
それ以外の人々、取り敢えずこの場にいて名が出てきた人物について。
松平元康
水野信元
林秀貞
松平元康は尾張の東、三河の豪族であり、今川家に服属していた。しかし今川家においての扱いは決して良くなかったらしく父が今川義元を討ち取ったのを契機に離反、今こうして父と同盟を結んだ。以前は服属であったが今回は同盟だ。父とは幼い頃に知遇があったらしく個人的な関係も良好であるとのこと。
水野信元は、自分でも言っていたが松平元康の叔父であり、尾張国知多郡東部および三河国碧海郡西部に勢力を持つ。つまりは織田松平の中間に位置している。かつて我が祖父織田信秀と協力関係にあったこともあり、両家の橋渡しをしてくれた人物だ。
林秀貞は俺の事が嫌いな織田家筆頭家老だ。今は俺と視線を合わせようとしないが普段から俺を侮っている様子がありありと分かる態度を取る。
加えて、チラリと出て来た二人、佐久間と平手、この二人の名前と立場を紹介する。
佐久間信盛、織田家次席家老
平手久秀、織田家重臣
以上。どちらも三十後半から四十手前くらいの中年男である。
そしてもう一つ。ここで偉そうに語りを入れている人物、俺は何者であるのか。俺は織田信長の息子であり、そして、長子である。長子、つまり長男だ。織田信長の子供で俺より年上の人間はいない。では織田家の跡取りであるのかと問われるとそれは違う。
庶子という立場の子供がいる。正妻以外の妻や妾が産んだ子をそう呼ぶようだが、父織田信長には庶子以外の子供はいない。俺は母親の身分が低い為庶子の中でも飛びぬけて低い位置にいる。どれくらい低いのかと言えば、織田信長の長男でありながら、生まれながらにして織田家の家督を継げないということを宿命付けられるくらいに低い。
さて、人物紹介も終わったことであるし続けて『家中の戦』の説明をしよう。
変体仮名と呼ばれるひらがなが存在する。恐らく一般的に使われているもので二百余り、方言のように地方でのみ使用されている物が各地で数百ずつ、更に恐ろしいことに『コレよくない?』的な感じに個人的に作られたひらがなが広まった例もあるようだ。そんなものそもそも読めはしないし、そのひらがなを作った人間が死んだら失われて文字だけ残る事となる。残された人間は前後の文脈から読みを当てたり推測する事で使用し、更に訳の分からないものとなってゆく。正解が分からず、そもそも正解が消滅している文字がちりばめられている文章を読む行為は、『本を読む』というよりも『暗号を解く』に近いものだと俺は思う。
書を読んだり日記をたしなんだりという人間がこの世にどれだけの数がいるというのか。元々が学のある高貴な身分の方々による趣味であるのだから多少難解でも構わないだろう。多くの人間がそう考えて現在までやって来たのだろうが、俺はそう思わなかった。そう思わせる母がいたのだ。母の名は直子と言い、実家は塙家という。塙家は現在当主である直政が父信長の馬廻衆として仕えている。個人的な腕っ節の強さだけでなく他国の大名や謁見を求める者との取次ぎを行う場合もある割合重要な役回りだ。
直子という人物は子供の頃からの変わり者で、誰に命じられるでもなく寺に出かけて経を覚え、そこで字を覚え、そして書を読むようになった。裕福な家とはいえ所詮農民である塙家にはしょっちゅう本を買ってやれる余裕などあるはずもなく、変わり者の娘と言われつつその幼少時代を過ごした。
直子は自ら外に出歩ける年齢になるとどこからともなく自分で本を手に入れて読みふけるようになった。その方法はまちまちであったが多くは尾張湊からやって来る商人に話を通し、金銭や米や物で支払ったのだという。本を三日だけ貸してもらい、その間に書き写してみたり、或いはすでに書き写した本と別の本とを交換したりと、やっていることは一端の商人のようであったそうだ。
さて、今から十五年程度前、尾張にはもう一人街中に繰り出しては奇行を繰り返す若者がいた。織田吉法師、後の織田上総介信長、つまり父だ。
賢くて面白い娘がいると聞いた父はすぐさま直子に会いに行き、そこで燃えるような恋、には落ちなかったらしい。奇妙奇天烈な格好をして話しかけてきた父に対し、直子は素っ気なく応じた。父にとっては面白い女だったとしても、直子にとって父は大して面白い人間ではなかったのだそうだ。
『貴方よりも更級日記に興味がある』
そんな文句でフラれた父の思いはいかばかりであっただろうか。意気消沈したのか。いやそんなことは無かったようだ。当時まだ家督は継いでおらず、割と危うい立場にいたらしいがそれでも織田家の嫡男だ。方々伝手を辿って渦中の更級日記を入手し贈ったらしい。
更級日記を貰った母はどのような反応をしたのかというと、容易く陥落し、当時大量にいた馴染みの女の一人となった。実にチョロイと思うが、文化物の悉くが散逸したこの戦国の世における書物の価値を考えてみれば安い女ではなかったのかもしれない。
その後も直子は会う度に『土佐日記』『蜻蛉日記』、『紫式部日記』、『和泉式部日記』といった日記文学、『枕草子』『方丈記』『徒然草』などの随筆、『今昔物語』『宇治拾遺物語』といった説話集、果ては『六韜』『三略』といった兵法書に、誰が書いたのかわからないような書物、又、それらの書物に対する私的注釈書などをねだってゆすって獲得し、その礼に父に抱かれたという。
既に説明する意味もないと思うが、そうして生まれたのが俺だった。母直子はその好奇心旺盛さで織田信長の女となり、俺を身ごもってからはその行動力をもって織田信長に対し自分と子供と二人が暮らしてゆけるだけの生活費をくれという要求をしたそうだ。その代わり、自分は生まれた子供を誰の子供だとも言わないし、織田家の家督を望むこともない。天地神明に誓うと、熱田神社にて起請文をしたためもしたそうだ。
この交換条件を信長が飲んだことにより、俺は遊び好きの直子がどこぞのならず者から種を仕込まれて生まれた子供という事にされていた。本当に、親兄弟にすら言わなかったのだから大したものだと思う。
読書好きの母は父信長から買って貰った本に加え、出されている生活費の大半を使って書物を買い込んだ。そしてそれらの本を教材にして俺に文字を教え、物語を伝え、書の手習いを直接仕込んだ。濃密な授業によって俺は数えで七歳の時には前述の本を読み、内容を理解していた。
ようやく話が現在に近づいてきた。さて、俺が七歳の時、織田家に大きな転機がやってきた。先にも説明した桶狭間の戦いにおいて、父織田信長が三河・遠江・駿河三国に跨る大大名今川義元を討ち果たしたのだ。この戦いによって織田信長という大名の名声は全国に轟き、東の脅威である今川家は弱体化し、織田家は尾張を守ることから隣国の三河や美濃を攻めることが可能な家となった。
余裕が出来、又俺以外の子供もそれなりに育っていたこともあり、父も安心したのだろう。桶狭間の戦いの戦後処理が一通り片付くと、俺は古渡城という尾張のちょうど真ん中にある城に呼び出され、母と共に父と謁見した。
俺が尾張の国主であり、お前の父だ。と父から言われた時、俺はそれ程驚きはしなかった。父は時折、母一人子一人の家を訪ねて来ては、母から面白い本について話を聞き、俺が読んだ本の感想などを尋ねては楽しげに笑っていた。帰り際に金や服などをくれることはしょっちゅうであったし、俺の母親はどこぞの金持ちの妾なんだろうなという予想はついていた。
ともあれ俺は古渡城に住むことが許され、二人暮らしから一気に、多くの家臣達に傅かれるような生活になった。因みにだけれど両親の出会いから俺が生まれるまでの話については、古渡城に移住したその日に母から直接聞いた。数えで七歳の子供に対して何と赤裸々な話をするのかと思ったけれど、結果自分が置かれている状況を正確に理解できたという点については良かったと思っている。
父からは二つだけ指示をされた。一つは、弟や妹と仲良くしろ。もう一つはそのうち城の一つ二つ持たせるようになるから手紙の読み書きを出来るようにしておけ。前述した通り、俺は幼い頃から母に読み書きを教わっていたので、既に読み書きが出来た。そこで、かねてから思っていた通り変体仮名を全て無くし、一音につき一文字の五十音表を作ってしまおうと目論んだ。『書簡をやり取りするにあたり効率が悪いのでひらがなをそれぞれ一字ずつに纏めます』と言っても、母は頑張れと後押ししてくれたし、珍しいことが大好きな父は紙と筆をくれた。ついでに『母親に似て面白い』との言葉も貰った。それ以外の周囲は、何だか諦めたような、納得したような顔をしていた。
最初は簡単だった。ひらがなを紙に書き、二音以上の読みを持つものをはじく。そうして一音に付き一文字ずつ、これが正しいひらがなであるから、今後これ以外は使わないでくれと周囲に言うだけで作業は終了した。母が全面的に協力してくれたおかげもあってそれ程の苦労はしなかった。但し、そこからの動きは劇的だった。俺が纏めた五十音表を見た母は大いに喜び、父もこれは分かり易いと感心した。俺は一つ年下の異母弟奇妙丸にこれを教えてやり、手紙の書き方も教えてやった。手紙を書けるようになった奇妙丸は、体の悪い母親に手紙を書いてやるようになり、時々父にも手紙を書いた。俺は弟と仲良くなることが出来たし、愛息子から手紙を貰った奇妙丸の母親吉乃様は大いに喜んだ。お陰で俺の事も可愛がってくれるようになったし、父からもでかした、というお褒めの言葉を貰った。
一年が経ち、俺が数えで八歳になった頃、話は更に大きく動く。父信長が突如として五十音表を家臣一同に配り、尾張一国においてこれ以外のひらがなの使用を禁止すると言い出した。更に、当時同盟を組んだばかりの水野信元や、同盟交渉を行っていた松平元康に対しても、今後信長はこうすると声明を発表したのだ。
俺としては、嬉しいというよりもとんでもないことになった。という思いの方が強かった。尾張一国に三河の一部、の文章作法について自分が影響を与えてしまったという事実は正直に言って重かった。
五十音表の内容自体に不安はなかった。ただ、この五十音表はその時既に帯刀仮名という俺の呼び名を冠した名前で呼ばれるようになっていた。
しかしそれからすぐ、帯刀仮名に待ったがかかった。待ったをかけたのがつまりは筆頭家老林秀貞であり、次席家老佐久間信盛や重臣平手久秀であった。
最初俺はむしろその横槍に対して有り難いとすら思っていた。帯刀仮名などは立ち消えになってしまった方が良いとすら思った。俺は勝手に五十音表を使えばいいのだから何も損はしない。ところが、五十音表を否定する連中がどうやら、ひらがなについて否定しているわけではなく、俺や母、母の実家についてよからぬ噂をたてていると聞いて、俺の胸中が俄かに騒めいた。
曰く、本当に信長様の子かもわからぬ怪し気な小僧が生意気なことをしている。
曰く、そもそも母親からして本当に書を読めているのかもわからない。ただ本を集め、並べて遊んでいるだけに違いない。
曰く、あの母親は女の癖に政治に口出しせんとする毒婦である。
曰く、一族の塙家は帯刀を使って織田家を乗っ取ろうとしている。
曰く、それどころか織田家転覆を計り尾張を手中に収めんとしている。
これらの情報は弟の奇妙丸から手紙でもたらされた。帯刀仮名を使いこなせるようになった奇妙丸は、俺の悪口を聞いたら教えて欲しいという指示を忠実に守り、丁寧に書いて寄越してくれた。更に、奇妙丸の三つ年下の弟茶筅丸も協力してくれた。茶筅丸は奇妙丸とは違って浅慮かつ我儘で、父親が忙しい上に母親が臥せりがちなため甘やかされて育ったバカ息子なのだが、そういう馬鹿だからこそ遠慮なく方々で話を聞いたらしく、優秀な間諜となってくれた。俺はそれらを読み、簡単な文字で書ける部分については漢字に直し、礼文を添えて返却した。
母直子もまた家中にて誰が自分達に悪意を持っているのか情報を集めるのに余念がなかった。情報源は、奇妙丸の母吉乃様、そして、父信長の正室帰蝶様、彼女達と、その女中達からの情報は連日届いた。字が不得手な女性達も、帯刀仮名はすぐに覚えた為手紙は多い日で十通にもなったという。
こうして情報を集めた後、俺と母は反撃を開始した。俺と母、母の実家に対しての悪口雑言許し難しと題し、それらの悪口が全て事実無根であること、庶子とはいえ主が正式に息子と認めた人物に対して余りに不敬であること、又、帯刀仮名を批判するものではなく単なる人物批判になっておりおよそ織田家の重臣が、ましてや筆頭家老がするべきものではない程度の低いものであることなどを書き、家中にばらまいた。父にも出したし織田一族のほぼ全員に出した。林・佐久間・平手の一族にも勿論出し、更に帰蝶様や吉乃様にも出した。手紙の内容は全て同じで、受取人一人につき全て漢字で書いたもの、全て帯刀仮名で書いたものの二通、これまでの経緯も合わせて差し出した。
所詮はガキと女のすること、と高を括っていたのだろう林達重臣は大いに驚き、慌てて釈明に動いた。但し、その釈明は俺の元には届いていない。子供が勘違いして馬鹿なことをしているが、自分達はそんなことした覚えは一切ないという内容の手紙を父や重臣達への手紙で送ったのだ。だが俺はその釈明の手紙に対して更に返事をばら撒いた。林らが慌てふためく様子は林家の女中から手紙で知らされ、釈明の手紙そのものは父から転送されてきていたのだ。『面白い、もっとやれ』と父からの手紙には書かれていた。
子供の勘違いというが、こちらは織田家中の多くの方々から話を伺った上で手紙を書いた。この耳でも、自分について悪口を言っている者がいたという話を聞いた。それを勘違いであるというのであれば織田家全体が何者かに騙されていることとなる。悪口の当事者とされている林達は何らかの説明をする必要があるがそれもせず、それどころか何もなかった事にしようとしている意図が見え見えである。加えて、元々の論点である帯刀仮名について一切触れようとしていないのは卑怯千万で、武士の風上にも置けない。
このような手紙を再度家中にばら撒くと、ようやく林・佐久間・平手のみならず帯刀仮名を悪口の種としていた連中が古渡城にやってくるようになったが、俺は手習いがある故会わない。話は追って手紙ですると言って引き取らせた。連中は俺を菓子や本や小銭で懐柔し、話をこれ以上大きくしたくないようであった。しかしこの時点で彼らの悪口に怒り心頭だった俺は決着までの全てを手紙で公開してやるつもりだった。手紙も墨も安くはなかったが、金は母や塙家が出してくれた。母とそのお付きの女中たちは俺が書いた文章を嬉々として書写し、下人達はせっせと運んでくれた。皆、最早有名人の醜聞を近場で見る野次馬のような気持だったのだと思う。
話は大炎上し、そして長期化し、その間、われ関せずとばかりに外交政策を纏めていた父が水野信元殿を仲介人とし、松平元康殿との同盟を結んだのを機に、決着へと動いた。
そうして話は現在に戻って来る。
誤字脱字、その他間違い等ありましたら指摘して頂ければ幸いです。
旧国名の地理や古い名前など、分かり辛いところがあると思いますので、
適宜修正してゆきます。