花火
騒がしいネオンが、どうしてだろう、ぼやけて花火に見える。赤、青、緑……美しく散り咲く花火。花火は、空で凍ったかのように消えない。
「美優、ちょっと酔ってる?」
カラオケ館から続いて出てきたミサコが私の肩に両手を添える。そーかも、と応えて街に目を移す。
冷えた空気に、酸っぱい臭い。おそらく誰かが吐いたゲロの臭い。街に染みついた生ゴミの臭いに混じる。耳は、まず奇妙な発音を捉え……これはおそらく中国語……次にホストが女性たちを勧誘する苛立ちをはらんだ日本語、加えてたくさんの男が女を口説く囁き……。
「よっ、払っておいたぜ」
ミサコに続く男たち。今日の合コンの相手二人。本当は男三人、私たち三人でやっていたんだけど、一人は早々にお持ち帰りされてしまった。
「ドンキ寄ってく?」
私の肩に気安く触ってくる男の手に、少し身を引いてから、目でミサコに合図を送る。
「……」
ミサコは私に今触れてる男が良いらしい。金髪で、首もとに鎖が覗く。ミサコはホストタイプの男が好きだ。自分勝手なセックスが感じるみたい。
「ごっめーん、私、終電で帰るねぇ、明日朝から授業なの。単位やばいの、許して」
自分が吐いた言葉から、アルコールが鼻に抜ける。確かに、酔ってるかも。男たちも素早く陣形を整える。ホストタイプはミサコの横に移動し、もう一人のマッシュルームが私の横。
「危ないから送っていくよ?」
優しげな微笑みと、にじみ出るような性欲。でも、今日は抱かれたくなかった。たぶん、抱かれるんだろうけど。ワンナイトラブをやめようと決意してから、三度目の合コン。もはや、病気みたいなものだ。
「送ってもらいなよぉ、じゃあ美優ちん、ここでバイバイだねぇ。また、ラインするね!」
ホストタイプの手を引いて、ミサコはピンク色の花火が浮かぶ、ラブホ街のほうに消えていった。
「僕たちも行こうか」
マッシュルームも私の手を引く。
「帰したくない」
改札の前で抱きしめられ、唇を吸われた。駅の反対側にラブホ街はある。予定調和。ヤるためだけの、合コンだもの。
周囲の人の目を気にせずに私を口説くマッシュルームの、少し曲がった顔を見上げる。ああ、コイツ、こんな顔してたんだ。どちらかと言うと中性的、どちらかと言うとブサイク。今日、私はコイツに抱かれる。そして、二度と会わない。セフレは作らない主義。化粧ポーチの中にゴムが入っていることを意識した時、私はマッシュルームに再び腕を引かれた。
ラブホ街に出る頃には私の酔いも醒めていて、醜悪なネオンが私を迎えた。けばけばしいだけのギャルとギャル男、歳がいったカップル、幼い顔立ちの女の子とおっさん、様々な人たちが夜の街を歩く。私もそれに混じる。マッシュルームは慣れたように私の指を弄びながら、牽引する。星は見えない。
何をやっているんだろう、と思う。
同級生たちは今頃温かいベッドの中で微睡んでいるかもしれない。いや、明日の定期試験に向けて勉強しているのかな。息抜きに、リビングで家族との団らんを楽しんでいるのかも。
「ああ、帰って寝たいなぁ」
「……ん? 何か言った?」
「ううん、なーんにも」
定期試験には出なくてはいけない。留年はしたくない。こんな生活、今だけだ。私はまだ、ラインからドロップアウトしていない。でも、一思いに転がり落ちてしまいたい気もする。
中学受験、学内での競争、クラス選抜、来年控えた大学受験、親からのプレッシャー。そこそこの大学に行かなくては、というプライド。それらのプレッシャーが私にこんな真似させているとは言いたくないけれど。
「着いたよ」
小汚いラブホテル。老舗、という感じ。マッシュルームが少し強めに腕を引いた。
ああ……。
どこで間違えたんだろう……。
「すみません」
私を呼び止める声がした。
振り返る。
「あ」
見慣れた制服。県下名門の女子校。胸元に百合の花が咲く、花火なんかじゃない、本物の花が咲く制服。こんな薄暗い、夜闇が支配する場所には絶対に咲かない花。
「あの……」
上目遣いが可憐で、震える睫毛に浮く涙を拭いたくなる。黒髪で、礼儀正しく切りそろえられたショートヘア。小さな唇の赤だけが、この空間では本物の色に思えた。
私はこの少女を知っていた。確か、隣のクラスの……。
「このホテルは、えと、ひとりでも、宿泊できるものなので、しょうか……?」
マッシュルームが前に出る。聞こえるか聞こえないかというほどの舌打ちを、私は聞き漏らさない。
「いやぁ、その服じゃ無理かなぁ。帰り道わかる?」
「え、と……。泊まる場所を探してて……」
「この時間に制服で高校生の女の子一人じゃ難しいんじゃない? ねぇ、美優」
マッシュルームがニヤリと下卑た笑いを私に向ける。「あ、うん」と返す。
「ど、どうしよう……」
どもりながら、すがるように私の目を見る。澄んだ目だ。今まで、綺麗なものしか見てこなかったかのような。
そんな子が、この時間にこの場所で、いったい何を?
「松田クン」
確か、マッシュルームはそんな名前だった気がする。
「私、この子家まで届けるよ」
「えっ」
マッシュルームは瞬間的に苛立った顔に変わった。女の子はそれを見て、ひ、と声音を漏らした。
「だって、可哀想じゃない?」
「ちょっと待ってよ、話が違くない? じゃあ今日はどうするの?」
「この子届けて、私も家に帰るよ。終電間に合うし。そもそも、私は帰るって話だったでしょ?」
「僕は美優を愛してるんだよ」
私は笑った。
「今日しなくちゃいけない理由になってない、それ」
「は?」
おい、待てゴラ、と腕を掴もうとするマッシュルームをすり抜けて、女の子の手をとる。女の子は涙に濡れた目を私に向けた。
「大通りまで出れば大丈夫だからね」
女の子に囁くと、足早に歩き出した。
「オイ、てめぇ、ビッチが良い子ちゃんの振りしてんじゃねぇよ、カス」
マッシュルームの怒声がラブホ街に残響し、吐瀉物と共にアスファルトに沈殿した。……