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ローズナイトサーガ

作者: 横田シュン

 仕事終わりに立ち寄る喫茶店は、一日のなかで最も落ち着く大事な時間を演出してくれる。藤村和美はいつもと同じ注文をし、いつもと同じ席にすわり一息ついた。

 何の変哲もないOLとして年月を過ごしてきた。次々と若い子が入社してくるにつれ、とうに三十をすぎた和美の居場所は会社では少なくなっていた。

 ネクラメガネ、幽霊女、いきおくれ。

 どう陰口をたたかれていようが、会社では仮の姿だ。この目標だけはかわりない。

 作家になりたい。

 いくつものコンテストに応募したが、まだ箸にも棒にもひっかからない。必死に作品を紡ぎ、もうどのコンテストに作品を出し、いつ結果発表かもわかないくらいだった。 

とにかく書きまくらないとだめだわ。

 今日も和美はラップトップパソコンを机の上におき電源を入れた。

 ひかえめのマスターがリタイアして始めたこの純喫茶〝オンリーフラワー〟は創作に集中するのには最適の環境だった。

 ――だった。彼と出会う前は。

 その日はバラの花の日だった。

〝オンリーフラワー〟では、毎日違う花がカウンターに置かれた花瓶に入れられ客を出迎えてくれる。珍しく真っ赤なバラの花束が店の雰囲気を華やがせたその日から、彼が新しくバイトに加わった。

 山崎優也くん。

 胸につけた名札では苗字しかわからなかったけど、下の名前はもう一人のバイトの小夜ちゃんから教えてもらった。昨年の春上京した大学生で、バイトで学費を稼ぎながら弁護士を目指しているらしい。

 夜七時がすぎた店内は、和美だけがひとりパソコン画面に向っていた。小夜ちゃんもあがり、他の客も出て行った。厨房のマスターの姿は見えず、カウンターで優也がグラスを洗っていた。ゆっくりとした時間が流れ、和美は神経をとぎすませた。

 ひきたて豆のかぐわしい香りが運ばれてくる。

「おまたせいたしました」

 トレイからカップをおろす優也の横顔を、気づかれないように横目で盗み見た。ギリシャ彫刻が動き出したような、凛々しく丹精な顔立ちはどう表現すればいいのだろう。和美は優也と出会ったこの半年そんなことばかり考えていた。

 持ち手を左側にしたフレンチスタイルでカップが置かれた。ソーサーには真紅のバラの花びらが一枚そえられていた。

「山崎くんはバラが好きなの?」

「はい。君を花にたとえるとバラのイメージだとマスターが。お客様もバラがお好きですか?」

「……ええ」

 恥ずかしくて和美はうつむいた。はじめた交わした会話がそれだった。

カップを運ぶトレイが魔物を跳ね返す無敵の盾で、お掃除モップは邪を払う伝説の剣。バラの紋章をあしらった真紅の鎧を身につけたローズナイトが、魔王にさらわれたお姫様を助け出すのだ。

彼が助け出すお姫様は……。

 給仕を受ける瞬間交わす二言三言が和美にはたまならく刺激的だった。

 わたしがこう言ったらローズナイトはどう答えてくれるだろう。危なくなったらどう助けてくれるだろう。無限にひろがる和美の妄想のなかで、ローズナイトは数々の冒険をくりひろげた。

 そんな小さな幸せが一年ほど続いたある日、和美は〝オンリーフラワー〟の窓の張り紙に気がついた。

〝アルバイト募集〟

「優也くん。来月末でバイトやめるらしいんです」

 進級にともない通う大学のキャンパスがかわる優也は、下宿を引越しこの街からでていく。そう小夜ちゃんが耳打ちしてくれた。

 何秒間息をするのを忘れただろうか。

 うそよそんなの。わたしまだ助けられてないじゃないの。

 奈落の底に突き落とされた和美は、その日から全く筆が進まなくなった。

 変わらず接してくれる優也に聞きただすこともできず、間もなくそれが本当だとわかった。優也の代わりとなる新しいバイトの女の子が入ってきた。

 優也が辞めるまでもう一週間を切っていた。和美は創作をそっちのけで調べた。優也がいなくなる前に、バラの花にたくし思いを伝えたい。本数で花言葉のかわるバラ。

 1本。一目ぼれ。

 3本。告白。愛しています。 

 7本。片思い。ひそかな愛。

 11本。最愛。かけがえのない人へ。

 99本。永遠の愛。ずっと好きだった。

 108本。結婚してください。

 999本。何度生まれ変わってもあなたを愛します。究極の愛。

 何本のバラをおくるのがよいか和美は思い悩んだ。

 優也が辞める日、和美は7本の真紅のバラの花束を用意し、〝オンリーフラワー〟に向った。一回り年下の優也にけっして重荷にならないように。

 閉店に時間が近づき、マスターと小夜ちゃんがそれぞれ小さなプレゼントを優也にわたした。

 優也のはにかんだ爽やかな笑顔に、和美の胸は張り裂けそうにふくらみ、それでいて鉛のように重くなった。

 もう会えなくなる。言わなきゃ。

 和美は震える両手で真紅のバラの花束を持った。

 涙を必死にこらえ、和美は真紅のバラの花束を優也にわたした。

「……お店にお客さんとしてもきてね」

 そうふりしぼるのが精一杯だった。

「ありがとう藤村さん。絶対来ます。それと僕たちから藤村さんにもプレゼントがあります」

 優也が含み笑いで目配せすると、マスターはカウンターの下からバラの花束を取り出した。はかったように小夜ちゃんが音頭をとった。

「せーの」

「藤村さん! 入賞おめでとう!」

 和美がおくったより何倍もの本数の、青いバラの花束が優也から手わたされた。

 優也のことばかり考えて、すっかり忘れていた。半年前に投稿した「ローズナイト・サーガ」の第一章がコンテストの入賞にひっかかっていたのだ。

 和美は知っていた。

実現不可能とされた青いバラにつけられたその花言葉を。

〝夢かなう〟

 ローズナイトの活躍は、まだ始まったばかり。物語のなかでいつでも会える。

 わたしのローズナイト。


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