SECT.7 ロストコイン
ゲブラはそれを聞いて微笑んだ。
「では、貴方と同じ理由で僕がセフィロトに帰依するとしたら、貴方はその場を退いてくれるのですか?」
同じ理由――つまり、セフィロト国に大切なヒトがいるって言う事。守りたい世界があるっていうこと。
きっとそうだろう。先ほどから少し離れた場所で打ち合う兵士さんたち一人一人にだって大切なものがあって、守りたいものがあるはずだ。
悲しい別れをどこかで経てきたはずだ。
でも、この場は退けなかった。
「ここをどいたらおまえはおれの大切なものを傷つけるだろう」
武器を構えたままで首を横に振る。
「でも、おれだって戦いたいわけじゃない。おまえが退けばおれは追わない」
それはずっと思っていたことだった。
セフィロト国さえ退けば、誰も傷つかずに済むのに。相手の国の兵隊さんたちだって怪我をしたり死んじゃったりする事なんてないはずなのに。
どうして誰も望んでいないのに戦争なんて起こるんだろう?
「ねえ、ゲブラ。なんで戦争って起こるのかな?」
頭の中に浮かんだまま質問した。
アレイさんかヴィッキーがいたら「敵に聞くことじゃない!」って怒られたかもしれない。
しかしゲブラは唇の端で笑って答えてくれた。
「貴方に大切なものがあるように、僕にも大切にすべきものがあるのですよ。もしそれがぶつかり合うものだとしたら……どちらかが大切なものを諦めるしかないでしょう。それができないときは……」
両立できないものはぶつかるしかない。
どちらかをこの世界に残すため、つぶしあい戦いあうしかない。
自分の大切なものと、相手の大切なものが両方存在する事はできないんだろうか。
隣でいまも激闘を続けるフラウロスさんとカマエルさんも、二人とも一緒に生きていく事はできないんだろうか。分かり合って譲り合うことはできないんだろうか。
きゅっと胸が締め付けられる。
二つある同じ魂は共に存在できず、互いが互いを滅ぼそうとするんだと言っていた。
グリモワール王国とセフィロト国もそうなんだろうか?
とても悲しい気持ちを抱えたまま、口を開いた。
「んじゃあさ、これは誰の『大切』なの? グリモワール国に攻め入って手に入るものを大切に思ってるのは誰?」
少なくともゲブラではないだろうな、と思った。
このヒトはそんなものに興味なさそうだ。
「セフィロト国の王様? それとも……」
「ふふ、それは僕の口からはっきりとは言えませんね。ただ、まだ貴方が会ったことのない相手であるとだけ言っておきましょう」
「そう」
きっとこれ以上の問答は無意味だ。
自分とゲブラの求めるものは正反対で、それはどちらかしか通らない。
「じゃあやっぱり戦って決めよう。おれは絶対……負けたくない」
「そうですか」
ゲブラは複雑そうだった。
どうしたんだろう。
もともとこのヒトはセフィラの中でもあんまり本気で戦おうとはしていなかった。戦闘意欲剥き出しだった銀髪のヒトやネツァクとは違っていて、戦う限りにおいて自分が傷つけられた事は一度もないのだ。
ひょっとすると戦いたくはないのか?興味がないのでなく、戦いたくないというのか。
ならば、なぜこのヒトはこんなところにいるんだ?余裕なのではなく本気で戦う気がないのだとしたら、どうしてここで自分と剣を交える必要があるんだ?
「気づいてはいけませんよ」
手品師は困ったように笑った。
気づく?何に?ずっと本気で戦わなかったことに?それとも……
「あ」
思わず間抜けな声が出た。
気づくな、と言った内容があまりに意外だったからだ。
ぴりりと感覚の中に入り込んでくる意識。視覚とも聴覚とも触覚とも違う感覚で感じ取ったそれには嫌と言うほどに覚えがあった。
気づいてしまった。
もしかしたら気づいてはいけなかったことに。
「ゲブラおまえ……」
「気づいてはいけない、と言ったのに。困った子ですね」
困惑した。
どうしておまえが。
なぜ。
天使の加護を持ちながら――
「おまえ、悪魔のコイン持ってるだろ」
悪魔の方が気配を殺していたせいなのか、これまで気づけなかった。
ゲブラは答えなかった。
でもその沈黙は何より雄弁な答えだった。
「何で? だっておまえはセフィロト国のセフィラで、おれたちの敵なんだろ? それなのにコイン持ってるのか?」
聞きたい事が多過ぎた。
何も分からない。
どうして天使の加護を持つこの男がコインを持っているのか。どこで手に入れたのか。何のコインなのか。コインを持つ事と自分に対して本気を出さない事に何か関係はあるのか?
「困りましたね」
それでもシルクハットの下の顔に笑みを湛えながら、手品師は肩をすくめた。
頭の中が混乱している。
そう考えてみると、この手品師はこれまで天使の加護では説明のつかない能力を使ってきた。
太陽が出ていない夜にもかかわらず空間移動をしたり、天使の加護がない状態でフラウロスさんの炎を受けてもすぐにダメージから回復したり……
「どこでコインを手に入れたんだ?」
「拾ったんですよ。契約も僕一人で行いました」
「セフィロト国で?」
「ええ、そうです」
コインの中には国外へ流出したものもある、とねえちゃんは言っていた。
そのうちの一つなのかもしれない。
「じゃあ、おまえがずっと本気で戦わないのもそのせいなのか? もしかしておまえ、グリモワールの味方なのか?」
「違いますよ。僕はセフィロト国のセフィラです。だから、簡単にこの場を明け渡すと面倒なんですよ。せめて苦戦して逃げ帰った事にしないと」
この手品師のセフィロト国における立ち位置は分からないが、どうやら心から従っているわけではないらしい。
いったい自分はどうしたらいいんだろう?
戦いたくないヒト相手に、戦いを仕掛ける?
いや、それではセフィロト国がやっていることと同じだ。戦う気のない相手にけんかを吹っかけるのはそもそもおかしい。
争わなくてもいいならそれに越した事はない。
そう思ってふっとショートソードを下げた。
「本当に困った子ですね」
ゲブラから殺気は感じられない。闘気も収束してしまった。
その場をフラウロスさんとカマエルさんが争う熱風と大気の震えだけが支配していた。
フラウロスさん以外にも感じ取れる悪魔の気配。
一度気づいてしまうとその気配は拭えず、感覚の中に勝手に入り込んできた。
「戦いを望まないところも君主に似たんでしょうか」
その気配を集中して追っていくと、ゲブラの背後にカマエルさんとは違う影がゆらめいているのが見えた。気配を最大限に抑えているようだが、凄まじい力を持つ悪魔だということはすぐにわかる。これまで会った中でも最高位に近いはずだ。
なぜこれまで気づかなかったんだろう。
吹き荒れる熱風の中で、手品師の姿をじっと見つめた。
もしかして、このヒトと仲良くなれるかもしれない。
先ほどまで剣を交えていた相手だけれど、戦いたくないのならきっと分かってくれるはずだ。
争わず、傷つけあわず、共にある事ができるなら――
そう思って口を開こうとしたとき、すぐ傍に炎の竜巻が出現した。