SECT.6 風燕
戦争の空気に圧倒された。
地響きをたってながら2国の軍が進んでいく。多くの矢が乱れ飛び、ぶつかった兵団は怒号と悲鳴を交えながら打ち合い始めた。
金属音と何を言っているかわからない人々の声が空高くある自分たちのもとにまで届く。
背筋がぞくぞくした。
震えるような戦場の大気は見たこともないほどに凄惨で激しかった。
思わず震えた肩を両手で抱く。
「ぅ……わ……」
これが戦争。
王都にいる限りは感じる事などなかった激動の震え。
大気全体が悲鳴を上げている。
大地がうなりをあげているようだ。
硬直して動かなくなった肩に温かい手が触れた。
「行くぞ」
見上げた紫水晶には強い光が灯っていた。
こくりと頷いてトロメオに向かって飛んだ。
下に広がる戦闘場面から目を逸らしながら真直ぐに向かう先はトロメオの城門。
ここを破壊しようとすれば、確実にセフィラが止めに出てくると踏んでの事だった。
「下がれ」
アレイさんに言われて少し退くと、彼は両手を城門に向けた。
「ハルファス!」
「ひひ! あれ壊していいんだな!」
ハルファスさんのものと思われる甲高い声がして、周囲の空気が渦巻いた。
その渦は空を裂くかまいたちとなって真直ぐ城門へと向かう。
が、それは横から飛んできた炎の塊と相殺されて消え去った。
「来たわね」
炎の主は言わずと知れた手品師ゲブラ。
その瞬間、フラウロスさんのコインが熱くなる。
「まずはおれからだ!」
両腰のショートソードを抜き放ってゲブラに飛び掛っていった。
空を飛び始めてからそれほど経っていないのだが、なぜか地上よりもずっとスムーズに動けた。まるで最初から自分には羽根が生えていたかのように。
空中戦では小柄な体が地上の数倍生かせる。さらにそこに速度を加えればその効果は計り知れない。
数日前、自分が空中でアレイさんと打ち合うのを見たマルコシアスさんは、こう言った。
「燕だな 空を裂き 舞う 鋭い風」
燕は夏の間この地方で過ごし、冬になるともっと暖かい地域へと移動する渡り鳥だ。空を飛ぶ姿は吹き抜ける一陣の風にもたとえられる小柄な鳥だった。
そしてマルコシアスさんは、悪魔の加護を受け空中で戦う自分の姿に名前をつけてくれた。
カマエルの加護を受けているはずのゲブラを、トロメオから遠ざけるようにして押していく止む事のない怒涛の攻撃。ゲブラはステッキ一つで対応しているが、まだ炎は使ってこなかった。
「ずいぶん強くなりましたね」
一旦距離をとると、ゲブラはにこりと微笑んだ。
「最後に会ってからどれだけ経ってると思ってるんだ。おれだって強くなるさ!」
「しかし本当に素晴らしい成長です」
息一つ乱していないゲブラは、それでも額にうっすらと汗をかいていた。
それ以外ほとんど余裕に見えるのはこの行動と表情だけか?それとも本当に何か奥の手を隠し持っているのか?
両手にショートソードを逆手に構えてゲブラを睨みつけた。
ちらりと確認すると、トロメオからはずいぶん離れたようだった。地上に兵の姿もまばらなこのあたりならもういいだろう。そう思って少しずつ高度を下げていく。
フラウロスさんのコインはすでに燃えるように熱くなっていた。
「おや、空中戦の方が得意そうですが、わざわざ地上に降りるのですか?」
「仕方ないじゃん、お前のせいでアガレスさんを召還できないんだから。デカラビアさんとフラウロスさんは一緒に召還しちゃだめって言われたよ」
「それは失礼しました」
ゲブラはさもおかしそうにくすくすと笑った。
どうやら自分に付き合ってくれる気らしい。高度を下げ始めた自分に従うようにして地上に向かって降下し始めた。
とん、と地面に足がついた瞬間、背の翼が消え去る。
同時に悪魔の加護による身体能力の向上も消えうせた。
代わりの悪魔を召還しなくてはいけない。
「……フラウロスさん、力を貸して」
小さく呟くと、爆発するエネルギーが自分のうちに燃え滾った。
「カマエル カマエル カマエル」
「ぅ……っ」
フラウロスさんの声が頭の中でがんがん響いている。
激しい闘争本能がむき出しになって、自分の内側を焼いていく。
「フラウロスさんはカマエルさんと戦いたいんだね……」
「カマエル 倒す」
「いいよ、でも少しだけ力を借りるよ?」
そう言った瞬間、自分の中から灼熱の獣が飛び出していった。
ゲブラのほうからも鏡のようにそっくりなオレンジの毛並みの豹が飛び出してくる。
二体の獣は取っ組み合って鋭い牙と爪で互いを傷つけ始めた。
その迫力は並ではない。
先ほど上空から見下ろした何万もの兵の衝突に負けぬ勢いで組み合い、そこから灼熱の炎が噴出している。クローセルさんの羽根がなかったら、すでにここにいるだけで大火傷していたことだろう。
フラウロスさんが出て行った後も全身を支配する加護を確認し、もう一度ゲブラに向かって構えなおした。
「もう空中では戦わないのですか? とても美しい型だったのに」
「……あれは『風燕』っていうんだ。おれの持ってるコインの中ではアガレスさんの加護がないとできない」
もっとも、膜翼を持つラースの加護があれば出来るかもしれないが。
「ふふ、風燕ですか。良い名です」
当たり前だ。マルコシアスさんがつけてくれた名なんだから。
ゲブラももう一度ステッキをこちらに向けた。
ここからは手加減なしだ。先ほどのように方向を誘導する戦いでなく、今度は相手を完全に地面に沈めるために打ちかかる気だった。
ショートソードを持つ両手に力を込める。
ゲブラから打ちかかってくる気配はない。
ならばこちらから打って出るまでだ。
「行くぞ!」
細身の手品師に向かって、地を蹴った。
アガレスさんの加護で使えるようになる千里眼とまではいかないが、フラウロスさんの加護を受けた感覚は最大限に開かれていた。
相変わらず灼熱の空気を撒き散らしながら吼える2頭の豹から焼け付く熱さを感じる。
それでもゲブラの振り下ろすステッキの切っ先はよく見えたし、そのステッキが炎をまとうのも見えた。
千里眼なしでもそれなりに戦えることを確信する。
内側から燃え上がるような感覚に任せてゲブラの間合いに一気に飛び込む。
突き出す一撃はステッキで抑えられ、反対側から放った打撃は体勢を低くする事でかわされた。
さらにそこへ炎を纏った蹴りをお見舞いする。
「くっ……」
初めてゲブラから苦しそうな声が漏れた。
そのまま背を向けるように回転し、その遠心力でさらに蹴りを放った。
すれすれでかわしたゲブラは両手から炎球をいくつもこちらに飛ばす。
これは避けるしかないか、と思った瞬間、左手の篭手から光が漏れた。
その光を纏ったショートソードは、難なくその炎球を叩き落した。
マルコシアスさんの羽根の加護だ。自分はあの褐色の肌の戦士から思った以上に強い加護を受けているらしい。
また次に会った時にお礼を言わなくちゃいけないな。
「信じられませんね。いったい何人の悪魔の加護を受けているんですか」
ゲブラが困ったように笑う。
「おれはミジュクモノだからみんなに助けてもらうんだ。アガレスさんにも、フラウロスさんにも、マルコシアスさんもクローセルさんもサブノックさんも……おれは、自分一人で戦ってるわけじゃないんだ」
そう。それこそ自分が強くなれる理由だと信じている。
守りたい大切なものがある。それを助けてくれるヒトたちがいる――その世界を傷つけることは絶対に許さない。
自分ひとりじゃ無理な事はわかっている。
大切なものを守るのに、この手は小さすぎるから。
それでも。少しでも一緒に戦ってくれるヒトがいれば。
自分をレメゲトンにしてくれた王様。いつも逃げ道を作って待ってくれているサン。後方で支援してくれるベアトリーチェさん。剣術、馬術、体術にいたるまで様々な事を教えてくれた漆黒星騎士団のヒトたち。
そして誰より、肩を並べて戦うねえちゃんとアレイさん。
一人だって欠けたらおれの世界は成立しないんだ。
「絶対におまえなんかに負けない。グリモワールのヒトたちを傷つけるのだって許さない!」