SECT.4 恋・愛
次の日の朝になって自分の手元に届けられたのは、これまで使っていた小太刀よりさらに一回り小さい短剣に近い形状の刃物が二本だった。ナイフより刃渡りはあるが片刃で、刀身は真直ぐ。柄の先には殴打に耐えるよう金属の半球がついている。
持ち手に刻まれた悪魔紋章はサブノックのものだった。
「ふふ、なるほどね。最初に覚えたのが短剣を使う戦闘だってこと、サブノックにはお見通しなのかしらね」
ねえちゃんに見せると、そう言って笑った。
カシオの中でも中心部にある屋敷がレメゲトン用としてあてがわれていた。ねえちゃんの屋敷とは比べ物にならないが部屋数はかなり多く、食事用の大きなテーブルのある部屋を会議用に使っていた。
会議用の部屋で炎妖玉騎士団のヒトが準備してくれた朝食をいただいた後だった。
今しがた貰った武器をしげしげと見つめる自分にねえちゃんは言う。
「両手で使いなさい。あなたの素早さとフラウロスの炎があればかなり強力な武器になるはずよ」
「おれ、でも左手で武器を使うのはあんまり慣れてないんだ」
するとアレイさんがぼそりと言った。
「後で空いた時間に稽古を付けてやろう。戦闘の事ならマルコシアスにも聞くといい」
「ありがとう!」
マルコシアスさんに会うのも久しぶりだ。
とても楽しみだった。
「この後はすぐ会議になります。トロメオ奪還計画についてヴァルディス卿から提案があるとのことです」
ベアトリーチェさんが言うと、ねえちゃんはあからさまに不機嫌な顔をした。
「あの人の提案はいつもロクなもんじゃないわ……でも、仕方ない。行きましょう」
騎士団長とレメゲトンの間で行われる会議を行う部屋には、大きな円卓が用意されていた。他のメンバーは既に揃っている。
慌てて席に着くと、資料を手にした司会役のフェルメイさんがにこりと笑った。
「それではあまり時間もありませんのでこのまま始めさせていただきます。まず、ヴァルディス卿から提案があるとのことなのでお願いします」
フェルメイの言葉で輝光石騎士団長サンアンドレアス=ヴァルディス卿が立ち上がった。
「既に決定しているトロメオの奪還作戦だが、レメゲトンの人数も増えた事で、ぜひ一部改定を申し出たい」
厳格そうな声に圧倒された。
ヴァルディス卿はぐるりと自分たちを見渡して言った。
「レメゲトンの方々には門を開いてもらいたい」
「……どういうことかしら」
「トロメオは城塞都市だ。塀を越えるのは得策ではない。だからその人知を超える力で持ってトロメオの門を開き、軍を城内に導きいれてもらいたいのだ」
鋭い眼光にびくりとした。
「今回トロメオが陥落した裏には敵国のセフィラが大きく関与しているという。それならば、もう一度取り戻すためにレメゲトンの力を使うのは道理」
「お言葉ですがヴァルディス卿、開門は内部に忍ばせた密偵が行う予定では?」
フェルメイが慌てて止める。
提案の内容は聞かされていなかったらしく、狼狽した様子がありありと見てとれた。
「強大な力を持っているのだ、彼らに託した方が確実だろう」
「……ヴァルディス卿、紛れ込ませた密偵に何か起きたのですか?」
ねえちゃんの押し殺した声が響いた。
裏から怒りが漏れ出している――怖い。
「報告を怠らないでください。些細な事が崩壊のきっかけになるのですよ」
一切の妥協を認めないきっぱりとした口調でヴァルディス卿を追い詰める。
卿は息をつくとぶっきらぼうな口調で言った。
「密偵が一人捕まった。今下手な動きを取らせれば全員が捕虜になる危険がある」
「……っ! そんな重要な事を今まで隠していたのですか!」
フェルメイが言葉を失った。
話に入れず、呆然と目の前で繰り広げられる言葉の合戦に見入っていた。
「みな落ち着け!」
フォルス団長の一喝でようやくその場が落ち着いた。
ねえちゃんは席をがたりと立ち、吐き捨てるように言った。
「なんとか方法を検討してみます。今日はこれで失礼するわ」
「そ、それでは今日はこれで……」
フェルメイが慌てて閉会を告げ、不機嫌なねえちゃんに続いて自分は部屋を出た。
「ああもう! 信じらんないっ!」
ねえちゃんが怒っている。
当てられた屋敷のダイニングで眉をしかめてソファに座ったねえちゃんは、それでも考えているようだった。
自分たちの力でトロメオの門を開ける方法はないか、と。
開けるだけなら簡単だ。開戦前に飛んでいって、開門し、そのまま逃げればいい。しかしそれでは軍が到着する前に門を閉められてしまうだろう。
戦が始まってからでも同じことで、結局は軍が門まで辿りつかなければ全く意味がないのだった。
その上セフィラを相手にしなくてはいけない。
手が足りない。
人数的に後れをとっているレメゲトンの最大の弱点だった。
「私が戦えたらよかったのですが」
ベアトリーチェさんが困ったように微笑む。
「そんなことないわ、アリギエリ女爵。あなたが後方で控えていてくれるから私たちも全力で戦えるのよ」
「しかし本当に、もう一人いれば何とかなるんだがな」
もう一人いないことはない。
遠く離れた王都に、最近レメゲトンに就任した少年騎士がいる。
が、距離的に時間的に、彼を呼び寄せるのは不可能だった。
「んじゃあやっぱり、倒すしかないんじゃないかなあ?」
人数が足りないのならば。
「自分たちを増やすのが無理なら、向こうを減らせばいいよ」
「まあ、要するに……そういうことなのよね」
ねえちゃんは軽く息を吐いた。
「んじゃ、そういうことで。自分に割り当てられた敵を可及的速やかに倒す事。倒し次第トロメオの門を開く事――作戦は、以上!」
なんとも明快な作戦会議を終えて、ねえちゃんはソファから立ち上がった。
「なんかむしゃくしゃするわ。外で体動かしてくるわね」
颯爽と去っていったねえちゃんの後姿を見送って、続いて同じような理由で出て行くアレイさんの腰まであるストレートの黒髪を見送った。
「どうか、されましたか?」
ベアトリーチェさんの声ではっとする。
どうやらぼんやりとアレイさんの後姿を追っていたようだ。
「あ、うん、いや、そのね……」
少し迷ったけれど、ベアトリーチェさんに訊ねてみる事にした。
この間から胸の奥で燻っている気持ちの正体。
「ええと、うまく話せないかもしれないんだけどね」
前置きして、少しずつ話し始めた。
共にあることを願ったルークとメリルのこと、アレイさんの優しさとその裏で傷ついていると気づいた時の気持ち。
もう傷ついてほしくなくて、少しでも痛くないように一緒にいたくて、でもアレイさんは自分と一緒にいたいと思ってくれているのか分からない。
それがとてももどかしい。もし一緒にいたいわけじゃないといわれたら――
「おれ、すごく……泣くと思う」
拒絶される事が怖かった。嫌われるのがねえちゃんの比でないくらいに恐ろしかった。
ベアトリーチェさんは優しく微笑んだ。
「そうですね、ミス・グリフィス。『愛』という言葉をご存知ですか?」
「うん。すごくすごく好きだってことだよね」
「はい。でも、『愛』には二種類あるんです。一つ目は自分が勝手に相手を想う気持ちです。おそらくあなたがファウスト女伯爵に対して抱くのはそんな気持ちでしょう。傍にいるととても安心します」
「もう一つは?」
「自分が相手を想うのと同時に、相手にも想い返して欲しいと願う気持ちです」
「あっ……」
とても素直に納得できる感情だった。
「こちらはとても複雑で、傍にいたいのに隣にいると落ち着かなかったり、触れたいのに触れられるとドキドキしたり、大変なんですよ」
ベアトリーチェさんの言う事がびっくりするくらいに理解できた。
「人はそれを『恋』と呼びます」
「『コイ』……」
自分はようやく芽生えた感情に名前をつけた。
「お相手はクロウリー伯爵ですか?」
「うん」
少し頬が紅潮したのが分かる。
どうしてだろう。少し、恥ずかしい感じがした。
「きっとあの方もあなたのことをとても大切に想っていますよ」
「ほんとかな?」
「機会があったら聞いてごらんなさい」
ベアトリーチェさんに言われてそうしようと思っていたのに、すっかりと忘れていた。何しろ新しく貰った武器を使えるようになる事に必死で、他のことを考える余裕などなかったからだ。
この先何が起こるか分からないということが分かっていたはずだったのに――