SECT.3 告白
みな寝静まったカシオの街を通り過ぎながら、アレイさんに漆黒星騎士団での話をしていた。
ヴィッキーのこと、ライディーンのこと……コインを盗まれた話になると、アレイさんはきゅっと眉を寄せた。当たり前だ。レメゲトンがコインを盗られるなど、前代未聞の話だった。
ルークと、騎士団を辞めたメリルのことを思い出して胸がきゅっと締め付けられた。
「ねえ、アレイさん。レメゲトンってさ、やっぱすごいの? みんながなりたいって憧れるくらい?」
「そうだな、事実上王に次ぐ位だからな」
「おれやっぱりまだよくわかんないよ」
もしかすると、もしかしなくても大好きなねえちゃんやアレイさんと同じ位を持つ事が出来た自分はとてもとても恵まれているんだろう。
そんな理不尽なもので引き裂かれることだけは避けられたから。
いつものように表情に乏しいアレイさんの瞳には少し悲しそうな色が灯っていた気がした。
「でもおれはもうヒトに触れないよ。きっと……迷惑かけちゃう」
ポツリとそう呟くと、アレイさんははっとしたように紫水晶の瞳を向けた。
「だっておれは生きている限り悪魔の気を発し続けるんだから」
コインの埋め込まれた左手をぎゅっと握り締めた。
とても辛かった。
大切なものはもうねえちゃんとアレイさんだけじゃなくなっていたから。守りたいものもたくさんに増えたから。
悪魔の気で倒れたヴィッキーの姿が瞼の裏に焼きついて離れない。
立ち止まってしまった自分に続いてアレイさんも立ち止まる。
春とはいえまだ冷やりとした風が吹き抜ける夜の空気の中で、二人静かに佇んだ。
アレイさんは何も言わなかった。
ただ、握り締めていた左手に大きな手が重なった。
はっと見上げると、アレイさんはとても優しくてでもどこか悲しげな瞳で見下ろしていた。そこに映された感情が何なのか、自分には分からない。
でも触れたところからとても温かで優しい心が流れ込んできた。
ふと、気づいた。
「アレイさん。もしかしてアレイさんも――」
クロウリー家は悪魔の末裔なんだってライディーンが言っていた。
もし本当にマルコシアスさんの子孫なら、その体には悪魔の血が流れている事になる。それはもしかするとヒトに害を与えるのではないか?
アレイさんの指がそっと唇に触れた。
まるで続きを言わせようとしないかのように。
そうして自分の左手を握り、また街を歩き出した。
大きな手で引かれて大きな背中を追いながら胸が熱くなるような感情に包まれた。
とても優しいヒトだからおれみたいに口に出さなくても深く深く傷ついているんだろう。その傷を誰にも見せないように表情を乏しくして生きてきたんだ。
その心と生きてきた道を思って、泣きそうになった。
このヒトはこの優しさの裏でどれだけの血を流してきたんだろう。表情を忘れるまで、どれほど傷ついてきたんだろう。
こんなにも苦しい気持ちは初めてだった。
痛い。
でもきっとアレイさんはもっと痛いはずなんだ。
自分に何ができる?
このイジワルで、底抜けに優しいヒトが少しでも痛くないように。
「傍にいて、いい?」
唐突に口から零れ落ちた言葉。
振り向いた紫水晶の瞳には驚きが現れていた。
「おれはアレイさんに傍にいて欲しいよ。隣で戦いたいよ」
ねえちゃんに望まれなくても自分はずっと隣にいるだろう。
でも、アレイさんには――傍にいて欲しい、と言って欲しかった。自分が想うように相手にも想い返して欲しいと思ったのは生まれて初めてだった。
いつから自分はこんなワガママになってしまったのだろうか。
「おれはあなたの隣にいていいのかな……?」
この感情は何だろう。胸の奥で足掻く、とてもどろどろした熱い感情。
好きとは違う、もっともっと熱くて深くて……優しい感情。
自分はこれを知っている。
ずっとずっとアレイさんが自分に向けてくれていたものだ。普段はイジワルで、思い出したように優しく包み込んでくれるこの紫の瞳のヒトが。
夜明けの空のような紫水晶が揺れている。
その顔はまるで泣くのを我慢しているように見えた。
「……ラック」
深いバリトンが自分の名を呼ぶだけで特別に聞こえる。
アレイさんは少し躊躇うように言った。
「俺はお前の父親にはなれない。もしそれを望むなら隣にいてやることは出来ない」
「違うよ」
言葉にするのはひどく難しかったが、伝えたかった。
心に傷をたくさん負ったこのヒトに、どれだけ自分が大切に思っているかを知って欲しかった。
「傍にいて欲しいと思うのも触れて欲しいと思うのも……こんなにもワガママを言うのはアレイさんだけだよ」
ねえちゃんには絶対に言わない心の底まで吐露できるのも。
メリルがルークと共にいたいと思っていたように、自分はきっとアレイさんと一緒にいたいと思っている。
この感情に名前をつける術は知らなかったけれど。
アレイさんの手が頬に触れた。
「もし違うと言うのなら――」
バリトンが途切れる。
そこで口を閉じたアレイさんは、なぜかとても怒っているように見えた。
「どうしたの?」
首を傾げて見上げると、アレイさんは大きなため息をついた。
「続きは、また今度だ」
「え?」
「邪魔が入った」
すると、闇の中から誰か飛び出してきた。
「ウォル先輩っ!」
その人影はそのままアレイさんに飛びついた。
ぴょんぴょん跳ねた茶髪の、とても大きなヒトだった。身長はアレイさんと同じくらいある。衣装からして炎妖玉騎士団のヒトらしかった。きっと年は自分と同じくらいだ。
「離れろ、ルーパス」
アレイさんはその大きなヒトを引き剥がして、大きくため息をついた。
「邪魔しやがって」
「邪魔でした?」
「当たり前だ!」
アレイさんの頬は怒りのせいか微かに上気していた。
しかし、この大きな犬みたいなヒトは一体誰なんだろう。
「ねえ、アレイさん。このヒト、誰?」
「こいつは対 幻想部隊『覚醒』のメンバーの一人、ルーパスだ」
ルーパスというヒトは、猟犬みたいな目をきっとこっちに向けた。
もしかして睨まれた?
「ウォル先輩は渡さん!」
「??」
いったいルーパスは何が言いたいんだろう。
アレイさんの答えも聞きたかったし自分の中の感情も分析したかったんだけれど、一瞬で全部吹き飛んでしまった。
「ウォル先輩ってアレイさんのこと? 渡さんって、別にアレイさんはお前のものじゃないんだろ?」
なぜかむかむかした。
アレイさんに抱きついた事も、まるでアレイさんを自分のもののような言い方をしたことも。
「うるさい! これ誰なんすか。騎士にも見えないし、やたら先輩になれなれしいし……」
「お前は今日のお披露目にいなかったのか? こいつは新しくレメゲトンとしてやってきたラック=グリフィスだ」
ため息をつかんばかりの勢いでアレイさんが言うと、ルーパスは目をぱちくりとさせた後さっと青ざめた。
「不敬罪は勘弁してやる。どうせこのくそガキもそんな事など気にしていない」
「えと、ルーパスだっけ? おれはラック。よろしくな!」
にこっと笑って手を差し出すと、ルーパスは膝をついて頭を深く下げた。
「失礼しました! ご無礼をお許しください!」
どうしようか困ってアレイさんのほうを向くと、紫の瞳の彼はもう一度大きくため息をついた。