SECT.20 銀色の真実
風燕――マルコシアスさんはおれの姿にそう名をつけた。地面から解き放たれた時、おれの剣術は真価を発揮する。
打ち掛かってくる銀髪のヒトに、はじまりの朝を思い出す。
自分が新しい世界に飛び込む直接の原因となった邂逅。
「もう、会いたいなんて言わないよ」
だってこの感情はルシファのものだったから。自分の感情と混同する事なんてもうしない。目の前にいる銀髪のヒトは、グリモワールを傷つけようとする敵国セフィロトの神官だ。ここで天使の加護を引き剥がさないといけない。
銀のブレイドをすれすれのところで避けながら、必殺の間合いをはかる。
天使の印はどこだ?
千里眼を使おうか――いや、まだ早い。使える時間に限りがあるから、ぎりぎりまで使わないほうがいい。奥の手は最後までとっておくんだよ、とはクラウドさんの言葉だ。
本当に本当に最後の手段は出来れば使いたくないけれど。
そう考えると自分は強くなったと思う。
一年前に成す術もなくやられた相手と、一定の距離と理性を保ちながら戦う事が出来るのだから。しかも、たくさんの奥の手を残しながら。
「死ね!」
憎しみ全てを乗せて吐き出された言葉と共に向けられた刃をすれすれで交わし、上空から奇襲を掛ける。
両手の剣が弾かれた後、さらに踏みつけるような蹴りを放つ。
さすがに受け切れなかった銀髪のヒトは地を蹴って上空に飛び上がった。
上下逆転。
この高速移動の中では、右も左も、それこそ天も地も関係ない。
空間を目いっぱいに使って、全身の感覚を最大限に開いて。
ブレイドとショートソードが凄まじい音を立ててぶつかり合い、その反動で吹っ飛んだ。
すぐ体勢を立て直して銀髪のヒトを睨む。
憎しみの篭った眼差しに貫かれ、思わず叫んだ。
「おまえがおれを狙うのは、おまえ自身の感情じゃないだろう?!」
自分と同じ、天使のミカエルさんから流れ込んできた感情のはずだ。それに気づけば、このヒトはこんなに自分を憎むことだってないはずだった。
ところが、銀髪のヒトはその言葉を聞いて口元で微笑んだ。
「グレイシャー=ルシファ=グリフィス、だろ? お前」
これまでの激情を撒き散らす台詞とは全く違う冷たい口調だった。
エネルギーを秘めていた銀色の光が収束し、鋭く冷たい刃のように研ぎ澄まされた。
銀髪のヒトの裏に隠された二面性を肌で感じて冷やりとした。
「グリフィスの末裔……僕らを迫害したグリフィス」
「?!」
「忘れもしないよ。それに忘れたとも言わせない」
「何の話をしてるんだ?」
「君だって見たはずだ。僕らがいた、あの場所。森の中に隠した僕らの集う場所」
「森の中……?」
森。隠された。迫害――天使。
はっとした。
カトランジェの北、クラインの森の一角にひっそりと隠れるように佇む教会。銀髪のヒトたちが自分を監禁した場所。天使崇拝の人々がかつて集った場所。
「まさかお前」
そのすべての情報は、信じられない結論を導いた。
「グリモワール出身なのか? あの、カトランジェのレグナの住処――」
「ああ、よかった。忘れていないようだね」
銀髪のヒトは満足げに笑った。このヒトが笑うのは初めて見る気がした。
剣を持つ両手が震える。
銀髪のヒトは、あの捨てられたレグナの森で生まれ育った。天使崇拝のヒト達に囲まれて。でも、その結末は――自分は実際目で確かめてきた。
迫害。
それを起こしたのは、ラッセル山中に屋敷を構えていた今は亡きグリフィス家。
この銀髪のヒトたちは、生き延びてセフィロト国へ逃げ込んだのだろう。
「ミカエルの感情じゃない。これは僕らの復讐だ」
冷たい声に、背筋が思わず凍りついた。
一度冷たく収束した銀のオーラが、また爆発的に燃え盛る。
「貴様だけは殺す!」
包み隠さずぶつけられた憎しみに、足がすくんで動かなくなった。
天使崇拝のヒトたちを迫害したのは、自分と同じグリフィスの名を持つ者たちだった。頭の中を衝撃が貫いた。
何てことだろう。あんなに心痛めた迫害を引き起こしたのが自分の家族と呼べるヒトたちが引き起こした事だったなんて!
足が震える。
憎まれても、仕方ない。
「……ごめん」
喉から漏れたのはそんな言葉だった。
それ以外の言葉を自分は知らなかった。
感情をむき出しにして怒り、恨み、殺意をあらわにするこのヒトに向ける言葉を知らなかった。
震える手からショートソードが滑り落ちる。
かららん、と軽い音をたてて剣が地面に落ちた。
「自ら命を捨てるか!」
高らかに笑う銀髪のヒトを真直ぐに見られなかった。
きっと大切なヒトをたくさん失ったんだろう。誰を恨んでいいかも分からなかったんだろう。ねえちゃんをなくした自分が世界を壊そうとしたように、絶望に包まれて……
全身が震えた。
「ごめん」
語尾も震えていた。
最高位の天使と悪魔が入り乱れるこの空間で自分だけが戦闘放棄していた。ルシファとミカエルさんの力のぶつかり合いも、サンダルフォンに向かうフラウロスさんの炎の勢いも。
すべてがぶつかり合う中で俯いた。
「ならば死ね!」
銀髪のヒトのブレイドが迫っていた。
すべてがはじまった、あの朝と同じだ。死を覚悟した。
しかし、いくら待っても痛みは襲ってこなかった。
おかしいな、と思って目を開ける。
最初に目に入ったのは黒いシルクハット。
「本当に、何をしているんですか」
そして聞こえたのは、ここにいるはずのない人物の声。
視界に入るのは黒いステッキ、白い手袋、細身のシルエットの燕尾服。
「こんなところで諦めたら、もう一人の大切な人も失う事になりますよ?」
「ゲブラ?!」
目が覚めた。
なぜ加護を失ったはずのセフィラがここに?!
「仕方ない人ですね、これで僕はセフィラに攻撃した反逆者だ。もうセフィロトに戻れなくなっちゃったじゃないですか」
困ったように笑う手品師は、黒いステッキで銀髪のヒトのブレイドを弾いた。
たったそれだけで、ぴぃん、と高い音がして銀髪のヒトの体が後ろ向きに吹っ飛んだ。
「……何で?」
「何故だと、思います?」
にこりと笑った手品師はずっと嵌めていた白い手袋をはずした。
すると、黒々した刺青状の悪魔紋章が姿を現す。
「僕が悪魔に魅入られてしまったたからですよ」
手品師はにこりと微笑んだ。
その微笑に声を失った。
天使と悪魔、両方と契約していたこのヒトの葛藤は計り知れない。いったいどんなことがあってこうなったのかは分からないが、きっと苦労したはずだ。大切な人もたくさんなくしたんだろう。
「こんなところで命を落とさないでください。悲しむ人がたくさんいるのを忘れましたか? あなたがあの金の瞳の女性を失って絶望したように、あなたを失えばたくさんの人が光を失うでしょう」
そう言われてはっとした。
紫の瞳の優しいヒトを思い出す。
「あなたは守りたいんでしょう? この国を。たくさんの人を。だったら、ここで彼らの復讐を遂げさせてはいけません。ここで復讐を許せば、復讐の連鎖は途切れることなく続いてしまう事になる」
まるであの紫の瞳を持つ優しいヒトのようにこうやって優しく諭してくれるこのヒトが望む世界の安定が、グリモワールもセフィロトも安定する事を差していたら。
自分と同じことを願ってくれていたとしたら。
「人を傷つけたくない気持ちは分かります。でも、あなたは生きる限り何かを選択しなくてはいけないのです」
あの紫の瞳のヒトも、一番大切なものを選べ、と言った。欲しいもの全部手に入れようとするな、と。
だからおれは――
「ありがとう、ゲブラ」
見失ってしまうところだった。
「おれは銀髪のヒトを倒して、戦場に戻るよ」
自分がずっと目指していた事――大切なヒトと肩を並べて戦うために。大切なものをこの手で守るために。
「負けない」
絶対に負けないため、戦わなくちゃいけない。
もう一度見つめた先に、銀のオーラを纏ったセフィラの姿があった。