SECT.2 サブノック
しばらくは手をつないだまま歩いてくれたのだが、廊下で炎妖玉騎士団のヒトに会った時にぱっと振り解かれてしまった。
ひどいなあと思いつつも笑顔がふんわりと優しそうな炎妖玉騎士団のヒトを見つめた。あんまり特徴のない顔だったけれど、ダイアナさんを想起させるような温かい空気はとても気に入った。
アレイさんと同じ年くらいだろう。優しそうな騎士団員さんはにこりと微笑んだ。
「ウォル先輩、そちらが新しいレメゲトンの方ですか?」
「ああ。これから軍の前でお披露目がある」
「初めまして。私はフェルメイ=バグノルドと申します。炎妖玉騎士団アルマンディン部隊長と対 幻想部隊『覚醒』の副隊長を兼任しています」
その優しそうなヒトは軽く礼をした。
部隊長さんということはライガさんと同じ位置にいるということ――優しそうな笑顔だけれど、とても強いヒトなんだろう。
「初めまして。レメゲトンのラック=グリフィスです」
にこりと笑って握手しようと手を差し出した。
が、フェルメイさんという優しそうなヒトはその手をとって軽く甲に唇で触れた。
「どうぞよろしくお願いします。ミス・グリフィス」
驚いて目をぱちくりさせていると、アレイさんは後ろでため息をついた。
「手の甲への口付けは敬意を表す。そのうち必要になるかも知れん、覚えておいた方がいい」
「ああ、そうなんだ。おれは握手しようと思ったんだけど」
「俺やねえさんがいる前ではフォローしてやるから構わんが、一人でいる時は身分の上下に気をつけろ。レメゲトンが下手な事をすれば問題になる」
「面倒なんだね」
ひょい、と肩をすくめると、今度は目の前にいたフェルメイさんが驚いたように目を見開いた。
その様子を見てアレイさんは当たり前のように言った。
「フェルメイ、公式の場以外でこいつに敬意を払う必要はない。見た目はこうだが、分かるとおり中身はガキだ。王都で貴族として育ったわけでもないから礼儀もない。その上鳥頭の阿呆だから苦労する事になると思うが、よろしく頼む」
「またガキって言った!」
唇を尖らせると、アレイさんの手がぴしゃりと額に当たった。
一瞬何が起きたかわからなかった。
あれ?もしかして今おれ叩かれた?
「えええ?! アレイさん今、叩いた? おれのことぶった?」
「黙れ、うるさい、このくそガキ」
「ねえちゃんに言いつけてやる!」
「勝手にしろ。余計な事言ってないで行くぞ。遅れる」
「もう!」
優しそうなフェルメイさんにバイバイ、と手を振ると振り返してくれた。
とても微妙な表情をしていたのは気のせいなんだろうか、慣れない靴でアレイさんの早足に追いつくことのほうに必死で考える暇はなかった。
軍でのお披露目も終了し、アレイさんに連れられて外に出た。
すでに日は沈んでいて、兵士たちはそれぞれ当てられた家またはテントで就寝の準備を始めている。松明に彩られたカシオの街は不気味に静まり返っていた。
アレイさんと二人でカシオの街を通り過ぎたのだが、すれ違うヒトはみな自分たちに軽く礼をしていく。例外は炎妖玉騎士団長のフォルス=バーディア卿、輝光石騎士団長のサンアンドレアス=ヴァルディス卿、琥珀騎士団のクライノ=カルカリアス卿、翠光玉騎士団長のクロム=グリニー卿――4人の騎士団長さんくらいのものだった。
改めてレメゲトンの地位を確認する。それでもライディーンが、メリルがこの場所を欲しがった理由は今も全く理解できないのだった。
到着したのはカシオの外れにある古い小屋だった。
軍が来る前、街のヒトがいた頃は剣術か何かの道場だったのだろう、天井は高く柱もほとんどない広い空間があるだけの粗末な小屋だった。隅には武具と思われるものが寄せてあり、その中には木刀や木槍の姿もあった。
「サブノック」
静まり返った道場に深いバリトンが響く。
ざわりと周囲の空気がざわめくのが感じ取れた。
ああ、今まで気づかなかったけれど、悪魔さんには特有の気配がある。それは召還のときだけでなくコインそのものからも発せられている気だ。
一度気づくとその気配は拭おうと思っても纏わりついてきた。
視覚でも聴覚でも触覚でもない感覚で自分の中に入り込んでくる。
「珍しい者を 連れてきたな クロウリーの若造」
その悪魔さんからは、見た目通り壮年男性の声がした。
獅子の頭を象った兜で顔は見えないが、くすんだ青のマントが揺らめいて同じ色の胸当てと脛当てが見え隠れした。騎士の服装に近い格好で、腰に差した剣からは禍々しい何かが漏れ出していた。
第43番目の悪魔サブノックの剣は傷口を腐らせるという。
それを思い出してぞくりとした。
「黄金獅子の末裔 グラシャ・ラボラス以外にも 多くの支持を得ているようだ」
気難しそうではあったが、敵意の感じられない声だった。
「初めまして、サブノックさん。レメゲトンのラック=グリフィスといいます。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げると、武器の悪魔と呼ばれるサブノックさんは静かに問いを口にした。
「何を願う 黄金獅子の末裔 最凶の名を冠す悪魔を持ちながら 他に何を欲する」
「最凶の悪魔っていうのはラース……グラシャ・ラボラスのことでいいかな?」
そう言うとサブノックは訝しげな声で呟いた。
「名を渡すとは どういうつもりだグラシャ・ラボラス」
「おれには分からないよ。契約の事は覚えていないんだ」
真直ぐにサブノックさんを見た。
この人の瞳はどんな色をしているんだろう。どんな表情で言葉を紡いでいるんだろう。
「ラースは確かに強い。でも、攻撃したいものもおれの大切なものも区別なく破壊してしまうよ。だからおれは自分の力を使いたい。自分の手で大切なヒトを守りたいよ」
アガレスさんもフラウロスさんも、頼めばいくらでも力を貸してくれる。それはとても嬉しい事だけれど、少し怖い事でもあった。
あれは自分自身から湧き出る力ではない。
「悪魔さんの力を借りるだけじゃなくて、自分の力を磨きたい。だから武器を取って自分を鍛える道を選ぶよ」
自分はこれまでいつだってそうしてきた。
悪魔さんたちの力を借りた事はあっても、それだけに頼ろうと思ったことは一度だってない。
「もしサブノックさんもおれに力を貸してくれるなら……」
真剣な目で目の前の悪魔さんを見た。
「おれに、武器を作ってくれないか」
その場に沈黙が訪れた。
アガレスさんと話す時もそうだけれど、悪魔さんは考えるのに黙って時間をかけるようだ。
しばらくして、サブノックさんは口を開いた。
「その先に 世界を導く事が出来るなら」
「……え?」
そして、サブノックさんの姿は闇に掻き消えた。
「あれ? サブノックさん、帰っちゃったよ?」
「心配するな、明日には武器が出来上がる」
ずっと隣で黙っていたアレイさんが言った。
「そうなの? あれでいいの?」
「悪魔が見るのはお前の姿形でなく魂だ。サブノックはお前の心を感じ取ったに違いない」
「へえ」
よく分からなかったけれど、アガレスさんも似たような事を言っていた。
今でも自分は3歳くらいの女の子に見えるんだろうか。
今度聞いてみよう。