SECT.18 シンシア=ハウンド
そうしてご先祖様は一瞬シアを睨んで、肩をすくめた――険悪な雰囲気がその場を包む。
「何でここに?」
どういうこと?
そういえばシアは何者なんだろう。契約もせずにコインの悪魔を呼び出して、しかもこうやってご先祖様を呼び出せるのが分かっていたかのように。
一瞬だけまじめな顔でシアを睨んだご先祖様は、すぐに笑顔に戻って自分の方を向いた。
「ちなみに今、グリモワールは何代目だ?」
今の王様が何代目か分からず、となりのヴィッキーに助けを求めると、彼女は目の前の光景が信じられずに呆けていた。
「ヴィッキー、ゼデキヤ王って何代目なの?」
大きな声でもう一度聞くと、ヴィッキーははっとして慌てて答えた。
「あ、ああ、22代目だ」
「そうか。ま、そんなもんだろうな。ルシファの言ったとおりだ」
ふう、と息をついたご先祖様はにこりと笑った。
「がんばれよ、ラック。おれに出来なかった事をお前がやるんだ。この国を救える可能性を持っているのはお前と、レティの子孫だけだ」
「レティの子孫て、アレイさんのこと……?」
「アレイ? その名は知らんが、おれの先見が確かなら、3つの希望のうちグリモワールの末裔はファウストと二つに別たれて消滅したはずだ」
消滅。
その言葉にどきりとした。
きっとそれはねえちゃんのことだ。二つに別たれたっていう意味は分からなかったけれど。天使さんや悪魔さんの口からとてもよく聞く言葉だが、いまだにその真意を掴みかねていた。
「おれとレティとユダが国の存続をすべてお前たちに託したんだ。だいじょうぶ、ルシファとマルコがいる。メフィは微妙だが助けてくれるだろう。あとは……バアルはどうしている? あいつならおまえを助けてくれるはずだが」
突然たくさんの名前が出てきたために混乱した。
レティっていうのはアレイさんのご先祖様のレティシア=クロウリーさんだろう。ユダはきっと初代ダビデ王だ。ルシファは自分の額に印を刻んだリュシフェルさんのこと。マルコはアレイさんの使うマルコシアスさんのことだろう。
じゃあ、メフィとバアルは誰だ?
眉を寄せると、ご先祖様は困ったように笑った。
「おまえは本当に何も分からねえみたいだな」
「ごめん、たぶん今聞いてもわかんないよ。それと、コインはずいぶんなくなっちゃった。ねえちゃんとアレイさんがずいぶん探したらしいけど、今は20個ちょっとしかないみたい」
「うわ、マジでか。そりゃ大変だ」
ぜんぜん大変そうに見えない表情のご先祖様はそう言って肩をすくめた。
「んーでもおれはもう逝くからなあ。輪廻を無理に外れてたからな、もうそろそろ戻らないといけねんだ」
「どうしたらいい?」
「とりあえずバアルを探して聞け。もしくはマルコでもいい。他に堕天がいたら詳しく聞いてみるといい。教えてくれるかは別だが」
そういって満足げに頷くと、ご先祖様の姿が揺らめいた。
「もう行っちゃうの?」
「ああ、戻らないと。役に立てなくて悪かったな」
まさに刹那の邂逅だった。
知っていたらもっといろいろ調べてから会えただろうか。こんな慌しい時でなければたくさんのことを教えてもらえただろうか。
足元から少しずつ消えていくご先祖様――稀代の天文学者、ゲーティア=グリフィス。
彼は最期にずっと黙って会話を聞いていたシアのほうを睨んだ。
「どうしてここにいるか知らないが、こいつに手を出したらルシファが黙っちゃいないぜ」
それは脅しの文句。
どうしてシアに、と聞く前に不敵な笑顔が空気に溶けるように掻き消えていった。
すでにぽつりぽつりと雨が降り始めていた。本降りになるのは時間の問題だ。
「……シア、どうしてコインの使い方が分かったの?」
ポツリと呟いた言葉に返答はなかった。
いつものように全く表情を見せないシアはふわりと左目にかかる髪をかきあげた。
ヴィッキーがさっと動いて自分を背に庇うように立った。
「シア、答えろ。ラックに危害を加えようと企てているのは本当か?」
正体は分からなくとも、いまのご先祖様の言葉を信じるならシアはとても味方とは思えなかった。
緊張した空気が張り詰める。
シアは全く表情を変えなかった。抜けるような白い肌に紅梅のような色をした瞳、それと対比するような漆黒の騎士服。
睨み合うヴィッキーとシアの間にはまだ迷いがある。
自分だって今の状況が飲み込めない。
どうしてご先祖様はシアを敵視するような事を言ったんだ?どうして彼女はコインの悪魔を召還する方法を知っていたんだ?
「シア、お前は何者だ?」
厳しいヴィッキーの声はかすかに震えている。
ヴィッキーにだって信じられないだろう。だって、漆黒星騎士団で2年間苦楽を共にした仲間だ。朝の鍛錬も鷺部隊への出稽古もずっと一緒にこなしてきた大切な――混乱し、信じられない気持ちでいっぱいのはずだ。
ところが、シアの口からは思いもしない言葉が飛び出した。
「謹慎を解いてやる。来い、ティファレト」
ティファレト。
さっと血の気が引いた。
その名は、だって……
「黄金獅子はどうやらオレの正体に気づいてここでは何も言わなかったようだな」
言葉をすらすらと紡ぐシアの姿に、全身を衝撃が貫いた。
「2年もかけてグリモワールに入り込んだというのに、あの男にすべて無にされてオレは今機嫌が悪いんだ」
「シ、シア……?」
とても無口な彼女の言葉とは思えない。
しかも、いま白髪の彼女は何と言った?
グリモワールに入り込んだ、そう言わなかったか?
「お前、セフィロトの回し者か」
震えるヴィッキーの声。
シアの返答はない。
そして、考えうる限りにおいて最悪の事態が訪れようとしていた。
「ヴィッキー、逃げて。お願い、この街のヒトを避難させて欲しい」
「何だと?」
来てしまう。あのヒトが来てしまう。
心臓がばくばくいっている。
「早く!」
悲鳴を上げるように叫んで、ヴィッキーの後ろから飛び出した。
来る。
あのヒトが。
「銀髪のヒト」
ポツリと呟いた先に、凄まじい光と共に姿を現したのは背に6枚の翼を湛えた銀髪のセフィラの姿だった。
久しぶりに見る銀髪のヒトは尋常ではない威圧を放っていた。
今なら分かる。
天使の加護を受けると、あの二人は一つになるんだ。まるでカマエルさんがフラウロスさんに吸収されて蒼い炎と化したように、二人が物理的に一つに融合してミカエルさんの加護を得る。だから自分はどちらが加護を受けたのかを見分けられなかった。
心臓がドキドキいっている。額が熱くなる――ルシファが、あの双子に加護を与えた天使ミカエルさんに反応している。
きっと、ミカエルさんはルシファの片割れなんだろう。
だからこんなにも強烈に引き合うんだ。
今なら呼び出せる気がする。
ご先祖様が言う事が本当ならば。
「ルシファ、力を貸して。いるんでしょ? おれの中に!」
自分の内側に呼びかけた。
力の奔流が静かに、でもすごい速度で全身を駆け巡った。全身が温かい空気に包まれる。それと一緒に今にも爆発しそうな感情が自分の中に放り込まれて、息が詰まった。
その衝動を押さえ込んで銀髪のヒトを睨みつける。
大きく息を吐いて気を落ち着けた。
「やっと会えたな、レメゲトン!」
「ほんとだね」
会いたくて会いたくて焦がれた相手。
美しい銀髪に、高名な芸術家が造った彫刻のように整った顔立ち。そして覗き込む事を許さない深い群青の瞳――セフィラ第6番目、ティファレト。
自分の中を駆け巡る感情を冷静に見つめる。
うん、やっぱりこのヒトに会いたかったのは、自分じゃない。
それでも暴走しそうな気持ちは自分に加護を与える悪魔から流れ込んでくる。
カマエルさんを前にしたフラウロスさんと同じだ。
「いいよ、ルシファ。外に出て。ミカエルさんと思う存分戦って」
そう言うと、自分の中から一気に何かが飛び出していった。初めての感覚に全身を稲妻に貫かれる衝撃が駆け巡る。
かすかに残る加護を確認してからふと自分の隣を見上げる。
夢の中で見たルシファさんの姿があった。