SECT.17 ゲーティア=グリフィス
「ああ、ここだ」
ヴィッキーの声に顔を上げると、すでに家がまばらになるほど街外れまで来ていた。
そして、目の前にあったのは大きな石碑。
自分の身長より大きい漆黒の壁が目の前に立っていた。
「刻んであるのは……古代文字だな。読めるか?」
「うっ……苦手」
「キャスト先輩にも来ていただけばよかったな。先輩なら古代語に堪能だったのだが」
白抜きで刻まれた、その石碑の文字を指でなぞってみる。
指で感じる文字を読み上げていく。
「H-I-S L-A-S-T W-O-R-D-S……」
単語の意味は分からない。もちろん、なんて書いてあるのか文章は理解できない。
それでも一つ一つの文字をなぞり、声に出していった。
「G-O-E-T-I-A G-R-I-F-I-S……ゲーティア=グリフィス」
最後に刻まれた名まですべて読み上げ、石碑に額を預けた。
ねえ、ご先祖様。あなたはルシファさんと一体どんな話をしたの?どうしておれをルシファさんと契約させたの……?
その時、ふと何かが感覚に触れた。
覚えのある感覚。
自分の左手と同じ、アレイさんの右手首と同じ、そして――あの手品師と同じ気配。
その感覚に導かれるように石碑の裏に回る。
「ラック? どうした?」
ヴィッキーの不思議そうな声がしたが、返事をせずに石碑の裏部分の地面を掘り起こした。
心臓がどきどきする。
なぜだろう。
無心に地面を掘り続け、足元に土の山が出来る頃。
土の中から一枚のコインを発見した。
後ろからヴィッキーが覗き込んでいる気配があった。
土にまみれた手でコインをこすると、鈍い黄金色をした悪魔紋章が出現した。
「それは悪魔のコインか?」
「うん、ロストコインだ」
詳しい悪魔紋章は覚えていなかったからどのコインかは分からないが、縁に大量に刻まれた古代文字の中に悪魔の名が紛れているはずだ。
何故こんなところにコインが埋まっているのか。こんなたくさんのヒトが訪れる観光地に、しかも手で掘れるような浅い場所に。
誰が埋めたんだ?
が、はっとした。
違う。これは一度掘り起こされている。
この部分だけ明らかに土の色が違い、しかも軟らかい。つい最近埋められた証拠だ。
一体誰が……?
コインをぎゅっと握る。
「持って帰ってじぃ様に聞いてみよう。早く王都に戻らなくちゃ」
そういって立ち上がると、ヴィッキーの背後に迫った人影に気づいた。
白髪に赤目……鷺部隊のシアだった。
「何だ、シア。どこにいたんだ?」
振り返ったヴィッキーが肩をすくめる。
ちょうど空から冷たい雫が降ってくるところだった。
「とにかく宿に戻ろう。風邪をひいてしまっては仕方がない。シアも、ラックも行くぞ」
ヴィッキーがそう言ってぽん、とシアの肩に手を置いた。
シアはかすれるような声で言った。
「見せて、欲しい。それ……」
シアが指差したのは自分の手の中にあるコインだ。
どうしてシアがこれを見たがるんだろう。
でも彼女が声を出すのは滅多にないことだし、願望を口に出す事なんてほとんど初めてだったから少し躊躇った後コインを彼女に手渡した。
すると彼女はコインを一通り見た後、地面に紋様を描き始めた。
円の中にダビデの星、周囲に描かれた古代文字、そして中央に――悪魔紋章。
「シア?」
無表情のまま淡々と作業をこなした彼女はコインをその紋様の中央に据えた。
そして、静かな声で悪魔の名を呼んだ。
「ブーネ」
「?!」
その瞬間コインが粉々に砕け散った。
驚きに目を見開いていると、シアが地面に描いた魔方陣が発動した。
黒い光が魔方陣から放たれ、その光の中からにゅっと大きな頭が飛び出した。
てらてらと怪しげに光る緑翠のウロコに覆われた蜥蜴のような頭には大きな茶色の角が二本生えている。ぎょろりと大きな黒の目が飛び出しており、どこを見ているかも分からない瞳は大きな硝子玉のようだった。
口を開くと真っ赤な舌がちろちろと見え隠れし、黄ばんだ鋭い歯がのぞく。
「黄金獅子の末裔ならば 証を示せ」
大きく裂けた口から震える声が漏れた。
呼び出したのはシアなのに、なぜおれのことを呼ぶ?
しかし、ご先祖様の生家があった場所の地面下から発見したコインだ。もしかすると、後世に何かリュシフェルさんに関する手がかりを残しているかもしれない。
サブノックさんに貰った短剣を抜いて手の甲を軽く傷つけた。
血のにじむその傷を差し出すと、ブーネさんと思われる悪魔は真っ赤な舌を伸ばしてそれを舐めた。
「合格」
悪魔の言葉と共に、もう一度黒い光が放たれる。
思わず目を閉じた。
「あー、長かった」
その場に響いた聞き覚えのない声に、恐る恐る目を開けると……
「初めまして、だな。グリフィスの末裔」
目の前に立っていたのは見た事のない青年だった。
年は自分より少し上くらいで、大きく利発そうな金の瞳が煌いている。少し癖のある黒髪が象牙色の肌に映えており、口元に湛えた笑みには大きな自信が表れていた――誰が見ても認めるであろう美青年だ。それも近寄りがたい雰囲気はなく、人懐こい犬のような空気を持つ人好きしそうな雰囲気を持っていた。
少し見上げるくらいの身長はクラウドさんと同じほどだろうか。フードがついた漆黒の短いローブをかぶり、ゆるい麻のズボン、足元は裸足だった。その簡素な服に似つかわしくない、綺羅めかしい銀の腕輪を左手首につけているのが不似合いだった。
いったい何が起きたんだろう。
悪魔のブーネはどこに行ったんだ?
先ほどの黒い光は?
そして目の前のこの青年は……
「誰?」
そう聞くと、その青年は楽しそうに笑った。
まるで太陽のように明るい笑顔だった。
「おれはゲーティア=グリフィス。おまえの名前も教えてくれるか? おれの子孫」
一瞬理解できなかった。
もちろんゲーティア=グリフィスという名に嫌と言うほど聞き覚えがあった。
「何? 今ブーネ使ったんだろ? あいつは死者を呼び出すからな。ずっと呼び出されるのを待ってたんだよ」
「ああ、じゃ、やっぱりおまえおれのご先祖様なんだ」
「だからそう言ってるじゃねえか!」
突然現れたご先祖様は頬を膨らませた。
本物だ。
びっくりしたけれど、すぐに嬉しくなった。
「おれ、ラック=グリフィス。えと、初めまして? だよね」
「ラックか。へへ、やっぱおれの子孫だ。美人だな」
ご先祖様はすっと手を伸ばす。細長い綺麗な指が頬に触れた。その感触がくすぐったくて思わず笑う。つられるようにご先祖様も笑った。
「おまえには迷惑かけたな。ルシファに会ったか?」
「会ったみたいだけど、実はよく覚えてないんだ。4年前に全部記憶をなくしちゃって、契約した頃の事は分かんない」
「そうなのか?」
ご先祖様はビックリしたみたいだった。
頬に当てていた手を額にずらして、じっと見た。
「じゃあ何も聞いてないんだな。契約の事も、魔界の事も世界の理も」
「うん」
「まいったなあ。どういうつもりだ、ルシファ」
少年の響きを残した声もよく耳に馴染んだ。
よくよく見ると、このヒトの顔はいつも鏡の中で見る自分の顔にそっくりだった。
「あいつの事だからのっぴきならない事情でもあったんだろ。今隠れてるのにも理由があるんだろうな。んじゃおれは何も言わね」
「えっ! 折角だからいろいろ教えてよ!」
しかし、答える代わりにぺろりと舌を出したご先祖様はふと首をかしげた。
「だが、何も分からないならなんでおれを呼び出せた?」
「それはおれじゃなくてシアが」
そう言って隣に佇む白髪の彼女を指差すと、ご先祖様は目を大きくして驚いた。