表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/30

SECT.11 光の差すほうへ

 闇の中で飛び回るラースは確実にメタトロンを追い詰めているようだった。

 ほとんど残らない意識の中でかろうじてそれだけが分かった。

 欠落した心ではもう悲しみも薄れていた。

「凄いヨ ルーク! こんなに体ガ軽イ!」

 ラースの声がひどく遠い。

 フィルターがかかったようにぼんやりとした意識は風前の灯だった。

 視界も薄れてきた。体の感覚もほとんどない。

 感覚の全てを明け渡してしまいそうになっていた時だった。

 かすかに残った音の世界に、響く声があった。


――ラック


 誰?

 ラック?

 名前?

 自分の名前?

 ラースはおれのことをルーク、と呼んだ。それは『L-U-C-I-F-E-R……ルシファ』の愛称、『光』の意味を持つ『L-U-X』……ルーク。

 幼い頃からずっと呼ばれて来た名だ。ラースもリリィも、リュシフェルさえそう呼んだ。

 じゃあ誰?

 ラック、は何?

 知らないはずの名前は麻痺した心を揺り動かした。

 絶望の中に消え入りそうになっていた心がほんの少しだけ光を取り戻す。

 一瞬、ラースの支配が緩んだ。

 失われたはずの心が叫んでいた。

 思い出せ、と。

 ラック……『L-U-C-K』……幸福?

 風の音がする。

 とても強い風の音。

 自分を守ってくれた風――



「ラック……!」



 また、だ。

 声がした。

 自分を呼ぶ声。

 深いバリトンの響き。

――誰?

 おれを呼ぶのは誰?

 育ててくれたヒト?

 違うよ。そのヒトはもういなくなってしまった。だから世界を壊そうとしたんだろう?

――じゃあ誰? おれを呼ぶのは。

 強い声で呼び戻すのは。

 ねえちゃんを失った世界に繋ぎとめようとしているのは。

 そうだ。ラックはおれの名だ。ねえちゃんが幸せになりますようにっていう願いを込めてつけてくれたおれの新しい名前。

 『グレイシャー=ルシファ=グリフィス』

 辛い事ばかりだったその名はもう捨てたんだった。

 だってずっと閉じ込められていた。リュシフェルと契約するためだけに育てられたから。抵抗しないように。余計な事を知らないように。

 それが辛い事だと知ったのはずっとずっと後の話だったけれど。

 その頃はだって辛いなんていう言葉だって知らなかった。

 自分の世界の全てだった塔の一室から初めて出たのは15の時。窓からしか見ていなかった空はこんなにも広かったのかと感動した。

 でも、それは一瞬で。

 すぐリュシフェルの召還で地下の暗い部屋に連れて行かれた。

 その後は……?

 ああ、覚えていない。

 そこだけ頑丈な鍵をかけられたように記憶の扉が開かなかった。

 次に覚えているのは優しい笑顔と猫のような金色の瞳。ストレートブロンドがキラキラとさざめいてまるでお日様みたいだと思ったのを覚えている。

 ずっと、一緒にいた。

 小さな街の片隅で、ねえちゃんの隣にいられれば幸せだった。

――でも、ねえちゃんはもう

 いない。

 永久に失ってしまった。

 おれの世界は崩壊した。

 閉じられた瞼と真っ赤に染まった体を思い出して胸のうちが抉り取られる感覚に襲われた。

 もう優しく頭を撫でてくれる事も微笑みかけてくれる事もない。メゾソプラノの声で自分を呼んでくれる事だってないんだから。

――ねえちゃんじゃないなら、誰が呼んでくれているんだ?

 少しずつ感覚が戻ってきた。



 一面の闇に浮かんだのは美しい紫水晶。

 それから真紅。

 ぞわりと背筋が震えた。

 口の中で鉄のにおいがした。唇にぬるぬるとした感触がある――この感覚には覚えがある。

――やめろ、ラース!

 心臓が止まりそうに震えた。

 このヒトは、この紫の瞳のヒトは……!

 胸がかっと熱くなる。

「半端モノ お前ノ血 嫌いジャない」

 にやりと笑って、自分の体で口元の血をうぐう。

 完全にラースと共有し始めた感覚は、自分が目の前のヒトを傷つけたことを示している。

 やめて。やめて。

 お願いだから。

 このヒトを傷つけないで!

 だってこのヒトは――!

 ばちん、と大きな音がした。

 凄まじい衝撃に頭を揺さぶられて、思わず目を閉じる。

「なんダ ルーク 起きチャッタのカ」

 ラースの声がした。

 ただ、これまでと違って自分の隣から。

「あーア つまんナイ ぐずグズしてる間ニ メタとろんも 消えたシネ」

「ひひ! 追い出されてやんの!」

「五月蝿いヨ ハルファス」

 すう、と体が軽くなった。

 ラースは自分から出て行ったようだ。

 周囲の闇の空間がかすれていく。

 ぼろぼろになった城塞都市トロメオと抉られた戦場が姿を現した。

「マ いいヤ 楽しカッタし また呼ンデ」

 最後にそんな言葉を残した殺戮と滅びの悪魔は、ほとんど崩壊したトロメオの前で溶けるように消え去った。


 その瞬間、自分は悪魔の加護を失った。

 が、落下しようとする体を右腕一本で支えてくれたヒトがいた。

「……アレイ、さん」

「この馬鹿が……!」

 抱きかかえられるようにして支えられ、紫水晶が目の前にあった。

 アレイさんはひどく息を荒くしていた。

 その理由はすぐに分かった。

 触れた左肩から生暖かい液体が流れ出していた。

 自分がつけた傷だ。

 左手はだらりとぶら下がって、全く動いていなかった。

「……ごめんなさい」

 そう言うのが精一杯だった。

 理屈ではなく涙があふれてきた。

「ごめんなさい……ごめん……なさ、い……」

 世界を壊していいことなんてなかったのに。

 大切なヒトはまだまだたくさんいたのに。

 自分は、一番してはいけない事をした。

「戻る、ぞ……ねえさんもすでに……フェルメイが……」

 バリトンの声が少しずつ小さくなっていく。

 さっと血の気が引いた――さっき失ったヒトの最後と一緒だったから。

 ふっと耳元の羽根が消え失せる。

 背に回されていた右手から力が抜けた。

 がたがたと全身が震えた。

 加護を失って、二人一緒に地面に落下した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


シリーズまとめページはコチラ
登場人物紹介ページ・悪魔図鑑もあります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ