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シルヴィーの精霊使い  作者: 桜 みゆき
第一話  シルヴィーの精霊使い
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第五章  魔女とイーデの契約

 暫くの間、ここにいてちょうだいね。

 スメラにそう言われてから、何日が経っただろうか。ルチアは、横になっていた簡素なベッドから起き上がると、上の方にある小さな小窓を見上げた。

 痛かった頬の腫れがひいてから、大分時間が経っている

 スメラに連れられ帝都へと入ったルチアは、すぐに地下の独房のような場所へと入れられた。問題を起こした囚人が暫く入れられる牢らしいが、自由に外へと出られない事を除けば、割と快適な生活を送っていた。ご飯はまあまあ美味しいし、ベッドで眠っても痛くない、トイレもなぜか個室があって、日に一回は服を着替えてお風呂にも入れた。

 とても罪人の扱いとは思えない。

 ルチアの知る限りでは、リュグナーツ家とその親族以外で魔法を使える人間、俗に「魔女」と呼ばれる人間は、見つかれば即極刑、つまりは死刑台にのぼらされるはずだった。

 どうしてまだ自分は生きているのか、シリルはどうしているのか、イーデはどうなったのか、疑問は尽きなかったが、ここからではそれを突き止める術は無く、精々、シリルがこの城内にいるという気配しか感じることは出来なかった。

「……?」

 ルチアはコツコツという足音に耳を留めた。看守たちの重いブーツの音とは明らかに違う。それに、食事や呼んだ時にしか来ない看守たちにしては、今は食事の時間としてもまだ早い。

 ルチアが首を傾げながら、その音を聞いていると、その足音はルチアの入っている独房の扉の前で止まった。

 カチャカチャという音がして、鍵が外され、重い扉がギィと音をたてて開いた。

「気分は、どう? ルチアちゃん。」

「……悪くはないです。」

 少し低めの扉を潜ったのは、スメラだった。扉が再び音をたてて閉まると、スメラはルチアの隣まで来て、ルチアと同じようにベッドの縁に座った。

「辛いとことか、ない? 寒い、とか。」

「特には。」

 おかしなことを聞くものだ。ルチアはそう思いながら、突然現れたスメラを見た。

 スメラはルチアの前髪を掻き揚げて、よくその顔を見た。心配げな表情をしている気がするのは、気のせいだろうか。

 だがルチアは、素っ気なくそうスメラに返して、彼女から目線を逸らした。

 スメラが来たときには、何故か思いもしなかったが、死刑執行日を伝えに来たのかもしれない。それならば、先に聞いておかなければならないと、ルチアはスメラが何かを言い出す前に口を開いた。

「シリルはどうしてますか?」

「貴女と同じ。怪我とかは、してないわ。」

 ルチアはじっとスメラの目を見た。やはり、スメラが何を考えているのかは、推し量れそうにもなかったが、スメラに嘘を吐く理由が無いとルチアは思い直した。

「それなら、良いんです。」

 ルチアはようやく安堵でほっとできた気がした。城内にいることしか分からないシリルが、今どんな状況に置かれてるかが、ただただ心配だったからだ。

「自分はどうなるのか、って、聞かないのね…。」

 スメラの呟きに、ルチアは彼女の方へ顔を上げた。

 だが、ルチアは首を振って、自分の膝に視線を戻した。シリルを助けると決めた時から、ルチアは、どうなってもいいと覚悟を決めていた。だが、それでもやはり、怖いものは怖い。それをはっきりと聞く勇気はルチアには無かった。

 スメラは黙ったまま、暫くルチアをじっと見た後、すくっと立ち上がった。その気配を感じたルチアは、のろのろと顔を上げる。

「もう暫く、だから。」

 スメラはそう言い残すと、部屋の扉を叩いて、外で待っていたらしい看守に扉を開けてもらい、外に出た。

「―――待って。」

 扉が閉まる寸前、ルチアはスメラを呼び止めた。ルチアは扉に飛びつくように走って行って、扉の小さな小窓に嵌められた格子を掴んだ。スメラは看守が扉の鍵を閉めた後、小窓から顔を覗かせた。

「どうしたの…?」

「イーデは…、イーデはどうしてるか、ご存知ですか。」

 ルチアは縋るような目で、スメラを見上げた。

 イーデはこの問題には関係ない。だから、たとえ、だれか聞けるような人が来ても、聞かないでおこう、そうずっと思っていた。しかし、これが最後かもしれない。そう思うと、ルチアは無意識でスメラを呼び止めて、イーデの名前を口にしていた。

 スメラは、少し逡巡するように、暫く黙った後、ゆっくりと口を開いた。

「シルヴィーを出た時から、連絡を取っていないから。……分からないわ。」

「そう、ですか。」

 スメラはルチアが黙ったのを見て、一つ頷くと、ゆっくりとその場を後にした。




 もっと、取り乱して、私のこと詰るかと思ってた…。

 ルチアの独房からの出口である長い階段を昇りながら、スメラは小さく溜息を吐いた。

 ルチアがいた独房は、思っていたよりは過ごし辛さを感じなかったが、それでも灰色ばかりの部屋は、気分をより沈ませるような気がした。

 ルチアの顔には、うっすらと隈があったが、それ以外は元気そうだった。だが、シルヴィーにいた時のルチアに溢れていた、覇気や元気さが消えてしまっているのが、スメラは何より気がかりだった。

 だが、今はそれよりも解決すべき問題がある。

 スメラは、階段の残り数段を早足で上がると、外へと出た。スメラは外の明るさに目を細め、目が慣れるまで、腕を翳していた。目が慣れてくると、その視線の先に一人の人物が立っていた。ルチアに嘘を言った事が、少しだけ気が咎める。

「怖い顔、しないで。」

 スメラは自分と同じ金の瞳を持つ彼を見上げた。彼は些か緊張しているのか、息をのんだ。

「ルチアちゃんなら、元気だったわ。イーデちゃん―――」




 数日前、ルチアがシルヴィー村から連行された後、イーデはルチアの家へと訪れていた。

「すみませんでした。」

 イーデはリディアが扉を開けるなり、家に入りもせず頭を下げた。それを見たリディアは、悲しげに微笑んで、首を振りながらイーデの肩にそっと手を置いた。

「顔を上げてちょうだい、イーデくん。…話は中で。ね?」

 そろっとリディアの顔を見上げたイーデは、神妙な顔のまま小さく頷くと、リディアについて家へと入った。

 今、ルチアの家には、彼女の母であるリディアしかいない。この家から、ルチアとシリルを奪った一端に自分もいる、その思いがイーデを支配して、ここ暫く、あまり眠れていなかった。

 ルチアが連行されて数日経った今も、彼女の処刑の噂も、「魔女」の噂も聞こえては来なかったが、もう帝都に着いていい頃なのを考えると、今ルチアがどうしているか、生きているのかさえ分からなかった。

 リディアは固くなったイーデを椅子に座らせると、黙ったままお手製のハーブティーを淹れて、イーデの前に置いた。

「ここ暫く、眠れていないんじゃない? 酷い顔しているわ…。」

 そう言って優しく微笑むリディアを見て、イーデは胸が詰まって泣きそうになった。こんな時でなかったら、自分の母にするように縋って泣いてしまっていたかもしれない。しかし、イーデは浮かんできた涙を袖で拭うと、大丈夫です、と首を振った。

「僕のことはいいんです。……今回のこと、ちゃんと、僕の口から説明しなきゃって、だから。」

 イーデは膝の上で拳をきゅっと握って、ぽつぽつとあの日の事を、詳細は話せなかったものの『柱』の調査を依頼されていた事、『柱』の異変、そして、シリルを助けるためにルチアが魔法を使った事を話した。

 一通り話し終わり、イーデはいつの間にか詰めていた息を吐いた。リディアはイーデの話を穏やかな顔で、頷き聞いていた。リディアはイーデの予想のように激昂するでも泣くでもなく、始終穏やかな顔をしていた。そして、イーデの頭をぽんぽんと撫でると、ゆったりと口を開いた。

「ルチア、後悔してた?」

「え?」

 イーデはじっとあの日の事を思い出そうとした。ルチアはスメラが出てきた後、諦めたように笑っていた。しかし、その目に迷いはあっただろうか。

 イーデはゆっくりと首を振ると、リディアを真っ直ぐ見つめた。

「僕には、そうは見えませんでした。」

 リディアはその答えを予期していたように、微笑んで頷いだ。

「ならあの子は、あなたは勿論、誰のせいでもないと思っているだろうし、私もそう思うわ。だから、あなたが気に病むことはないのよ。」

「でも……。」

 イーデもリディアの言には異存は無かった。きっとルチアは、誰のせいでもないと言うだろうし、イーデが謝れば、許してもくれるだろう。

 だが、自分は自分を許せるのだろうか。自分がもっと強ければ、最初に自分がシリルを取り返せていれば、こんなことにはならなかったはずだ。イーデはリディアの言葉を鵜呑みにして、ルチアの事をきれいさっぱり忘れる事は出来そうもなかった。

 イーデは、冷めてしまったハーブティーをあおると、すくっと椅子から立ち上がった。

「僕、行きます。」

 リディアはそんなイーデを見て、心配げに目を伏せた。しかし立ち上がって、出て行こうとするイーデを引き留めるように、イーデの手を握った。

「イーデくん。…後悔は、しない?」

 リディアはまるで、イーデがこれから何をしようとしているのか、分かっている様だった。イーデは、自分の手を握るリディアの手を握り返すと、ゆっくりと頷いた。

「今動かないと、後悔します。」

「……わかったわ。身体に気を付けてね。」

 イーデはリディアにしっかりと頷いて、家を出た。両親にはもう話をしてあった。後は、行動するだけだ。

 イーデは家の小屋にいる馬に跨ると、馬に鞭を打った。目指すは北、帝都ルイーゼだった。




 それから数日、馬を走らせ続け、前に来た日程と半分ほどの時間で帝都まで辿り着いたイーデは、予期していたかのように待ち受けていたスメラと再会し、こうして城内を歩いていた。

 ルチアがどうやら生きているらしいのは、イーデにとって本当に喜ばしい事だったが、ルチアには会わせてもらえず、スメラが彼女の様子を見に行くのを、牢の外で待たされていたのはつい先程のことだ。

「それで、どこへ向かってるの?」

 牢から出て来るやいなや、スメラは彼に何も言わないまま、どこへやらと、とことこと歩いて行き、イーデはどうしようもなく、結果、彼女を追いかけていた。

「ヘルデリット様の所。…用事があるんじゃないの。」

「え……。あ、うん。」

 スメラは人の心を読めるんだろうか。イーデは溜息を吐くと前を向いているスメラの横顔を見た。スメラの言う通り、確かにイーデはヘルデに用事があった。

 だが、その前にいくつか、スメラに聞いておきたいことがあった。

「シルヴィーを出た後、帝都に戻らないで、ルチアの監視をしてたの?」

 スメラはちらっとイーデの方を向いた後、無言で頷いた。

 イーデが言っているのは、勿論、『柱』の調査の後、スメラが調査から離脱したときのことだ。

「命令だったから。簡単な報告なら、伝書の魔法で出来るもの。」

 やはりそうだったのか。イーデは小さく息を吐いた。

 あのルチアが魔法を使ったその時に、たまたま出くわしたとは考え難い。となれば、シルヴィー村をわざと一人で出て、ルチアが油断して魔法を使うのを待っていた、そう考える方が妥当だった。

「だったら、僕等の調査を補佐する、と言って来たのは建前だったりする?」

「それは、違うわ。」

 前の質問には何の弁明もしなかったスメラだったが、この質問には、間髪入れずに反論をした。心なしか、心外だと憤慨しているような、そんな気配もあった。

「どちらかというと、貴方達の補佐が主で、監視はそのついで。」

「そ、そう。えっと、疑ってごめん。」

 何でもかんでも疑るのは良くなかった。イーデはそう思って慌てて謝った。冷静になって考えれば、スメラも命令で動いていたわけで、好きでやっていたわけではないはずだった。

 気にしてない、というように首を振るスメラに、イーデはもう一度謝る。

 そもそも、自分の不甲斐なさが原因の一端であるのに、人に当たるのはお門違い。イーデはそう思い至り、少し、しゅんとした様子で、反省していた。

「着いたわよ、イーデちゃん。」

 イーデは、人生二度目のヘルデの部屋の扉を見つめ、ぐっと手を握り締めた。

 そんなイーデの緊張を知ってか知らずか、スメラがいつもと変わらぬ、おっとりとした声で、彼の名前を呼んだ。

「イーデちゃん。ヘルデリット様は、魔女の摘発の為に、私に監視を言いつけた、わけじゃないと思うの。……気を付けてね。」

 イーデはその言葉を、どう受け止めてよいか分からないながらも、スメラにしっかりと頷いて、部屋の扉を叩いた。




「ん……?」

 ルチアは外から微かに漏れ聞こえる、人の声に目を覚ました。上を見上げると、太陽は出ているらしく、日は差し込んでいたが、いつも起きる時間よりはまだ早いような気がした。この時間なら、看守たちが起きているぐらいで、普段ならもっと静かなはずだ。

 ルチアは身体を起こすと、座りなおして、じっと扉の方を見て様子を窺っていた。

 しかし、暫くすると静かになったので、囚人の一人が暴れたか何かだと判断し、ルチアは扉から目を逸らした。

 昨日、スメラがここへ訪れたあの時には、イーデのことに気を取られ、深く考える暇が無かったルチアだったが、今は彼女が去り際言った「もう暫くだから」という言葉が気がかりになっていた。

 一体、何が「暫く」、なの…?

 死刑の日取りか、それとも―――

 ルチアは小さく首を振ると、溜息を吐いた。考えても仕方のない事だ。

「―――?」

 しかしルチアは、突然ぱっと顔を上げて、扉の方を見た。つい先程、静かになっていた廊下から人の声と、慌ただしく走ってくる足音が聞こえた。

 そして、鍵をガチャガチャと開けると、勢いよく扉が開いた。ルチアはその先にいた人物を見て、思わず立ち上がった。

「ルチア!」

 鍵を開けていた看守をすり抜けて飛び込んできた人物は、ルチアの前まで走ると、その存在を確かめるように、両手でルチアの顔を包んで、その目をじっと見つめた。

「イ、イーデ……、本当に? 何で、ここに?」

「ルチア、よかった。思ってたよりは、元気そうだね。」

 突然のイーデの登場に動揺しているルチアに、イーデはにっこりと笑う。

「牢から出られるよ、ルチア。遅くなってごめんね。」

「え……。」

 ルチアはイーデのその言葉に、呆然と彼の顔を見た。牢から出られる。それはつまり、一連の騒動は不問という事だろうか。罪に問われることなく、外へと出られるのはもちろん嬉しい。だが、それよりも、もっと強く疑問が浮かんだ。

 イーデは早々にルチアを連れだって牢を出ようとしていたが、ルチアはそれを引き留めるように、彼の服を掴んだ。

 服が引っ張られたのに気が付いたイーデは、驚いて後ろを振り向いた。

「何を、……何を、したの?」

 ルチアはぎゅっとイーデの裾を強く握った。

 ここに入ってから、直接、死刑だと言われた事は無かった。だが、シルヴィー村で別れたはずのイーデがここにいて、出られると伝えに来た。イーデは、この一件の数少ない関係者だ。この状況で、手放しで喜べる人がいるだろうか。

「……何も。何もしてないよ。」

 イーデは笑顔を崩さないまま、ルチアを見て微笑む。そして、服の裾を掴むルチアの手を離そうとしたが、ルチアはそれを押しとどめるようにして、イーデの左手を取った。男のものとしては細いその指に、今まで無かったはずの硬い感触があった。

 そのイーデの左手を顔の位置まで持ち上げて、ルチアはイーデを睨むような、しかし、今にも泣きだしそうな潤んだ目で、イーデを見上げた。

「嘘よ。なら……、これは何? ただのお洒落だ、なんて、言わせないわ。」

 イーデの左手小指には、小さな指輪が嵌っている。指輪には銀の輪に小さな、赤と青の石が二つ付いていている。

 初めて見る指輪、だがルチアは、いつもよく似たものを見ていた。形は違うが、同じ左手小指。シリルの手に輝いていた石とこれは、よく似ている。

「イーデ、本当のこと言って。お願い……。」

 イーデは、自分の左手を両手で握り締めて、それを額に当てて微かに震えるルチアの背に、手を添えた。

 暫く逡巡しているのか、黙っていたイーデは、小さく頷いて、分かった、と言い、彼女を連れて牢の外へと出た。

 そして、そのまま歩きながらポツリと言った。

「僕は、陛下と契約を、してきたんだ。」




 スメラがルチアに会いに行った日のこと。スメラと別れた後、イーデはヘルデの部屋へと訪れていた。確固たる意志を持ってきたはずのイーデだったが、緊張で何から言っていいか分からず、直立したまま固まっていた。目の前にいるヘルデは、入ってきたイーデを一瞥した後は、イーデから話を切り出すのを待つかのように、何も言わず黙々と机に向かっていた。

 もともと口が達者な方ではないので、言い負かす自信は無かったが、ここまで出てこないものかと、イーデは内心焦りを感じていた。何から言っていいのか分からない。

 イーデは緊張を解そうと、大きく息を吸った。黙っていても仕方がない。イーデは言葉を探すのを止めて、思った事をそのまま口にすることを決めた。

「ルチアを、ルチア・エルストルを、解放してください。」

「……ほう。」

 イーデは真っ直ぐヘルデを見つめた。頭を下げることも、目を伏せることもしなかった。

 その態度が意外だったのか、ヘルデは面白そうに目を光らせると、イーデの方を向いて、顎の下で手を組んだ。

「それは私に何の利点がある? ……ルチア・エルストルは、私にとって利用価値がある。だが、それを手離すのだとしたら、…それ相応の見返りが必要だと思わないか?」

「それは……。」

 イーデは迷うように口籠った。

 そもそもルチアの利用価値とは何だろう。イーデは、ルチアは魔女として断罪されるのを待つばかりだと思っていた。だが、それを利用価値と呼ぶのか。それとも何か、自分の知らない『価値』があるのだろうか。

 イーデは、少し迷った。自分が彼に差し出せるもので、彼がルチアの代わりに受け取るものがあるのだろうか。

 だが、もう後戻りは出来ない。

 イーデは心を決めた。

「なら、僕を好きにしてください。僕の命でも、何でも、差し出せるものは全て。…ルチアの為なら、安いものです。」

「なるほど。」

 ヘルデは、イーデの決意の目を見てにやりと笑うと、立ち上がって、イーデの前まで来た。

 イーデはごくりと唾を飲み込んだ。ルチアの代わりに殺されるのだろうか。

 だが、次にヘルデが告げた言葉は、イーデの予想と大きくかけ離れたものだった。

「良いだろう。……私と「契約」をせよ。」

「は……?」

 イーデはヘルデの言葉が理解できなかった。「契約」とは何の契約だろうか。ただ、「契約」と言うとき、それが意味するのは精霊と人間が交わす、つまりルチアとシリルが交わしている契約だが、人間と妖精が交わす契約など、イーデは聞いたことが無かった。

 ヘルデは、意味が分からず呆然としているイーデの左手を取り、ふっと笑った。

「分からないか? 精霊と人間が交わす、あれだ。」

「!」

 なんとも言えぬ恐怖を感じたイーデは、ヘルデに捕らえられた左手を、とっさに抜こうとした。だが、ヘルデはその手をがっちりと掴み、放さなかった。

「心配することはない。お前は今まで通り魔法を使えるし、変化はほとんど無い。……それに、お前に拒否権は無いはずだが。」

 イーデは、その言葉にはっとして、抵抗を止めた。ルチアの身代わりになって、死んでも良いとさえ思っていたのだから、考えれば安い対価かもしれない。

 ヘルデは、大人しくなったイーデの手を持ち上げて、小指の付け根付近を口元に持っていった。

「人間と妖精の契約は、何か媒介になるものを経由して、契約をするらしい。この場合……血、だな。」

「いっ―――!」

 ガリッという音と共に、イーデが凄まじい痛みを感じて指を見ると、自分の小指から、血がぱたぱたと流れ落ちていた。どうやら、ヘルデが歯で噛み切ったらしい。

 そして、ヘルデも自分の手の同じところで、同じように血を出すと、傷口同士をくっつけた。

「………!」

 傷が指を付けることで、結果的に広がっているにも関わらず、不思議と痛みは消えていって、感じなくなった。それよりも、イーデはその小指の傷口から、ヘルデの血、いや魔力が身体に流れ込んでくるのを感じた。

「……これでいい。」

 ヘルデが指を離すと、傷口からプクッと血が出て、それが指をぐるりと一周した。そしてそれが、指輪のような形をとったと思うと、その血はすっと消えていった。後には、銀の輪に赤と青の石が付いた細身の指輪がだけ残り、何故か傷は消えていた。

 ヘルデはそれを目に留めると、面白そうに目を細めた。




「これで、良かったの? イーデちゃん。」

 ルチアをシルヴィーへ送り返すための馬車を見送ったのは、つい先程のことだ。ルチアを迎えに行った時から、黙って二人を見ていたスメラは、ゆっくりとイーデへと近付いて来た。

「……分からない。」

 ヘルデとの契約の話を聞いた後のルチアは、ショックを受け泣きじゃくっていた。

 本当は、ルチアにこの契約のことを言うつもりは、イーデには無かった。何も知らないルチアとシルヴィー村まで行って、何も言わずに姿を消すつもりだった。

 そうすれば、ルチアはあのままシルヴィー村で生きていくかもしれないし、もし再会しても、ルチアの出獄とイーデの契約の因果関係には気が付かないだろうと、イーデは考えていた。

「………イーデちゃん。多分、ルチアちゃんは、帰ってくるわよ。」

「そうかな…?」

 確信しているような声音で話すスメラは、じぃとイーデを見た後、小さく肩を竦めた。

 分からないのか、と言いたげなスメラを見て、イーデははてと首を傾げた。




「ああ、もう、何で開かないの!」

 ルチアは馬車の扉につけられた取っ手を、がちゃがちゃと動かした。しかし、扉には外から鍵がかかっているらしく、いっこうに開く気配は無かった。

 ルチアは、はぁと溜息を吐くと、馬車の座席にドカッと腰を下ろした。行きにスメラに連行された際、乗っていた荷馬車のような馬車とは違い、簡素ながら、ちゃんと人が乗る用の馬車なのか、座席が付いている。

 行きに比べると、随分な昇格だったが、今のルチアにはそれを楽しむ暇もなく、一心に扉の鍵と格闘をしていた。だが、小一時間そんなことをしていると、さすがに疲れが出て来る。

 朝早くにイーデに馬車へ押し込められたルチアは、暫くはめそめそとしていたが、そんな風にしていたのはほんの少しの間で、すぐにふつふつと怒りが湧いてきた。

 ルチアは思った。出してくれたのはありがたいが、自分に断りも無く勝手にヘルデと契約したうえ、ほとんど何の説明もないまま、馬車に放り込むとは、どういう了見だと。

 ということで、ルチアはイーデにもの申すため、脱走を図ったというわけだ。しかし、外鍵に阻まれ、今も帝都に舞い戻ることは出来ていない。

「あと出来ることって言ったら、出来るわけないけど、燃やすぐら………。ん? 燃やす?」

 ルチアはちらりと何かが引っ掛かったような気がして、じっと考え込んだ。燃やすには、火魔法を使わなければ。火魔法を使うには、精霊の力が必要だ。

 暫く考え込み、違和感の正体に気が付いたルチアは、カッと目を見開いて叫んだ。

「あ―――! シリル! 忘れてきた!」

 しばらくは、わたわたと焦っていたルチアだったが、はたと動きを止めて、考えた。

 むしろ、好都合かもしれない。これで俄然、帝都に戻る必要が出来たのだ。

 ルチアはむんと気合を入れると、もう一度強情な扉に向き合った。

 床に座り込んで、ルチアは腕を組んでじぃっと扉を見た。

 ようするに、扉の鍵が開けば外に出られる。だが、馬車に放り込まれたのは朝方だったにもかかわらず、外の景色を見るに、もうだいぶ日が高い。つまり、帝都から、ある程度は離れている。ならば、歩いて行くわけにもいかないので、足が必要だった。帝都までの足は、ルチアとしてはあまり用いたくなかったが、馬車なのだから、馬がいる。

 ルチアは、よし、と頷くと、扉に手を当てて目を閉じた。手段を選ぶつもりはなかった。

 ルチアは、扉の外鍵の付近で風を操って、鍵の形状が南京錠だと悟ると、それを切断して、錠を外した。そして、扉がいつでも開く状態にすると、次は、御者のいる方へと意識を向けた。馬は三頭で、うち一頭くらい頂戴しても、問題は無さそうだった。ルチアは内一頭の馬と馬車を繋ぐ留め金を、取れない程度に緩めてから、ルチアは目を開けた。そして、御者に通ずる小窓を小さく叩いた。

「気分が悪くなったので、少しの間だけ停めてもらえませんか?」

 外にいた御者は、不承不承と言った様子ながらも、馬車の速度を緩めていった。そして、馬車が完全の止まった時、ルチアは馬車の扉を蹴破って、急いで留め金を緩めた馬に飛び乗る。そして、その留め金を蹴り壊した。

「ごめんなさい!」

 ルチアはそう叫ぶと、馬に蹴りを入れて、帝都の方へと走り去っていった。




 ルチアと共に帝都へと送還されていたシリルは、何故かヘルデに呼び出され、小さな鳥籠のようなものに入れられて、彼と二人きりになっていた。

 先程から何言か言葉を交わしてはいるものの、シリルの眉間に刻まれた皺は、ますます深くなるばかりだった。

「この性悪!」

「何とでも言えばいい。」

 シリルの精一杯の罵倒も、ヘルデはどこ吹く風と言った様子で受け流し、シリルの方を見もしなかった。

「イーデに契約させてまで、ルチアを解放したのに…、私を解放しないなんて! ルチアを戻ってこさせる魂胆なんでしょう!」

 シリルがこの部屋へと連れて来られ一番に聞かされたのは、帝都に連れて来られて以来一度も会っていないルチアが、解放されるまでの顛末だった。

 シリルは少しでもヘルデの気を引こうと、金属でできた籠をガシャガシャとさせている。ヘルデはそんなシリルを鼻であしらうと、ようやく手を止めて、シリルの方を見た。

「お前の解放は求められていないからな。それのどこが悪い。」

「ああ、もう! だから性悪ってんのよ!」

 確かにヘルデの言う通りなのだが、精霊使いと精霊が一緒でない、と誰が考えるだろうか。きっと、イーデもそのつもりだっただろうし、ルチアも今頃大慌てで、御者にでも文句を言っているのではないだろうかと、シリルは思っていた。

「一体、何が目的なのよ。」

 ルチアに罪を償わせねば気が済まない、とでも言うのだろうか。

 シリルは一通り叫び終わり、少しは冷静になって問いかけた。シリルには、ルチアを解放したことにして、またもう一度帝都まで来させる意味が分からなかった。

 ヘルデは何かを嘲るような顔で、ゆっくりと首を振った。

「別に。……私は臆病でね。確信が欲しいんだ。」

「確信……?」

 シリルは、どういうことだろう、と首を捻ったが、ヘルデの表情からは、何も読み取ることは出来そうもなかった。

 シリルがどういう事か、問いただそうと思った時、ヘルデがふいに顔を上げて、部屋の扉の方を見た。

「……お喋りは終わりだ。思ったより早かったな。」

「え……?」

 シリルはヘルデの視線を追って、扉の方を振り返った。そして、その瞬間、部屋の扉がノックも無しに、勢いよく開いた。

「―――シリルを帰して下さい!」




 馬車から馬を強奪した後、なんとかその日の夕方頃に、ルチアは帝都へと到着していた。

 馬車から強奪した馬に振り回された後、ヨレヨレになりながらも、なんとか城までたどり着き、ヘルデの部屋へと向かっていた。

 シリルが今どうしているかが、ルチアは心配でたまらなかった。

 頭が多少どころでなくズキズキと痛むが、気にはならなかった。

 そう。来るまで暴走馬に振り回され、挙句の果てに、振り落とされて頭をぶつけた事など、今のルチアにとっては些末な事だ。

 イーデにも何か一言言わねば、と思っていたルチアだったが、こちらの方がはるかに重要だ。ルチアはヘルデの部屋を見つけると、ふうと息を吐くと、ギッと睨むように扉を見た。そして、ノックもせずに、扉を蹴破るように開けた。

「シリルを帰して下さい!」

 そう言って部屋へと飛び込んでいったルチアは、籠に入れられたシリルを見つけると、彼女の所まで、一目散に駆け寄った。ルチアが籠を持ち上げ、目線の高さまで持ってくると、シリルもほっとしたような表情で、手を伸ばしてきた。

「シリル、怪我は?」

 シリルはルチアの顔を見て、緊張が解けたのか、へたっと座り込むと、籠の格子にかかったルチアの指を、ぎゅっと抱きしめた。

 ルチアは、むしろ前に会った時よりもずっと元気そうなシリルに、ほっと息を吐いた。

「大丈夫。ルチアこそ、そのおでこ…どうしたの?」

 ルチアの額の中心には、先程ぶつけた、赤く擦りむいたような傷がある。ルチアは嫌な事を思い出したと、渋い顔で額に手をやった。

「ちょっと、馬から落ちてね…。」

 それを聞いて、呆れた顔になったシリルを、ルチアは目で制すると、気を取り直して、ヘルデの方を向いた。

「で、シリルを帰してくれないんですか。」

 ルチアとシリルが、もう少し長く感動の再会を続けると判断したらしく、早々に仕事に戻っていたヘルデは、ルチアに話しかけられると、再び手を止めて、彼女の方を見た。

「ああ、彼女はもう、閉じ込めておく理由も無い。お前に返そう。……だが、ルチア・エルストル。お前は別だ。」

「え……?」

 ルチアはシリルの入った籠を抱えたまま、じりっと後ずさった。

 イーデが契約で手に入れたのは、「ルチアの解放」のみだ。ルチアは、やはり魔女として罪を問われるのだろうか、と思った。

 ルチアの目には、ちらちらと恐怖の色が浮かんでいる。ヘルデは、ルチアの顔を見て、にやりと笑った。

「取引をしよう、ルチア。お前は、今後、魔女として処刑されることは、絶対に無い。……ただし、お前の火と風の力を、生涯、私の為だけに使え。これが、条件だ。」

「それは……。」

 とても魅力的な条件に見えた。もう、魔女と言う単語におびえる事も無く、元来の夢であった、中央で働くことも、叶う。

 だが、イーデと自分の解放と引き換えに契約をし、シリルを閉じ込めていた人物の申し出に、あっさり頷くのは、ルチアの矜持が許さなかった。

「何故、私なんですか。」

「理由が必要か?」

 ルチア自身、理由が本当に聞きたいのか分からなかった。ルチアは、是とも否とも答えなかったが、ヘルデは手を顎の下で組むと、ゆっくりと口を開いた。

「理由なら簡単だ。私は今、一人でも多くの手駒が欲しい。裏切ることのない駒が。…どういう意味か、分かるな。」

 ルチアは小さく頷いた。

 魔女であることは、ルチアにはもう変えられない事実だ。それを弱みとして握れば、裏切る可能性は格段に減る。さらにルチアが仮に裏切れば、父ディルバの立場も悪くなるだろう事を考えれば、なおさらだった。

 だが、あまりにも素直に、取り繕うことなく言うその姿に、ルチアはいっそ清々しいものを感じた。

 悪くないかもしれない。ルチアはそう思った。

 ルチアはきゅっと唇を引き結ぶと、シリルの入る籠を脇に置いた。シリルは中から、心配げにルチアの様子を窺っていた。それに、ルチアは軽く微笑むと、静かにヘルデに向かって膝を折った。

「その申し出、お受けいたします。我が力、生涯にかけ、陛下のみに捧げます―――」

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