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剣の名の下に  作者: 朝倉ひかる
第一章
9/16

第9話

 それなりに離れた場所で起こった出来事だというのに、その光量の凄まじさに目を眩まされていたヴェルが、次に目を開けたとき見た光景は言葉を失うに相応しいものだった。

 瓦礫と、半壊以上の建物ばかりであったその一帯。ルクタ村という小さな村で、人々が慎ましい生活を送っていた名残は欠片もなくなり、その場だけが更地のように何もない空間となり広がっている。

 目を閉じる前までは確かに存在していた家屋やその残骸は、一体どこに消えてしまったのか……それを推し量るには充分すぎるほどの痕跡が、その場には残されていた。

 凄まじい衝撃が駆け抜けたのであろう、深く地面を抉った跡は村を突き抜けその先にある森にまで一直線に達しており、高熱に焼かれて焦土と化した地面は煙を上げている。

 先ほどの光に視界を奪われている間、そこにあったものは全て吹き飛ばされたのだろうという理解と、仮借無い破壊の痕跡にただ驚き、唖然とする他ない念。相入れないその二つが胸のうちに居座ることにより、ヴェルはしばし呆然とそこにある光景を瞬きもせずに眺めていた。

 そんなヴェルをはたと我に返らせたのは、近づいてくる一つの気配。

 視線の先―――遠目にも眩く輝いているということが見て取れるその光。

 それが、こちらに向かって近づいてきているのだと悟った瞬間。

 どくん、と心臓の鼓動が大きく跳ね上がった。

 意志とは関係なく体が震え出し、歯の根が合わず、がちがちと音を鳴らす。

 ヴェルを一瞬のうちに恐怖で支配した存在―――白い異形は、そんな様子など構うことなく歩を進め、こちらに近づいてくる。

 怖い……嫌だ、来ないでくれ。

 出来れば叫びだして逃げ出したいが、体はまるで自分のものではなくなってしまったかのように震えるばかりで動かない。声は喉の奥に引っかかってしまって一言も発することができなかった。

 早鐘を打つ胸の鼓動は、白い異形が近づいてくる度により加速しているような気がした。

 これ以上接近されたなら、限界を越えて爆ぜてしまうのではないだろうかと思った矢先、白い異形の足が止まる。

「―――私が怖いか? ヴェル」

 懐かしい声が、聞こえた。

 その声を耳にした途端、体の震えが嘘のように止まり、全身を縛り付けるかのようだった恐怖がさあっと霧散して消えていく。

 破裂せんばかりだった胸の鼓動も収まり、全てにおいて落ち着きを取り戻したヴェルの視線と白い異形の視線とがかち合う。

 双眸の中に浮かぶ瞳は銀。一見、刃のように鋭く冷たく見えるが、その眼差しはどこまでも静かで穏やか―――そんな目をした人を、自分は知っている。

「私は―――」

 記憶にある、耳に心地よい声が更に言葉を続けようとした時。

「化け物、よ……」

 不意に聞こえてきた、くぐもり濁った声が白い異形の言葉を遮る。

 声がした方向に、ヴェルと白い異形は同時に視線を向けた。

 白い異形の立っている場所から遙か後方―――そこにいたのは右の半身と腰から下を失った状態の、〈王者〉虐食だった。

 残された左腕を使い、ずる、ずる、と地を這いながら近づいてくるその姿には、以前の華やかな美貌の面影など欠片もない。

 高熱に晒された皮膚という皮膚は焼け爛れ、顔の右側は無惨にも変形し、眼球が飛び出している。遠目からでもおぞましい姿になり果てていることが見て取れた。

 生きているのが不思議な状態……といっても、その体は損失した箇所から徐々に灰色に染まりボロボロと崩れている。余命は幾ばくもないのは明らかだが、虐食はそんな自身のことなど気にも留めずに、残り少ない命数を削るようにして白い異形を指さしながら更なる言葉を発する。

「あなた、は……、アタシと同じ……いいえ、アタシ以上の、化け物、よ……」

 これだけ距離が離れていて、大声を発したわけでもない―――むしろ風に吹かれたなら消えてしまいそうな音量だというのに、虐食の発する一言一句は余さず白い異形とヴェル、両者の許まで届いていた。

 囁きよりもなお小さな声に込められた、底抜けの呪詛と怨嗟が、通常聞こえるはずのない言葉を聞き逃しようのないものとしている。

 虐食に向けていた視線を白い異形へと移し、ヴェルは胸中でその言葉を繰り返す。

 ―――同じ? あの〈王者〉と同じ、化け物―――

 自身への問いかけに返ってきたのは、体の奥底から湧き上がってきた、強烈なまでに否と唱える内なる声。

 それは逆らいがたい衝動となって、ヴェルに取るべき行動を促した。

「―――違う」

 気づけば口から、言葉がこぼれていた。

 虐食と白い異形の視線がヴェルに向けられる。双方に注目されながら、更に言葉を紡ぐ。

「同じなんかじゃない……。お前なんかとは違う、絶対に違う!」

 言っている内に感情が高まり、最後は断固として言い放ったヴェルは、両足に力を込めて立ち上がろうとした。

 途端に、今まで意識の外に追いやられていた腹部の傷が悲鳴を上げるように痛む。

 それでも苦痛に顔をゆがめ、息を止めながら何とか立ち上がったヴェルを、虐食は侮蔑も露わに鼻で嗤った。

「いいえ! 違わないわ! ……そう、あなたももう人間じゃなかったわよね。あなたも同じ、アタシたちみんな同じね!」

 耳障りこの上ない、もはや奇声に等しい金切り声を張り上げていた虐食を、不意に衝撃が見舞う。

「ぎゃべらっ!」

 奇怪な断末魔を上げて空中に舞い上げられた虐食の体は、そのまま灰塵となって散り、二度と地に落ちてくることはなかった。

 虐食に止めの一撃を繰り出した体勢から、白い異形はゆっくりと構えを解く。

「化け物、か……」

 呟いたその声は虚ろな、怒りも悲しみないがらんどう。それ故に酷くヴェルの胸を突いた。

 出来ることならば、すぐにでもその側に駆け寄りたかった。だが、はやる気持ちとは裏腹に、負傷した体は言うことをきかない。

 それでも無理矢理に一歩を踏み出す。途端に腹部の傷から全身へと激痛が駆け抜けた。

 気が遠くなるような痛みに耐えながら二歩、三歩と進めたところで、がくんと膝が折れる。

 しかし、ヴェルの体はそのまま地面に倒れ込むことはなかった。

 萎えた脚の代わりに体を支える腕―――ヴェルが転倒するより先んじて駆けつけた白い異形が、そこにいた。

 ―――違う。この人は、この人は……

 見上げたヴェルと視線を合わせた瞬間、逃げるように逸らされる銀の瞳。

 そのまま身を引いて距離を置こうとした腕を、ヴェルは掴んで引き留めた。

 逸らされていた銀の瞳が、驚いたように自分を見ているのを感じたが、ヴェルは俯いたまま顔を上げられなかった。

 掴んだ腕の硬く冷たい感触。

 それが今、間近にいて自分を支えてくれているこの人が、決して人ではないことを証明している。

 けど、それが何だというのだ。

 どんな姿になっても、この人がこの人であることには変わりないのに……それなのに。

 自分はこの人のことを、怖いと思った。

 こんな姿になってまで助けてくれた、守ってくれたこの人に、恐怖を感じた。

 今更どんな言葉で取り繕うとも、虐食と同じく、自分はこの人のことを化け物だと言ったも同然である。

 そんな自分の弱さが、情けなさが、悔しくて悲しくて、涙が止まらない。嗚咽が止まらない。

 咽び泣きながらくず折れそうになったヴェルに、再び伸ばされる腕。

 背中に回された手が、戸惑いを含みつつも慰めるようにそっと背を撫でさする。

 その優しい感触に促されるように、ヴェルは止まることのない涙を流し続けた。



 頬をくすぐる風の感触が、意識を眠りの底から引き上げる。

 いつの間にか眠ってしまったらしい。

 日はとっくに沈み、辺りは闇夜に包まれている。

 ……自分は、夢を見ていたのだろうか。

 そう思いかけたが、目の前に広がる凄惨な光景が全て現実であることを物語っている。

 夜の暗闇ですら隠しきれないほどに、かつての面影を失った村の跡地―――

 いや、本当の闇夜であれば全てを暗く覆い尽くし、自分は本当に夢を見ていたのだろうと思いこむことも出来たかもしれない。

 そう思うことが出来ない理由を、ヴェルは夜空を見上げて知る。

 今夜は満月だ。

 太陽の代わりに天高く上った月は、陽の光とは違う優しい月明かりで地上を照らしている。

 そんな月をぼんやりと眺めていたヴェルだったが、不意にはっと我に返った。

 辺りを見回すが、誰もいない。ここにいるのは自分一人。

 居ても立ってもいられなくなり、慌てて立ち上がったところで、ふとあることに気づき、視線を下に向けたヴェルは驚愕に目を見開く。

 確かに穿たれたはずの腹部。そこにあるはずの傷がなかった。

 手で軽く押さえてみるが、痛みはもちろん傷を負った痕跡すらない。

 まるで負傷したことが嘘であったかのようだが、そうでないことは局所的に破けた衣服と、流れ出た血の跡が証明している。

 何故、と考えかけて止めた。

 いまはそれよりも優先することがある。

 軽く頭を振り、答えを見出せなかった疑問を振り払ってから、ヴェルはその場より歩きだした。



 目当ての人の姿を見つけるのは、案外簡単だった。

 辺り一面、障害物となりうるものがほぼ無いような状態なのだから、捜し当てるのに何ら苦労もいらないのは当然である。

 激戦の跡地に、一人佇むその後ろ姿を見つけた途端、ヴェルは駆けだしていた。

 しかし、距離が近づくにつれて駆け足は徐々に速度を落としていく。

 見つけられたことへの安堵もあるが、それよりも躊躇いが無意識にヴェルの脚を遅くさせている。

 気づけば完全に歩いていた。

 それでも一歩を踏み出すごとに距離は縮まっていく。

 そして、充分に声の届く範囲まで歩み寄り、ヴェルが口を開こうとした時、

「傷はもういいのか?」

 振り向くことなく、唐突に訊かれて、驚いたヴェルの足がその場で止まる。

「う、うん。もう、大丈夫みたい……」

 出鼻をくじかれる形となってしまったが、気を取り直し、もう一度口を開こうとしたところで自分が何の言葉も用意していなかったことに気づいた。

 訊きたいことは沢山ある。だが、何から訊けばいいのか、どのような言葉で訊けばいいのか、わからなくて沈黙しているヴェルの前で、翡翠がゆっくりと振り返る。

 翡翠の衣服は酷い様になっていた。あちこちが破れ、流した血で赤く染めあげられているが、その下の、暗がりの中でも浮かび上がりそうなほど白い肌には傷一つないようである。

 そこでヴェルは、ふと奇妙なものを見つけて目を二度三度と瞬かせた。

「翡翠。それ、何?」

 思わず指さして訊くと、翡翠は自身の体を見下ろして首を傾げる。

 その様子は、ヴェルの質問を不思議がっているように見えた。

 ヴェルが指さした箇所―――そこには本当に奇妙としかいえないようなものがある。だが、決して形容しがたいものではなく、それどころかヴェルだってそれが何であるのかは知っている。……そんなじろじろ見たことはないけれど。

 だが、それが翡翠の体にあるのがおかしい。自分と同じ性別なら決してあり得ないはずのものなのだから。

 しかし、肩からわき腹にかけて大きく切り裂かれた服の隙間からは、たしかにそれが存在しているのが見て取れて……

 つまり、それの意味するところは―――

「ひ、翡翠……、女の人だったの!?」

 驚愕の事実を知り上擦ったヴェルの声が、静まり返ったその場に大きく響いた。

「……今まで何だと思っていたんだ」

 目を眇めて言う翡翠は、怒っているというより呆れている様子である。

 そんな馬鹿な。何かの間違いではないかと、まじまじと見つめるが、どれほど凝視しようとも現実は変わらない。

 はたと、自分がとんでもなく失礼なことをしていることに気づいたヴェルは慌てて首ごと視線を逸らした。

「翡翠、これ……」

 視線を逸らしたまま、あたふたと脱いだマントを翡翠に差し出した。

 少し血で汚れているし、ヴェルの背丈に合わせたものなので大きさが合わないだろうが、それでもないよりはましなはずである。

 翡翠が、そんなヴェルの意図を汲むまで一拍の間がかかった。

 ゆっくりと歩み寄り、差し出されたマントを手に取る。

 翡翠がマントを羽織っている最中も視線を逸らしたままだったヴェルだが、おそるおそるといった感じで視線を向けると、翡翠はすでに背を向けて、元々立っていた場所に戻っていくところであった。

 翡翠が、女性だったなんて……

 遠ざかっていく背中を見つめるヴェルは、まだ信じられない思いでいた。

 山ほどあった疑問は、予期せぬ衝撃の事実の前に全てすっ飛んでしまい、先ほどまでとはまた違った理由でヴェルを沈黙させている。

 切り裂かれた衣服の下から覗く、翡翠の肌の白さが頭に焼きついてしまったかのように離れない。

 鎮まらない頬の火照りに戸惑いながら、わざとではないとはいえ、ここは一言謝った方がいいのではないかと半ば本気で検討しかかっている時である。

「……わからないんだ」

 唐突に、誰に言うでもなく独り言のように翡翠が呟くように言った。

「私は自分のことが何もわからない。……名前以外、全て」

「―――え?」

 翡翠の突然の告白に、ヴェルは小さな声を漏らした。

「どこで生まれたのか、それまでどうやって生きてきたのか、……妖刀を手に入れた経緯も、その銘すら、まるでわからない。覚えていない」

 ヴェルに背を向けたまま、翡翠はさらに言葉を続ける。

「同じ妖刀を持つ者を追っていれば、いつかは何かを思い出すことになるかもしれないと、狩人になった。……もう、随分と昔のことだが」

 翡翠が今、どんな顔をしているかは見えない。

だが、その声に込められた響きは、遠い昔に想いを馳せているようである。

それは、悠久にも近い時間を生きてきた者の、追憶の呟きであった。

「〈破王〉でもない、〈王者〉でもない……私は一体、何者なのだろうな」

 問いかけるように、翡翠は夜空を見上げる。

 だが月は、翡翠に答えをもたらすことはない。

 夜空に浮かんだまま、地上にいる二人を楚々とした光で照らすばかり。

 ただ、それだけだった。

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