第一章 其の4
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「あ、とうさん、お帰り」
玄関先で我が家の大黒柱、風間恭二と出くわした。
ひょろりと細いとうさんだが、これでも"鬼の風間"と仲間や犯罪者に恐れられている名刑事だ。腕前だって鬼レベルである。
「なんだ忍、また失恋か?」
「……とうさん、息子のピュアなハートをズタズタにして楽しいの……?」
そーゆー軽い言葉が家庭崩壊に繋がるんだからな。
「それはすまん。かあさんは帰ってたのか?」
ったく。もうちょっと息子に関心持てや。
「さあ、どうだろうね? 出るときはいなかったと思うよ」
あのかあさんだ。視界に入っていたら無視させてはくれんだろう。
家に入り靴を確かめる。
「まだみたいだね」
我が母、風間八重子は、私立探偵を生業としている。
殺人事件を鮮やかに解いたことはないが、浮気なら見事に解いている名探偵だ。
「ったく。子供の面倒見ろよな」
グレないおれに感謝(小遣いアップ)しろよな!
「も~! こんな遅くまでどこ行ってたのよ! 料理が冷めちゃったじゃないのよ!」
プンプン怒りながらに加奈美が現れた。
「悪かった。メシにしてくれよ」
素っ気なくいって家に上がった。
もう身も心もクタクタ。相手にできる力はありません。
「もう! あ、おとうさんお帰りなさい。ご飯は?」
「食べてきた。風呂は沸いてるか?」
「うん、沸いてるよ。あ、お兄ちゃんったらまた手を洗わない! ちゃんと洗わないとダメでしょう!」
「ヘイヘイ、わかりやしたよ」
いわれた通りに洗面所で手を洗ってくると、ダイニングのテーブルにはこれでもかってくらいの料理が並べてあった。
「エヘヘ。元気出してもらおと思って沢山作ったんだ」
こんなに食えるかァーッ! と叫べないおれは、黙って席に座った。
「い、いただきます……」
「はい、召し上がれ」
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腹ごなしに部屋でラジオを聴きながらマンガを読んでいると、ドアノブが静かに廻った。
ふっと壁の時計を見れば午前0時前。ならば加奈美以外存在しない。
「えへへ」
風呂にでも入ったのか、ほんのり湯気が立っていた。
お気に入りのパジャマに愛用のマクラを抱え、するりとおれのベッドに潜り込んだ。
毎晩ではないにしろ、加奈美はおれの部屋にへとやってきてベッドを侵略する。
ったく。ここは誰の部屋だ? おれにはプライバシーはないのか? おれにだって思春期あるし、あんなことやそんなことに興味がある年頃なんだ。誰にも邪魔されずに読みたい 『自主規制』があるんだぞっ!
なのに、加奈美ときたら必死で買った『自主規制』を灯油をかけて燃やすし、テレビのお色気シーンですら体を張って隠すほどだ。これで"心の友"がいなければ本当にケダモンになっているところだ。
「……疲れてんだから自分の部屋で寝ろよな」
されどかけ布団からピョコンと顔を出しておれを見るばかり。
そんなしぐさを見れば愛らしいと思えるのに、『可愛いよ』なんていったら『自主規制』になって危険だし、ケンカでもしようなら自殺しかねない。
……我が妹ながら扱いが難し過ぎるぞ……
ベッドの上でミノムシさんになる加奈美ちゃん。なにが楽しいのか笑顔が満点である。
まあ、いつものことだから気にはならないが、ラブラブ光線なら止めてくれ。耐えられるほどおれの理性は強固じゃないんだからさ……。
「ねえ、お兄ちゃん」
突然、声をかけてきた。
「うん?」
「気がついてる?」
「なにが?」
「おとうさん、浮気してるんだよ」
……。
…………。
…………………。
「……なの?」
そういうのがやっとだった。
「うん」
なんとも爽やかに微笑む加奈美さん。なにもいえねェ~~ッ!
「そんなに驚くことないじゃない。不倫なんて珍しくないじゃない。でも、お兄ちゃんはダメだからね……」
冷たい眼光がおれのガラスの心を突き刺してくる。
加奈美なら確実に殺され……って、なに考えてんだ、おれは。妹相手に浮気うんぬんいわれる筋合いはないぞッ!
なんてことはどうでも……よくはないが、今はこっちが大事だ。おれはこれ以上不幸になりたくないぞ!
「んな爽やかに笑ってる場合か! 離婚したらどうする気だっ!?」
「あたしはどっちでもいいよ。お兄ちゃんと一緒なら」
「教育費はどうする? 家のローンはどうする? 片親で大学に行けるほど稼いでないぞッ!」
「なにも両方から貰えばいいじゃない。親には子供を養う義務があるんだからさ」
「…………」
諦めて寝っ転ぶ。口で勝てないから。
「お兄ちゃん、まだ起きてるの?」
「寝る」
今日は終りだ。おれの唯一の自由へと逃げよう。夢の中だけが安らかな世界だ。
……たまに侵略してくるが、現実よりはマシだ。夢なんだからな……
立ち上がり、タンスから着替えを取り出した。
「……布団、温めておくね……」
とろけそうな口調でおれの自制心を攻撃してくる。
「……じっ、自分の部屋で寝ろ!」
「や~ん。あたしならいつでもいいんだよ……」
大急ぎで部屋を出た。
おれがケダモンになる前に……。
読んでもらえて嬉しいです。
ありがとうございました。