第19回:不穏なにおい
ことわられた。
おかげで、タンゴは落ち込んで、帰り道にユーワに話しかけられても快く相槌を返すことはできなかった。
タンゴは集会に良い思い出がほとんどないが、今日のはとびきりだった。せっかく良い考えだって思えたのに。
ここのところタンゴは毎晩悪夢を見る。一度見たあの夢のリフレイン。見るたびに悲劇は凄惨に、生々しく、むごたらしく変わり……。
もう、ユーワが死ぬところは見たくない。死ぬことが免れないのなら、ユーワは、ボクがいなくなってから、死んだらいいんだ。いっそ死ななくたっていい。
ムリだって、言われてしまうかもしれないけれど、できる限りのことがしたい。ただがむしゃらに、そのことばかりを思う。考えるほどぐちゃぐちゃになってしまう頭の中を、精一杯がんばってまとめて、考えをつなぎあわせる。
見離されたボクに希望をくれた、母になってくれたユーワの愛に報いるために。
ユーワのためなら命も投げ出せる。タンゴにとって、ユーワはそんな唯一の人。死ねと言われれば喜んで死にたい。ユーワがいなければ、今の自分はないのだから。
けれど、ユーワはそんなことを望まないだろう。それしか自分が助かる手段がないとしても、決してそれを選ばない。ユーワはそういう人だ。だから、はがゆい。
レンガの敷かれた並木道。空に浮かぶ月は半分。灯りに誘われて、街灯に虫たちが集まっている。
公園のをつっきるいつもの近道を歩いていると、前から人がやってきてすれ違った。黒の山高帽を目深にかぶってトレンチコートを着ためがねの男。この公園は比較的人通りも多く、たまにカップルなども逢引に来る。すれ違うのは珍しくない。ユーワは男に軽く会釈してそのまま公園の出口までたどり着くと、黙っていたままだったタンゴが腕の中で小さく震えているのに気づいて声をかけた。
「どうかした? 寒いの?」
タンゴは震えたまま答えない。
「具合悪い? 帰ったら確かめてみようか」
「ううん、違う、違うんだよ」
タンゴは蚊の鳴くような声でようやく答える。
「ねぇ、ユーワ。気をつけて。今の人、気をつけて」
「どうしたの、タンゴ。なにか、怖かったの?」
ご主人様と呼ぶのも忘れて。
「うん……、今の人、匂いがしなかったの」
本当は、匂いがしなかったわけではない。タンゴの鼻は人間ではわからないような、けれど目の覚めるような不快な臭いをかぎとっていた。
それは吐き気がするくらい強烈な消臭剤と、血と、焼けた鉄の臭い。
悪夢の中のユーワの焼かれる臭い。
「生きている人の匂いがしなかったの。ねぇ、ユーワ。やだ、やだよぅ」
ユーワはタンゴのあまりのおびえぶりに驚いていたが、やがて母が子になすように、そっと毛並みを撫で始めた。
「だいじょうぶよ、タンゴ。だいじょうぶだから」
怖がることはない。今は私がいる。
泣くことはない。この世界はどうしようもなく無情だということに気づいたとしても。
「今は、私が、守ってあげる。だいじょうぶよ」
今は瞳を開くのが怖くても。
あなたは、やがて強く生きていけるから。
その夜、ユーワはタンゴを抱き続けた。
彼女との別れを惜しむかのように。