上官殿の気まぐれと踊らされるわたし。
今回はシズリのターン。
「どうしましょう・・・」
「どうしようもない」
「何か他の方法を・・・」
「他に選択肢はない」
「・・・はい・・・」
シズリは眼前に立つ、背の高い上官殿の背中を見上げながら困惑していた。
彼はいつも通り静かな、感情の読み取れない表情のまま、テキパキと事務手続きをしている。
上官殿の操るペンが、紙の上でサラサラと奏でる音だけがその静かな空間にこだまする。
その表情を見る限り、彼は一切、まったく、毛ほども気にしていないようだ。
それもそうだろう、彼は軍人の鑑、冷たき氷の男とあだ名されるヒューバート・ヴァン・ラーツィヒ中佐だ。
シズリは些細なことを気に病み、未だに些細なことですぐに心乱るる未熟な己を恥じ、軍人としての在り方、姿勢を尊敬する上司のその背にみるのであった。
そう、上官殿と同じ部屋に泊まることなど野営と思えばたいしたことがない!
むしろお前は野宿でもしてろと放り出されて然るべきほどだ。
それだけ上官殿は紳士で部下想いなのだから。
うん、雑魚寝と同じ、遠征と同じ、と己に言い聞かせつつ・・・。
* * *
そもそも、その日は昨日の上官殿のお言葉によって始まった。
「明日、ローザンヌへ行く」
「は。」
「最近あそこで魔道銃のよい品ができているようだ。・・・君も行くだろう?」
「は、お供いたします。ぜひ同道させて下さい!」
ローザンヌと言えば首都から少し距離があるが、魔道銃に使われる魔鉱石の良質なものが出ることで有名な街だ。
剣よりも魔道銃を好むシズリとしてはかねてから一度は訪問してみたいと思っていた街でもある。
たとえ任務であろうと、行けることには変わりない。
思わず瞳を輝かせるシズリを眺めるヒューバートの表情に変化はない。
とんとん、と机を指で叩きながらこう付け加えた。
群青の瞳が若干怪しげに煌き、シズリに視線を向ける。
「・・・言っておくが、私服で来るように」
「・・・は」
「なお、この件は他言無用で」
ヒューバートは視線をシズリから引き離し、磨きぬかれた執務机に視線を落とす。
恐らく隠密の任務なのだろう、さもありなんと納得し、シズリは
「承服いたしました。では、失礼いたします」
と、踵を返すのであった。
そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、彼が―――ヒューバートが―――こう呟いたのも知らずに。
「・・・黙っておかねばどんな邪魔が入るか分かったものではないからな」
―――もしここにミナトがいればこう言ったであろう、「悪魔降臨」と―――。
そして翌朝、シズリは己の不徳の致すところを後悔するのであった。
思わず自らの身体を見下ろす。
白いシャツに黒のショートパンツ、膝上までのニーソックスに焦げ茶のブーツといういでたちだ。
私服で来いと言われたから動きやすい実用的な服装で来た、つもりだ。
そのまま目を上げると、若干眉間に皺を寄せたまま、こちらを見つめる上官殿の顔に視線がぶつかる。
私、何か不味いことしました??
軽装すぎます?
これは任務であって、遊びに行くんじゃないぞと思ってるとか??
こう見えても愛用の魔道銃はシャツの背に隠してあるし、魔符も袖口に仕込んである。
短剣も胸当ての下に入れてあるのだが。
それとも招待状に「楽な服装で」「軽装で」「平服で」と書かれているからといって、真に受けて適当な服装で行ったならば
「なにあれ~。ばっかじゃないの~?超KYって感じー」
と後ろ指を指されるという、例のアレだったのでしょうか?
私、実は試されてるとか??
一方中佐殿はというと、白いシャツに黒のパンツ、黒の短靴といった服装で普段きっちりと襟元まで留められた軍服に比べると若干ラフな印象を受ける。
勿論、一見スマートなシャツの下には鋼の筋肉があり、己の絶対不可侵領域内に彼愛用の魔剣が隠されてはいるのは周知の事実だが。
「美男は何を着ていても美男」
こっそりシズリは嘆息しながらひとりごちる。
ヒューバートは何を着ていようが彼本来の魅力でびしっと決まる幸運な人物だ、たとえ彼が海パン一丁だろうがそれはそれで決まってしまうに違いない。
かといって見たいか、と言われるとご遠慮したいところではあるが。
そうはいっても、いつまでもこんなところに突っ立っているわけにもいくまい。
「参りませんか?」
声をかけるとヒューバートはその眉間によせた皺を解き、もとの無表情に戻っていく。
「あぁ。・・行こうか」
ローザンヌまでは鉄道で約3時ほどだ。
鉄鉱で有名な街なので、配送を目的とする鉄道が街の入口まで延びているのが幸いだ。
今回の任務は足の面では楽だな、と思いつつも上司と列車の座席で顔と顔をつきあわせ続ける3時間というのもなかなかどうして考え物だ。
視線のおき場所に困る。
蓮向かいに座っているのだから、目があってしまうのは仕方がないことではあるが、こうも相手の視線に晒されるとなると、どうにも困ってしまう自分に驚く。
単に緊張するというだけでなく・・・とにかく落ち着かないのだ。
やはり自分の何かが変なのだろうか?
気になる、すごくすごく気になる。
心臓がばくばくと脈打ち、目が思わず泳ぐ。
窓から吹き込むさわやかな秋風にシズリの黒髪とヒューバートのシルバーブロンドがさらさらとなびき、流されていく様を目の端に納めながら思わず窓の外に視線をそらせた。
・・・やはり、彼が何を考えているのか私には分からない。
だから、思わず口にしていた。
「・・・あの、私の今日の服装に何か問題でも?」
ヒューバートの濃い群青の目に光がうかぶ。
静かな車内で車輪の軋む音ととんとんっと彼が膝を指で叩く音だけが聞こえる。
風になびくシルバーブロンドの前髪の下で目が、薄めの唇が細められ弧を描くのに思わず見とれた。
その唇がつむぐ言葉を聞くまでは。
「・・・あえていうならば、ミニスカートがよかった」
君は脚が綺麗なのだから、と。
・・・やはり、彼が何を考えているのか私には分からない!
ええ、分かりませんとも!!