夢よりも君のそばに。
ヒューバート、ちょっと落ち込む。ミナト兄貴まさかの再登場です。
波打つ黄金色の液体を見下ろせば、底に浮かぶ光が見える。
ゆらり、ゆらりと揺れるそれは、まるで黄金の海原のように思える。
泡立つ様はさながら朝の光に水面が溶けていくかのようだ。
ヒューバートはぐっ、と己のグラスを傾けた。
グラスの中で黄金の液体が揺れてはじける。
かっっと、喉の奥で液体が燃える。
まるで朝焼けを飲んでいるかのようだ。
喉を、臓腑を一瞬で焼けつくすように広がる熱を感じながら、ゆっくりとその瞳を伏せた。
「相変わらずいい飲みっぷりだな」
半ば呆れ、半ば感心しながらミナト・シノノメ中佐は自らのグラスを傾ける。
既に空いたグラスがテーブルにはずらりと並び、やや遠巻きにこちらを眺める、見知った顔達のその目が言っている。
「障らぬ神にたたりなし」「寄るな、触るな、近づくな!」、と。
相変わらず無表情だが、やや憮然とした様子で夕刻、ミナトの執務室に現れたヒューバートを半ばひきずるようにして、軍の人間行きつけのこの酒場に連れ出したのだが、失敗だったか。
そう思いつつも、ミナトは黒い嗤いを口の端に浮かべ、ちびりちびりと自らのグラスの酒をなめるのであった。
もともとミナトもヒューバートも飲めるクチではあるし、無口無表情な彼も酒をふくませれば多少はその口もほぐれる。
だが、その彼がこの半刻ほど、ひたすら黙って酒を煽っている。
ペース配分としては明らかに早すぎるピッチだ。
先程執務室で彼がポツポツとつぶやいた話をつなぎあわせて考えると、どうやらシズリへの告白は首尾よくとはいかなかったようだ。
今の彼の様子から鑑みるに、なかなかシズリは手強い相手らしい。
我が妹ながら罪作りだな、と言葉とは裏腹に嬉しそうな微笑をミナトは浮かべた。
「まずは彼女の好きな菓子を贈ってみた。」
テーブルにはさらなる酒瓶とグラスの列が並ぶ中で、ヒューバートはその上体をゆっくりと起こしながら突如つぶやいた。
顔色には出ていないが、明らかにその瞳がすわっている。
どうやらこれまでシズリに試みたアプローチの話を聞いてほしいらしい。
いつもはきっちりと留められている漆黒の軍服の襟元が緩められ、白いシャツの襟がのぞいている。
普段にはあるまじきことよ、と向かいに座ったミナトは相手のグラスにさらなる酒を注ぎながら話の続きを促す。
「で、反応はどうだったんだ?」
「机の上に置いておいたら差し入れと思われ、嬉しそうにみんなに配っていた。
俺にも勧めてくれた・・・」
「・・・そうか・・・」
感情を言葉に表すことがあまりない、無口なヒューバートらしいアプローチといえばそうだが、確かに直接渡さなければ、誰から何の意図で贈られたか分からないだろうに。
実際、ミナトの執務机にも知らないうちに誰かの土産の饅頭などが置かれていることがよくある。
・・・ただ、でかい図体の、特に甘いものを好まないこの男がシズリのために菓子を注文している様を想像するだけで笑える。
「次はもう少し直接的に訴えてみようと思い、服を贈った」
ミナトは思わずぶっっと酒を噴き出した。
それを浴びたヒューバートがこちらを睨み、ハンケチを取り出す。
「お・お前なぁ!・・・それっていわゆる・・・『男が女に服を贈るのはお前が欲しい』ってアピールか!?
てか、お前はどこのオヤジだ!!」
ヒューバートは黙したままだ。
ミナトは肯定の意と取り、溜息をついた。
自らの妹に深く、深く同情しながら。
「・・・で?どんな服を贈ったんだ?まさか怪しい服とかじゃねーだろうな?」
もし変なのだったらぶん殴ってやる、とこぶしを固めながら待ち受けると、予想外の返事が返ってきた。
「――――制服」
「は?・・・何の?(ナースの制服とかじゃねーだろうな?)」
「軍」
ミナトは思わず頭を抱えた。
いくらなんでもそれはないだろう。
いや、ある意味マニアックな趣味なのか??そうなのか、ヒューバート!?
もしそうなら今後の友人として、シズリの兄としての彼への見解に差し障りがでるな、と思いつつ、恐る恐る友人の顔を見やる。
ヒューバートは肩をすくめながら、グラスを握り締め、再度中身をあおった。
シルバーブロンドの髪がその瞳にかかり、表情は見えない。
「・・・事務作業日用のものが欲しいと言っていたのを耳にしたから、丁度よいかと思ったのだが・・支給品だと思われてしまったようだ・・・。
・・・彼女用に作らせたものではあったんだが」
ミナトは眼前の不器用な友人に同情と哀れみの涙を禁じえなかった。
・・普通、上司から制服を渡されたら贈物とは思わないだろうに。
素直なシズリのことだ、裏の意図など気づきもしないに違いない。
ミナトが内心頷きながら、この不器用な友人を慰めようとその肩に手を伸ばしたとき、だが彼はその顔にかかる前髪をさらりとはらいながら艶然と、蠱惑的に微笑んだ。
「―――だが――制服とはいえ、彼女が私の贈った衣服を纏っているというのは―――悪くない」
エロ顔エロ発言でたよ、これ!!
ここに危険な生き物がいますよー!
この笑顔、要R指定です!
ミナトも男ではあるし、その気持ちも分からないではない。
ただ、シズリは彼の妹でもある。
可愛い妹をそんな視線で見ているとの発言が、兄として面白いわけがない。
ヒューバートは優秀な男だし、いつか義弟になるのもやぶさかではないとは思いつつも、それとこれとは別だ。
ミナトは事務作業日のシズリの制服姿を思い出し、机に突っ伏した。
それは深めのバックスリットの入った、膝を隠す程度の丈のタイトスカートの制服。
詰襟なので、肌の出る部分などほとんどないにもかかわらず、女性特有の曲線がやや過剰気味なシズリがそれを着ると、妙にあちこちにピッタリしていて・・・むしろ卑猥だ。
「・・・・てか、お前!何で服のサイズ知ってんだよ。
あそこまでピッタリということは絶対スリーサイズ目測して発注しただろ!!」
このムッツリが!と叫びながらミナトはグラスの中身をあおり、追加を注文する。
やはりこの友人は・・・思考と行動がよめない。
自らの人選に若干疑問を覚えつつ、更なるグラスを重ねるのであった。
* * *
ヒューバートの瞳が焦点を失いがちになり、ややぼんやりとテーブル上を彷徨う。
先程までなにやら煩く喚いていた親友も、今はテーブルの上で気持ちよさそうに寝息をたてている。
後で送り届けねば店の迷惑になるな、とちらりと頭の端で思いながらも上手く思考がまとまらない。
グラスに残った黄金色の液体をあおると、自嘲めいた溜息が漏れた。
ざわつく店内には同じ軍服姿もちらほらと見受けられる。
さすがにこの時間帯となると客の数も減り、夕暮れ時ほどの喧騒はない。
―――ミナトをつれて帰ることを考えると、そろそろ帰ったほうがよさそうだ、と自分の中の冷静な部分が囁く。
だが、まだだ。
まだ足りない。まだこの渇きは癒されない。
――――むしろ、癒されることがあるのだろうか?
こんなことで。
自嘲的に唇を歪める。
空になったグラスを弄んでいた指が、何かを追い求めるようにテーブルの上を辿る。
求めるのはひとつだけ。
―――自分でもおかしいと思う。今までこんな思いにかられたことはなかった。
彼女に求婚したことは後悔していない。
むしろこれからどうしてくれようか、とついないほどに心がもえる。
しかし一度、想いが通じたという歓喜を味わった分、それが自らの勘違いであったという気恥ずかしさ、そして落胆の気持ちがないまぜになっているというのも事実だ。
己が言葉足らずなところは自分自身、よく知っている。
こと、そういった情緒的な面において感情をあらわすのが下手だということも。
ぼんやりと思考の波に漂いながらグラスに手を伸ばすと、その手を柔らかな手が遮った。
「帰りますよ?」
今まで心の中に浮かべていた女性の顔が今、眼前に、自らの瞳に映っている。
酒で濁っていた視界にぼんやりと映る彼女は、少し、困ったような微笑を浮かべている。
「―――どうしてここに?」
「こちらで飲んでいた同期から連絡を貰いまして。
兄が潰れている、と。・・中佐殿も少し飲みすぎではありませんか」
ほら帰りますよ、とシズリは呑気に眠るミナトをゆさぶり、その細い肩にかつぎあげようとする。
彼女が迎えに来てくれた。
それだけで急に視界が明瞭になり、心臓が酒とは違う作用でどくどくと波打つ。
喜びが心の杯に溢れ出しそうだ。
先程までの乾きが、飢えが、嘘のように満たされていく。
「―――私がかつごう」
口から出てきたのはぶっきらぼうな言葉だけ。
もっと気の利いた言葉が言えない自分が歯痒いが、勘定を済ませ、肩に友人を
背負って店の外に出る。
「―――っ!中佐殿、私も手伝います!」
小走りに後ろから追いついてくるシズリの声が、涼しい夜風にのり、酒でほてった身体に
気持ちがよい。
「私と君の身長差では、私がかついだほうが効率がよい。
だが・・・上着だけ持っておいてくれないか?」
軍服の上着を脱ぎ、シャツ姿になって彼女に渡す。
これでもし、ミナトが目を覚まして吐いたとしても、上着だけは助かるだろう。
せっかく彼女と2人なのに(ミナトは勘定にいれない)甘い睦言を囁くでもなく事務的なことしか言えない己が憎らしい。
見れば、彼女は薄いコットンのシャツに膝丈のパンツという簡素な姿で、秋の若干冷たく感じる夜気には心もとなさそうにしている。
自分は酒で身体がぬくもっているが、彼女は服装から察するに、部屋をそのままの格好で飛び出してきたらしい。
一旦預けた自らの上着をシズリの手から取り上げる。
不思議そうな表情を浮かべるシズリにそっと着せかけると、何かを言おうとしたので言葉を重ねる。
「―――私のためにも着ていてほしい。―――女性は身体を冷やさないほうがいい」
シズリが一瞬、何か言いいかけたが、こくん、と頷いた。
「ありがとうございます。―――温かいです、中佐」
ヒューバートの上着はシズリの身体をすっぽりと覆い、まるで外套のようだ。
自分の上着の中で、頬を染め、うつむくシズリの姿に一瞬理性が飛びそうになるが、背中の邪魔なイキモノのおかげで抱きしめることも適わない。
こういったささやかなことで心が浮き立つ一方で、早くも手の中に閉じ込めたいという、ほの昏い欲望をも感じる。
ただ、今は、彼女と並んで歩く喜びをかみ締めながらゆっくりと歩を進めるのであった。
―――翌朝、部屋の床に転がったままのミナトを外へ蹴りだした後、上着を羽織ると、それにかすかに残る、シズリの残り香にしばし煩悶するヒューバートではあったが。
どうでもよいことですが、ヒューバートさんの飲んでいるお酒はウィスキーっぽいイメージです。
ミナトさんは清酒かな?
2人ともワインだとお上品にデキャンタージュして、ワイングラスでカチーンなんかではなく、コップにガバガバ注いで飲むタイプです。
酒は量があったらいい、みたいな。どうでもよいイメージですがw