彼の密やかなる願い
シズリは元々首都から遠く離れた、地方の・・・所謂田舎出身だ。
士官学校に入学するまでを母親の故郷でもあるヒイヅルクニで育ったため、都会の風習や空気に未だに戸惑うことが多い。
母親譲りの真っ直ぐな黒髪に父親譲りの碧い瞳が珍しいのか、周囲の視線を集めることが多かったため、シズリ自身は自分が田舎モノだから目立っているのではと、当初は気に病んだ。
そんなシズリがなぜ故郷を離れて軍人となったのか。
理由は簡単だ。
父方が元々軍人の家系であり、父は勿論のこと、兄達もみな軍人となったからだ。
長期休暇の度に帰ってくる父はシズリにとっての誇りであると同時に憧れでもあり、優秀な兄達はその自慢でもあった。
滅多に帰って来れず、たまに会えたとしても寡黙な父が、差し障りがない程度にぽつぽつと話してくれる軍の話を聞くのがすきだった。
幼き日は共に遊び、学び、守ってくれた兄達から、士官学校で学んだことや教わった内容、同期の友人達や教官達との日々の話を聞くのがすきだった。
ゆえに故郷の初等部を卒業し、次の進路を決める際には迷うことなく軍人を選んだ。
父や兄達の背中を、道を、生き方を追いたい。
守られるのではなく、守ることのできる人間になりたい。
そんな志を抱いて軍人となった。
そして士官学校では信頼できる友や尊敬できる師を得、戦場では共に闘える同士を得、今は心から仕えたいと思える上官を得ることができた。
―――――はずであった。
その上官殿ご自身にこうしてソファに押し付けられるまでは!
そっと頬を指先でなぞられる。
窓から差し込む月明かりに、その群青の瞳が黒曜石のように黒く浮かび上がる。
その瞳にシズリ自身が映るのが見える。
――――この人は―――誰―――?
見慣れたはずの上官殿が全く知らない人のように見えることにシズリは驚き、怯えた。
無口だ、寡黙だ、と思ってきたその人が、今その瞳を覗き込めばその瞳が雄弁に語っている。
――――欲望を。
――――これは獲物を狙う、捕食者の瞳だ。
被食者は逃げ道を探した。
* * *
シズリの怯え戸惑う様がいかにも初心で可愛らしく、ヒューバートは
思わずふ、と微笑みの吐息を漏らした。
普段は冷静沈着が服を着たようで、てきぱきと仕事をこなし、一の言葉で十を理解し、実に優秀な部下として重宝している。
配属前に見た彼女の履歴によると、士官候補生の頃より前線にも出ており、そのときに・・・かなり過酷な戦いを経験しているようだ。
実践訓練時の隙のない身のこなしようからもそのときの経験が窺える。
しかし、そんな彼女が甘い薫りの茶や菓子を好んだり、たまに見せるはにかんだ笑みが可愛らしく、自然と眼が彼女の姿を追い求めていることにいつしか気づいた。
他の部下と親しげに話す様を見ると、妙に落ち着かない気分になる自分自身にも。
―――彼女を手放せない、そばにいてほしい。
他の誰かにその笑みを与えないで欲しい。
どうしたら自分にだけ微笑んでくれるだろうか。
そう考えてしまう自分がいた。
だが、彼女は自分より6歳も若く、 何より上司と部下という壁もある。
――――なら、壁があるならそんなモノは壊してしまえ――――。
そう自分の心が分かってしまえば、心積もりも早い。
さりげなくアプローチもしてみたし、アレに探りもいれたりもした。
しかし、これまで女性とは望むものではなく寄ってくるもの、という認識であったため、自ら追いかけた経験がない故に手応えが分からず、焦燥が募るばかりであった。
そうとはいえ、男ばかりの軍部だ。
いつ、誰が、どのタイミングで彼女をかっさらってしまうか分かったものではない。
勿論、鳥に油揚げは渡さない所存だ。
盗もうとする鳥にはことごとく目を光らせ、さりげなく彼女の目に触れぬよう潰してきた。
だから先日、思い切って彼女に求婚したとき、応えてくれたときは本当に嬉しかった。
頬を染め、目を潤ませて下を向いた彼女を抱きしめたくなる衝動を必死に抑えたものだ。
その艶やかな髪を撫で、頬を、唇をすぐさま我が物にしたくて堪らなかったが。
仕事中は他の部下達の目もあり、上官としての立場上からも表面に出すことは適わなかったが、ようやく2人きりになれた今日、照れているのかそ知らぬふりをする彼女がまた可愛らしかった。
だが、俺が目標捕捉が完了した獲物を逃がすはずがない。
だから彼女の耳に囁いた。
耳朶をねぶるように空気を含ませ、そのさらりとした髪に息を吹きかけるように。
吐息で彼女の肩が震えるのが分かり、ひっそりと笑んだ。
「月の朝、この部屋の窓辺で申し込んだではないか?」
ひゅっっとシズリが息を呑み、身じろぎをした。
この執務室で何年もの年代を重ねたソファがみしり、と軋む音が部屋に響く。
自分の腕の下で、シズリが伏せていた顔を上げた。
その瞳が瞬き、きゅっと閉じられていた唇が開いた。