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上官殿の申すことには。  作者: 此花タロウ
上官殿に振り回されることには
32/33

小鳥の夢、あたらしい朝

お久しぶりの更新です。今回から新章となります。

今回の後半は少し真面目モード。

 


 その手は大きく、あたたかであった。

 雪兎のように白い肌だが、その下には確かにとくとくと流れる確かな血の流れが感じられ、滑らかさとここちよいぬくもりがあった。後頭部にあてられたその手がシズリの黒髪をゆっくりと撫で、髪の束を長い指がくしけずる。やがて、その指が髪からやわらかな耳朶へ、そして頬へとゆっくりと移動し、まるで繊細な壊れ物を扱うかのようにシズリの頬をやさしく撫でた。やわらかな頬が大きな掌に吸いつく感触を楽しむように、その手は顎から頬への輪郭をたどる。


 シズリはその大きな掌のあたたかさ、包み込まれるような安心感と与えられる心地よさにうっとりと目を閉じた。

 抱き上げられ、ぎゅっと強く抱きしめられる。それは少し強いくらいだ。しかし、あげようとした抗議の声は押し付けられた肩口にかき消されて、音にすらならない。声の代わりに握りしめた袖口を引いて苦しい、との意を示せすとようやく腕の力が弛められた。


 だが、抱きしめたその腕は相変わらずシズリをすっぽりとその腕に抱きしめたままで――むしろ、その腕の心地よさにそのままでいてほしいと願ってしまう。この腕は父でも、兄たちでもないというのにその心地よさについ甘えてしまう。伝わるぬくもりが安心感に変わり、ほのかに薫る樹木のような甘い清涼感のある香りが好ましくて、嬉しくて――シズリはその人の肩口へと猫のように頬を擦りつけた。


 あぁ、すきだ。この腕がすきだ。この香りがすきだ。優しく髪を撫でてくれる手が、すっぽりと抱きしめてくれるぬくもりがすごくすきで安心する。

 シズリはこみ上げる幸福感を噛みしめた。


「――――様―-」


 小さくつぶやいたその声が相手に届いたのか、ひっそりと笑んだのが空気から伝わる。シズリはふうわりと微笑みながらその腕を抱き込み、押し付けた肩口へと再度頬を擦りつけようとして――――――

 落ちた。



 がっっ!

 がたたたたっっっ!! ごっっ!!



 ばんっという音と共にシズリの部屋の扉が乱暴に開かれる。


「シズリ! 何ごと!?」


 シズリの部屋から突然響いた轟音に驚き、慌てて飛び込んできたのは隣室のクロエだ。今、この音で目が覚めたのか、寝衣にスリッパという姿だ。

 だが、クロエが目にしたのは――いつも枕の下に仕込んでいる魔導銃を握りしめながらも腕には枕を抱きこんだまま、という間抜けな体勢のまま、林檎のように赤い顔で床の上をじたばたと転げ回るシズリの姿であった。




 *   *   *



「ほんっと何ごとかと思ったわよー?」


 手にした朝食のトレイをことり、と食堂のテーブルに置き、シズリの前の席に座りながらクロエが笑う。クロエは階級こそシズリのひとつ下だが、士官学校時代からの同期にして親友だ。顔のまわりをぐるりと囲む、茶褐色のまっすぐなショートヘアーにくりくりとした丸い(ハシバミ)色の瞳が魅力的な美人である。


「……えぇっと。その……寝惚けた、というか……」


 クロエのまっすぐな瞳に心の奥底まで見透かされているようで、シズリは内心の動揺を隠せない。

 ――言えない。たとえ親友のクロエだろうと……あんな、あんな夢を見たなぞ、言えない。断じて言うことなぞできるわけがない!! しかも3日間も仕事を休んだ挙句、ようやく勤務を許された朝にあの人(・・・)の夢を見るなぞ――ふざけてる、たるんでるとしか言いようがないではないか!

 内心の動揺をあらわしたのか、まるで一刷毛の紅を刷いた思春期の少女のように白い頬がほんのりと薄桃色に色づく。


 そして、そんなシズリの様子をわくわくと見つめる、好奇心にあふれたクロエの瞳から視線をそらすように目の前の皿に集中しようとするも、つけあわせのハッシュドポテトをざくざくと切り刻むばかりで一向に食欲がわかない。内心で溜息をつきながらポテトへの攻撃を諦めてフォークを置き、なみなみとコーヒーの入ったカップに手を伸ばした。湧き上がる動揺ごと飲み下すべく口をつけたところ、クロエの一言で危うく吹き出すところだった!


「ふぅ~ん? 噂の上司様の夢でも見たとかぁ?」

「!!!!」

「ちょっ! シズリ、何やってんの!! もぅ~気をつけなさいよ。ほら、このナプキン使って!」


 シズリは差し出されたナプキンで口許を拭いつつ、恨みがましい瞳でクロエを睨む。一方、クロエの方はどうかといえば、こちらは涼しい顔でフォークを口に運んでいる。「あら、この豆の煮込み、美味しいわ。後でおかわり貰ってこようかしら」などと言いつつ、朝から旺盛な食欲を発揮している。シズリはナプキンを畳み、傍らに置いてからクロエに向き直った。改められた口調にはやや険が含まれ、クロエの(ハシバミ)色の瞳を見つめるそれが、濃い碧に染まる。


「クロエ。先ほどのご質問にお答えさせて頂くならば、答えは"否"とお返しいたします。私ごときと並べて考えるなぞ、ラーツィヒ中佐に失礼ですよ? ……もっとも、どんな噂かは知りませんが。生憎、私はとかく噂というものにうとい性質(たち)でしてね!」

「え~? 私は"噂の上司様"と言っただけで、別にラーツィヒ中佐だとは一言も言ってないんだけどな~? うふふ~」

「!!………………」


 一瞬の動揺の後、憮然とした表情のまま黙するシズリを見返すクロエの丸い瞳が、さも面白いと言わんばかりに猫のようなアーモンド形に細められたのが目に映る。――わざとだ。分かってて、シズリをからかうためにわざと言っているに違いない!!

 クロエは自分の分のコーヒーカップを口元に運び、上品な所作で優雅に一口飲んだ後、その艶やかな唇で見せつけるように艶然と美しい弧を描いてみせた。


「ほらぁ、もうわかってるくせにぃ。シズリンってば恥ずかしがり屋なんだから♪ 私にイチから聞きださせる気? ……ほら、貴女と噂の上司、と言ったらラーツィヒ中佐に決まってるじゃない~。あのいかにも生真面目でストイックな方が貴女のことはお傍から離さない、ともっぱらの噂よ?」

「…………………」

「まぁ、先日の件は結局何か極秘の任務がらみだった、と仰ってたみたいだけれど……。それにしても、ねぇ?」


 あの(・・)"無口・無表情な氷のヒューバート"が女性の部下と二人で遠征……。ついぞありえない珍事態だからこそ……何かあったのでは? と言外に匂わせてくるクロエにシズリは今度はにっこりと微笑んでみせた。ヒューバートの無表情と無口が周囲へ張り巡らされた鉄壁の防御壁だと言うならば、シズリの笑顔は右から左へ受け流す、柳の鞭のごとき防護術だ。


「言っておきますが、私とラーツィヒ中佐の間柄は純粋な上司・部下の関係でそれ以上でもそれ以下でもありません。それこそ中佐殿に対して不敬ですよ? ラーツィヒ中佐は部下思いの素晴らしい上官でいらっしゃいます。

 そしてたまたま私のような若輩かつ未熟な者が副官という任務に就いたため、勿体なくもお傍近くでご指導ご鞭撻の機会をいただくことが多いという、ただそれだけのことですが何か?」

「はいはい~そうですか。まぁったくシズリってばお堅いんだから~。そんなんじゃあっという間に嫁き遅れるわよ~? それなりに好ましい男だったら手のひとつくらいなら握らせて、適当に笑顔でも振りまいて気をもたせておくのが定石でしょうが」


 シズリのにべもない、四角四面な返事をハイハイといなすかのように、クロエはひらひらと手を振ってみせた。クロエからすればシズリとは士官学校以来のつきあいだ。シズリの公私を区別する生真面目さも、男女関係における疎さも、女としての自分をみることを苦手としていることもよくわかってはいる。

 そしてその不器用さが好ましくも、たまに歯がゆく感じることもあり……クロエは同い年ながらもどこか姉のような心境で心配すらしていた。真面目で控えめなのはけっこうだが、もっとこう……若い娘らしく恋バナとか恋バナとか恋バナとか!


「今日は〇〇大佐と目があったの……(ぽっ)」とか「××曹長にお水を手渡したときにたまたま指先が触れたんだけど……一瞬とはいえ、ギュッと握られたから思わず体落(たいおとし)かけちゃった♪……だって年下のくせに生意気なんだもん~」とか「△△少尉に今度射撃訓練をご一緒しませんかって誘われたんだけど、いつものダブル・サブマシンガンだとちょっといかついかな?……やっぱりここはかわいくスナイパーライフルで狙い撃ち、しちゃうべき?」とかとかネ!


 こうして二人で座っている今も、尉官以下の者が使用する軍部の食堂ゆえ、あたりへ首をめぐらせれば周囲は男ばかり。そしてこちらにちらり、ちらりと二人への熱い視線を送る男性軍人も少なくはないというのに……まったく! 皿の上の手つかずのポテトはそのままに、左手に持ったパンをちぎっては半ば機械的な動きで黙々と口に運んでいるシズリを見やりながら、クロエはこっそりと深い嘆息をもらした。



「そういえばクロエ。私が休んでいたこの3日の間で何か変わったことや動き等はなかった?」


 すっかり平時の冷静な副官モードになったシズリが問う。ローザンヌで負った肩と腕の怪我はヒューバートによる迅速かつ適切な手当と特製の薬液で驚くほど軽傷で済んだが、魔剣による傷口が後から魔傷にならぬとも限らない。念には念を、と3日間の官舎での安静と軍医による診察・施術および経過観察をヒューバートに言い渡され、シズリは渋々ながらも上官命令に従ったのであった。休むのは不本意ではあるが、迷惑をかけたり足手まといになるのもさらに本意ではない。


「そうね。特にないと言ったら嘘になるというし……上層部と中央院の方で何らかのやり取りがされているみたいよ? 佐官級全員、というわけではないみたいだけれど、ラーツィヒ中佐も呼ばれていたみたいだし。戦のときとは違うんだけど……どこかざわざわしているというか」

「……そう」


 シズリは手元のカップへと視線を落とす。その表情は穏やかながらも、感情を映していないその瞳は内心の心情を見せることはない。濃い茶色の液体に映る自らと視線をあわせながらも、シズリはクロエの答えにより、胸中に湧き起こった穏やかならざる感情と焦燥感を上手く飼い慣らすべく努めた。水中に投げ落とされた小石が大きな波紋を描くように、ささやかな疑念が心の水面を震わせる。

 シズリは慎重に選んだ言葉を口にした。

 ――軍部の食堂とはいえ、誰が聞いているのかも分からないのだから。


「ラーツィヒ中佐は朝から外出しておられるみたいなの」

「へぇ……? 副官の貴女(シズリ)も連れずに、だなんて珍しいわね。どちらへ?」

「……朝食も食べずに、朝のかなり早いうちにお出かけになられたみたいで。昼過ぎには戻るとの伝言は頂いたのだけれど……行先までは」


 そう呟いたシズリの敢えて無表情を決めこんだ、色のない瞳が逆にその内心の複雑さを物語る。クロエの丸い、(ハシバミ)色の瞳がすぅっと細められた。何気ない様子でシズリはコーヒーのカップを傾けてはいるが、そのカップに普段ならばたっぷりと入れるはずのミルクも砂糖も入っていないことに気付いてもいない。そして、それに気づかぬクロエではない。


「それだけ早い時間に単独で、ということはラーツィヒ中佐をどなたかが呼び出された、ということなのかしらね」

「……おそらく」


 二人は口にしないまでも、そのヒューバートの行動が意味するところを内心で吟味する。

 朝のそれだけ早い時刻に中佐自ら急遽向かうということは、それだけ火急の件なのか――もしくは相手がそんな早朝にしか時間がとれない、かなりの身分の人物であるということだ。そして、これが他所にある軍部であるならば、必ず転送陣が敷かれているはずだ。地脈が安定していることや場としての細かい設置条件はもとより、使う本人に高度な瞬間座標計算能力と莫大な魔力を必要とする転送陣ではあるが――急ぎの件ならば多少の無理をしてでも使うはず。そしてヒューバートほどの人間ならば平時ならばやすやすと使いこなせるはずで。


 だが――使っていない。そして、昼過ぎには戻るという。

 つまり……転送陣が敷かれていない、軍部とは異なるがさほど時間をかけずに戻れる距離の場所。ヒューバートを早朝からただ一人、副官すら連れずに単独で呼びつけることのできる人物だということから、自ずと仮定が浮かび上がってくる。



 折鶴の伝令を受け取り、ローザンヌから転送陣で軍部に戻った日もヒューバートは戻るとすぐに執務室で軍服に着替え、その足で上層部へ向かった。

 一方、こちらも軍服に着替えたシズリは、待機する間に周囲からの好奇の視線を眼光と沈黙でねじ伏せながら、ローザンヌで自身が見聞きした件についての報告書を書いてヒューバートの戻りを待った。小一時間もしないうちに彼は戻ってきたが、簡単に「戻った」との一言を発したのみ。後はシズリからの報告書に目を通し、折鶴の伝令がもたらした呼び出しの件には触れることなく、シズリとの話の内容はローザンヌでの一件のみに終始したのであった。


 他にもシズリにとって気にかかることを上げ始めたらきりがない。

 ――上層部からの佐官級以上への急な召集、中央院での動き、ヒューバート個人への早朝の呼び出し。ローザンヌで見た魔導石の光の海――そして蒼い焔の魔剣の使い手にして、シズリと同じ闇色の髪とシズリと異なる闇色の瞳を持つ男"シノブ・カンザキ"少佐……。


 先日のローザンヌでの一件も、急遽軍部に呼び戻された件も当然、シズリはクロエにもミナトにも話してはいない。

 だが、そのクロエもシズリが不在だった3日の間に何か普段とは違う、ざらついた雰囲気を軍部に感じていたという。シズリも自身に起きた一連の出来事から何か予感めいたものを感じる。これは昔からだ。夢が何かを連れてくる。何かを――過去だけでなく、未来への警告を告げる警鐘音が頭の中に鳴り響く。

 悪い夢こそ敢えて吉を運び、蛇の存在を知らせるという。ならば今朝の夢は――?


「……考え過ぎ、か……」

「シズリ……?」


 いつの間に噛みしめていたのだろう、シズリは自身の唇を緩めた。

 ローザンヌでの思わぬ出来事、一方的でそれゆえ屈辱的な敗北と負傷、不本意な3日間の休養、軍部内での動き――そしてヒューバートの軍部での動き。ここ数日の間に起きた一連の出来事が、シズリの思考と感情を揺さぶり、自身すら分からぬ方向へと転がされている気がする。

 手の中に残ったカップの存在に改めて気づき、残ったコーヒーを一息の下に飲み干した。だがそれはすでに冷め――ぬるくもただ口に苦いだけだった。


 ともすれば、不甲斐ない自分自身に嫌気がさす。自分なぞに何が――何かができるのだろうか? そんな気持ちがどろどろと纏いつき……消えない。

 だが――ふと目を上げれば、考え込むシズリを不思議そうに見つめているクロエの瞳と目と目があった。その明るい色が、まるで安心させるかのように微笑えみかけてくる。クロエは――親友だ。クロエといると気分が明るくなる。職務上、すべてを腹蔵なく話すことは叶わぬけれど――互いを思いやることはできる。

 そして、ただそれだけにひたすら救われた。


 そうだ。

 ならばシズリにも自身にできることを探し、やれることをやろう。シズリにとってクロエが親友であり、ただいてくれるだけで、何気ない会話をするだけで心休まる存在であるならば、シズリ自身も上官殿にとって少しでも信頼に足る部下でありたい。右腕は無理でも右脚もしくは右目になれるよう一層の努力と真心を尽くすことを怠るまい。


 クロエに今度は心からの笑みを返した後、シズリはようやく席から立ち上がった。




新章とはいえ、特に笑いの要素がないので載せるのを躊躇しているうちにどんどん日が経ってしまいました・・・。

さて、シズリの夢に出てきた人は誰なのか? どんな夢だったのか?


今回も長くなりすぎたので一旦切ります。……でも、これでも十分長いですね。申し訳ありません。


次話は上官殿視点で始まります。

そして、やっぱり残念な彼は健在です……。

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