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上官殿の申すことには。  作者: 此花タロウ
<閑話>本当に残念な人は誰?
30/33

幕間~弓張月~

閑話の間のシリアスパートです。

この後、続けて切り離したコメディパートを投下します。

 


 空いていた酒場の二階席もしばらくすれば客もぱらり、ぱらりとばかりに増えたものの、元から空いていたせいか、月が高く上るにつれて人の影もまた少しずつまばらになっていき、やがて残るはヒューバートとミナトの二名のみとなっていた。

 テーブルの上には空いたボトルばかりが増えていく。

 だが、それと反比例するかのようにヒューバートとミナトの間に交わされる言の葉の欠片も一枚、また一枚と減っていく。

 元々無口なヒューバートはなおのこと、ミナトも言いたいことをすべて吐き出して疲れたのか――はたまた未だ腹に一物どころか多くの何かを抱えたままなのか――気心の知れた者同士ならではの、気だるいながらもけして気詰まりではなく、むしろ好ましいくらいの沈黙を二人は分けあっていた。

 静かな室内にグラスと酒瓶が触れ合う音と水音だけが響く中、窓の向こうに昇った月の光と立ち込める夜の気配だけが静かに二人を包む。



 青みを帯びた淡い月の光の中、自らの黒い影だけがくっきりと濃く、床に浮かび上がるのをヒューバートは見つめていた。いささか酒が過ぎたのか、熱を孕んだ掌を開け放した窓から吹き込む冷たい秋風がひんやりとした吐息を吹きかけては、肌の(おもて)の輪郭を確かめるように優しくなぞる。


 だが足りない。それでも足りない。

 飽くなき欲求が身の内に湧き上がり、熱くこみ上げるものがその身を内側から染め抜いていく。

――どこが冷たき氷の男だ――秘かに自嘲しつつも形よく整った薄めの唇が自ずと弧を描く。冷たい肌の下、皮肉にも脈々と流れる熱い血を、身の内から沸き立つ凶暴な己という獣を冷ましてくれるような冷たさが、むしろ針のように肌を刺す地吹雪(じふぶき)のような冷気がむしろ――今は欲しい。

 もっとも――そう望む自身の身体とは裏腹に、心の水底には今猶、氷の塊が溶けやらぬまま確かに横たわり続けているのだが。



 冷たい白に掌を浸してみればどうだろう?

 月の光に手をかざしてみる。右の掌が月光に青白く染まる一方で、テーブルに残された左手の中では鮮紅色の液体がグラスの淵から溢れだし、透明な硝子の表面を紅い筋を作りながら伝っては落ちていく。その紅が思い出させるはこれまで自身が流し、また流させた血の雫か――はたまた流れ落ちるは紅の涙か――。


 白と紅が成す対照(コントラスト)

 それは記憶の扉を叩く色。


 何もかもがいつかは枯れゆく。器から溢れるものもいつかは儚く消え、露と消えて霧散していくのだろう。それこそ泡沫のように。

 それを無常観と言ったか?だが人の感情は、記憶はどうだろう。溢れ出た想いもいつかは消えるのか?内に秘めた感傷は、苦い記憶は、後悔の色も怒りすらも――いつかは消えてなくなってしまうのだろうか?


 ――まるで、初めから何もなかった、存在すらしなかったかのように。

 潰えた涙と共にすべてが消え失せたかのように。

 傷跡はなくとも胸を抉る痛みは確かに消えずにここにあるというのに。


 いや……そもそも流す涙すら己にはあったのか――それすらも疑わしい。

 既に遠い記憶のあの日――冷たい雪の中に埋もれた小さな身体。掻き抱いたその小さな頬を、さらさらとした涙が伝ったかと思えば紅の雫が染めていく。震えながらも拭う己の指先を紅く濡らし、その上に白い雪があとからあとから降り積もり――覆い隠していく。自身の頬を伝う熱い何かも――溢れるそばから冷たく、凍えるような何かへと変えていく。

 腕の中で冷えていった体温のように。

 手の中に残ったものはただ、冷たく白い雪と赤黒く固まった名残――そして氷の主という消えぬ称号と口の中に残る苦味だけ。


 紅い、粘ついた感触は未だこの指先に残り――消えない。そして消えることはないだろう……この先も。

 突き付けた刃が折れようとも、掌の内に込めた弾丸の最後のひとつが尽きようとも――この心が、魂が砕け散り――地にくず折れるその先までは。




 粗く削られた安物の木のテーブルがみしり、軋むような音をたてた。

 記憶の地平の彼方へと飛んでいた意識を、視線を眼前へと戻せば、いつもならば空の青を思わせるミナトの瞳が手の中のグラスの中の赤を映し込み、月草の――露草の青に染まっているのをヒューバートは見た。いつになく濃い色をたたえたその瞳に映る自分自身と目と目があう。


「何を考えている?」


 ヒューバートから視線をそらさぬまま、ミナトが問う。その口調は先刻までの軽口とは異なり、その双眸から放たれる光はヒューバートのつけた無表情という仮面のさらに奥、内面までをも貫き通すような強い意志を含んだ視線だった。


「いや――・・昔のことを思い出していた。」

「昔?――いつのことだ?」


 ヒューバートの口元が緩む。つい、とそらされた視線は先ほどまで月光に浸されていた右の掌へと落とされ、やがてゆるりとミナトの視線へと戻された。いつになく惑うような、躊躇うような表情がその群青の双眸に見受けられ、ミナト自身の胸を打つ。その色に、瞳にゆらめく普段ならばけして見せぬ惑いの表情から思い当たったそれに、ミナトはぽつりとつぶやいた。どこか確信めいた気持ちのまま。

 ゆるく握りしめた掌の中でグラスの色が仄かに掌を紅く染め、水面に映した瞳が揺れる。


「――あのことか?」

「あぁ」


 何を今さら思い出す?昔のことを思いだすなぞお前は年寄か、それとも酔ったのか、とミナトは軽口めいた口調でしばし揶揄した後、黙したままのヒューバートに嘆息した。眦を強くしながら口調をも改める。


「あれは――忘れろ。もうはるか昔に過ぎたことだ。あのときは俺もお前も幼く、未熟すぎた。だが、それゆえに今がある。あれがあるからこそ今のお前が、俺たちがいる。同じ失敗は繰り返さなければいい。それは俺もお前も同じことだ」


 だから自分を責めるな。確かになくしたものはあるが――あれが俺たちにできる最善のことであり、今となれば正しかったのだと。お前自身が身をもって実証しているではないか? 今回の件とてそうだろうが? そう一言、一言噛んで含めるように、ヒューバートの中に未だ燻る何かを振り払うようにミナトは首を振ってみせる。


「あぁ――だが……」


 珍しく躊躇うような、ことばの先を迷うようなヒューバートの口調が気にかかり、ミナトは目だけでさらにその先を促した。


「だが――ローザンヌで会った男は――」


 そこで押し黙り、グラスの溢れたグラスの紅い水底に視線をやる。グラスを握るその手に白い筋がくっきりと浮き上がる様をミナトは見つめる。まるで押し殺した感情のようだと。


「それはつい先刻聞いた。シノブ・カンザキ少佐……青の焔の魔剣の使い手だろう? 魔剣の主は確かに珍しいが――経緯はどうあれ、現にお前だってそうだろうが? それとも、それほど危険視するような使い手――或いは人物なのか?」

「いや――そうとも言えるし、そうではないとも言える。俺が気に病みすぎなのやもしれぬ。ただ――・・」


 あの黒髪、黒い瞳――あれがあのときのことを今頃になって思い出させるのだ――そう小さく呟いたヒューバートの言葉はやがて溜息と共に落ちて消えた。既に空いたグラスへと視線を落とすミナトの瞳の色は再び空の色に戻り、立ち込める夜の色と対照的な光を放っている。

 雲が月を覆い、室内に暗闇と沈黙の帳が下りる中、部屋の隅に置かれたランプの仄かなゆらめきだけが、かろうじて室内が完全なる闇に落ちることを妨げていた。


弓張月(ゆみはりづき)、か――」


 隠された月を惜しむようにぽつり、と独り言のように呟かれた言葉にミナトがひそやかに笑う。


「あぁ――秋の月だな。……そうだ。覚えておけ、弓は弦が張られてこそ意味があるのだと。弓だけではだめだし、弦だけでも駄目だ。弓と弦はお互いをささえ合うものだ。だからその弦も強く張りすぎれば弓がしなるのみ。だから忘れるな、弓は己の力で引くものじゃない。弓手(ゆんで)が"会"へと到達すれば、自ずと馬手(めて)は離れるのだと」


 焦るな、一人で抱え込むな、俺たちがいるのだからと――そうミナトは言葉にせずとも言外にて匂わせる。ミナトらしからぬ珍しく詩的な、遠回しな表現にヒューバートは先ほどまでの無表情から一転、珍しく破顔しながら喉の奥でくくっと笑った。


「あぁ――覚えておこう。すまない、おかげでずいぶん気分が明るくなった。ほら、見てみろ――」


 窓の外を見れば雲が散り、月が再びその顔を出していた。それは先ほど見たものよりもずいぶんと明るく、その白さが頼もしいものかのように思え、二人はまた笑った。あとは平時の二人に戻るのみ。普段のような軽口を交わしていくうちに、再びいつもの無表情に戻ったヒューバートだが、その瞳からは憂いと迷いと言う名の雲が晴れたことを確かにミナトはその眼でみとめたのだった――。




このお話にらしからぬ雰囲気のため、載せるか迷いました。

ただ、必要な部分でもあるので。

この続きはコメディ&閑話終了です

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