<閑話小話>「彼と彼女とその兄と」その3
「だいたいお前は言葉が足りなさすぎるんだよ!」
どん!という音を立て、ミナト・シノノメ中佐はワインの瓶をテーブルの上に置いた。
テーブルの上のグラスと皿類がその振動でがちゃがちゃと音を立てるのも構わず、どばどばと安ワインをすでに空いたヒューバートのグラスに注ぎながらもその口は続ける。
対面するヒューバートは相変わらずの無表情だが、よく見れば唇が引き結ばれ、やや憮然とした表情に見えなくもない。
「…ったく、前にも言っただろうが。そこがお前の悪いところだと!
上司に出かけるぞと言われて、あのどのつく真面目なシズリが『きゃあ♪デートに誘われちゃった♪♪』とか思うはずがねぇだろ?いいとこ上司のお供に呼ばれた、程度だな。しかもいくらシズリが前々から行きたがってたからといって、魔導銃の工房見学なんぞ色気がないにもほどがねーか?
いい加減肝に、その魂にでも刻んどけ!少なくとも今、お前は〝尊敬する上司〟以外の何者にも思われてないんだっつーの。いい加減、しっかりその壁とっぱらわねーと男とも認識して貰えなくなるぞ?」
ミナトのアドバイスと言う名の説教は止まらない。そもそもミナトに断りなく勝手にローザンヌに行った、というあたりで既に気に入らない。俺も行きたかった……いやいや、そうじゃなく。
もっとも、デートに誘ったつもりが全然そんな認識をされていなかったらしい、というのはちょいと気の毒な気もしないでもないのだが。
だが…腹立たしいことに変わりはない。
「だいたいお前はちょっと顔がいいからって、昔っからモテまくりやがるのをいいことに、これまでは女なぞ寄ってくるもんだとか思ってたんだろ?
何それ、お前一体何様なわけ?ムッツリ様かよ!そうやって胡坐かいてっから、真剣に口説こうとしても経験不足で上手くいかないんだよ。
単に黙ってるだけでクールだの、無口なところが大人で素敵だの言われてるけど、ぼけっとしてるだけだろうが。
黙ってるだけならそのへんの銅像と変わらんくせしてその寡黙さが堪らない、とか冷たい横顔にそそられる、とかちゃんちゃらおかしいっつーの。
んでもって寄ってくる女の子の話も聞いてないだろ?まさに右の耳から左の耳に垂れ流し、いや、ぜんっぜん耳どころか視界にすらも入ってないだろ!
そのクセ、ちゃっかりおいしいとこは押さえてくし!
士官学校のときも保険医のマリエンヌ先生からも誘われてただろ!?あの魅惑のGカップのマリーお姉様に――!!!!そこはよろしくお願いしますしとけよ、と俺たちがどんだけ歯噛みしたことか!!!
この悔しさが、無念さが、俺たちの涙の虚しさがお前みたいにぼんやりつっ立ってるだけで女の子をかっさらうテンプレ美形なんぞに分かりる!?
だいたいこの間の飲み会もお前がちょっと顔出しただけでさ~あ、おねーさん!ワイン、おんなじのもう一本くださーい!」
ぶちぶちぐちぐち、ブチブチグチグチ………・・いつのまにやら恨み節へと化したミナトの呪詛のようなグチは、止まるどころかだらだらと垂れ流され、その様はまるで大雨で溢水した天水桶の如く、むしろ勢いを増すばかり。
ヒューバートがよくもこう口がまわるものだと呆れたように視線を空に彷徨わせ、文字通り右から左へ聞き流していると、ようやく喋り疲れたのか、ミナトがぜいぜいと肩で息をしつつ、握りしめたままだったワインのグラスとボトルをテーブルに下ろした。
ごとり、と木のテーブルにガラスが当たる硬質な音を立てる。
「ならば」
頬杖をついたままの姿勢でヒューバートがミナトの手から首筋、そして顔までゆっくりと視線を流しながら問いかけてくる。
その瞳にからかうような、面白がるような光を浮かべたまま。
「お前の言う〝まっとうなデートの誘い方〟なるものがどんなものか、そしてその対策とやらも合わせてぜひご教授願いたいものだな、ミナト・シノノメ中佐殿?」
「ぐっ!!………」
ミナトはうっっ、とばかりに言葉につまった。
実は……ミナトはなぜか「いい人なんだけど」「男、というよりも弟みたい」などと言われてフラれることが多い。もしくはジャストお友達止まり。
けしてモテないわけではない。いや、そうだと信じたい!
身長もあるし、齢五十に手が届いた今もなお、道行く若い女性をうっとりと振り返らせる父親の若い頃にそっくりだ、と言われるだけに顔もそこそこだと自負してよいだろう。
……もっとも、その「若い頃」と言うのが父親の十代の頃のことを指す、というのがいささか……いや、かなり深刻な問題ではあるのだが。
デート、でぇと……「フラれない、断わられない誘い方」……!!
思い出せ、先日俺を置いて僅か交際半年で4つ下の美人とゴールインしやがったメルツァー大尉の馴れ初めが何だったか!
奴がただの知人程度だった懸想相手の女性を、一体どうやって誘ったと言ってたのか!!
どうにかして思い出そうとするも、酒のしみこんだ脳みそはやや働きが悪いのか、なかなか記憶の引き出しが開こうとはしない。
ほらあれだよ、あれ!と言いながら右の人差し指を振り振り、ややオバちゃんじみた動作で時間を稼ぎ、視線を空に彷徨わす。
えっと何だっけ…?
他人の恋路なぞ、しかも部下の惚気話なぞギリギリと歯噛みするほどに妬ましい…あ、いやいや、興味がなかった(ということにしておく)だけに「へぇへぇお幸せそうで何よりで……けっっ!」と内心、唾を吐きながら話半分に聞いていた自分を蹴飛ばしてやりたい。これこそ、今後の参考にすべきであったのに、と。
えぇっと……確かあれは……そうだ、犬だ!!
心の中でぽん、と両の掌を合わせる。
そうと思いだせば、むしろ目の前に座るヒューバートが銀色のふさふさとした毛を持つ大型犬に見えてきただけに猶のこと笑えてきた。
「あ・あー・・そうだな。俺の部下の話ではあるが、『実家に子犬が産まれたから見に来ないか?』と誘ったと言ってたな~」
動物、しかも愛らしい子犬とくればその効果は絶大!
まず、二つ返事でOKして貰える上に、理由としてもたいそう健全に聞こえるために誘いやすいという……。
そして、何よりも「動物好きの優しい人」アピールができる上に、下心もなさそうに聞こえ、あっさりと女性の警戒心を解く効果があるらしい。
うまくいけば犬をダシに、次回以降の約束も取り付けられるやもしれぬという周到な手口っぷりよ。
ビバ☆わんこ!ビバ☆癒しの効果!!
メルツァー曰く、都合よく子犬がいなければ、実家もしくは他人の家の犬の散歩もしくは世話を押し付けられて困ってる、等を口実にするのもありだという。
何だ、そのやけにもの慣れた戦略は!……メルツァーのくせにずいぶん策士だな、おい。
くそ、意気な!!
マイヤーシュミット大佐に結婚の報告をしていたときも「交際のきっかけは、生まれたばかりの子犬を見に彼女がうちの実家に来てくれたことを契機に両親とも会うこととなり、それからおつきあいを深めていきました」とか、ずいぶん爽やかな、好青年っぽい口上を言ってたけど、腹ん中は真っ黒で、いかにして彼女を籠絡するか手ぐすね引いてたくせに!!
――って目の前のコイツと同類か、そうなのかメルツァー!!ゴォラァァァ―――!!
「犬、か…確かに最近、実家で子犬を飼いはじめたようだが」
ふむ、と顎に手をやりながらヒューバートがつぶやく。
ヒューバートの実家は軍部から比較的近い位置にあるため、ミナトも何度か足を運んだことはあるが、子犬がいるとは初耳だ。
部下の腹黒さを今更ながら嘆いていたミナトだが、そうと聞けば俄然、興味が湧いてくる。女のかわりに俺がつられてどうするのだ、と内心苦笑しつつ青い瞳が好奇心できらきらと輝きだす。
「へぇー、そうなんだ。どんな犬でなんて名前だ?」
「母が友人の家で生まれたのを貰ったらしい。毛並は黒で、名はグスタフ・レオンハルト・シュナウデン・コンラート・ホーニヒ・ハルグシュタッド・クリスティアン……」
「ちょ、待て!今何つった?」
「だからグスタフ・レオンハルト・シュナウデン・コンラート・ホーニヒ・ハルグシュタッド……」
「も、いいから!覚えらんねぇよ!!てか、名前長すぎ!
何でそんなんになるわけ?マジでそんな名前なのか!??」
そんな長ったらしい名前で呼ばれたら犬も混乱するし可哀そうだろうが……と思いつつ聞き返せば、生真面目な表情を崩さぬまま、ヒューバートが解を返してくる。
「嘘に決まってるだろうが」
「!!」
「ポチだ」
「……………」
「黒いからクロでいいだろう?と言ったんだが……まったく、母はセンスというものが欠けている」
「何が『まったく』だよ!お前だって十分『まったく!』だよ!!」
死ね、いっぺん死んで来い。このあほが!ボケでナスが!
その口に、この殻付き胡桃を皿ごとつっこむぞ!?
新しいワインのボトルを乱暴に掴み、自らのグラスにどばどばと手酌で注ぎながらミナトは毒づく。
飲まねばやってられん!!俺の血圧が最近上がりっぱなしなのは、間違いなくコイツと部下共のせいだ、そうに違いない!!、と。