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上官殿の申すことには。  作者: 此花タロウ
<閑話>本当に残念な人は誰?
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<閑話小話>彼と彼女とその兄と その2

 


「そうか――ならば、俺が婿に行けばよいのか?」



 それはヒューバートの少し薄めの、男の目から見ても整った唇から零れ落ちた言葉という名の一滴(ひとしずく)

 常ならばその少し低めの、不思議とよく通る落ち着いたその声は耳に心地よいくらいだが―――その内容がいただけない!一体、今、何つった!!

 そのくそ真面目な顔には似合わない……素っ頓狂な解と決に開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ!


 どの面下げて言いやがる……いや、ムカつくほどのこの面か!

 顔だけならば美男(イケメン)ですね。だが、その口から出てくる台詞は……哀しいことに残念ですね!!


 しばしそのまま放心した後、ミナトは先刻よりぱかりと開いたまま、という何とも間の抜けた状態だった己が口をどうにかこうにか閉じはしたものの、さながら金魚鉢の中の金魚、池の中の鯉のようにぱくぱくと口の上下への開閉運動を繰り返した。


 一方、ヒューバートはそんなミナトを尻目に、どこ吹く風とばかりの澄まし顔のまま、優雅な所作で再び茶なぞを啜っている。

 ちなみに、カップの中身は薫り高い紅茶でも洒落たハーブティーでもなく、以前、シズリが健康によいからとヒューバートに渡したドクダミ茶。

「君はドクダミの花のようだ」、と言って「はぁ??」と、キョト顔をされていた……。



 って!今はドクダミなんぞどーでもいい!!

 一体どうやったらそういう意味に取れるのか――どこまでポジティブシンキングなんだ!てめコノヤロ!!と襟首掴んで諤々(がくがく)と揺すぶってやりたくなる。そのイケメン面の奥歯ガタガタ言わせんぞ、と。(下品な物言い、失礼!)


「……お前はあほか?」


 思わず口から零れた。コイツはあほだ。あほに違いない。

 ――嫁に行くのが無理なら婿に行く。言葉としての意味は通るが論が通らない。意味をなさない。筋の通らぬ中身のない、虚ろなそれに何の意味がある?。

 そんなことも分からぬ奴ではあるまいに。それとも言葉という器による戯言(ざれごと)を、繰り言をぬかしているとでも言うのだろうか。

 ならば……やはり、こいつはあほとしか言いようがないと思う。


「……先刻までの、口を開けたままのお前の顔の方が余程の阿呆面だったが?」

「…………うっせぇよ!」

「あまり口を開けておくのは感心せんな。……阿呆の口を住処と間違えて秋虫が飛び込むぞ?」

「にゃにおうっ!!――っん、むっ!?」


 かちん、とくる一言に怒鳴り返そうと、再び大きく口を開けたところで飛び込んできた何かによって声を音にすることを遮られた。ぐぐぅっという音だけが喉に詰まる。

 本当に秋虫でも入ったのかと一瞬恐怖したが――それは意外なことにも甘く…やわらかくもあっという間に口の中でとろけて消えた。


 それはまるで絹のようになめらかで――甘くもすべらかな女の素肌のようにとろり、蕩けるような感覚を舌に、やわらかくもくすぐるように、しかし確実に匂い立つ秋花のような香りを鼻腔に残して。

「ほうら、阿呆の口に入っただろうが」目の前の男が艶然とわらう。だが――それはいつもの冷たい、無感動な笑いではなく、どこか小憎らしくも、ついないほどに人間らしく、やわらかみを帯びた表情だった。


「………あまい……うまい……。ボンボン・オ・ショコラ、か……」

「好物だろう?」

「うう……。そうだけど、さ……」


 ミナトは酒もかなりイケるほうだが、甘いものも大・大・大好きだ。大きな声では言えないが、若い女性に大人気の菓子、ボンボン・オ・ショコラには特に目がないと言ってもいい。

 薄く軽いクーヴェルチュールチョコレートやとろけるような生チョコレートでプラリーネやガナッシュ、リキュールなどを入れたそれは一粒で天上の至福を与え、一日の疲れなぞ吹き飛ぶほどの恍惚感と幸福感をミナトに与えてくれる。


 だが、拘束時間の不規則な軍部にいると、なかなかおいそれと買いになぞ行けないし、かといって非番の日に買いに行くのも躊躇われる。

 当然、他の軍部の男たちに一緒に買いに行こうなどと言えるはずもなく、一人で菓子屋という、ミナトのような若い男にはまさに恐怖の戦場に乗り込むはめとなる。


 ―――いくらミナトが童顔とはいえ、れっきとした28歳の男。しかも仮にも真にも軍人だ。

 さすがに若い女性しか並んでいない、あま~い焼き菓子の香りと若い女のおしゃべり声が充満するピンクと黄色の空気の中に、いい年したでかい男が一人混じって並ぶのは……それこそ試練かはたまた拷問か。……いっそそういうプレイか、そうなのか、と。


 じろじろと、好奇を含んだ横目、もしくは不審そうな眼差しで見られながらも、延々とその場に、列に並び続ける時間の長く……その苦しいことよ。

 その間、ひたすら地面に何か特殊な、複雑な文様でも刻まれているかのようにじっと下に視線を向けて、自分の靴のつま先とにらめっこをする羽目となる。


 さもこれは彼女へのプレゼントであって、けして俺が食べるわけじゃないんです~俺はいい年して甘いもの好きな軟弱男じゃないんですよ~、というフリをしていてもバレバレな気がするし、かといって軍服のまま、軍帽を目上まで引き下げるかのように間深く被り、さも上からの命令でお使いに来ました、と言うフリをするのも白々しい……。

 いりもしない「領収書下さい、あ、宛名??……あー、えっと上様でいいです」とか何とか言っちゃったりとかさ。


 ゆえに……こっそりシズリにおつかいを頼むことの心苦しさよ。そして食べたい!と思ったときに買いに行けない男の立場の哀しさよ。


 ――いっそ、エロ本でも買いに行ったほうが堂々と行けそうな気がする。男だからな!女には、若い女性には買えまい!

 たとえ売り子が若くて綺麗なお姉さんでもズバン!とエロ本をカウンターに叩きつけ、堂々と言ってやる、やるともさ!!「お姉さん、これ下さい!」と。……言えるはず……うん、恐らく……たぶん、な……。


 ……何かが、目指す何かを間違っているような気がするのは気のせいだろうか……。

 うう、と思わずがっくり下を向けばとんとん、と肩を指で叩かれ、はじかれた様に顔を上げる。

 次の瞬間、再度口に放り込まれたそれは、先ほどとは異なる味の、やはり舌ごと心もとろけ、とろかすような至福の塊で。これは……ダークチョコに苺のジュレだ。初恋のように甘酸っぱく、ほんのりほろ苦くもとろける甘さに思わずうっとり、顔がにやけてしまう。


「もっと食べろ」


 ヒューバートが言う。……若干、ミナトの弛緩しきった頬と表情にひきつつも。


「おう!!……って、いいのか?俺が喰っちまっても」

 喰うと言ったら喰うぞ?全部、お前の分まで喰っちまうぞ、むしろ持って帰っちまうぞ??と聞けば、大きな箱で4箱も眼前に突き出され、目が丸くなる。


「これは元々お前への土産だからな。全部持って帰れ」

「!……ヒューバート……お前っていい奴だったんだな!!心の友よ~~!!心友(しんゆう)よ、いや、真友(しんゆう)だ!!

 無表情のくせにむっつりスケベで…性格にも難ありな上、無口で口べたで目つきも悪くてストーカー予備軍でテンプレ美形のくせに残念な奴だと思ってたけど……意外にもいいところあったんだな!!」

「……ミナト……それは俺に喧嘩を売っているのか……?そして手を離せ、心持が悪くなる。懐くのもよせ!」


 ヒューバートの手を握りしめ、父親譲りの空の青の瞳をきらきらと潤ませ、喉を鳴らさんばかりに懐くミナト(くどいがこれでも28歳、成人男子!)から、あるはずのない猫の尾が嬉しそうにピン、と立っているかのような幻覚すら見えそうだ……。

 何とかミナトとの間に距離を作るべく、菓子箱で距離をつくりながらヒューバートは続ける。


「……今回訪れたローザンヌは、職人の街なだけに休憩の習慣を大切にしているらしい。疲れを癒すためだけに糖分と水分を補うのではなく、会話や茶菓子を共に楽しむことで仲間との連帯感を充足させる、という目的もあるそうだ。茶の時間の浸透と共に菓子の文化も急速に発展したと聞いた。ゆえに女性だけでなく、男も菓子を買うのが当たり前らしい…だから懐くなと言っておる!」


 ヒューバートに菓子の箱ではたかれた、ミナトの明るい茶色の頭がぱかん、とよい音をたてる。

 つむじを殴られ、「いってぇぇぇ」と唸りながら頭を押さえてその場に蹲ったミナトを尻目に、ヒューバートがゆっくりと言を続ける。

「もっとも、職人たちは手先と眼の神経を鋭敏に保つために酒は飲まぬだけに、甘いものがすきらしい」、と。


 ミナトはずきずきと痛む頭をさすりつつ、しばし考える。

 酒を飲めないのは大いに困るし、耐えがたく嫌だが、男も菓子を堂々と買えるというのはミナトからすれば羨ましい限りだ。そしてそうと聞けば、今度は酒が飲みたくなる。


 ――これから久し振りに飲みに行くのも悪くはないな。ローザンヌでの話や今回の経緯もじっくりと聞きたいし、な。


 ヒューバートに先ほどまでは武器扱いされた大事な、大事な菓子箱を小脇に抱えながら、そうつぶやく。

 まったく―――人間と言う生き物は、男という生き物は――贅沢で自分に正直な、欲望に溢れた生き物だ。

 ヒューバートを横目に見つめつつ、ミナトは自分自身に対し、そう自嘲するかのようにひとりごちた。





 * * *



 団体客がいるのか、1階の喧噪と混み具合が嘘のように酒場「銀の匙 金の針」の2階席は人気がなく、驚くほどに静かだった。

 テーブルの上には既に空いたボトルが並び、ミナトもヒューバートも各々のグラスを各自ゆっくりと傾ける。

 気心のしれた二人のこと、いちいち乾杯などしない。していたらきりがないし、第一今さら何に乾杯するというのだ。

 そんな暇なぞない、無意味だとばかりに各々が粛々と、そして沼のごとく貪欲かつ底なしに、酒という名の(かんば)しい液体を腹にぐいぐいと納めていく。




「だから悪かったと、俺の認識が甘かったと言っている」


 これまでの僅か一時間で摂取した酒がいささか回ったのか、ヒューバートが珍しくそのポーカーフェイスを崩し、眉間に皺を寄せながらもつぶやく。

 指は空いたばかりのグラスに次をそそぐべきか、そろそろやめておくか迷うかのようにそっとグラスの淵をなぞっている。


「確かにお前がぜーんぶ悪い!おかげでシズリにはとばっちりだぞ!!でもな、お前はぜーんぜん、これっぽっちも事の意味が分かってない!!

 上司部下で同じ日に休暇届を出すことは悪くないさ。仕事の関係上、そういうこともある。

 だがな。――それをヒューバート、おまえが申請した、というのが問題なんだ!軍内部に喋り歩く総務課の女もどうかと思うが、お前は自分の立場を、どんだけ目立つ存在なのか、ちったぁ分かっとけ!つーの!お前は寿除隊、玉の輿を狙う女共の垂涎の的なんだからな!」


 だからお前は抜けてんだよ、ばーか、ばーか。どあほうが。むっつりすけべ。鈍感。穴が開いた網。無意識過剰!

 そう言いながらミナトはワインの瓶を引き寄せ、中身が残っているか確認してからどばどばとヒューバートのグラスに注ぎ、ぐっと突き出す。

 むっとした視線が返されるが、目礼してから黙って受け取ったあたり、反論する気はないらしい。

 うむ、素直でよろしい。



 だが、そんなヒューバートがこうして軽口をたたくのも、遠慮のない返しや感情的な眼差しを返してくるのもミナトが相手だからだ。

 それがミナトにはよく分かっている。理解している。

 他の者に対してならばもっと上手く言い繕うか、無表情の中の沈黙という名の金言を返し、無感情な絶対零度の視線で相手をむしろ黙らせるであろう。

 ヒューバートは無口無表情の鉄面皮と周囲は認識しているが、彼自身がそれを是としているともいえる。

 彼自身が軍人を、魔刀の主という道を選びとったのだから、それに相応しい鉄壁の壁たる仮面をつけているのだとミナトは知っている。

 そしてその仮面がはがれるのも、瞳の奥の感情を読み取れるのもヒューバートのつけた美麗で冷たい軍で培った仮面ではなく、ヒューバート自身を見つめようと、知りたいと思う者だけなのだから。


 ミナトは自身の喉の奥のさらに奥、それこそ胸の奥底から魂ごと抜け出るかのような大きな溜息をひとつ、洩らした。

 ……これは事実だ。

 ヒューバートの群青の双眸を父親譲りの空の青の瞳でひたと見つめる。

 その無表情な瞳のさらに奥にはミナトに対する後ろめたさや偽りの陰は見えない。ただ澄んだ、濃い群青の瞳の奥に目をこらせばミナトに対しては常に嘘偽りのないことがおのずと知れた。


 こいつには呆れる。

 こいつには負ける。

 こいつは……こいつだ。


 顔を洗って出直してこい!とでも言おうものならば本当に顔を洗って出直してきそうな、おととい来やがれ!と怒鳴りつけようものならば本当にどうにか、ありとあらゆる手段を講じて律儀におととい来そうである意味……この生真面目さが恐怖であり……ある意味信用もおける。

 だから……分かっている。

 この男の言が、虚ろな、空虚な……言葉という器による単なる戯言(ざれごと)などではないことを。


 だから今回の件はちゃんと話を聞かねば、と思う。―――何よりも「思わぬ出来事」についてもきちんと聞いておかねば、と腹の底に力を入れなおした。




 そして、たいがい、俺もヒューバート(こ い つ)には弱い。


 それは――いつも泰然自若、冷静沈着、鉄面鉄皮、軍人の鑑といったこの男が――ミナト自身の瞳に、ときとしてひどく脆く、儚くも―――見えてしまうときがあるからかもしれない。

 そして、そのようなことはけして本人には言えるはずもないのだが―――・・。

「上官殿の~」はお久しぶりの更新です。お待ち頂いていた方には本当に申し訳ありません!!少し、お休みさせて頂いておりましたがこれからはきちんと更新できたら、と思います。


そして…やはり予定内容まで届きませんでした。なので、次は早めに上げたい、と思います。


あと、こちらのサイトにて新連載も始めてました。

タイトルは「間に合ってますから!!」

こちらもラブコメですので、よろしければ合わせて楽しんで頂ければ幸いです。

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