焦燥と忘却のカタストロフィー
―――軍人というものは厄介な生き物だ。
シズリは我ながらそう思っている。
平常時でも、たとえ休暇中でもいつ何時呼び出しが入るか分からないし、どんな些末なことでも視界に、意識にひっかかれば条件反射で身体が動き、勘ぐってしまう自分がいる。
そして、そんな自分自身は年頃の若い女性らしいとはとても言えないし、お世辞にも可愛いらしいとは言えないだろうと。
それも無理はない、と自分自身へと言い聞かせる。
シズリはまだ軍人とはとても言えない、ひよっこの見習いと言っても過言ではなかった士官候補生時代から、度重なる遠征へと駆り出されてきた。
他国からの協力要請により、勃発した内乱の鎮静やまるで終わりがないかのように思えるほど何度も続く戦乱の鎮圧のために。
それこそ何度も、何度も。そんな日々を繰り返し、繰り返して日々を、年月を重ねてきた。
それが自分の選んだ道、進むべき道なのだから。
今でこそ周辺各国の情勢も落ち着き平和めいてはいるが、年若いうちに数多の苦い経験をしてきたことをこの心が、身体がしかと骨身に沁みて覚えている。
己の身体に染みついた苦い記憶も、焦げるような匂いも、消えていく命の音も・・・失ったものも、守れなかったものも。
早くから戦場での実戦を経験し、死線を潜り抜けてきたゆえに染みついた軍人根性が、意志とは関係なしに身体を機能させる。
それは平時でも同じで。
たとえば―――人間として必ず取らなければならない睡眠という面でも同じこと。
下手をすれば48時間寝ずのぶっ通しの行軍にも耐えられること、短時間でも濃縮された睡眠を取れることが軍人には基礎中の基礎として求められる。
それが生死の分け目ともなるといって過言ではないのだから。
だから休みの日だろうが、仕事のある日だろうがシズリはいつも必ず決まった時間に起きるよう、体内時計が機能している。
そして・・・それは今日も同じこと。
シズリはゆっくりとその瞼を開き、数度瞬きを繰り返した。黒い睫の下、蒼い瞳は未だ焦点が定まらず、しばしぼんやりとした色をその瞳が映す。
まだ眠りの雲という靄がかったかのような意識の中・・・習慣というものはある意味恐ろしいもので、まず、今が何時なのか自動的に確認しようと頭が動き始める。
今――・・目が覚めたことから察するに・・・現在時刻は05:30過ぎかそのあたりといったところだろうか。
今日もいつも通りに目が覚めた・・・つもりだったが少々・・・いやいや・・・何だかおかしい気がする・・。何となくひっかかるというか。
それはちゃんと目が覚めていない、ということだろうか。ぱちり、ぱちりと数度瞬きを繰り返してみる。
目が覚めた直後、完全に眠気が取れていないという点から、いつもより少々早い時刻の気がする。うん、それはおかしくはない。よくあることだ。
何か気にかかることや大事な任務がある場合、早めに目が醒めることは慎重で几帳面な性格のシズリにはよくあることなのだから。
だが・・・何かがおかしい。
横向きに寝た体勢でいることは分かるし、感触からしてあたたかく寝心地のよいベッドにいることも分かる。
けれども、ちらりと生じた違和感が拭えない。うなじの毛が逆立つような違和感。
むしろそれはどんどん増すばかりで。
ここは・・・自分のいつものベッドじゃない。うん、それも分かる。
しかも、目を開けたはずなのに、何も見えない。例え暗闇だろうと夜目がきくよう訓練してあるから、夜でも平気なはずなのに。
・・・いや、見えてるはずなのに、顔が何かに押し付けられておりますよ?
さすがに窒息死しそう、というほどではないけれど・・・うーん、動けない。
枕にしては・・・んん??・・・硬い。硬くてあたたかい気がする・・・でも何だか気持ちいい・・。
もう少しこのまま寝ていたいような・・・・。
思わず、再び瞼を閉じてしまいたくなってしまいそうになるが・・・もぞり、と身じろぎをしたその硬い何かの動きが何かを、先ほど感じた違和感を呼び醒ます。
再び頭が機能し始め・・・最初に浮かんだ疑問がひとつ。
・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・てか!!ここ何処ですか!!?
先程までのふわふわとした浮遊感はあっという間に散り散りに離散していき、急速に意識が覚醒してゆくのを感じる。
いつものように勢いよく、起きようとするが、がっちりと何かに押さえつけられているようで起きるどころか身動き一つできない。
まるで・・まるで何かに縛り付けられ、閉じ込められているかのような状態だ。
そして先程感じた違和感はやはり変わらず。
何かに押し付けられた状態の顔が・・・目が覚めた今となっては少々息苦しい。
うぅ、空気プリーズです。
シズリはしばし、そのままの体勢で想定しうる事態を思い浮かべてみる。
・・・・…――――――嘘!!まさか知らないうちに捕縛されたとか??
いつの間に、何処の国の誰に!??
えぇっと・・・昨日、私は何処で何をしてましたっけ・・・・?
逸る気持ちを押さえつけ、しばし考え込む。思い出せ、お前は昨日何処へ行き、誰と何をしていたのかと自分自身へと自問自答する。
相変わらず身体の自由は利かない状態だが、頭の方はフル回転を始め、脳内の処理機能が昨日の出来事に関する帰結へと思考と記憶を導いた。
・・・・
・・・・・・って!!どぉぇえええええええ!!!!
その瞬間、心臓がどっどっどっと、平常時ではありえないほど早く脈打ち始める。
逃げろ、早く!と本能が叫びながら警鐘音をガンガンと鳴り響かせ始める。
ぶわわっっと背筋のうぶ毛が、全身の毛が逆立つ感触を感じながらも・・・恐る恐る、なるべくこっそりと自らの頭が押しつけられたそれから離れるべく身をよじれば、頭上からあまい、甘い・・・心蕩かすような声が耳元へ落とされた。
「・・・シノノメ少尉・・?」
シズリをその腕に抱き込んだまま、少し寝ぼけたような声で、まだ早い、もう少しこのままで・・・と言いながら、再びシズリを抱き込み、その髪へと顔を寄せたその人は・・・言わずもがな。
そう、上官殿、ヒューバート・ヴァン・ラーツィヒ中佐その人だった!
かちん、と硬直したのは一瞬。
ずざざざ―――っと血の気が引く音がしたと思ったら、次の瞬間にはシズリはベッドの足元まで飛び退っていた!!
それこそ泡を食った猫の如く。
あれほどがっちりとシズリを抱き込み、閉じ込めていたヒューバートの腕という檻の中から即座に、持てる瞬発力の全てを使って。
―――今なら反復横跳びで新記録を出せた自信がありますとも!!
こんな状況で、そんなくだらないことが脳裡をよぎるほど、そのときのシズリは混乱していた。
咄嗟にその場で自らの着衣の状態を検める。幸い、膝までの長さの大き目のシャツのような前開きタイプの寝衣を着ているようだ。
最悪の事態ではなさそうだ、と少しくほっとする。
しかし念のため、と・・・改めて寝衣の下を探ってみる。今着ているこれは、恐らく各部屋備え付けのものなのだろう。
軽く、さらさらと指にやわらかい感触のそれが今朝はやけに頼りなく、薄いもののように感じてしまう。
えーっと。(軍の)胸当てよーし、下着よーし、そして・・・うぅっ!
ぐぐぐぅぅぅっ!!
(着ていたはずの膝丈の)ショートパンツとニーソックス・・・なーし!!!
そのときフラッシュバックしたのは昨晩の記憶。
途切れ途切れながらも脳裡をよぎったのは・・・昨晩の自分の恥ずかしい、ありえない行動。
その逞しい胸板にぐっと近しく引き寄せられた自分の身体、捉えられた右の掌。
だが・・・それに抗ったのは自分自身で。
揺れるシルバーブロンドの前髪の隙間からのぞく、群青の瞳は驚いたように見開かれていた。
そのシャツを、上官殿の襟首をぐっと掴んだ自らの指先が引き寄せたものは・・・。
わたし・・私・・・もしかして・・・・!!!
そのままベッドに突っ伏し、深い・・・深い絶望の淵へと落ちていく。我知らず、涙があふれてきそうになる。
自分で自分を殴りつけたい。いっそこのまま燃えてしまいたい。燃えて消し炭になって窓の外へ、風の彼方へ飛んでいきたい。
切実に、切に、心から、伏して請い願い奉りますとも。
あぁ、終わりだ。おしまいだ・・・まさにジ・エンド。しかもハッピーエンドじゃない、まさしくバッドエンドもいいところ!
これにて閉幕、幕切れ、さよなら、さよなら~となれたらどんなによいことか。
誰か教えて下さい!わたし、シズリ・シノノメ少尉は上官殿を襲ったのでしょうか!?
仮にも上司を、しかもしかも―――あの、ヒューバート・ヴァン・ラーツィヒ中佐殿を!!!
いやいや!!
でも・・・でも・・・!!
ごめんなさい、もしも・・・もしそうならば・・―――やっぱり知りたくない。
知りたくはないのです!!臆病者と呼ぶならそう呼べばいい、謗るなら、蔑むならぜひ何なりと。私が自分自身をそう思うのですから・・・!
――――あぁ、今すぐ穴を掘って埋まりたい・・・いや、むしろ誰か、ぜひ誰か私を埋めて下さい。そしてこのままひっそりと、埋もれて消えてしまいたい・・。
広いベッドの足元で、土下座をするようにシーツにシズリはつっぷし、顔を埋めて身悶えた。
定かでない自分自身の記憶力の欠如と、ありえない、自分がしたとはとても思えない行動を呪いつつ・・・。
色々とすみません・・。
この先まで書くつもりでしたが、長くなるのでとりあえず一旦切ります。
が、あまりにも中途半端なので、なるべく早く続きを上げたいところです。
でも、この続きはヒューバート視点にするか、シズリ視点にするか・・・
ちょっと迷うところです。