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上官殿の申すことには。  作者: 此花タロウ
上官殿がつけあがることには
21/33

―――それはまだ人々が力のなんたるかを知らなかったその昔―――人々は雨は天からの恵み、乾いた大地と作物を癒す豊穣の幸いとして敬うと同時に・・・天からの暴力として恐れた。

荒れ狂う風雨は雨の神と風の神の降臨だと。轟く稲妻は雷神の振るう鎚の鳴り響く音であり、そのきんらめく火花なのだと。

そして魔法科学と技術の発達した今日(こんにち)でも、自然というものは未だ抗えない力であり、畏怖(いふ)の対象であった。



そう、外は嵐。



渦巻く風はさらなる風を喚び、降り注ぐ雨粒は砕けよとばかりに大地を叩く音が響く。

牙をむく自然と言う名の獣は窓の外で絶え間なく咆哮を上げているかのようで・・・人々は荒ぶる獣を諌める術もなく、ただ、ただその怒りが静まるのを願うしかない。ただ座し・・・時を待つしか術はない。


だが・・・その日、そのとき、その瞬間―――シズリの中に巻き起こったのは全く違う・・様々な感情の渦という名の嵐で。


その内面とは裏腹に、周囲を包む空気はまさに嵐の前の静けさ。


音のない、乾いた静謐な空気の中にお互いの―――ヒューバートとシズリの―――息遣いだけが、空気に震えを呼ぶように思え・・・シズリは我知らずと、唇をぎゅっと引き結んだ。。

今日は幾度も噛み締め続けたおかげで、ただでさえ紅い唇がなおさら朱を帯びて色づいている。それが彼女自身に熱い眼差しを注ぐ、眼前の男の目には艶めくも誘っているかのように、都合よくも扇情的に映るとも知らずに。




脈打つ心臓が煩い。自身の頭の中で鳴り響く警鐘音が喚くように煩い。

寒いというわけではなく・・・むしろ身の内から熱く燃えるようで・・・脈打つ感覚に戸惑う。

震える指先を胸の上でぎゅっと握りしめるが、どくどくと熱い鼓動を感じるだけで何も押さえてはくれない。



シズリは内に沸き起こる何かに蓋をすべく、霞む思考に必死にムチ打った。

だが、乾く唇を舌で湿らし、何とかして唇を開いても出てくる言葉がない。形にするべき音が出てこない。ひたすら口を開け閉めしている己の何と滑稽なことか。



この過剰すぎる意識を仕事の話(ほかのこと)に逸らせようと、この雰囲気を打破すべく、何とか浮かんだ話題を舌にのせてみる。

雷よりもなおうるさい、自らの鼓動の音から耳を塞ぐかのように。

ひたり、と向けられた熱っぽくも煌めく群青の瞳から必死に目をそらすかのように。



嗚呼(あぁ)、それなのに―――…。



嵐は外に在らず、内にこそ在りて。中佐殿こそがまさに嵐そのもので、



その名(カンザキ)を口にした途端、一気に部屋の温度が1、2度ほど下がった気がしてならない。

ヒューバートの周囲を〝不穏な空気〟と〝静かなる怒り〟が包んでいるような気がしてならない。



シズリは必死に己が失言が何なのか、頭の中で振り返る。

親切にも手当をして下さっている上官殿に対して・・・何とも自意識過剰な、恥ずかしいことを考えていたのがバレたのだろうか・・・。


何が上官殿の気に障ったのか・・・必死に考えれども、考えれども・・・思い当たるところがない。

神様、やはり私には平凡な日常など望むべくもないのでしょうか??

のったり、のたりと薔薇の上の散歩なぞを楽しんでいる蝸牛を羨ましいと思う日が来るとは思いもしませんでしたよ、ええ・・・!!




秀麗、としか言いようがない顔はつい先ほどまで、相手の爪の先まで蕩かすかのような艶美な微笑を浮かべていたのに、今は再び、いつもの無表情に戻っている。

その瞳も黒みを帯びた群青色に戻り、内なる心情どころかどんな感情とて、読み取ることができない。

だが、その纏う雰囲気は明らかに剣呑さを帯び・・・徐々に周囲の空気を圧迫するような威圧感を醸し出す。室内の空気が重く、息苦しい。



シズリはその威圧感に思わず膝と腕で後じさりしかけた。

逃げたい、切実に逃げたい!!

本能が、これまでの死線で鍛えた第六感が逃亡せよ、と頭の中で警告する。


だが・・・肝心の身体がまるで縫い止められたかのようにぴたりとその場から動くのを拒む。

己自信の不甲斐なさに愕然とすれば、いつの間に捕えられたのか、無事な方の右腕がその右腕にしっかりと掴まれていることに、自らの腰を抱き止めるようにその左腕が廻されているという現状に、ようやっと意識が向いた。


その腕はがっちりとした檻のようで、離すまい、とばかりにシズリを捉え、包みこんでいる。

手首を掴んだその掌から伝わる熱は熱いほどで、硬い皮膚やマメの感触すらも肌に伝わる感覚がなお鮮やかに、これが現実だと訴えている。

腰に廻された腕は楽々とその細腰を巻き取り、さらに絡め取るかのようにぐっと力がこめられたため、男性らしいしっかりとした筋肉が流れる動きをダイレクトに感じた。



咄嗟に逃れようとするそばから一息(ひといき)で引き寄せられ、その広い胸に抱きこまれる。

それはあっ、と言う間の出来事で・・・抵抗する間も、驚く暇もないほどだった。

すらりとした体躯に似合わず、その胸は意外なほどに厚く―――堅い胸板と鋼の筋肉をぐっと押しつけられた自らの頬で感じとる。


まだ少し湿ったままの髪に指を差し込まれ、うなじのあたりまで梳かれると再び背筋が震える。

髪の中を指が通り、やがて差し込まれた指の腹で背筋のラインを確かめるように辿られると思わずため息が漏れた。



不快じゃない、むしろその逆で。



だから・・・怖かった。初めて臨んだ戦場で感じた怖れとはまったく違った意味で・・・シズリは震えた。沈黙が部屋におち、その静けさすらも怖ろしい。

そして短くも長い―――実際はほんの数分だったが―――沈黙の後、彼の人が口火を切った。



上官殿はおっしゃいました。

先程までの無表情から一転、その顔に凍れる薔薇の如き冷たくも美しい微笑(ほほえみ)を浮かべながら。




「では、その前にひとつ、君に大事な質問をさせて貰おうか―――。

シノノメ少尉・・・君はあの男カンザキが初めての接吻相手だったのかな?」

と。




捕えられた胸の中で落とされたその問いへの答えの持ち合わせなど当然あるはずもなくて。魔剣の話をするつもりだったのが、なぜそんな話に転じるのか・・・皆目その意味が分からない!

シズリは内心パニック状態になりながらも必死に考える。返す刀を探して、打ち返す球を探して。



えぇっと・・・そもそも。


なぜゆえ、こんなに密着した体勢で、そんな私的な話題を私にふるのでしょう?

そしてそれを知るのが上司の義務なのですかね?答えることも部下としての義務なんですかね??

ちょ、もーちょっと離れて下さると嬉しいのですが・・。息苦しいし、鼻がむずむずします。



・・・あのカンザキとの一件とて・・・私も最初は驚き腹を立てましたが―――結局は人工呼吸のようなものだったではないですか。

もっとも、彼の魔剣のせいでもあるから感謝gするとは言えないけれど・・・敵に塩を送るとも云える彼の行為は・・不可思議としか言えないけれど。

でも、でもでも・・・なぜ、どうして中佐殿はこんなに怒っているのだろう。一体誰に対し、何を怒っているのか。・・・やはり分からない。



その胸板にぎゅうぎゅうと押し付けられていると・・・何だか思考がどこか・・はるか彼方へと飛んでいってしまったかのように感じる。ちょ、私は猫じゃありませんよ―――!!



何とかその腕の中から逃れようと頭を振れば、自らの黒髪がさらりと頬にかかる。その黒が・・・否応なくあの黒髪黒目の男の顔を思い出させる。シズリが歯を立てた唇から滴る朱い雫を舐めとりながら、からかうような表情を浮かべたあの顔、思わぬほど真っ直ぐにシズリを射抜いたあの闇色の瞳が脳裡に浮かび・・・ふり払うかのように再度(かぶり)を振った。



カンザキ―――神崎(カムサキ)―――神裂き――――…



そのとき、不意に脳裡に浮かんだあの風景。



涙にけぶる草の野原の向こうに浮かぶは白い月、月が浮かぶは闇色の空、空から降り積もるは燃えたつような紅の葉・・・踏みしめた足元でほろりと崩れた土の匂いと伸びた影。忘れろ、と囁く声、視界を遮った掌の感触―――…・・



憶えていないはずの、あるはずのない記憶。

は、と一瞬飛びそうになった意識を再びたぐり寄せる。いけない、思い出すな、あのこと(・・・)は・・・忘れたのだと。



何とか今の現状に意識を集中させる。つい先ほどまで呑気な、能天気なことを考えていたのが嘘のようだ。割れんばかりだった心臓は一瞬、意識が逸れたせいかやや治まり、頭も少し冷えたような気がする。

だから気づいた。



―――・・このままでいるわけにはいかない。



不思議と居心地がよい・・・だけど明らかに心臓に悪そうなこの檻の中は―――自分(シズリ)なぞのいてよい場所じゃない。

そう、ここはシズリのものじゃない。お前のような者はわきまえよ、と内なる自分が自分に囁く。



「何を考えている?」



黙するシズリの耳に、普段ではありえないほど近い距離から再び声が落とされる。耳に被さる髪をすくわれ、後ろに流されるとさらさらと音をたて、その掌に束となってこぼれた。

しばし髪の感触を楽しんでいたその指がそっと首筋を辿り―――顎に当てられたかと思うと唇をなぞられた。



唇で感じたその指は優しく―――はるかな郷愁をも思いおこさせた。

それは・・・未だ残る、ほの甘くも苦く、後悔ばかりの記憶。押し込め、鍵をかけたはずなのに。どっと記憶が、感情の渦が堰を切って押し寄せる。



「シノノメ少尉・・・質問の答えは―――?」



そんな風に呼ばないで。微笑いかけないで。優しくしないで。抱きしめたりなんてしないで。そんな瞳で私なんかを見ないで―――・・・

たかが唇、それだけじゃないか。それに一体どんな意味がある?私はそんなたいそうなものじゃない!

惑乱・困惑―――ややもすれば怒りのような感情が胸を衝く。やがて・・・そんな思いが上官殿へと矛先を向け、ぞろりとした感情がかま首をもたげる。



そもそも―――貴方だって。



ローザンヌの街でエスコートしてくれた姿勢はいかにもスマートで・・・女性の扱いにもさぞかし慣れているのだろうと思われた。

そしてたとえ部下であるとはいえ・・・女性と同室でもいっこうに構わない、といった様子で焦ることも疑問に思う風でもなく。

つい今しがたも・・・男女ではシャツの合わせもボタンの位置も逆なのに、驚くことも戸惑うこともなく、シズリのシャツのボタンをあっさりと、するすると手慣れた様子で外してみせた手つきも鮮やかで。



その手は女性をよく知っている。

そう、感じた。



ふつふつと内側から急速に、ありえないほど沸き立ち、煮えるものを感じる。先程までの震えはいつのまにやら止まり・・・その替わりに燃え立つように熱く、こみ上げる何かを感じる。

きっっと顔を上げ、ヒューバートを見上げた。抱き止められたままの状態だったため、その群青の瞳がついないほど間近くこちらを見下ろし、目と目があう。

その瞳を強い視線で見返せば、やや驚いたような色が浮かび、シズリの右手を捕らえたその手の拘束が緩んだ。



急激に沸き立ったその衝動にどっと流された。ヒューバートが何か言った気がしたが、それも耳には入らなかった。膝立ちになり、右手でそのシャツの襟首を掴み、ぐっとこちらへ引き寄せる。


そして―――・・シズリはその唇に噛みつくような接吻を落とした。

更新、遅くて申し訳ありません!!


今回は少し、シズリの過去の記憶を匂わせてみました。

あと、上官殿・・・シズリのためにけっこう頑張ったことが逆に

「・・・この人女慣れしてる!!」と不信感を持たせたようでww


でも結局、シズリのファーストキスが誰か、今回は答えになってませんね・・・。

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