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上官殿の申すことには。  作者: 此花タロウ
上官殿を邪魔する者には
19/33

人の恋路は邪魔するな!

ローザンヌは元々は山と海に挟まれた小さな街であった。

街の人々は鉱山と共に生き、山の恵みを糧とし、海を(さいわい)としてきた。

だが年月(としつき)を経て―――現在はこの国における自由特区という自治都市的な位置づけになっている。



それはローザンヌという街がひとつの街としては特殊な、街そのものが強い力と影響力を備えていることを意味している。

そしてそれは魔導石の恵み豊かな鉱山を背に、高台の眼下に広がる美しい海原を足元に持ったという、恵まれた土地独特の事由に依ることが大きい。



―――確かに繁栄の第一歩はその美しい景観と魔道鉱山のもたらす恵みからで。

だが、その街としての大きな躍進となった歩みはその街に生まれ、育ち、生きてきた人々が築き、受け継ぎ、練磨を重ね、磨きに磨いてきた独自の技術力と努力の賜物に依るものだ。


特に魔導石を利用した技術、繊細かつ職人の匠の技の賜物による魔導銃を始め、魔燈火などの必須用品などの工房は他に追随を許さない、独自の技と修錬を修めている。



ゆえに、さらなる高みを目指す技術者や職人を志望する者達が国境に関係なくこの街の工房の門戸を叩くため、自由闊達としながらも―――職人の街特有の一種厳格で、独特の雰囲気を持っていた。



―――そう、ローザンヌという街自体がすでに一種の〝国家〟なのだ。

技術とその精神という名の神の前に(こうべ)を垂れ、跪いた者達の。

そんな者達に果たして国や、まして民族、出身などが関係あろうか?



粛々と〝掟〟を守ること。勤勉、努力―――そして自尊心(プライド)

それが彼等の持つ精神という名の国だ。



だから媚びない。

そして揺るぎない。

ゆえに浸食も妥協も許さない。



それが街の、人々の規範となり、力となって直通鉄道の開通を呼び、さらなる技術と観光客を呼び寄せた。



直通鉄道の力もあり、鉱山の街、職人の街が観光の街としても不動の地位への階段を駆け上がるのも瞬く間の出来事であった。

鉱山が真っ白な鎧に閉ざされる真冬を除けば、季節を問わず街への人々の客足は(とど)まることをを知らない。

そうして必然的かつ自然と飲食・宿屋業も繁盛し、それも立派な街の伝統産業となって、より街を盛り立てる(かなめ)となっていったのだから。




そして―――そんなローザンヌに長年、老舗の宿屋として看板を連ねてきた「白い兎と月と亀」という伝統ある宿屋が歴史ある趣を構えていた。

勿論、単に信頼される老舗、というだけでなく、居心地のよさ、部屋の質の良さ等でも確固たる信を得ており、街でも指折りの宿屋としての地位を築いていた。


だが・・・突然の大嵐が起きたその日、「白い兎と月と亀」の五代目、ジョシュア・リントン(28)はある部屋の扉の前でうろうろと行ったりきたりを繰り返す、という不可思議な行動をとっていた。



彼はふさふさとした栗色の髪とそれに似合った青い瞳を持つ好人物で、その優しい、人好きのする容姿が彼の穏やかな雰囲気をよりいっそう引き立てている。

そして、若いながらも丁寧かつ細やかで親切な応対ぶりが、上品で清潔な伝統ある宿屋としての古来からの評判をよりいっそう高めていた。



ジョシュアは宿屋の主としての仕事を愛し、助けてくれるスタッフ達を信頼し、宿を訪れ去っていく―――二度と会わないかもしれないし、再び会うこともあるかもしれない――客達を大切にしてきた。



〝常に心は穏やかに〟


〝お客様は神様です〟


〝誠心誠意お仕えします、貴方の幸せは私の幸せ!〟



これを自らとスタッフ達の心のモットー、魔法のマントラとして唱えながら18のときからこの10年、熱心に仕事に励んできた。

だが、そんな正直で優しい彼の真っ白な心に蔭る雲、不定愁訴は―――先程来店した二人連れの男女について、だ。

部屋に通したものの・・・彼等に関するある葛藤と自責の念を腹におさめたまま―――落ち着くこともできず、さりとてどうすることもできないまま、足はうろうろとその部屋の前をふらつくのみ、という・・・。




そもそもこの日は突然起きた大嵐で鉄道が止まり、観光客の多くが足止めされる憂き目となった。

ゆえに宿の仕事はてんてこ舞い、この近辺の宿屋の中でもグレードは当然のこと、それに応じた宿代も数本の指に入るここ「白い兎と月と亀」でさえも、あっという間にほぼ全ての部屋が埋まってしまったほどだ。



そんなところにやってきたのは、降られに降られ、濡れに濡れた若い男女のあの二人。



男の方は丈高く、シルバーブロンドの髪に群青の瞳の端正な顔をした青年で、突然の嵐でしとどに濡れた姿は・・・まさしく〝水も滴るいい男〟といった風情で。

ストイックな雰囲気ながらもどこか・・むしろ匂い立つような色気を漂わせたその様が受付ラウンジにいた女性客の視線をそれこそ釘付けに、一身に集めていた。



一方女性の方は年若く、すらりと高い背にこの国では珍しい、長い黒髪に蒼い瞳が印象的で。

濡れ羽色に艶めく髪色がその繊細な面差しと相まって、しっとりとした不思議な色気を放っていた。

その細い肩には多分に余る、男のものらしき上着を頼りなく着込んだ姿は清楚な中にもどこか淫靡な魅力すらあり・・・。




―――だが、二人に共通して言えることはある種、独特な雰囲気があり、隙のない身のこなしをしていることだ―――。



(・・・軍人だ。特に男はそれなりの役職の。

会話の様子からして恋人同士というわけではなく・・・上司と部下、だろうか。)



幼少時より宿屋家業を手伝い、客商売をしてきた経験と勘ですぐそれと気づく。

職業柄、さっと全身に目を走らせるが、見たところ帯刀しておらず、丸腰のようにも見える。

尤も、女性の方は男性客の上着ですっぽりと覆われているため分からないが。



部屋が一室しか空いていない旨伝えたところ、しきりと男性との同室を避けようと懸命に、生真面目に反撃?する様が、その繊細な顔立ちとアンバランスで何やら可愛らしい。

感情が高ぶっているのか、白い頬に紅く色が(とも)り、うっすらと色づいている様がいかにも初心(うぶ)で。



その様はまるで・・・懐く銀色の大型犬に(くわ)えられ、じたばたともがく黒い子猫のようだ。

本人は至って懸命に、必死にもがく様が愛らしくも微笑ましい。

その一方で、その身に余る男の上着からのぞくうなじは白く、細く・・・濡れた後れ毛が首筋に張り付く様が色っぽくて不謹慎にもときめいた。



こんなに困っているのだから・・とジョシュアは女性を哀れに思い、普段は客室としては使ってはいないが、唯一空いている部屋の鍵を引き出しから取り出す。

だが―――ジョシュアが思わず職務を忘れ、やにさがった表情を浮かべながら男に反論を続けている女性に見とれた後―――鍵と部屋の存在を知らせるべく、ようやっと表情を引き締めたところでぎくり、とした。



(くだん)の男性客―――宿泊帳簿に記帳していた上司らしき男性客―――がジョシュアと・・その手に持った別室の鍵にじっっと視線を落としていたからだ。

怜悧、とも言えるほどに整ったその顔に表情はなく、感情の一片すらも表れていないが・・・その瞳が違った。



はい、ぜんっっぜん違いました!!



その瞳のたたえる感情は明白で。

無表情の中に浮かぶだけに、それは意味深かつ雄弁で。

その群青の視線がジョシュアの瞳にひたり、と合わせられた。




すぅ――っと腹の下の辺りが冷えていくのを感じる。

首の後ろの産毛が逆立ち、思わず後じさりするとカウンターの後ろの壁に足がぶつかる。

視線がおよぎ、喉にかたまりがこみ上げてくるような・・・何とも言い難いものが皮膚の内側から冷たく這い登り・・倒れそうなほどの恐怖感にずぶり、ずぶりと沈んでしまいそうだ。




既に男の視線はジョシュアから外れ、むしろ甘やかな、美貌の悪魔といった表情を彼女に向けている。

彼女をその悪魔の囁きで、甘い美貌で追い詰め、囲い込み・・その黒髪を弄びながら何事か囁いている。



―――にもかかわらず・・・一方で彼からちくちくと刺すような、切り刻むような意識が放射線状に飛んでくるのを感じる。

そして冷たい空気が変わらずにジョシュアを包み・・・臓腑をゆっくりとじわり、じわりとえぐられるような恐怖感に苛まれる。



(・・・こ・殺される・・・下手すれば夜明けまでに()られるぅぅぅ!?)



このときの感情・恐怖感を後々、ジョシュアはこう語る。



―――逃げたい、という本能の前には〝お客様は神様〟ではなく・・・〝生贄の羊、またの名を溺れる者が掴む藁〟でした、と―――。



ジョシュアは逃げたい、何とかこの場を納めたい一心で言いました。

何とかその瞳に、表情に宿屋の主人たる表情を、感情をはりつけながら。


そう、女は恋の前に女優になると言うが・・・男もわが身・わが命のためならば名役者になれるのだと自らに言い聞かせながら!




「お客様・・・できれば受付前(こちら)ではなく、お部屋でご相談いただければ有難いのですが」


と。



――それはジョシュアが生まれて初めて、そう、初めてわが身可愛さに悪魔に身を売り渡した瞬間であったと―――当人はそのときをこう振り返る――・・。



ヒューバートの腕に捕らわれたシズリの顔がさらに紅く染まった一方で・・・彼の瞳が満足げにきらめき・・・その背に赤い薔薇と黒い羽が飛び散る様をありありと見た気がする、と・・・。



心の中で〝生贄の羊(シズリ)〟に礼と詫びを唱えつつ、何とか彼等を部屋に押し込み、ガチャリと鍵を閉められた音に安堵さえするジョシュアがいた。



「俺、生きてる―――!!」



と。



その後、やはり心配で、己のしたことに罪悪感を抱きながらも部屋の前をうろつくこと30分。

だが、やがて―――やや薄いドアの向こうから聞こえてきた、囁くような言葉にすたこらさっさと逃げ出した。

顔を真っ赤に染め、必ずしも走ったせいではないと思われる左の胸からばくばくと響く、うるさくも激しい音を胸に抱えながら。



それは。


「・・・君にあの男の痕は残させない・・・残させるものか。

君に刻む印は俺のものだけでよいのだから・・・」


という甘く・・・囁くような男の言葉で。




見ざる、聞かざる、言わざる。

ジョシュアの口は貝の口、ええ、なぁ~んにも聞いてませんよ、知りませんよ、と。




以後、この宿の秘密のモットーに付け加えられた言葉がひとつ。



 〝人の恋路を邪魔するものは、馬に蹴られて死んでしまえ〟



宿屋の主人自らが掲げた言葉だそうな。即ち、〝死にたくなければ邪魔するな〟と。

18話でなぜ宿屋の主人がさっさと彼等を放り込んだのか・・の理由ですw

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