熱闘狂想曲
「―――まずは服を脱いで貰おうか。・・・それとも脱がされるほうがお好みかな?」
・・・えぇっと・・・この人は誰ですか?
その低くて甘い声、腰にくるんでやめていただけないでしょうか?
積極的に、切に願います!
そして・・・何で私はこんな状況なんでしょうか??
ちょっ!後ろ手にドア閉めないで下さい!!
え、何で鍵までかけるんですか!!
女性と2人きりになるときはドアに置物を挟むものでは・・え、泊まる場合は別だ。
しかも上司と部下だから問題ない?
はぁ・・・そういうものでしょう・・か・・・??んん??
その濃い群青の瞳からじっっと見つめられると背筋が震える。
怜悧な美貌は相変わらずの無表情で・・・ゆえに何を考えているのか分からなくて。
その口の端がふっっと上がり、私の背筋に電流のような何かが走った。
思わず一歩、二歩・・・後ずさったところで、とん、と何かが膝裏にぶつかり、バランスを崩した。
幸い、倒れこんだ先は柔らかな何かで。
・・・こ・・この感触は・・・・。
シズリの体重で柔らかなマットレスが弾み、掴んだそれは滑らかなシーツのさらさらとした感触で。
部屋の中央にででん、と鎮座したダブルベッドに倒れこんだ状態で、シズリは混乱する頭を必死に宥めようとする。
再び背筋に悪寒が走る。なのに頬が熱い。
暑いのに寒いってどういうことなんでしょう!
雨の中走ったせいで風邪をひいたのでしょうか?
それとも腕の怪我のせいで熱がでてきたとか?
・・・シズリ・シノノメ少尉、ある意味人生最大のピンチ、な気がします・・。
* * *
――― 話は30分ほど前に遡り、宿屋の受付に戻る ―――
そもそも上官殿に異を唱えようとすること自体が間違いであり、無謀なことであり。
それぐらい私もよくわきまえておくべきで。
ヒューバートは書き終えた宿帳を宿の主人に渡し、部屋の鍵を受け取ると、立ちすくむシズリにぴたり、とその視線を合わせた。
絞り切れなかった雨露が未だ服からポタポタと垂れ、カウンター前の床を濡らす。
水分を含み、濡れた髪をはらえば、灯りの下で透明な雫とシルバーブロンドがきらきらと煌めき・・思わずシズリはうっとりと目を奪われた。
そのシルバーブロンドの下でこちらを真っ直ぐに見つめる2つの群青の星に気づくまでは。
「・・・よく聞こえなかったがもう一度言ってくれるかな、シノノメ少尉?」
ぴたり、とシズリにその視線をむけたままヒューバートが問いかける。その声は静かで・・・例の如く感情のこもらない淡々とした口調ゆえに何を考えているのか分からず、シズリを戸惑わせる。
「・・・ですから。私はどこか・・ええと、そこの椅子とか廊下で仮眠を取ります、と申し上げました。
中佐殿はぜひお部屋でお休みくださいませ。
もし酒場等が開いておりましたら、私はそこで一晩過ごしてもよいですし」
この大雨ですから閉店するよりもむしろ、風雨を避けるために人が集まっているかもしれません、と努めて何でもないことかのように朗らかに言ってみせ・・・了承を取り付けるべくヒューバートの顔を見上げ・・・そして、後悔した。
例の、あの冷たくも美しい微笑をその顔に浮かべていたのだから。
「・・・私と同じ部屋は嫌だと、そういうことかな?・・シノノメ少尉?」
「!!いえ・・・そんな。決してそうではなく・・・・」
シズリは言葉に詰まる。
まさか男女2人で同じ部屋というのが困るんです、貴方と2人では緊張して気が休まりません、何か・・嫌な予感がするんです、などと仮にも上官、しかもヒューバートに言える由もない。
これでは貴方を警戒しています、貴方が嫌なんですとも誤解されかねない。もしくはとてつもなく自意識過剰な女だと。まるでヒューバートがシズリに手を出すと思っているとでも。
シズリ自身、士官候補生時代や下士官に上がったばかりの頃の遠征では、何度も野営や雑魚寝の経験もある。乱雑な行軍の中、男性士官に強引に言い寄られたこともある。
・・・もっとも、例え相手が先輩であろうが、上位の士官であろうが容赦なく反撃し、叩きのめしてきたが。
どうせ、シズリのような下っ端の小娘に手を出そうとし、撃退されたなど、恥ずかしくて言えるはずもないだろうから。
・・・って、そうではなく!
勿論、ヒューバートのことは信じている。
敬愛する上司であり、人間としても軍人としても心から尊敬している。
何せこれだけ部下思いな上に、常に紳士的な方なのだから。
そしてこの件はヒューバートではなく、シズリ自身の感情の問題であって。
他の男性ならともかく・・ヒューバートだから戸惑うし緊張するのであって。
この複雑な心持を誤解なきよう、失礼のないように一体どうやって伝えればよいのか・・・。
「ではなぜだ?」
「私なぞと同じ部屋では中佐殿にご迷惑かと」
「なぜだ?迷惑なぞない。むしろ君がいないほうが心配だ」
「いえ、そう言って頂けるのはありがたいのですが・・・中佐殿のご厚意に甘えるわけにはいかないですし・・」
「分かった。では同じ部屋にしよう」
もーしーもーしー?
おーい、だから貴方と同じ部屋なんて無理だと言ったでしょーが。
ぶんぶんと首を振って辞退すれば上官殿が畳み掛ける。
「なぜだ?やはり君は私と同室なのが嫌なのか?」
「いえいえ、そんなことはありません!」
「なら、同じ部屋で問題なかろうが」
「それもやはりちょっと・・・。実は私、床で寝るのが好きなんです。あとイビキと歯軋りが酷くて!」
「分かった。私もだ。なら部屋の床で共に寝ればよい」
「中佐殿を床に寝ませるなんて!!それにそんなお話、信じられません!!」
「奇遇だな。私もそう思っている」
以下、延々と続く攻防と「なぜだ」「なぜだ」「なぜだ」の嵐・・・・。
永遠に続くかと思われる攻防にいい加減頭が朦朧としてくる。
普段一切言を発しないというのに、なぜこういう変な状況のときばかり口が回るのか。
いい加減反撃の弾も切れてきた。
鳴らす喇叭も撃ちだす砲弾もすでに潰えた。
このまま歩兵、砲兵もろとも敗走という事態になり得る!!
そればかりは・・・。
―――さて、一体どう言えば逃がして・・もとい、納得して貰えるのだろうか・・。
よし、ここはズバッと本音、核心を言うしかない!
正直な気持ちを言えば・・・納得して貰えるだろうか?
「分かりました。正直に申し上げます。実は・・同室では緊張してとても寝つけないのです・・」
シズリは頬を染め、視線を自らのつま先に漂わせながら正直に告げた。
中佐殿が嫌なのでない、ただ・・緊張するのだと。
その姿は・・普段凛とした表情の彼女には珍しくも可愛らしく映った。
ヒューバートはつくづく、その初々しい姿を、初心に色づいた頬を見下ろし・・・肩をすくめた。
「・・・そうか。分かった」
よしやった!
心の中で快哉を叫び、小躍りしそうになるシズリだったが・・・ふいに両肩をがっしりとした両手に押さえつけられ、はたと気づく。
いつの間にやら上官殿の顔が目の前10センチの例の危険領域にあることに。
雨露でしっとりと濡れ羽色に輝くシズリの黒髪を弄びながら、その吐息とともに危険な囁きという爆弾が耳元に投下される。
「では・・・私が寝かしつけてやろうか?」
甘い吐息が耳朶をくすぐり・・・一瞬、息が止まりそうになる。
上官殿に添い寝され、子守唄を歌って貰う自分の姿を想像し・・・あわわわわ。
歩兵、砲兵、一気に総員退避~!!
硬直し、放心状態のシズリとそれをにんまりと見下ろすヒューバートの間にしばし、沈黙が落ちる。
窓の外では嵐が吹き荒れ・・雷が轟き、ガタガタと宿屋を揺らす音が響く。
シズリの心中の嵐と同じように。
その沈黙を破ったのは神の声か、はたまた悪魔のささやきか。
無論、誰にとってそうなのか・・言うまでもないが。
「お客様・・・できれば受付前ではなく、お部屋でご相談いただければ有難いのですが」
いつの間にやら彼等の背後にできた客の列を掌で示しながら、宿屋の主人がやや怯えるような、戸惑ったような口調で口をはさんだ。
もっとも、その瞳はやや・・面白がっているような印象も否めなかったが。
ちらり、とシズリにやや同情的な視線を向けながらも言葉を付け加える。
「お2人ともたいそう濡れておられますし、お部屋でお身体を乾かすのが先決では?」
と。
色んな意味ですみません・・。