色は匂へど 散りぬるを
戦闘および流血描写があります。
苦手な方、15歳未満の方はリターンでお願いします。
・・・何がどうしてこうなったのか・・。
諸行無常の響きあり、と人生という名の鐘の音が頭に響いている気がする。
そもそもここ最近、上官殿のありえない姿ばかり目にしている気がする。
近寄りがたく―――侵しがたい鉄壁、氷の男。
そんな風に思っていたというのに。
一遍の感情すら滅多に顕わにしない、その上司が思わず魔刀を喚ぶほど激昂する姿を目の当たりにすることなど・・・まず、ありえない。
――しかも、たかが部下が胸を子供に揉まれたぐらいで。
こんなことで怒るなど如何なものか、と自分の中の冷静な部分が囁くが、あれほど怒ったのが自分のため、ということが甘やかな甘美として、胸の内側をこそばゆくもくすぐる。
座して沙汰を待つといった風情のヒューバートと少年――クリスピンというらしい――を前にしてシズリは溜息をついた。
―――まぁ、いい。
怪我人が出たわけでも工房に被害が出たわけでもない。
幸い、工房の職人達はいきなり現れて大騒ぎを始めた彼らを快く許してくれた。
尤も、ヒューバートの魔刀〝天冰〟に興味津々でぜひ検分したい、というのが本音のようだが。
それもそうだ。
いきなり空中に刀が出てきたら誰もが驚く。
まさによばれて飛び出てジャジャジャジャーン!!だ。
しかもただの刀ではない、
炎のように白くけぶる冷気を発する魔刀だ。
滅多にお目にかかれる代物ではない。
ここは上官殿に自分のケツは自分で拭いて頂こうではないか。
Yes!シズリはどんどんやさぐれつつあった。
結果、沙汰は降りた。
シズリが下すまでもなく、工房の職人達によって。
他でもない工房長の息子、クリスピン少年の提案によって。
1:クリスピンはシズリに坑道の案内をすること
2:ヒューバートは工房の職人達に魔刀についての即席講義をすること
もう一度あの魔刀を出せ、触らせろ、構造を教えろとやんややんやと次から次へと山となして己を取り囲み、詰めかける職人達に無表情のままで固まるヒューバート、ただただ唖然とするシズリ、誰のせいかとどこ吹く風で素知らぬふりを決め込み、何やら笑顔のクリスピン少年。
シルバーブロンドの美貌の青年のシャツを掴もうと、我先にとにじり寄り、詰め寄るむくつけき筋肉隆々の男達の集団の輪。
それがどんどんヒューバートへの包囲網を縮めていく様は別の意味で恐ろしく、凄惨さを極めた・・・。
だが、そこは軍人、氷の男とも呼ばれしヒューバート。
己が内に秘めし刃、いわば身体の一部とも言える魔刀をおいそれと人に触らせるわけがない。
第一、天冰がそれを認めるはずもない。
ということで、魔刀についての即席講義を行う、ということに相成ったわけだ。
その間シズリは当初の希望でもあった鉱山見学にクリスピン少年の案内で行くということで。
秋空は雲ひとつなく蒼く、風は涼しげに爽やかに澄み、工房から広がる喧噪が窓の外に吹く風に乗ってまた空へと還るのであった―――。
* * *
ざっ ざっ ざっ
長靴の下で砂利がはぜる。
白黒の石が入り混じる隙間から顔を出す、柔らかな草ごと飛んでしまえとばかりに踏み分け、ただただその両の脚を機械的に交互に動かし、歩を進めた。
昼下がりの午睡を誘うかのように陽はやや雲の隙間に陰り、鉱山への入口で一旦歩を止めたシズリの艶やかで長い黒髪と、シャツの白さも目に鮮やかにコントラストを描くその背をやわらかに照らす。
「姉ちゃんってばよ~」
はるか後方より息を弾ませ、やや情けない様を呈して追いかける、クリスピン少年の声だけが漸くその背に追いつく。
「は・はえぇよ、足~。やっぱ怒ってんのかよ~?」
漸くたどりつき、背を丸めてぜぇぜぇと息をつきながらも、目線だけようやっとシズリに向けて息を整える。
一方当のシズリは息ひとつ乱さず、涼しい表情でクリスピンを見下ろしている。
その瞳はむしろ穏やかに碧く、静かな湖面のように落ち着いたままで、浮かぶ表情すらない。
いくら歩道として均されたとはいえ、この街の住人でも徒歩ではきつい、この鉱山への厳しい坂道を歩を休めることなく、走ったわけでもないのにあっという間にはるか彼方へクリスピンを引き離したシズリの驚異的な
推進力に少年はただただ、目を丸くするばかりだった。
しばしぼぅっとしてしまった後に慌てて追いかけ・・・結果、この様だ。
これではどちらが鉱山の街の住人かわかったものではない。
―――さっきの美形の兄ちゃんもタダ者じゃないけど、姉ちゃんも一般人じゃない―――
今さらながらも悟るクリスピン少年であった。
「―――ごめんなさいね」
シズリの唇が開き、ぽつり、と謝罪の言葉が転がり落ちた。
考え事をしてたの、貴方のことを忘れてたわ、と。
クリスピンは再び目を丸くした。
なんだ姉ちゃん、兄ちゃんのことが心配なんだ。
そばにいなくて不安なんだ・・・。恋人同士、には見えないけれど。
――兄ちゃん、脈はなくはないかもね、とかき乱した張本人ながらもクリスピン少年は心の中でにんまりするのであった。
その路はほの暗く、手にした魔燈火がぼんやりと辺りを照らすのみだった。
だが、ある地点を超え小さな、通常ではまず気づかない、横穴のような路を抜けて進むととさわさわという何か、ざわめきのような音と青く光る鉱石でできた鍾乳洞達がシズリを迎えた。
お詫びにとっておきの場所に案内するよ、と言うクリスピン少年の言にのり、魔燈火が規則正しく並べられた通常ルートではなく、少年の先導する路を進んだがこの美しさには圧倒される。
まるで・・・まるで青い色をした緑柱石のようだ。
どうやらさわさわというこの音は鍾乳洞の中に含まれている、青く光る鉱石から発せられているらしい。
そっと耳を柱に持たせかけてみる。
ざわめきが増した、気がした。
「すっげーだろ?ここ、俺のとっておきなんだ。俺も偶然見つけたんだけどさ」
クリスピンが得意そうにその子鬼のような顔をくしゃくしゃにして笑う。
その笑顔にシズリもつられて微笑む。
「そうね・・・とても綺麗だわ。ありがとう。こんな風に光る鉱石は初めて見るもの。
・・・でも、いいの?私なんか連れてきて。貴方にも特別な場所だったんじゃないの?」
「いいんだよ、姉ちゃんには悪いことしたし。
どうせなら綺麗な姉ちゃんに綺麗なもの見せてあげたかったし」
少年の無邪気な言に思わず笑顔になる。
この青い光は恐らく――魔導の光――。
どこから溜められたのか、魔導の光が水のようにこの鉱石達に溜められ、溢れている。
自然の力でこうも綺麗に結晶化し、固められているのは初めて目にする。
一体どういう原理なのか―――膝をつき、掌で鉱石の光を辿りながら自らの内側に隠した魔力を掌に集めて撫でてみる。
その瞬間、かっっと鉱石から光が溢れ―――背後から響いた音が耳に届くと同時に咄嗟にクリスピンを胸に引っ掴んで横っ飛びに転がった!
間一髪!
シズリとクリスピンの立っていた場所に突き立てられた剣がぎらり、と青の光の中にその刀身を煌めかしていた。
シズリは咄嗟にクリスピンを背に庇い、瞬時に剣の飛んできた方向に目を走らせる。
・・・いち、に・・・よん、か。
徽章はなし・・・他国の暗部か?それとも??
闇の中からゆらり、ゆらり、と陽炎のように現れたのは4人の覆面の男達。
シズリの背中でクリスピンが恐怖と威嚇の悲鳴を上げる音が坑内に響き渡った。
「な・なんだよ、こいつ等!シズリ姉ちゃん、逃げよう!!」
その瞬間、4人のうち3人の男が同時に襲い掛かった。
だがシズリが体勢を整えるほうが素早かった。
クリスピンを背後に突き飛ばし、瞬時に低く屈み、掌を地面につけ、思い切り足払いで薙ぎ払う。
よろめいた1人に手刀を叩きこみ、1人は裏拳で顎ごと砕く。
その流れで最後の1人に膝蹴りを食らわせ、身体を半分に折りながらよろけた所に両のこぶしを固めて後頭部から脳天めがけて地面に叩きつけた。
あっという間の出来事であった。
どぅっと3人の男達が倒れ伏し、最後の1人が剣を引き抜いてシズリに斬りつけたのも。
ざっっ
避けきれなかった刃がシズリの肩をかする。
咄嗟にシズリが投げた仕込みナイフが男の頬をかすめ、覆面に切れ目が入る。
猫のように背後に跳び退り、魔導銃を構えながら間合いを取ったシズリに再度男が剣を構える。
男の持つ剣より青い焔が細く、煙のように立ち上るのが目に入り、思わずシズリの背筋に衝撃と恐怖が走る。
魔剣?
でもまさか!こんな・・・こんな所で!
「女・・・よく避けたな。・・・名は?」
半ば切れた覆面の下から意外なほどに涼やかな、若さの感じられる声が問いかけてくる。
その声には一点の感情も感じられず、無機質な機械のようなざらりとした冷たさがシズリに凍るような恐怖感を与えた。
銃では・・魔導銃では魔剣には圧倒的に不利だ。
特にこんな狭い、視界の悪い場所では。しかも、クリスピンも、いる・・・。
肩にかすった傷からどろりと流れる生あたたかい血が掌まで伝わり、指を濡らす。
背中に流れる汗が冷たく、背筋を凍らす。
そして、そのシズリを見つめる2つの眼から放たれる光が・・・。
だが、その感情に打ち勝つように、強気な言葉を吐き捨てる。
「顔も見せぬ奴に名乗る名なぞない!」
「ほぅ、これでもか?」
細い煙のように、陽炎のように剣から立ち上っていた青い焔がいつの間にやら辺りをゆらゆらと包んでいる。
青い焔は魔の焔。
魔気を含んだ気は訓練を積んでいない者には・・・毒となる。
クリスピン!!
先程まであれほど悲鳴を上げていた少年の・・・気配がない!!
「この焔・・・子供には毒であろうな?
御前、その強さ、気に入った。俺とともに来ぬか?」
冷たく脅すように、怪しく優しく誘うように、響く声が青い焔と共にシズリを包む。
幻惑するような双眸が煙る空気に光を放つ。
脳髄が痺れ、眩暈がする。
だめだ、黙れ!聴いてはいけない、惑わされるな、魔に呑まれるな。
でも、このままではクリスピンが・・・でも!!
足元がぐらぐらと震え、大地が、天が揺れる。
しまった、と思った時には指先が痺れ、青い煙が体中に纏いつく感触が襲う。
魔導銃を構えたはずの手が震え・・・下に落ちた。
銃が地面に転がる音が乾いた床に響き、シズリの耳には絶望の音として届いた。
ラーツィヒ中佐、ヒューバート中佐・・・ごめんなさい・・・
身体が震え、ゆらめく青い焔の煙の中膝をつく。
男の瞳が細められる。・・・捕えた、と。
あの人がいれば・・・
ヒューバート中佐・・・
――せめて、せめて水が・・液体があれば・・・そうだ!
震える指にありったけの力を籠め、ナイフを一気に上から下におろし、掌から肘にかけて切りつける。
紅が鮮やかに飛び散った。
シズリ自身の紅が。
シャツに仕込んであった魔符をシャツごと破りとると、それが紅く、朱に染まる。
震える唇に吐息を込めて、思いを言に籠め、朦朧とする意識の中で詞を紡ぐ。
「―――いろはにほへど ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて―――」
刹那。
魔符から光が挿し、円となり――白い焔のような冷気が青い焔を蹴散らすように包む―――
その光と白い冷気の中に浮かび上がる人影。
低い、低い、背筋を甘く蕩かす、その懐かしい声が最後の詞を引き取る。
「―――浅き夢見じ 酔ひもせず―――」
光にシルバーブロンドの髪が、白銀の刀身が、群青の瞳が――煌めいた―――
今回はコメディではなくシリアスで。
どうしても最後の場面までたどり着きたかったので長くなってしまいました。