少尉殿は・・・見た!!
石でできた床には多くの機械が並び、油と金属、そして魔法反応による独特の鼻につんとくる、今となれば嗅ぎ慣れた匂いがその工房には漂っていた。
窓は開いているが、熱気と匂いはすでに室内に染みつき、しみ込んだその独特な空気が何年もの年月をその工房で起きた数々の事柄を共有しているかのようだ。
まるでしっくりと馴染んだ毛布のように、やわらかく包みこむかのように。
しかし、精密かつ繊細な技巧と高度な技術を要する魔導銃というものを扱うだけに室内は埃の一片すら舞わぬように清潔に整えられている。
なぜなら、この工房こそが彼ら技術者の城であり、守るべき砦であり、財産なのだから。
その工房の入口に足を踏み出したシズリは思わず深い吐息をつく。
本部で魔導実験や武器の開発に携わることはあるが、実際に魔導銃の工房に足を踏み入れるのは初めてだ。
期待に高鳴り、ときめく胸の音が自分自身、やけに響いて聞こえる。
単に自身が魔導銃の使い手というだけでなく、こういった繊細な技術を実際にこの目で見てみたいという純粋な興味と好奇心と知識欲によるものだ。
すべてを正確かつ的確に捉え、確認することを躾けられた軍人気質というよりも、元からの性格なのだと自分では思う。
そしてそんな自分も嫌いではない。
単なる軍の人形ではない、個としての自分なのだから。
先に室内で工房の人間と会話をしているヒューバートに続くべく、ドアの向こうへと足を踏み出し・・・そこで止まった。
いや、止まったというには語弊がある。
固まった、だ。
ぎぎぎ、と目線を下に向ける。
視界に入るはやや陽に焼けた二つの手。
手はあるだろう、街なのだから。当然人も大勢いる。
ただ、いかんせん、その手の置き場所に問題がある。
そのけしからん手は、シズリの身体の中で一番やわらかでボリュームのある箇所、人よりやや大きめのそれをわきわきと揉んでいる。
「うーん、Eの65ってとこ?姉ちゃん、着痩せするタイプなんだね~」
首だけで振り返ると、20㎝ほど下から見上げるように、その幼い顔はにっこりと邪気のない笑顔を浮かべて見せた。
11・2歳くらいか?
赤みのかった、くしゃくしゃだが艶のある髪に草色の瞳が子鬼のように悪戯っぽい表情をたたえている。
・・・子供か。
今さら子供の悪ふざけに怒る気もしない。
むしろ街中で油断したとはいえ、いくら殺気がなかったとはいえ、子供ごときに後ろを取られた己に腹が立つ。
シズリは気を抜いた己を恥じ・・・そして、不届きな悪戯をする子供の手を外すべく、前に向き直りかけ・・・漂うその殺気に再び固まった。
―――こんな冷たい、研ぎ澄まされた刃のような殺気を出せる人は一人しか知らない。
そう、例のあの人だ。
振り返りたくない・・・振り返れば・・・あの人がいる。
しかし己が意志に反し、殺気には条件反射で振り向いてしまう、軍人という職業の悲しい性。
そして少尉は・・・見てはいけないものを・・・見た。
普段無表情でにこりともしない彼の微笑を。
上官殿から突然の求愛を受けた、あの日あの晩以来見ていないはずの微笑を!
ただその微笑はあの晩の蕩かすような蠱惑的な微笑ではなく、その目が、その唇がその美しい顔と表情を残酷に、酷薄に裏切る。
凍れる薔薇のように美しく、剣の切っ先のように鋭く・・・。
先程までの好奇心によるときめきが嘘のように、胸が別の意味でさらなる早鐘を打ち始める。
冷たいものがじんわりと這い登るような感覚に背筋が震える。
じょ、上官殿が微笑ってるぅぅぅぅ!!
でも目!
その目、ぜんっぜん笑ってませんから!!
しかも!
貴方の頭上で旋回してるのって貴方の魔刀「天冰」でしょうが!
いきなり印も結ばず、媒介もなしに喚びだすってどれだけ凄いんですか!
しかも、ここ室内ですから!ちょ、冷気吹き出してますよ、それ!!
ヒューバートの魔刀から吹き出す冷気が工房内を白い炎のように烟らせ、埋め尽くしていく。
主の周りをゆらり、ゆらりと旋回しながら宙に漂うその刀身は白銀に煌めき、その恐ろしいまでの美しさゆえに、工房の人々の表情を恐怖に歪ませ、空気を凍りつかせる。
一方、当の本人は自らの愛刀には気にも留めず、黙したまま真っ直ぐに立っている。
再び無表情となったその顔には感情の揺らめきも心の動きすらも見られない。
その右手が顔まで上がり、ゆっくりと自らの唇をなぞった後に顎の下にあてられた。
その眼光は決して少年から外さぬままに。
彼はその群青の凍れる瞳を薄く細め、再びその笑顔を口の端に浮かべてみせた。
滴水嫡凍の如き空気を纏ったまま、怯え戦慄きながらシズリの背にしがみ付く少年を毒の視線で睥睨する。
「――――殺すぞ、小僧?」
地を這うような、その一言が凍れる空気に裂をきざんだ――――
上官殿・・・心せまっ!
ところで、上官殿の刀の名は「雨氷」という
自然現象から取りました。
だから「氷のヒューバート」なんです。
単に無表情だからというわけではなく。