第十六局~混沌の放課後(カオス・アフター)~
またまた神夜君の過去の話です
ではどうぞ
勉強とは、ただ単に書いて覚えるものではない。それだけで成績が上がるなら誰も苦労はしないし、必死に勉強する必要も無くなる。
一度やった事を何度も反復して頭に叩き込む。これが必勝法らしい。少なくとも、俺はそう教わった。しかしながら、俺はその必勝法とやらを一度としてやり切った事は無く、中盤止まりの半端な成績で中学校生活を終えたのである。
俺は今、そんな過去を引きずって勉強に励めない今の状態を打破すべく暗鬼さんから勉強を習っているところだ。
暗鬼さんの勉強時間を奪いはしないだろうかと心配だったが、その心配は杞憂に終わった。暗鬼さんは二年<王>のトップ。これだけでもう他の説明は要らないだろう。その暗鬼さんと二人で勉強会の真っ最中。勿論、場所は俺の部屋である。
悠聖達は後から来るそうだ。差し入れを持ってくると言っていたことから、真面目にやるつもりかどうか判断しかねる。
「そういえば暗鬼さん……聞きそびれてたんですけど」
「ん?」
「以前俺を襲った奴って、誰だったんですか?」
「あぁ……そのことか」
何だか神妙な空気になってしまった。マズい事聞いたのかもしれないが、俺が襲われたのだから俺にこそ関係があるはずだ。
それに、訊いておかないと胸のモヤモヤが晴れない。
「神夜、お前……学園自治団は知ってるよな」
「まぁ、多少は」
学園自治団と言えば、学園の治安を守るために結成されたチームだ。優秀な魔法使いや能力者を募って築き上げられてきた、正に精鋭部隊。
この学園に在籍する生徒で、その存在を知らぬ者は居ない。それくらい有名な組織である。
それにしても、何故学園自治団の名前が出て来るのだろうか。
「その学園自治団、主神の一撃の一人がお前を危険な存在だと言ってやがったんだ。何か心当たり、無いか?」
「いえ、全然……」
危険な存在。
俺には全く心当たりの無い事だった。そもそも、自分が危険視される様な事を進んでやる筈がない。もしやる奴が居るとすれば、それは暇を持て余した目立ちたがり屋か、学園中を敵に回しても高笑いを決め込んでいそうな無謀バカくらいだ。
少なくとも頭のネジはしっかりとはまっているし、そんなぶっ飛んだ騒動を起こす程壊れていない。
そして、最近は忙しい。入学してからというもの、暇など有る時の方が珍しい状況だった。
入学式、鐘騎や暗鬼さん、緋狩との実践演習、科世の買い物(ある意味一番きつかった)にテストと、追い討ちをかける様に行事が積み重なっては、暇を見つける暇さえ無いのだ。
「お前がそう言うなら、そうなんだろうな。さてと、話は終わり。勉強の続きだ」
「そうですね」
俺と暗鬼さんは再び机に向かった。ノートにペンを走らせようとした正にその時、何処かでガラスの割れるような音が寮中に響く。
耳障りな程の割音。思わず耳を塞ぎたくなったのは俺だけではないはずだ。そんな中、暗鬼さんだけは楽しそうに口の端を吊り上げていた。
「そぉら、早速おいでなすったみたいだぜ?」
「まさか、さっき言ってた主神の一撃の!?」
「多分な」
(炎斗の野郎じゃねぇだろうな……先輩だからって忠告を聞かねぇならまた追い返してやる)
真っ先に俺の部屋のドアを蹴破って廊下へ飛び出した暗鬼さん。
お願いだから普通に開けてほしかった。
あぁ、ドアが粉々だよ。
これからは自動ドアにしてもらおうか。どちらにせよまた蹴破られるのがオチだとは思うが。
暗鬼さんに続いて飛び出した寮の廊下には案の定、割れて飛び散った窓ガラスの破片が散乱しており、足の踏み場も無いくらいだった。
外から侵入したのだろうが、廊下に人影は見えない。ついでに暗鬼さんも居なくなっていた。
俺はその破片の一つを拾い上げてみる。
「この破片……濡れてる……ってことは、水使いか」
そこまで言って俺は妙な事に気がついた。
廊下には誰も居ない。この場合なら、誰かが音に驚いて様子を確認するために自室から出て来ていたとしても、何の違和感も無かっただろう。
寧ろそれが普通だ。まだ時間は午後九時。テストを明日に控えたこの状況で寝る奴など居ない筈。意図的に寝ていないとすれば、
「眠らされた……?」
誰が?
何のために?
どうやって?
俺だけが出て来る様に仕向けた理由は?
何故俺だけ?
などと試行錯誤してはみたものの、一向に答えは出て来ない。ただ時間だけが過ぎていく。
「惜しいわね。眠らせたわけじゃないの。でも、いい線行ってるわよ?」
唐突に響く流麗な声。
その声質は、聞く者を魅了する清廉さを内包していた。聞き覚えのある、とても綺麗な声だった。
俺は恐る恐る顔を上げるが、
「なっ!」
目があった途端、その人物を直視出来なくなった。
直ぐに視線を逸らし、そいつの顔を見ない様にする。出来れば見間違いであって欲しい、とても信じ難い光景。本来ならこんな所に居るはずの無いその人。
俺は嫌な考えを意識の外へ閉め出そうと試みたが、無駄だった。一度見てしまったら、認識してしまったら、現実を突き付けられるからだ。
忘れようにも忘れられない、忘れられる筈がない、誰よりも見慣れた顔を。しかし先程も言ったように、目の前の光景を未だに信じられない。
「久し振りね。あの日以来かしら」
「誰だ……お前は」
「誰って……あなたの姉、時皇子時雨でしょ? 神夜、頭の方、大丈夫?」
「……何で、此処に居る……?」
「そりゃあ、私もこの学園の生徒だからよ」
「そんな事はどうでも良い! 俺が言いたいのは、何で“この世に”居るのかって事だ! 義姉さん。あんたは……」
◆
数日前、科世にこんな質問をされた。
「ねぇ、神夜って中学校では相当の不良だったって聞いたんだけど」
「あぁ、まぁな」
「そこまで不良かったのに、今じゃすっかり丸くなって学校に通ってるわけだ。何があったの?」
「……約束、したんだよ」
「へぇ……誰と?」
「俺の……姉と、な」
中学二年生までの俺は誰も近寄らない程の不良だった。学校には遅刻が当たり前。授業に出た回数は数えるほど。そんな生活を送る血統書付きの悪ガキ。言ってしまえば、ろくでもない学生だったのだ。高校入学なんぞ、考えられなかった。
度々問題を起こしては停学処分を喰らい、家に居たくなくて抜け出す。その繰り返し。別に学校が嫌いという訳では無かった。
ただ、全てにおいて無気力だったのだ。それが原因で両親とも余り仲良くはないし、友達も居なかった。繋がりを求めているのに、それに気付かないで自分から離れていく様な愚者で、話し相手といえば、幼馴染みの咲群緋狩くらいのもの。そんな中、俺の義理の姉、時皇子時雨だけは俺を愛してくれた。義理という表現を使うのは、本当の姉では無いからだ。
話は、幼くして両親を亡くした時雨を俺の両親が引き取って育てた事から始まる。
歳は俺より一つ上で血はつながっていないものの、俺と義姉さんはとても仲が良かったらしい。中学校に入ってもその関係は変わらず、俺が家に居ないと何処までだろうと、いくら時間が掛かろうと探しに来てくれた。そして、優しく抱き締めてくれた。目尻に一杯の涙を溜めて。
「神夜……無事で良かった……もう、帰ろう?ね?」
俺はそんな義姉さんが大好きだった。全てを失っても構わないから、義姉さんだけは隣に居て欲しいと、本気で思える程に。
そんな義姉さんのおかげで学校も好きでいられた。そう……世間では災厄の一日として語り継がれている、
『混沌の放課後』
あの日が来るまでは……。
俺は授業に出るのが面倒でその日は学校へ遅刻して行くことにした。当時の俺にとっては日常茶飯事であるから別にどうとも思わなかったが、その日は義姉さんも一緒に遅刻したのだ。時間的には二時限目の真っ最中といったところか。
「珍しいな……義姉さんが遅刻なんて」
「常習犯に言われたくないわよ」
笑顔でそう言われ、目を指で突かれた。
「おわあぁぁぁ!」
「ごめん、痛かった?」
「当たり前だ!失明させる気かあんた!」
「だからごめんって」
こうやって話が出来るのは嬉しかったが、いつもなら遅刻など絶対にしない義姉さんが遅刻している。俺は言い知れない不安を胸に抱き、その不安に呼応する様に暗雲が空を覆っていた。突かれてまだ若干の痛みが残る目を押さえながら教室を目指したのを覚えている。
◆
結局その不安が晴れないまま、放課後に。
俺は校門で義姉さんを待っていた。一緒に帰るためだ。いつもなら一人か、不良になっても気軽に声をかけてくれる幼馴染みの緋狩と帰っている。
不安を紛らわすために一刻も早く学校から離れたかったのかもしれないが、義姉さんを学校に置いておきたくない。これが一番の理由だった。授業は午前中だけ出て後はサボリといういつものパターンを決め込んだ。
あらかじめ約束はしてあったから、後は義姉さんが来るのを待つだけ。
「学校……かったりぃ。いずれ滅ぼしてやろうか…………まぁ、間違いなく全力で止められるよな」
などと危険な思想を巡らせていると、此方に駆けて来る女生徒が一人。義姉さんだ。格好や衣服類に違和感があるわけではない。一つ気になるとするならば、この世の終わりみたいな、焦りまくりの表情をしているという事。
“血相を変えて”が一番しっくりくる表現だろう。今までそんな表情の義姉さんを見たことが無かった俺は呆気にとられて立ち尽くした。
立ち尽くしたことを後悔することに成るとも知らずに。
「神夜!逃げて早く!この学校から離れるの!」
俺は義姉さんの言葉を理解するのに、少しばかりの時間を要した。義姉さんが何故そんな事を言うのか検討もつかない。
義姉さんがあんな表情で冗談を吐くとはとても考えにくい。クラスの優等生で常に上位に君臨し、俺なんかとは比べものにならない位の秀才である。不良の俺が言うのもなんだが、少なからず憧れていた。
「えっ……逃げろって、何故だ?」
「今、この学校は……!」
言いかけた義姉さんの背後からキラッと鈍い光を放って飛んでくる無数の物体。かなり広範囲に展開されて飛来するその物体は俺と義姉さんだけを仕留めるには十分過ぎるものだった。数は目測出来る限りでは百とちょっと。恐らく刃物の類だろう。
逃げなければいけないのに、足が動かない。まるで金縛りにでもあったかの様に、足が地面に縫い付けられたかの様に、足が地面から離れなかった。
「神夜ぁぁー!」
義姉さんが叫ぶと同時に目の前の景色が急速なスピードで流れていき、空が目に留まると同時に景色の流れが停止する。
そして、俺の上には義姉さんが覆いかぶさる様に横たわっていた。その背中には数本の……槍。何故か澄んだ水色で透き通っていて、冷たかった。
「義姉……さん?」
俺は義姉さんの背中に回した手を見つめた。真紅の血で染められた、血生臭い真っ赤な手。指と指を合わせて放す度に感じる、ねちゃっとした嫌な感触。
「神……夜……無事で、良かっ……た」
血に濡れた指で、俺の頬を優しく撫でながら、今にも消え入りそうな声で義姉さんが言う。俺はこの時、生まれて初めて思い知らされた。自分の姉一人も守れない無力さを。
「義姉さん!義姉さん!しっかりしてくれ!そうだ、誰かに助けを!」
必死で義姉さんの背中に刺さっている槍を抜き、仰向けに抱き起こす。
俺は分かっていた。今誰かに助けを求めたところで、この状況を打破出来るわけが無いと。けれど、どうにかして義姉さんを助けたかったのだ。
義姉さんは自分の命さえ投げ打って俺を守ってくれた。
それに対して俺は……俺は!何も出来ていないじゃないか!
毎日問題を起こしてばかりで、義姉さんにろくな恩返しもしてやれない。助けられてばかりでいざという時に何も出来ない、そんなちっぽけで無力な存在でしか無かった。
「無駄……だよ。今この学校に居る人間の半数以上は……生きてない……から。……教師も殆ど……殺られてたしね」
「そんなバカな!」
「だから、逃げて……きたんじゃない」
死にかけているのにも関わらず、笑顔を保ち続ける義姉さん。もう、見ているのが辛かった。出来ることなら、このまま楽にしてやるのがせめてもの情けなのだろうか。だが、俺には出来ない。こんなにも……こんなにも大切な姉を葬ることは出来ない。出来るはずがない。俺は目を瞑る。すると、義姉さんが不意に口を開いた。
「ねぇ神夜……知ってた?私達……高校を卒業したら、結婚することに……なってたの」
「!」
突然の告白に、俺は言葉を失う。そんな事、今まで知らなかった。知らされもしなかった。こんな時に知りたくなかった。それを聞くのが高校卒業後だったらどんなに嬉しかったことだろうか。
「私は……最高に嬉しかったよ?……だって、あなたと何時までも、一緒に居られると…………思ったから」
俺だって同じだ。本当の姉弟では無い。それ故に、結婚したって何の問題も無い。俺も義姉さんとずっと一緒に居たいのだから。周りの目など、どうだって良い。どれだけバカにされようと構わないから、義姉さんの傍に居てやりたい。
それが、全てに興味を無くした俺の唯一の願い。自分が愛した女性を幸せに出来る、唯一の方法だと思っていた。
「でも、神様って……残酷だよね。こんなところで邪魔……するんだから。運命に……抗う暇さえ……くれない」
「それは違う!」
「……え?」
「まだ終わってない!義姉さんの人生はまだ始まったばかりじゃないか!諦めちゃ駄目だ!抗う暇も与えない、そんな卑劣な神なら、俺が排除してやる!だから義姉さん……諦めないで。神に勝って、夫婦になろう」
俺はそう言いながら義姉さんの手を取り、ぎゅっと握り締めた。義姉さんも弱々しい力で握り返してくる。しかし、その手には体温と呼べるものが無い様に感じた。冷たい。とても冷たかった。
「ね、義姉さん!?」
「ごめん……なさい。私はやっぱり……神には逆らえない……みたい……。神夜、最期に……一つだけ約束して?」
「嫌だ……約束なら何時でも出来る。また二人で居れば……」
「お願い……だから」
訴えかける様なその眼差しに、俺はまたしても言葉を失った。
「学校を……嫌わないで」
「!」
それは、俺が今一番言われたくなかった事。大切な人を奪われた最悪の場所をどうやって嫌わずに居ろと言うのだろうか。好きでいろと言わなかったのには義姉さんなりの配慮が有ってのことだろうが、俺には到底無理な話だ。しかし、
「無理なお願いなのは……分かってる……でも、私との思い出が……少しでも在るなら……」
此処まで言われては、もう何も言えない。
「……分かった……努力してみる」
動転している気を必死で制御すると、俺は静かにもう一度、義姉さんの手を握りなおした。触っただけでもう手遅れだと分かる低温。担いで病院まで無理矢理連れて行きでもすれば義姉さんは助かっていたのかもしれない。
でも、義姉さんはそれを望まなかった。
「神夜……」
不意に聞こえた、義姉さんのものでは無い声に振り返ると、そこに立っていたのは緋狩だった。青ざめた表情で、義姉さんを見つめている。
「緋狩……」
「これ……一体どうなってんの?」
どうやら緋狩は学校内で起こっていることを知らないと見える。それもそのはず、緋狩も俺ほどでは無いが学校にあまり好意を持てず、授業が終わると同時にHRそっちのけで帰宅する様な奴だったからだ。
俺の数少ない話し相手になり得ていたのはそういうところが有ったからなのかもしれない。
「緋狩……ちゃん……神夜を連れて……此処から離れ……て」
「でも、時雨さんは……その傷……早く、病院に行った方が」
「もう、手遅れなんだ。俺が……不甲斐ないばっかりに……義姉さんは……」
「あなたの……せいじゃない」
そう言って、義姉さんは弱々しく上体を少しだけ起こすと、俺の唇に自分の唇を重ねる。身体は冷たいはずなのに、義姉さんの温もり全てを感じた様な気がした。
「……義姉さん……ずっと前から、一つだけ言いたい事があったんだ」
「奇遇ね……私もよ」
しばしの静寂。そして、
「「愛してる」」
声が重なり、もう一度唇を合わせる。それきり、義姉さんがその瞳を開くことは無く、それが俺、明星神夜と義姉さんの交わした最後にして最高の言葉であり、別れの挨拶だった。
事件から数日が経っても、中学生大量虐殺事件、災厄の一日『混沌の放課後』を引き起こした犯人が出てくる筈は無く、その詳細はテロリストによる無差別殺人として処理され、俺や緋狩を含む生き残り組は別の学校へと移された。義姉さんの居ない学校など行きたくも無かったが、俺は学校へ行き続け、無事、と言えるか分からないが、とにかく卒業した。ただでさえ嫌いな学校にあの日から一日も休まず、サボりもせずに通ったのだ。誰か褒めてくれ。
そして、それを支えたのが唯一つの約束だったことは、俺と緋狩しか知らない秘密である……。
◆
そうだ……あの人は、義姉さんは、あの時に死んだ筈だ。それが何故、今この瞬間、この場所に居るのか。可能性はいくつかあるが、消去法でいくならば
「もしかして、生き返ったのか?」
突拍子も無い事を言っているのは分かっている。しかし、『死んだはずの人間が目の前に居る』
この状況を整理した時に残る選択肢がこれしか無いのもまた事実なのだ。あの時、確かに義姉さんは死んだ。
それは、間近で……その……キ、キスをした俺が一番良く分かっている。
……ヤベェ、急に恥ずかしくなってきた。
「良く分かったわねぇ。その通り、私は生き返ったの。ある能力者の能力によってね」
書いていて矛盾しているところが無いかたまに不安になります