第十三局〜それぞれの信念〜
場面がころころ変わります。ご了承下さい。
「ハァ、ハァ……」
俺、明星神夜は演習が終わると同時に保健室へ直行していた。演習場にはまだ緋狩が残っていたが、声をかけるのも忘れ、ただひたすら保健室へと続く廊下を走っているところ。後ろからは科世と終冴が付いてきている。
俺が保健室に向かう理由は一つ、悠聖に謝罪がしたい。別に誰に催促されたというわけでも無く、これは俺が謝罪したいからする。ただそれだけだ。やがて保健室のドアが見えてきた。息を呑んでドアノブに手をかけ、捻る。夕方の保健室しか見ていない分、昼の保健室は何だか新鮮だが、懐かしくもあった。この間保健室の世話になった記憶がそうさせるのだろう。
「神夜……」
声のした方向を振り返ると、そこには俺の仲間の姿が、城ヶ崎悠聖の姿があった。ベッドから立ち上がり、真っ直ぐ俺を見据えているが、少々息が荒い。俺も悠聖を正面に見据えて頭を下げようとするが、
「悠聖…………本当にごめ―――」
「ふざけるな! このバカ野郎!」
そこまで言いかけた時だった。俺が「ごめん」と言い終わる前に悠聖が怒鳴ったのは。温厚で知られている悠聖がここまで怒るとは、まったく予想だにしていなかったこともあり、俺は唖然とするしかなかった。
ゴッ、という鈍く短い音がして、俺の体は宙を舞った。悠聖が俺の頬を殴り飛ばしたのだ。殴られた頬が痛む、が仕方の無いことだと思わざるを得ない。悠聖が俺を殴り飛ばしたのは、俺のせいで自分がやられたことを恨んでいると思ったからだ。
「何で謝ろうとするんだよ!? 謝るなよ!」
……謝るな? 一体どういう意味だろうか。俺はその意味が理解できなかった。
「どうせお前の事だから“俺のせいで悠聖を傷付けてしまった”とか思ってるんだろ」
あぁ、全くその通りだ。何も言い返せない程に的を射ているよ。
「“俺が謝罪したいから謝罪するんだ”とか思ってここまで来たんだろ?なら俺からも言わせてもらうがなぁ……俺も、お前を助けたいから助けたんだよ。誰に催促されたわけでも無い。大切な仲間を、<王>を助けたいと、そう思ったから体を張って庇ったんだ。それなのに……何を勘違いしてやがる! <王>が簡単に頭下げんじゃねぇ! 俺が謝って欲しいなんて言うと思ったかよ! ハッ! 片腹痛いぜ!」
「悠聖……」
本当は悠聖だって言いたくないのだろう。それは悠聖の表情からも見て取れた。俺が不甲斐無いばっかりに悠聖にこんなことを言わせてしまっている。そんな自分が情けなくて仕方無かった。
「お前が頭を下げたら……俺の気持ちはどうなるんだよ……行き場が……無くなるじゃねぇか。頼む……謝らないでくれ」
急に声に勢いが無くなった悠聖の頬には無色透明な線が出来ていた。目尻に滴をため、歯を食い縛り、拳を握り締めて、体を小刻みに震わせている。
「…………悠聖、良くやった」
保健室の中央で佇む悠聖に、俺はやっと言葉を絞り出す。それが今の悠聖に向けるに一番相応しい言葉に思えたからだ。決して謝罪を連想させる類の言葉は言わない。悠聖に言われて分かった。他者の上に立つ立場の人間は下の者の意志はくまなければならないが、顔色を伺ってはならないという事が。
「神夜…………ありがとう」
悠聖の返答はその一言だけだったが、今の俺には充分過ぎる一言だった。礼を言うのはこっちの方だ。
(悠聖、ありがとう)
◆
大きな空間。それが一番適した表現であろう会議室に、時皇子時雨と疑心暗鬼は居た。人が一体何人入るのかと思う程の広大さで、会議室にしておくには勿体無いくらいだ。暗鬼と時雨の周りには、乾いた空間が延々と広がているだけ。別に二人の興をそそる物は置いていない。
「で、何だよ話って」
「“滑り人”の事なのは間違い無い。先ず、あいつの目的について新しく分かった事があるの」
「目的って……学校を潰すことじゃねぇのか?」
暗鬼はずっとそれが目的でこの学園にやって来るとばかり思っていたが、実際は違うらしい。まぁ、学校の運営を第一に考えているのなら、学校を潰しに来させるなどそれこそ正気の沙汰ではないが。
「それなら統括理事会が許可するわけない。運営する側が自分の学校をみすみす潰されるようなマネをすると思う? あいつの目的は……明星神夜君」
「! ……何で神夜を」
これには流石の暗鬼も目を見開かずにはいられなかった。あの“滑り人”が何の変哲も無いただの一般人を狙う理由がどこにあるのか検討もつかなかったからだ。“滑り人”は一般人の相手をしている程暇では無いらしい。
「そういや、炎斗の野郎も同じ様な事を…………まさか、テメェらの仕業じゃねぇだろうな? “明星神夜は危険だ、排除しなければならない”とか言ってまた神夜を殺そうって腹か? もしそうなら今すぐにでも……」
暗鬼が座っていた椅子から立ち上がる。その瞬間、二人の居る会議室は一触即発の空気に見まわれた。しかし、時雨の顔は冷静そのものだった。
「違うわよ。あれは炎斗の独断だから私達他の構成員は無関係。お分かり? 滑り人の意図は私には“まだ”分からない。それに神夜君を殺すのが目的なら、他の構成員がとっくにやってると思うのだけど?」
「邪魔が入っていなければ、ね」と付け足し、いつも通りの無屈託スマイルを浮かべて暗鬼を諭す。が、
(冗談じゃない……暗鬼君が会議室で暴れたら私も死んじゃうって……それもこれも全部炎斗のせいよね。だけど、炎斗は神夜のどこが危険だって言うのかしら。私にだって分からないのに)
心の中では相当に焦っていた様だ。無理もない。世界最強が暴れたら歯止めが効かなくなることくらいどんなバカにでも分かる。それが二年<女王>を束ねる猛者ともなれば尚更。事の重大さを時雨は嫌という程に察していた。何せ暗鬼が本気になれば世界を支配出来てしまうのだから。みすみす暗鬼を世界の支配者にする理由は無い。
そして当の暗鬼はというと、時雨の言葉に納得したのか「それもそうだな」と呟きながら再び椅子に腰を落ち着けた。時雨は胸の中で胸を撫で下ろす。
(はぁ〜。心臓に悪いわね、これ……)
「ふぅ……で、暗鬼君。あなたこれからどうするの? “滑り人”の転入日までまだ時間はたくさん有るけど。迎撃準備でもする?」
「ん? あぁ……神夜達んとこに行ってくる」
「ちょっ……」
その言葉を聞いて何か言おうとした時雨を、暗鬼は片手を上げて制した。
「心配すんな。その時が来るまで何も言う気はねぇからよ。でも、守る奴は必要だろ? 滑り人が狙ってんだ。他の奴からも狙われないとも限らねぇ……見守らなきゃなんねぇだろうよ? 大切な仲間だしな。何時かは俺をも越えてくれると信じてる。それに、あいつ等と居ると楽しいんだ」
「あなた……やけにあの子の事気に入ってるのね」
暗鬼は一度だけこちらを振り向き、口の端を吊り上げて笑うと、時雨に背を向けて会議室を後にした。残ったのは時雨ただ一人。何やら楽しそうな顔をして両手で頬杖を突き、暗鬼が退室していった扉を見つめている。その笑みは何時もの屈託の無い笑顔だ。別名営業スマイルとも言う。
「誰とも関わろうとしなかった暗鬼君にあそこまで言わせるなんて……流石は私の弟よねぇ。さぁてと……叶恵先生が感づく前に炎斗をこちら側に入れなくちゃ。いつ会う機会があったのかは知らないけど、私の勘が正しければ滑り人に何かを吹き込んだのは多分炎斗……また私の弟が殺されかけちゃたまんないもん。殺しに混ぜてって言ってた私が言えた義理じゃ無いけど……自分の弟くらい守ってみせるよ。父さん、母さん」
時雨も静かに立ち上がると、暗鬼の辿った退路を使って会議室を後にする。だだっ広い空間だけが、次の入室者を静かに待ち続けていた。
◆
「炎斗……あなた、|滑り人(あの子)に何を吹き込んだのかしら……」
放課後、生徒が帰って無人となった教室。その無人教室の一つに居たのは、鉄城炎斗と霜月叶恵の両名だった。叶恵の手には小さな氷球が無数に浮かんでいる。無表情ではあるが、その手に浮かべた無数の氷球が敵対意識の表れなのだろう。一方の炎斗はというと、こちらも空中に幾つかの魔方陣を出現させて臨戦態勢だ。
「別に、ただ『面白い奴が居るから潰してみるか?』と言ってみただけですよ。霜月先生」
「誰が彼を潰せなんて指示したの? 主神の一撃の頂上である私の許可が無い以上は認められないわ」
「俺の独断です。主神の一撃には悪いですが、こればかりは譲れない。先生や時雨は明星神夜の危険性がまるで分かっていないのですから! 奏でられし紅き旋律……第七演奏曲! 乱打される炎球!」
炎斗の詠唱により、魔方陣から炎球が留まり無く発射され、叶恵を襲う。それに対し、叶恵は手を正面に翳して先程まで掌に浮いていた氷球を打ち出した。銃に用いられる弾丸の形に変えて。
「そうやって魔力で黙らせようとする悪い癖、どうにかならないの? ……丁度良いわ。上級氷使い、冷気の支配者の力、見せてあげる。飛び交う雪原の使者、彼の者を穿て……五版氷結……回転氷弾」
叶恵によって撃ち出された氷弾は炎球とぶつかり合い、その大きさの関係で炎球に飲み込まれて消え失せたかに見えたが、次の瞬間には氷弾が炎球を突き抜け、炎斗の頬を掠めて教室の壁に数個の風穴を穿った。
「なっ!?」
炎斗の驚愕に対して、叶恵は妖艶な微笑を浮かべている。炎斗の驚愕には意外性など全くと言って良いほど無い。自然界の法則で考えるなら本来、氷が炎に敵う筈が無いのだから。
「フフ……何を驚いているの? 簡単よ、こんなもの。氷弾の形を“弾丸型”にしてしまえば良いのよ。高速で撃ち出された弾丸はその回転力で対象物を貫き、穿つ。あなたの撃ち出した炎球は文字通りの球体。私の氷弾は“溶けきってしまう前に”あなたの炎球を突き破ったにすぎないの。伊達に物理の教師やってる訳じゃないのよ?三年<王>、鉄城炎斗君?」
長くのばした銀髪を手で掻き上げ、叶恵はもう一度、妖艶な笑みをその顔に浮かべた。炎斗にとっては、叶恵の言葉や笑みより叶恵が物理の教師だった事の方が驚きだっただろう。炎斗には叶恵が物理などという、世界の現象を理屈で説明する教科を担当していたとは、とてもでは無いが思えなかったからだ。
(この人、物理の担当だったのか)
そんな事を思いつつも、炎斗は次の攻撃をするため、呼び出した炎を別物の形へと形成していた。魔法使いに扱える武器はその属性によって違ってくる。炎なら剣、氷なら弓といった具合で、決められた武器を使用する事が可能であると同時に自分の属性外の武器は使用不可という欠点が当然ながらある。だが、武器召喚は言霊を必要としない利点も持っているのだ。
「刃演奏曲! 燃え盛る斧剣!」
斧の様な剣の様なよく分からない形をした、円卓の騎士が一人、ランスロットが使用したとされる名剣の名を冠した物が炎斗の手に握られた。
そして叶恵はというと、
「氷の武器……必中の氷弓」
これまた円卓の騎士、トリスタンが使用したとされる弓を氷で形作り、すぐさま炎斗に向けて矢を射た。必中の弓から放たれた必中の矢は一直線に炎斗へと走る。接近戦に持ち込まれたら、叶恵の勝率は絶望的になってしまう。故に、一定の距離を保ちつつ中〜遠距離で矢を射続けて体力を消耗させるのがこの戦いにおいての定石であることを、叶恵は見抜いていた。そして、炎斗も。
炎斗は炎で形成したアロンダイトを回転させ、氷の矢を弾きながら叶恵へ徐々に接近して行った。勿論叶恵がそれを許す筈も無い。矢の連射弾数を増やし、更に多くの矢を一度に射ながら、距離を開ける。そんなやり取りがどれだけ続いただろう。炎斗と叶恵の魔力が底をつきかけているのは明らかだった。
「霜月先生……もう魔力、残って無いんでしょう?」
「あら、お互い様だと思うけど?」
笑顔を作ってはいるものの、叶恵と炎斗の両名に余裕は無かった。
「次で……決める!」
二人の言葉が重なり、最後の一撃が放たれようとしていた。
どうでしたでしょうか。感想あればお待ちしてます。