第十二局〜崩れ去る城(パレス・ブレイク)〜
「ゆ、悠……せ、い…………悠聖!」
漸く状況を理解する事が出来た俺は悠聖の元へと駆け寄り、抱き起こした。俺を庇って受けたダメージは思いのほか大きかったらしく、耐久力は0と表示されている。敵駒五人分の攻撃をその身一つで全て受けたのだ。
基本値630の耐久力が無くなるのは当然と言ってしまえばそれまでである。俺は自分の無能さを恨んだ。今まで無い程に。砕かれ、地に転がった<騎士>の鎧が俺の指揮官としての無能さを物語っているように思えたからだ。
試合において、自分のせいで負けたら自分を咎めるだけで済む。しかし仲間を傷付けるまでに至ってしまうと、咎めるだけでは済まされない。
緋狩から面白い様に心を読まれ、王手を掛けるべき相手に王手を掛け返されてしまうだけでなく、そのせいで仲間をも傷付けてしまった。
『愚かな<王>』
今の俺を表すのに最も相応しい単語だろう。いや、<王>と呼べるかどうかも危うい。部下の負傷は大将の落ち度でもある。
(大将失格だこりゃ……次からはトーマにでも<王>をやってもらうかな……)
俺が<王>引退の意志を固めていると、不意に悠聖が口を開いた。
「神……夜……後は……任せた」
「!」
絞り出すように言葉を吐き出した悠聖は、そのまま演習場外へと強制転送されていく。後には、俺が残るばかり。
何をしていたんだ俺は……<王>を辞める、だと?ふざけるんじゃない!仲間の信頼を裏切ってまで<王>を辞める理由など俺には無い筈だ。あぁ……バカな自分に虫酸が走る。
「ったく、悠聖の奴…………“後は任せた”か……」
まるで英雄にかける様な言葉だ。俺はそんな柄ではない。期待されたところで、その期待に応えるだけの働きが出来るとも限らないのだから、悠聖の言葉は少なからずも重圧となって俺にのしかかって来るわけだ。
しかし、そこまで言われておきながら引き下がる事など出来るわけが無い。
俺は立ち上がると通信をオープンにした。俺の心の声は緋狩に聴かれている。ならば、指揮系統を別の人間に移せば良い。
自分が<王>である事に変わりはないが、緋狩の能力が及ばない人物に指揮系統を託すことで事態を収集した俺。その人物とは……
「というわけでトーマ。指揮は任せる」
「分かった」
トーマの短い返事を確認した俺は前線の部隊に加わる。部隊といっても、八人程度が集まっただけであるから、部隊と呼べるか否か難しいところだ。それに俺は一人で動くつもりであるからして、部隊なぞ何の意味も持たない。
俺の役目は悠聖の抜けた穴を埋める事。責任はキッチリととらせてもらうさ。後ろを振り返ると、トーマの笑顔。指揮は任せたぜ親友第一号さんよ。悠聖のためにもこの演習、負けられない!
「みんな、俺を守る事はしなくて良い……此処で待ってろ。さぁて……暴れて来るか!」
俺は部隊を残し、単独で敵陣へと切り込んで行く。
頬を撫でる風が心地良い、が……何故だろう。景色の流れる速度が異常に速い。走ればそれなりの速度で景色が流れていく。だが、今の速度は人間の走りが生み出すそれとはかけ離れて速かった。気付けば既に敵陣の真っ正面。
「神夜……そのまま前進……」
「へっ……了解!」
「えっ……トーマ君の心の声が聞こえない!?何故!?」
緋狩はトーマとの面識がある。二人共俺の幼なじみなのだから、小学四年になるまでの間に一度も顔を合わせなかった筈がない。トーマがフランスに帰った後は、感情を抑えきれなくて緋狩に抱き付いて大泣きしたっけ。
うぅ……今更だが思い返すと恥ずかしくなってきたぞ?
「一体……どうなってるの?」
「緋狩さん……俺は氷使い……心を凍らせて閉ざすなんて造作も無い事ですよ」
「は……そんな事って……」
やはりそうだった。トーマは氷の魔法使いだから、自分に氷魔法をかける事が出来たとしても不思議ではあるまい。しかし、自身の心にまでかける事が出来るとは驚きだ。てっきり俺は、自分の体温を低下させて心を落ち着けるくらいだと思っていたのに、“心を凍らせて閉ざす”なんてどんな発想だよ。
「これで心の声を聴く者は俺には効かない……神夜、“後は任せる”」
「お前までその台詞を言うか」
数名で斬りかかってきた<歩兵>の斬撃をかわして、すれ違いさまに剣の柄で全ての<歩兵>の腹部に突きを見舞う。いちいち斬ってたら時間の浪費になるからな。<歩兵>の悶絶した声が後ろから聞こえてきたが、そんなの知らん。
目指すは緋狩。
『心の声を聴く者』で“俺の心の声は”聴かれているが、直感で動く俺の動作には付いてこれまい。考えて動かないのだから、心の声など聞こえようが無いわけだ。
「行くぞ!緋狩!」
「それを許すと思ってるの?必殺布陣!守護者の住まう城!」
ここだ!守護者の住まう城が形成されるこの瞬間を待っていた。確かに、守護者の住まう城は鉄壁を誇る防御布陣。但し、それは“防御が及ぶ範囲”での事。だったら、その防御範囲外から攻撃を加えてやれば良いだけの話だ。そう、例えば……
「科世……神夜の足元に十二式を。速詠唱で構わない」
「はぁ〜い!……十二式蒼流壁!」
速詠唱とは、術式を発動する際に必要な言霊を無視して詠唱する事により、詠唱時の隙を少なくする詠唱法だ。しかしその場合、術の威力は半減する。
魔法使いなら誰にでも使えるというわけではなく、上級魔法使いにのみ許された特別な詠唱法である。
俺の足元に水で形成された壁がせり出し、その壁が俺を宙に押し上げた。この際防御力は必要無い。俺の踏み台として使うのだから。守護者の住まう城の防御が及ばない場所、つまり上からの攻撃なら防がれない、というわけだ。どんなに優れた城壁が在ったとしても、死角からの攻撃に対応出来はしない。一般的に防御型布陣は前方後方の攻撃を防ぐためのもの。故に上、この場合では空からの攻撃に対する対策は何もとってはいないはず。
名付けるなら、作戦名『崩れ去る城』だ。
「これでも喰らえぇぇ!降下彗星!」
俺は剣を抜き、地上5メートルから守護者の住まう城の中央に鎮座している緋狩に向かって一気に降下した。降下彗星なんて言ってはいるが、実際は空中から相手に向かって落ちるだけのシンプルな攻撃である。
だが、シンプルだからこそ、この降下彗星は……強い!
「か、カッコいい……じゃなかった!」
緋狩も自身の剣を抜き放つと、正面から降下彗星を受け止めた。鉄と鉄がぶつかり、無機質な音を立てる。その瞬間、緋狩の整った綺麗な顔が苦痛で僅かに歪んだ。女性の筋力では、俺の全体重を乗せた落下攻撃を防ぐのに少々無理があったのかもしれない。
「くぅ!……ぅああ!」
流石に耐えられなくなったらしく、緋狩は剣を横一閃に振り抜き、衝撃を地へと受け流した。俺は地面に両足を着くと同時に左手を軸にして体を180度回転させ、そのままの低い姿勢から緋狩に追撃を加える。自分でもビックリするような速さで。昔から運動は得意な方だとは思っていたがそれでもビックリした。新幹線にでも乗っている様なスピードで景色が流れていくのだから。
そして懐へ踏み込んだ俺は目前の緋狩に向けて胴払いを放つ。その時の動きは最早人間のそれでは無い事に、俺は気付いていた。白刃が<王>の装甲へと吸い込まれていき、直撃する。
「がっ……!」
反応出来なかった緋狩は俺の胴払いを喰らって土煙を上げながら地を転がり、やがて停止した。普通人間は自分の限界を知るとそれに絶望するものだが、俺の力は今、その限界を打ち破ってしまったのではないかと思うほど強かった。たかが胴払いで人が、それも<王>装備を装着しているにもかかわらず吹き飛ばす程の力なんて、暗鬼さんくらいしか持ち合わせていないと思っていただけに、この状況には俺自身が一番驚きではあるが。
見渡すと、守護者の住まう城を形成していた敵駒とそれを打ち破ろうと頑張っていた自駒の表情が比喩では無く固まり、驚愕の二文字を視線に乗せて俺へ注がせているのがわかる。まぁ、俺も自駒側だったら同じような視線を送ったことだろう。
しかし、戦いの最中は別の奴に目移りしてちゃ駄目だ。目の前の敵を倒す事だけを考えていれば良い。
「ぐぅ……」
やっとこさ立ち上がったらしい緋狩は、たった今胴払いを受けた横腹を押さえながら目を細くして、
「神夜……あんた、何の能力者なの?」
と俺に意味不明な質問を投げかけてきた。
はぁ?能力者?わけ分からん。
俺が何の変哲も無く、怠惰な毎日を過ごしている一般人である事は幼少時代から一緒の緋狩が一番良く分かっているはずだ。それを分かって言っているのだろうから、緋狩の質問には何かしらの意味が存在していると思って間違いない。確かにさっきの180度ターンや胴払いの威力といい、人間の力や動きの範囲では到底説明出来ないものばかりではあるが。
(……その質問の意図は何だ?俺は能力に一番無縁な一般人なんだが)
「本当に知らないの?……なら、何故あんな動きが……」
「口動かす暇が有るんなら俺を倒す方法でも考えな!」
弾かれたように地面を蹴った俺は再び猛スピードで緋狩に接近する。
(今度は下を攻めてみるか)
今度は胴払いではなく、左手を軸にした足払いをかけるが、緋狩は反応したらしくジャンプでかわしていた。そして空中で俺の眼前へ白刃を振り下ろしてくる。よく空中でそんな動きが出来たものだ。
だがこの時点での緋狩は忘れている様だった。人間には
“限界が有るということを”
今“限界を打ち破った”とかぬかしてた俺が言うのも可笑しい気がする。しかし限界が有る事は事実。
空中で剣を振るう事は出来ても飛んでくる飛来物を避ける事など出来ない。もし出来るのなら、そいつは能力者。それもかなり特殊な能力ということになる。俺は白刃を受け止め、その瞬間叫んだ。
「終冴!」
「はいよっと!」
終冴が投げ出した<城>の武器、盾はブーメランの様な軌道を空に描き、緋狩を捕らえた。緋狩の五体からメシメシと骨の軋む音がする。
「…………!」
声も出せず、緋狩はまたしても地を転がる羽目になった様だ。ぐったりと地に伏せ、動かない緋狩。幼馴染みからすれば少々心が痛む光景ではあるが、今の俺は緋狩の幼馴染みでは無い。<歩兵>一組の<王>だ。仲間の、悠聖の、みんなの為に、ここは非情にならせてもらうさ。
俺は緋狩の背後へゆっくりと歩み寄る。緋狩は俺の存在に気付いていないようだ。そして剣を振り上げた。一切の感情を押し殺して。無様に膝をつく幼馴染みを見下ろして。剣を振り上げた。
「緋狩……」
「……参ったなぁ……勝てると思ったのに」
「悪いな……詰みだ」
◆
『演習終了!<王>撃破により、<歩兵>一組の勝利です!』
「へぇ……神夜にも出て来だしたじゃねぇか……専用装甲の兆しが。あのスピード、普通じゃねぇな。速さ(スピード)特化の専用装甲になるだろうな、ありゃ」
沈黙のアナウンスが響き渡る演習場のフロアで一人呟くのは、『掟破り(アンチルール)』こと疑心暗鬼。『設定変更者』という、一人で世界を支配出来る能力を持つ二年生だ。口の端を僅かに吊り上げ、期待感を込めた笑みを浮かべている。
「あなたの持つ最強装備『王嵐』に匹敵する専用装甲に成ると良いわね」
「おや?俺はいつも一人で誰からも声をかけられない孤独な最強戦士、疑心暗鬼様なんだが……その俺に何の用だ?二年<女王>、時皇子時雨さんよ」
時雨は暗鬼の隣に並ぶと、自分の身長を軽く凌駕する暗鬼を見上げて暗鬼と同じ様に笑みを浮かべる。しかし、その笑みは暗鬼が先程まで浮かべていたそれとは若干違っていた。まるで、暗鬼の心の内を探る様な透かした笑顔だ。
「そう思ってるのはあなただ〜けっ!実際一人じゃないでしょ?あんなにたくさんの繋がりが、この学園には居るじゃない。羨ましい限りよねぇ〜」
暗鬼は一瞬顔をしかめたが、文字通り一瞬のことで、直ぐに元の表情に戻る。時雨から理解されている事が暗鬼にとってはこの上なく不快に思えたのだ。時雨は二年<女王>を束ねる実力者。全てを一人でこなしてきた暗鬼とは根本的な違いがあった。それは“クラスメイト”の存在。肩を持ってくれるクラスメイトが居るからこそ、他者からの信頼を勝ち取ることが出来る。
「そんな事を言うためにこんな演習場まで来たわけじゃねぇんだろ?さっさと用件だけ言って失せやがれこのチビ女」
「いやいや、それは君がデカ過ぎるだけだって。身長が232cmもある人間なんて見たこと無いよ?何をどうすればそんなにデカくなるの?いっつも思ってるんだけどね」
「あぁ、それは俺が人間じゃねぇからだ。俺は化け物なんだよ。得心いったか?」
暗鬼は自分が化け物であることを疎ましく思うのではなく、むしろその事に誇りを持っているかのような口調で時雨の質問に答えた。自分でも言うほどなのだから、“化け物”。余程この単語が好きなのだろう。
「成る程ねぇ……納得納得。納得したところで……本題に入るよ?」
今までの屈託の無い笑顔はどこへ行ったのやら、急に真剣な表情になる時雨。その表情に暗鬼の拳に自然と力が籠もる。
「この学園に“滑り人”が転入して来るって話、知ってる?」
「何だと!?誰が許可した!?時期はいつだ!」
暗鬼は柄にもなく大声を上げた。暗鬼には、これからやってくる“滑り人”がどんな人物であるかが分かっていた。そしてその脅威も、強さも、ヤバさも、自分に匹敵する程の強大な能力を持っていることも。
「許可したのは捨て駒学園統括理事会。学校を潰す気かしら……転入時期は一ヶ月後。私達主神の一撃も彼奴をこの学園にのさばらせる気は無いよ。だから此処は共闘戦線と行かない?一緒に奴を黙らせるの」
「はぁ……不本意なんだが仕方ねぇ……分かったよ」
こうして主神の一撃と疑心暗鬼との共闘戦線が静かに成立した。