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秘伝の「マンガ」と歪なヒロイン


「ほら、これ。暇そうにしてるあんたに、特別に貸してあげるわ」


カナがドサリと机に置いたのは、手作り感溢れる一冊の冊子だった。

表紙には可愛らしいフォントで『最強の聖騎士と、彼を愛しすぎる魔女の物語』というタイトルが書かれている。

中身を開けば、驚くほど丁寧に描き込まれたマンガが広がっていた。


「へぇすごいな、絵が上手い……手作り感満載だけど、カナが作った?もしかして」


「ば、馬鹿じゃないの!? そんなわけないでしょ! たまたま拾った……じゃなくて、最近流行ってる本を手に入れただけよ! あんたにも分かりやすく『直されてる』みたいだから、黙って読みなさいよ」


カナは耳まで真っ赤にしながら、コウタの隣に陣取った。

実際は、大陸に数冊しか現存しない伝説の『神代剣術極意書』を、コウタが「無意識に」修得できるように、彼女が寝る間も惜しんでマンガ形式にリライトした、狂気の力作である。


「……どう? おもしろいでしょう?」


「うーん……面白いんだけど、なんていうか、このマンガ、すごく難しいね。描き込みが細かすぎて、剣の振り方の描写だけで10ページくらい使ってるし……。でも、この主人公はかっこいいな。どんな強敵も一撃で倒しちゃうんだ」


「そうでしょ! ……で、で、ヒロインはどうなのよ! この、主人公を献身的に支える、可憐で美しくて、ちょっぴり、0.1ミリくらい嫉妬深いこのヒロインは!」


カナは身を乗り出し、期待に満ちた目でコウタを覗き込む。

ヒロインの髪型や性格、さらには口癖まで、どこからどう見てもカナ本人にそっくりだった。


「うーん。……正直、ちょっとヤバい奴すぎる気がする。主人公が他の子と話しただけで背後に魔法陣を展開したり、主人公が剣で素振りしたら山が吹っ飛ぶような強化魔法を勝手にかけたり……。ヒロイン、強すぎでしょ。これじゃ主人公の立場がないよ」


「……なによそれ! これくらい情熱的じゃないと、過酷な冒険なんて乗り越えられないわよ! いい? 今はこういう『俺つえー』もんが流行ってんのよ! 主人公が最強で、それをさらに一途なヒロインが飼い殺す……じゃなくて、守るのがトレンドなの!」


カナはプンプンと怒ったふりをして、コウタから本をひったくろうとした。

だが、その視線はコウタが読み耽っている「剣の構え」のコマに釘付けになっている。

(……そうよ。マンガのフリをして、あんたの体に神の剣技を刻み込んであげる……。いつか、私なしじゃ呼吸もできないくらい、私の魔法と技術に染まりきればいいんだわ……)


「……なあ、カナ。このヒロイン、最後は主人公と幸せになれるのかな?」


コウタの問いに、カナは一瞬だけ、ゾッとするほど美しい微笑を浮かべた。


「……ええ。逃げ場なんてどこにもないくらい、永遠に幸せになれるわよ。……絶対にね」



禁断の鍛錬と歪んだ観察者


「ふぅ。……こう、かな。……いや、もっと腰を落として……」


宿屋の裏庭。

コウタは、カナから渡された「マンガ」を傍らに置き、泥だらけになりながら素振りを繰り返していた。

描かれていたのは、一見不自然なほど複雑な足運びと、無駄のない剣の軌道。

それが神代の剣神が辿り着いた極致の構えだとは露知らず、コウタはただ、憧れの主人公に一歩でも近づこうと、一心不乱に剣を振るう。


(……かっこいい……。……ああ、もう、なんてかっこいいのかしら……!!)


物陰に隠れ、魔導具の双眼鏡を握りしめたカナは、呼吸を乱しながらその光景を凝視していた。

額から流れ落ちる汗。

張り詰めた筋肉の鼓動。

ひたむきに「自分(が描いたヒロイン)」を投影した物語の通りに動こうとするコウタの姿に、彼女の理性が甘く溶けていく。


(……あの汗になりたい。……彼の肌を滑り落ちて、そのまま服の隙間に吸い込まれて……。……ああ! あのマンガ、本当に作って正解だったわ……!)


カナは恍惚とした表情を浮かべ、指先で空中に複雑な文様を描いた。

それは、重力操作の極大魔法。

バレないよう慎重に、コウタが握る「安物」の質量を、百倍、二百倍へと跳ね上げる。


「……っ、……!? ……急に、重く…………っぐ!!」


想定外の負荷に、コウタの腕が激しく震える。

肺が焼けるような熱を帯び、荒い呼吸が白い霧となって口から溢れ出した。

限界を超えた疲労。

膝をつきそうになりながらも、彼は「カナの期待に応えたい」という一心で、一歩を踏み出し、剣を振り下ろす。


「ハァ…………ハァ……っ、……カナが、……せっかく、貸してくれたんだから…………っ!!」


「…………っ!!」


覗き窓の向こうで、カナは鼻血が出そうなほどの衝撃に震えていた。

荒い息を吐き、汗まみれで喘ぐコウタ。

苦痛と情熱が混ざり合ったその表情は、彼女にとって最高のスパイスだった。


(やべえ……ハァハァしてるコウタ、最高……!! もっと、もっと追い込みたい……! もっと苦しませて、最後は私の胸の中で……!)


カナは興奮で顔を上気させ、さらなる重力魔法を指先に込める。

愛という名の虐待。

守護という名の束縛。

「頑張って、コウタ」

心の中の歪な声が、夜の静寂に溶けていった。


汗まみれの微熱


「………ふぅ、………今日は、もう限界だ……」


コウタは震える手で「安物」を鞘に収め、荒い息を吐きながら裏庭を後にした。

カナに重力操作をかけられているとは知らず、全身の筋肉が悲鳴を上げ、肌からは湯気が立ち昇るほどの熱を帯びている。

フラフラと宿の廊下を歩くその姿は、痛々しくも、どこか野性的な色気を放っていた。


(……来たっ!!)


角の陰で待ち構えていたカナは、全力のダッシュでタイミングを合わせ、角を曲がった瞬間にわざとコウタの胸板へ激突した。


「――きゃあぁっ!?」


「うわっ、……ととっ! ………大丈夫か、カナ!?」


衝撃でよろめくカナの細い肩を、コウタが反射的に抱きとめる。

至近距離。

コウタの体から発せられる、猛烈な熱気と汗の匂いがカナの鼻腔をダイレクトに貫いた。


(っ!! やっべぇ……! 汗でフェロモン、パネェんだけど……!!)


カナの脳内にドーパミンが溢れ出す。

心臓がうるさい。

彼のシャツ越しに伝わる、鍛え上げられた胸筋の硬さと、荒い鼓動。

いつもは「無能」と呼んでいる男が放つ、抗いようのない「オス」の香りに、彼女の理性は一瞬で焼き切られそうになった。


「ちょっと! どこ見て歩いてんのよ、この鈍感!!」


カナは必死に正気を保ち、あえてキツい声を上げた。

だが、その顔は耳の裏まで真っ赤に染まり、声は微かに上ずっている。


「ごめん……。……ちょっと特訓してて、フラフラしちゃってて……。……怪我、ないか?」


コウタは心配そうに顔を覗き込む。

その瞳の近さに、カナは叫び出したい衝動を抑え、コウタの胸を力いっぱい突き放した。


「暑苦しいわね! さっさと風呂に入ってきなさいよ! あんたの汗のせいで、私の高い服が汚れちゃったじゃない!」


「あ、……ああ。……悪かった。……今すぐ洗ってくるよ」


コウタが申し訳なさそうに去っていく後ろ姿を見送りながら、カナはその場にへなへなと座り込んだ。

自分の服についた、彼の汗の染みをじっと見つめる。


(………最高。……あのマンガ、本当に作ってよかったわ……)


カナは、震える手で自分の頬を抑えた。

汚れたはずの服を、彼女は汚物を見る目ではなく、まるで宝物を確認するかのような、昏く深い愛を湛えた瞳で見つめていた。


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