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蹂躙の朱き森


「――撃て! 撃てぇッ!!」


街道の静寂を切り裂き、軍の小隊長が絶叫した。

王都守備隊の精鋭、二十名。

たまたまこの森を非公式な行軍訓練で通りかかった彼らの前に、それは前触れもなく現れた。


ドゴォッ!!


返ってきたのは、人間の頭部を完熟した果実のように踏み潰す、鈍い衝撃音だった。

『血塗れの牙』。

そう呼ばれる最悪の変異種ゴブリンは、1メートルを超える筋骨隆々の巨躯を揺らし、血の滴る巨大な棍棒を肩に担いでいた。


「………アガッ……あ……」


最前列にいた盾兵が、防壁ごと紙細工のように引き裂かれる。

鉄の盾を素手で歪ませ、ゴブリンはその隙間に腕を突っ込むと、生きたまま中身を引きずり出した。

そこにあるのは、狩りではなく、ただの「解体」だった。


「魔法兵、何をしている! 早く、早く火球を――っ!」


「だ、ダメです! 皮膚が……硬すぎて、効かない……っ!」


放たれた火球はゴブリンの胸板に直撃したが、煤がつくだけで傷一つ負わせられない。

ゴブリンは耳障りな笑い声を上げながら、混乱に陥る隊列の中央へ、一足跳びに踏み込んだ。


ドォォォォンッ!!


棍棒が一振り。

その一撃だけで、馬が、兵士が、木々が、まとめて朱い霧へと変わる。

逃げ惑う兵士を背後から掴み、その首を容易くへし折る。

足が折れ、地面を這いずり回る若兵の頭を、ゴブリンは楽しみを味わうようにじっくりと踏み抜き、脳漿を地面にぶちまけた。


「…………っ」


それは、軍としての誇りも、訓練の成果も、何一つ通用しない圧倒的な暴力。

わずか数分の間に、街道は鉄錆の臭いと、千切れた四肢が散乱する地獄絵図へと変貌した。


生き残った数名の兵士が、腰を抜かして震えている。

ゴブリンは、まだ息のある指揮官の喉元を掴んで持ち上げると、その喉笛を食い破ろうと大きく口を開けた。


蹂躙の饗宴


「…………ア……ア……」


指揮官の喉元が、ゴブリンの指先によって容易くひしゃげた。

絶望に染まった指揮官の瞳が、最期の瞬間、目の前の怪物の「愉悦」を捉える。

ゴブリンは、怯え、震え、命乞いをする人間たちの反応こそが、最高のご馳走であるかのように口角を吊り上げた。


ドチャッ!!


指揮官の喉笛が、強靭な顎によって食い千切られた。

噴き出した鮮血を浴びながら、ゴブリンはそれを極上の酒でも飲むように喉を鳴らして飲み干す。

残骸となった指揮官をゴミのように放り捨てると、巨躯を揺らしながら、生き残った兵士たちへ向かってゆっくりと歩を進めた。


「く、来るな……っ! 来るなあああああッ!!」


正気を失った一人の兵士が、無謀にも剣を振りかざして突っ込む。

ゴブリンはそれを避けることすらせず、無防備にその身を晒した。


キンッ!


鋼の剣が、ゴブリンの喉元で火花を散らしてへし折れる。

皮膚一つ傷つかない。

ゴブリンは、折れた剣を呆然と見つめる兵士の顔を、巨大な掌で優しく包み込んだ。

そして、まるで熟れた果実の皮を剥くかのような手つきで、兵士の頭皮ごと、顔面をゆっくりと剥ぎ取っていった。


「ギ……、ギィィイイアアアアアアアアア!!」


森に響き渡る、人間のものではない断末魔。

ゴブリンはその叫びを子守唄にでもするかのように、足元でのたうち回る兵士の四肢を、一本ずつ、節を外すように丁寧にへし折っていく。

逃げることも、死ぬことさえ許されない、地獄の時間がそこにあった。


「ハハハハッ! ハハハハハッ!!」


もはや森には、笑い声しか聞こえない。

ゴブリンが笑い、その足元で、かつてエリートと呼ばれた騎士たちが、己の内臓を撒き散らしながら泥を啜っている。

馬の首を片手で引き抜き、その断面から溢れる血を、逃げ惑う生存者にぶっかける。

恐怖で動けなくなった獲物を、じっくりと、確実に、最高の恐怖を与えながら「処理」していく。


街道を埋め尽くす朱い海の中で、ゴブリンは死体の山の上に腰掛け、千切れた人間の腕を骨ごとバリバリと噛み砕いた。

その赤い瞳には、満足感と、さらなる獲物への渇望だけが濁って揺れている。


 境界線の怪異


森の静寂の中、コウタは足を止めた。

目の前にいたのは、身長1メートルにも満たない、どこにでもいる小柄なゴブリンだった。

ひょろひょろとした手足に、薄汚れた肌。

手に持った棍棒も、木の枝を適当に削っただけの代物だ。


(……なんだ、ただのゴブリンか)


軍を蹂躙した「最悪の変異種」という噂を聞いていたが、目の前の個体はどう見ても弱そうだ。

いつものコウタなら、恐怖を感じるどころか、苦笑いして追い払う程度の相手。

だが、そのゴブリンがコウタを一瞥した瞬間、空気が凍りついた。


「グルル……ッ」


ゴブリンの瞳に宿る、異常なまでの知性と、どす黒い殺意。

そいつは、まるで羽虫を叩き潰すかのような無造作な動作で、一歩踏み込んだ。


ドォォォォンッ!!


たかだか1メートルの小鬼が踏み出しただけのはずが、大気が爆ぜ、地面がクレーターのように陥没した。

コウタの視界が揺れる。

(……速い! なんだこれ)


反射的に背中の「安物」を抜き放ち、正面に構える。

直後、木の枝のような棍棒が、コウタの「安物」を真っ向から叩いた。


ギィィィィィィィンッ!!



本来なら、腕ごと肉塊にされていてもおかしくない威力。

だが、マジックペンで【 安 物 】と書かれたその鉄の剣は、折れるどころか、一切の傷もつかずにその一撃を受け止めていた。


「………………が、はっ! ……ふざける、な……っ!!」


コウタは死に物狂いで、その汚いなまくらの剣をがむしゃらに振り回した。

聖剣の輝きはない。

ただのゴミを、死にたくない一心で振るうだけの無様な一閃。

だが、その刃がゴブリンの視界をかすめた瞬間――地獄を制した小鬼の「本能」が、絶叫を上げた。


「ギ…………ッ!?」


ゴブリンの動きが完全に停止した。

見た目はゴミだ。

文字通り【 安 物 】と書かれた、救いようのない鉄屑。

だが、その内側に隠しきれず漏れ出しているのは、神話の時代に世界を焼き尽くしたはずの「絶滅の概念」そのもの。


小鬼の強靭な肉体が、初めて経験する「死」の恐怖にガタガタと震えだした。

触れてはいけない。

あれは、この世に存在していい光ではない。

目の前の「無能」に見える男は、神の雷を木の枝に偽装して持ち歩いている、この世で最も悪趣味な捕食者だ。


「ギ、ギィィィィィイイッ!!」


1メートルの小さな体から、無様な悲鳴が漏れる。

ゴブリンは、プライドも獲物もすべて投げ捨て、転がるようにして逃げ出した。

何度も泥を舐め、木に激突しながら、背後に残る「ゴミを握った死神」から逃れるために、失禁しながら森の闇へと消えていった。


「はぁ…………なんだよ、今の……」


静まり返った森で、コウタは震える手で剣を握り、膝をついた。

手元の「安物」は、何事もなかったかのように、血に汚れたマジックペンの文字を歪ませて静まり返っている。

ただ、その剣の根元。

幻魔法の隙間から、ほんの一瞬だけ。

(……カナチャン……)

という文字が、必死に彼を護り通した証のように、熱く、熱く、明滅していた。



 

偽りの食卓と秘めたる残滓


「……ほら、さっさと食べなさいよ。冷めたらただのゴミなんだから」


カナは不機嫌そうに、豪華な木の実のサラダと、出所不明の「高級肉(実は神獣の肉)」をコウタの前に突き出した。

宿屋の食堂。

周囲の冒険者たちは、最高ランクのカナと、その隣で所在なげに座る「無能」なコウタを、皮肉な視線で眺めている。


「うん、いただきます。……美味しいね、これ」


「当たり前でしょ、私が買ってきたんだから! ……あ、そういえば」


カナはワイングラスを弄りながら、わざとらしく、冷淡な口調で言葉を継いだ。


「あんたが行ってた森の近くで、王都の軍が全滅したらしいわよ。情けないわよね、軍のくせに」


「……えっ、全滅……?」


コウタの手が止まる。

あの時、森の奥で出会った「ひょろひょろのゴブリン」。

あれが、あの軍を。

もし、あの剣がなかったら。

もし、あの時ゴブリンが逃げ出さなかったら。

背筋に冷たいものが走るコウタを見て、カナはさらに声を鋭くした。


「だから、しばらく薬草採取なんて禁止よ。……あんな危険な場所、あんたみたいな『お飾り』が行ったら、死体も残らないわ。……いい? しばらくは、私の目の届く範囲で大人しくしてなさい」


「…分かったよ。心配かけて、ごめんな、カナ」


コウタのしおらしい返事に、カナの胸の奥がドロリと甘く疼いた。

(……そうよ。……軍が全滅しようが世界が滅びようが、あんただけが私の横で、こうして怯えていればいいの……)



「……ふん。分かればいいのよ。……ほら、そのお肉も食べなさい。あんた、また痩せたんじゃないの?」


カナは「食べなさい」と急かしながら、コウタの足元に置かれた【 安 物 】の剣をチラリと見た。

自分の『カナチャン大好き』の刻印が、まだしっかりと、誰にも知られぬまま脈動しているのを確認して、彼女は満足そうに口角を歪めた。


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