02:冒険のはじまり
「ルッツ、どうしても行くの? 世界を見て回るだなんてあなたにはまだ早いんじゃない?」
目に涙を浮かべながらそう問うのは腰まである真っ直ぐな髪を揺らす、見た目だけなら可憐な姉。
「ルッツだってもう子供じゃないんだ。ずっとこの山の中では世間知らずのままだよ、ティアナ。それに今のままじゃ友達のいないかわいそうな子になってしまうんだよ?」
やさしく姉を諭しながらさらりと酷い事を言うのは童話に出てくるような王子スマイルを浮かべた兄。
「友達ならカッツェがいるじゃない! この子だって立派な友達よ!」
そういって姉が抱きしめているのは先日どこでか捕縛してきたであろう真っ白な竜の子供。本人は親に託されたなどと寝言を言っていたのだが、可愛いものに目がなく、似たようなことをしでかした前科があるため全く信用できない。
「ティアナ……ルッツだって年頃なんだ。色々と察してあげないと……」
「――そうなの?そうよね、ルッツだって男の子だものね……」
何を察しろというのかよくわからないが、姉にはそのよくわからない理由で納得され気を使われた。
「ルッツ、まず街に着いたら冒険者として登録するんだぞ? 義務は生じるが旅をするなら何かと便利だからな。登録の仕方は……」
「まってエリク。その前にギルドの場所の説明をしないと! ギルドはね、街の広場から西に行った青地に銀の文字の看板で……」
結局二人によるギルドの説明は30分続いた。
説明の中には変な人についていかないようにだとか落ちているものは口にしないようにだとか、明らかに不要な説明も多々ある。むしろ大半が必要のない情報だった。
――断言できる。
この兄や姉の面倒を見てきたんだから常識は2人以上にあると。
「そうだ!ルッツ、大事なことを言い忘れてたわ!」
「何? 姉さん」
「街へは家を出てからまっすぐ南に山を降りて……」
「――……もう行くよ」
我が家が建っているのは断崖絶壁のやたら見晴らしのいい場所で、ミモレットという名の街も遠くにだが見えるため説明されなくても当然わかっている。そもそも何度か兄や姉と街に買い物に行ったことがある場所だ。
この後も延々と長くなりそうな気配を察し、俺はさっさと家を出ることにした。
「たまには顔を出しに来るんだよ? あと母さんにも……」
「わかってるよ。それじゃ、行ってきます」
こうしてぐたぐたのまま、俺は冒険者としての記念すべき第一歩を踏み出した。
家を出たのが昼前。昼にはミモレットへ到着していた。
まぁ家から見える場所だったし一人で黙々と歩いたのだからこんなものだろう。今更ながら一人で山を降りて街に来たのは初めてだ。
…………過保護すぎるだろ、あの人たち。
「えーっと、ルッツ=ツェルニーさんですね。ではここにサインを。」
ギルドの受付で出された登録申請書類にサインをする。
書類には登録前に受けた簡単に説明でも聞いた、有事の際の招集命令に拒否することができないことを含めた色々な規則やその対価である数々の冒険者として受けられる恩恵などが細かく書き記されていた。
「はい、これで手続きは完了です。これでギルド連盟に登録されましたのでどこの街のギルドでも依頼を受けることが可能となります。最初は簡単な依頼をこなして徐々にランクを上げることをオススメします」
「ありがとうございます」
受付嬢から登録証を受け取り、依頼の張り出されている掲示板を眺める。
数ある仕事の中でも初級ランクは、迷いネコの捜索だとか子供の面倒だとか冒険者に頼む必要もないんじゃないかというものが多く目立つ。冒険者の登録は誰でもできるのだから妥当といえば妥当だ。
その中から隣町までの護衛という冒険者っぽい仕事を発見し、中級の依頼に分類はされていたが問題なさそうだと判断した俺は早速その依頼を受けることにした。
運の良いことに本日の夕刻が受付期限で、ちょうど依頼主がこれからギルドに来る予定だという。
奥の部屋に通され、しばらく待つと受付嬢が一人の男性と俺と同年代ぐらいの少女を連れてやってきた。
「ルグラン様、こちらが今回依頼を受けることになったルッツ=ツェルニーです」
「ルッツ=ツェルニーです」
受付嬢に紹介され、立ち上がり軽く会釈をする。
「私が依頼主のオーバン=ルグランです。こちらは娘のレティシア」
「レティシア=ルグランです。レティと呼んでくださいね。ルッツさん、よろしくお願いします」
「俺もルッツと呼んでください。こちらこそよろしく」
その後簡単な受け答えの後受付嬢は退室し、俺は直接依頼主であるルグランさんと依頼の確認をすることとなった。
依頼の内容は娘のレティシアを隣町のサンタンドレまで送り届けるというもの。隣町までは馬車で半日ほどだがどうしても馬車の都合がつかなかったのだと言う。
徒歩で行けば2日間ほどかかり、比較的安全だといわれている場所とはいえ娘一人で行かせるのも心配だということで、とにかく冒険者を護衛に付けようということになったらしい。
「ところで……ルッツ君といったね。君はあの勇者に憧れて冒険者になったんだろう? 本当に大丈夫なのか……? いくら比較的安全な道のりだとはいえ一人娘を預けるので少々心配でね」
ルグランさんの心配。それはきっと俺の名前の事だろう。
「ツェルニー」これはあの勇者サマと同じ姓。つまりルグラン氏は俺が勇者に憧れてツェルニーを名乗っているのだと思っているらしい。
これには俺も思い当たることがある。
それは暗黒竜を倒して兄と姉が戻ってきてすぐのことだ。
――何故か知らぬ間に親族が増えていた。
同じ性を名乗る者が増殖しているという話を耳にしたし、今まで会うどころか名前すら聞いたこともないような親族が家にやって来たりもした。
街に出たときに自慢げに男が話していたある内容を聞いたこともある。
「俺はあの勇者の祖母の従弟の娘の婿の甥っ子で……」
それは完全に他人だとつっこみたかったが、それ以上に係わり合いになりたくなかったので放置した。そもそもそれ自体が本当かどうかも怪しいわけで。
あまりにも有名な兄と姉と街の外で別れて買い物をしていたときにそんな光景をたくさん見てきたのだ。
そして今、俺はそんな人間と同じに見られているらしい。
「ツェルニーは本名です。残念な事に。勇者に憧れているわけではありませんので安心してください」
「……そうか、それはすまなかった。どうか気を悪くしないでほしい」
「いえ、娘さんを心配しての事ですから気になさらないでください」
俺がよほど暗い顔をしていたのかルグランさんに謝られてしまった。
しかし本当に、勇者と他人であったらどれだけよかっただろう。心からそう思う。
無事依頼を受けると、早いほうがいいとの事で出発は明朝となった。
それから簡単な打ち合わせをし、ルグランさんたちと別れたその日の夜。
手近な宿をとった俺は、初めての静かな夜を満喫していた。
時折酔っ払いの叫び声が聞こえる程度で、毎晩聞いていた魔物のうなり声に比べればその程度では気にもならない。その魔物のうなり声も今では大して気にならなくなったいたりするのだが。