洞窟探検は甘くない?
1.暗闇への第一歩と、モグラの鋭敏な嗅覚
松明の揺らめく灯りを頼りに、アントたち七人はついに謎の洞窟へと足を踏み入れた。ひんやりと湿った空気が肌を撫で、壁からは絶えず水滴が滴り落ち、ポタポタという音が不気味に反響している。そして何より、洞窟の奥から漂ってくるのは、むせ返るような濃厚なハチミツの香りと、カサカサ、キチキチという無数の何かが蠢くような音だった。
「きゅ~…なんか、ドキドキする」アントは少しだけ不安そうな顔をしたが、すぐに「でも、ハチミツ、いっぱい!」と目を輝かせた。
道はすぐに複雑に枝分かれし、暗闇に慣れていない一行は方向感覚を失いそうになる。
「こっちだ、兄貴!新しい土の匂いがするぜ!誰かが掘ったばかりの落とし穴だ!」
ディグビーが鋭い嗅覚と足元の感触で危険を察知し、一行を安全なルートへ導く。彼の鼻は、土の種類や湿度、微かな空気の流れまで感じ取れるらしい。
「ふむ…この洞窟は、明らかに何かの巣に通じているな。見てみろ、壁には規則的な換気口らしき穴もある」モーガンは松明で壁を照らし、その構造を冷静に分析する。元モグラの兄弟にとって、地下は庭のようなものだった。
ラーネは【運命の編み手】で後方の通路に細い糸を張り巡らせ、万が一の退路確保と追跡者の感知に備える。時折、壁に付着している粘液や奇妙な胞子を小さな革袋に採取しているのは、彼女の研究者としての一面だろう。
「この粘液…強い酸性ね。モンスターの体液かしら」
ホークは【絶対空域】で暗闇の中の反響音や空気の振動を捉え、周囲の空間構造を把握しようと努めているが、狭く入り組んだ地形ではその能力も限定的だ。「ちっ、天井が低くて視界が悪い!これでは自慢の目も役に立たん!」
オルカは巨体を持て余し気味で、狭い通路では壁に肩を擦りながら進む。「ボフッ…少し息苦しいな…水気は十分だが」
そしてアントは、ビバムに「勝手に匂いにつられて行くなよ!」と何度も釘を刺されながらも、鼻をくんくんさせては「ハチミツ、もっとこっち!もっとあま~い!」と一行を(主に食欲の赴くままに)先導しようとしていた。
2.蠢く影と、初めてのステルスミッション?
しばらく進むと、一行は比較的開けた広間のような場所に出た。そこでは、信じられない光景が広がっていた。体長数十センチほどの小型の蟲型モンスター――働き蜂と働き蟻を足して二で割ったような姿の――が、まるで組織化された軍隊のように列をなし、キラキラと黄金色に輝くハチミツの塊を、洞窟のさらに奥へと黙々と運んでいたのだ。その数は数百、いや千を超えるかもしれない。
「「「「…………」」」」
一同は息を呑む。まともに戦えば勝ち目はないだろう。
「…どうやら、ここは奴らの食料貯蔵庫兼輸送路のようだな」ビバムが小声で囁いた。「戦闘は避ける。隠れて進むぞ」
初めての本格的な隠密行動。ホークが【絶対空域】で働き蟲たちの視界の死角や巡回ルートの僅かな隙間を見つけ出し、ラーネが音を立てないように柔らかい糸で足場を作り、仲間たちの足音を消す。しかし、オルカはその巨体ゆえに隠れる場所を見つけるのに苦労し、何度も壁にぶつかりそうになってはビバムに冷や汗をかかせた。
一番の問題児はアントだった。目の前を流れていく大量のハチミツの塊に、彼の理性のタガは外れかかっている。
「は、ハチミツ…あれ、ぜんぶ、僕の…」
よだれを垂らしながら一歩踏み出そうとした瞬間、ラーネの糸が素早くアントの口を縛り、ビバムが力ずくでその場に押さえつけた。「馬鹿者!今騒ぎを起こしたらどうなるか分かっているのか!」
「こっちだ、こっち!」ディグビーが手招きする。彼は壁の僅かな亀裂と、床下に続く小さな空洞を発見していた。「ここなら、あいつらに見つからずに先に進めるぜ!」
モーガンがその穴を少しだけ広げ、一行は一人ずつ、その狭い通路へと身を滑り込ませた。まさに元モグラの兄弟の本領発揮だった。壁の中や床下を這うように進むのは、アントやオルカには少々窮屈だったが、大量の働き蟲に見つかるよりはましだった。
3.女王の影、深まる謎、そして迫る新たな脅威
息を潜めて進んだ先、一行はさらに奥へと続く荘厳な雰囲気の通路に出た。その通路の壁には、何かの染料で描かれたと思われる古代の壁画がびっしりと並んでいた。そこには、巨大な王冠を戴いたかのような女王らしき蟲を中心に、無数の小さな蟲たちがひれ伏し、黄金色の液体を捧げている様子が描かれている。
「これが…村長が言っていた『地の底の女王』…」ビバムが息を呑む。壁画は非常に古く、しかし保存状態は驚くほど良かった。
「女王は蟲を従え、甘露を好む…言い伝えは本当だったようだな」モーガンも、その壁画から放たれる異様な迫力に顔をしかめる。
ハチミツが、単なる食料としてだけでなく、何か儀式的なものや、あるいは巣の中枢を動かすエネルギー源として利用されている可能性も見て取れた。
通路を抜けると、そこは今までで最も巨大なドーム状の空洞だった。湿度と温度が一段と高く、濃厚なハチミツの香りが充満している。そして、その空洞の中央には、周囲の壁と同じような材質でできた、ひときわ大きな繭のようなものが鎮座していた。繭は不気味に脈動し、そこからは強烈なプレッシャーと、言いようのない甘美な香りが放たれている。
「まさか…あれが女王の…寝室、か?」モーガンが緊張した面持ちで呟いた。
アントは、その繭から漂うとてつもないハチミツの香りに、もはや我を忘れて吸い寄せられそうになっている。「は、はちみつ…キングサイズ…!」
その時だった。彼らの侵入を、ついに巣の奥深くの守護者たちが察知したのだ。
繭の周囲に配置されていた数体のカマキリバチ――以前遭遇したものよりも一回り大きく、鎌はより鋭く、複眼はより凶暴な光を宿している――が、一斉にその鎌首をもたげ、威嚇の羽音を響かせた。
「まずい、見つかった!しかも、こいつら、前の奴らより強そうだぞ!」ホークが叫ぶ。
「囲まれている!総力戦だ、やるぞ!」
ビバムの鋭い声が洞窟に響き渡った。アントたちは、それぞれ武器を構え、迫りくる新たな脅威と、そしてその奥に眠るであろう「女王」と「大量のハチミツ」に、決死の覚悟で向き直る。甘い香りに満ちた地下迷宮の最深部で、彼らの新たな戦いが始まろうとしていた。