穢れの大母と終末のプレリュード
1.開かれた冥府の門、そして「穢れの大母」の覚醒
祭壇の双璧が遺した黒曜石の欠片によって開かれた巨大な石門の先は、まるで異世界の神殿を思わせる禍々しい空間だった。ひび割れた黒水晶のような床、ねじれた柱、そして壁には理解不能な古代文字がびっしりと刻まれ、それら全てが不気味な紫色の光を放っている。そして、その広大なドーム状の空間の中央には、おびただしい数の白く脈打つ蟲の卵に囲まれ、巨大な黒水晶の祭壇が鎮座していた。祭壇の上では、まるで腐肉が集まってできたかのような、不定形の巨大な肉塊が、ゆっくりと、しかし力強く脈動し、周囲の空間を歪ませるほどの強烈な邪気を放っていた。
「あれが…穢れの源…!」銀狐が息を呑み、その全身の毛を逆立てる。
一行が息を潜めて祭壇に近づこうとしたその時、肉塊が激しく蠢き、まるで永い眠りから覚醒するかのようにその形を変え始めた。無数の赤い目が虚空に開き、粘液にまみれた何本もの太い触手が伸び、そして、絶望を誘うような、低くおぞましい咆哮が洞窟全体を震わせた。それは、森の全ての生命を汚染し尽くさんばかりの、純粋な悪意の塊――「穢れの大母」とでも呼ぶべき存在だった。
『……ククク…よくぞ参った、新たな贄どもよ……』
穢れの大母の声は、直接脳髄に響き渡り、聞く者の精神をじわじわと蝕んでいく。
『我が愛しき子ら(蟲の卵)の糧となり、この世界を新たなる穢れの楽園とする礎となるがよい……さあ、その生命、我が腕に捧げなさい……』
「冗談じゃないわ!」ラーネが叫び、ヌシ・オドロの涙の宝玉を掲げ、浄化の光で仲間たちを瘴気から守ろうとする。
「こんな奴に、僕らの森とハチミツを好きにさせるもんか!」アントも、その小さな体に不屈の闘志を漲らせ、黄金のオーラを立ち昇らせた。
2.絶望との舞踏、七つの光、風前の灯火
穢れの大母との最終決戦の火蓋が切って落とされた。大母は、その巨体からおびただしい数の粘液質の触手を伸ばし、鞭のようにしならせてアントたちに襲いかかる。地面からは鋭い瘴気の棘が次々と突き出し、回避するだけで精一杯だ。さらに、周囲に無数に存在する蟲の卵からは、次々と強力な穢れし者たちが孵化し、アントたちに襲いかかってくる。
「数が多すぎる!本体に近づけないぞ!」ホークが上空から叫ぶが、その声もかき消されそうだ。
ビバムの的確な指示も、モーガンとディグビーが作り出す土の壁や落とし穴も、次から次へと湧き出る穢れし者と、大母本体の圧倒的な再生能力の前には、焼け石に水だった。ラーネの糸も、オルカの水も、銀狐の森の力も、そのことごとくが穢れの大母の放つ強大な瘴気のオーラによって威力を削がれ、決定的なダメージを与えることができない。
「くっ…これほどの邪気…まるで、世界の終わりを見ているようだ…」銀狐が膝をつきそうになる。
アントは【真・女王の勅命】の黄金のオーラを必死に放ち続け、仲間たちの心に勇気を灯し、瘴気に対する抵抗力を高めているが、その顔には疲労の色が濃く浮かんでいた。
「みんな…負けないで…僕が…僕がなんとかしないと…!」
しかし、その思いとは裏腹に、戦況は絶望的なまでにアントたちに不利だった。
ついに、仲間の一人が限界を迎えた。モーガンが、弟のディグビーを庇って穢れの大母の触手の一撃をまともに受け、大きな音を立てて吹き飛ばされ、動かなくなってしまったのだ。
「兄貴ぃぃぃぃぃっ!」ディグビーの悲痛な叫びが洞窟に響き渡る。
「モーガン!!」アントたちの顔にも絶望の色が広がる。
3.希望の灯火、そして最後の賭けへ繋がる一筋の光明
仲間が目の前で倒れた。その衝撃と悲しみ、そして強烈な怒りが、アントの心の中で激しく渦巻いた。
(僕の仲間が…また…!こんなところで…終わらせるもんか!)
その時、アントの体から迸る黄金のオーラが、一瞬、さらに強く、そしてどこか神々しいほどの輝きを放った。その光は、まるで呼応するかのように、ラーネが持つ「ヌシ・オドロの涙」にも共鳴し、宝玉から清浄な水の波動が放たれ、周囲の瘴気をわずかに押し返した。
「…今だ!」ビバムがその僅かな変化を見逃さなかった。「女王の力の源は、あの黒水晶の祭壇そのものと、そこから供給される穢れのエネルギーに違いない!あの祭壇を破壊するか、エネルギーの流れを断ち切ることができれば…あるいは!」
しかし、祭壇は強力な穢れのバリアで守られており、近づくことさえ困難を極める。
その時、銀狐が、何かを決意したように顔を上げた。
「一つだけ…方法があるやもしれませぬ。しかし、それは大きな危険を伴う、古の儀式…」
銀狐が語り始めたのは、かつて目覚めの森の民が、強大な邪悪を封印する際に用いたという禁断の秘術だった。それには、穢れを知らぬ清浄な魂を持つ者の強い生命力と、森の精霊たちの最大限の助力、そして何よりも、仲間たちの「願い」の力を集束させる必要があるという。
「その儀式を行えば、一時的にではありますが、祭壇のバリアを中和し、穢れの源に直接攻撃を加える隙を作り出せるかもしれません。しかし、術者には計り知れない負担がかかり、最悪の場合…」
「僕がやる!」
銀狐の言葉を遮り、アントが力強く名乗りを上げた。その瞳には、一点の曇りもない決意の光が宿っていた。
「僕ならできる!みんなと、この目覚めの森と、そして僕の大事なハチミツのために!ラーネ、あの綺麗な石(ヌシ・オドロの涙)を貸して!みんな、僕に力を貸して!」
仲間たちは、アントのその言葉と覚悟に、一瞬息を呑んだ。しかし、すぐに全員が力強く頷いた。彼らは、この小さな元・蟻の転生者が持つ、無限の可能性と仲間を思う心を、誰よりも信じていた。
「行け、アント!お前が信じるもののために、そして我々が信じるお前のために!」ビバムが叫んだ。
オルカが、ホークが、そして負傷した兄を抱きしめながらも涙をこらえて立ち上がったディグビーが、それぞれの想いを込めてアントに力を送る。ラーネも、最後の力を振り絞り、ヌシ・オドロの涙の宝玉から清浄な光をアントへと導く。
銀狐が古の呪文を唱え始め、アントの体に仲間たちの願いと森の精霊たちの力が集束していく。黄金のオーラはさらに輝きを増し、アントの体はまるで小さな太陽のように発光し始めた。
その間にも、穢れの大母の猛攻は続く。残った仲間たちは、アントが儀式を終えるまでの時間を稼ぐため、そして彼が祭壇へと辿り着くための道を開くため、文字通り命を賭して最後の抵抗を開始する。
「アント、お前に全てを託す!」
鉄の爪団から託された想いも、目覚めの森の獣たちの願いも、そして何よりも大切な仲間たちの絆も、全てをその小さな背中に背負い、アントは穢れの大母と黒水晶の祭壇に向かって、最後の、そして最大の希望を込めた突撃を開始した。
その黄金の光は、果たして絶望の闇を打ち破ることができるのか。
影の沼の最終決戦は、まさにクライマックスを迎えようとしていた。




