浄化の宝玉と沼の試練 影の祭壇への道
1.ヌシ・オドロの涙と、ラーネに差し込む光
ヌシ・オドロが浄化され、美しい水蓮の花と翠色の宝玉を残して消え去った後、影の沼には束の間の静寂と、ほんの少しだけ清浄になった空気が漂っていた。
「これが…ヌシ・オドロさんの…」
アントがそっと拾い上げた翠色の宝玉――ラーネが後に「ヌシ・オドロの涙」と名付けることになるそれは、まるで生きているかのように温かく、そして清らかな水の力を宿していた。宝玉を掲げると、周囲の濃い瘴気がわずかに揺らぎ、薄れていくのが分かる。
「この宝玉…強い浄化の力と、そして何よりも深い森の記憶を秘めているようですわ」
ラーネは、まだ本調子ではない体で宝玉に手を伸ばし、そっと触れた。すると、宝玉から柔らかな光が溢れ出し、ラーネの傷ついた肩を優しく包み込む。痛みが和らぎ、顔色にも血の気が戻ってくるのが見て取れた。
「まあ…体が、少し楽に…ヌシ・オドロさんが、私たちを助けてくれているのかもしれませんわね」
その声には、確かな実感がこもっていた。
「よし、これがあれば、この先の沼も少しは進みやすくなるかもしれないな」ビバムが頷く。
アントは「僕の新しいアメだ!」と言い張り、首から下げようとしてラーネに「それは大切なものですから、私が預かりますわ」と優しく諭され、少し不満そうにしながらも、ラーネに宝玉を預けた。ラーネが宝玉を掲げると、まるで道しるべのように、沼の奥へと続く道がほのかに明るく照らし出された。
2.沼地の罠と穢れの残滓、試される仲間たちの連携
ヌシ・オドロの涙の加護があるとはいえ、影の沼の奥地は依然として危険に満ちていた。一歩足を踏み入れるたびに、ぬかるんだ地面が不気味な音を立て、毒々しい色をした巨大なキノコからは幻覚を見せる胞子が舞い、水面からは時折、鋭い牙を持つ魚のような魔物が飛び出してくる。
「うわっ!なんか変な煙が!」「足元、気をつけて!底なし沼かもしれないわ!」
しかし、アントたちはこれまでの冒険で培ってきた連携と、それぞれのユニークな能力を駆使して、これらの障害を乗り越えていく。
モーガンとディグビーは、ビバムの指示のもと、「固まる土」と沼地の泥を巧みに混ぜ合わせ、安定した足場を次々と作り上げていく。彼らの手にかかれば、危険な毒沼も安全な道へと変わる。
「へへん、どんな沼地だろうと、俺たちアナホリブラザーズにかかれば庭みたいなもんだぜ!」ディグビーが得意げに胸を張る。
ホークは【絶対空域】で、幻覚ガスの発生源や、水中に潜む魔物の気配を事前に察知し、一行に警告を与える。彼の正確な射撃は、毒キノコの胞子を未然に爆散させ、魔物の奇襲を防いだ。
オルカは、汚染された沼の水にも臆することなく、【深海の盟約】の力で水流を操り、毒々しい植物を薙ぎ払ったり、仲間たちが渡るための水の橋を一時的に作り出したりする。
そしてラーネは、回復した体で再び【運命の編み手】の糸を巧みに操り、不安定な足場を補強したり、毒虫の侵入を防ぐための結界を張ったり、時には銀狐から教わった薬草の知識で、瘴気による軽い体調不良を訴える仲間の手当てをした。「ヌシ・オドロの涙」の力も借り、彼女の糸には微かな浄化の力が宿り始めていた。
アントは、「まずそうな敵ばっかりだ!ハチミツの気配も全然しないし、早く終わらせて帰りたいよー!」と文句を言いながらも、その拳から放たれる【真・女王の勅命】の黄金のオーラは、穢れに汚染された魔物たちを次々と光の粒子へと変えていく。「ヌシ・オドロの涙」を掲げたラーネが近くにいると、その浄化の力はさらに増幅されるようだった。
銀狐は、その豊富な森と沼の知識で、食べられる(かもしれない)奇妙な植物を見つけたり、安全な休息場所を選んだり、そして何よりも、一行が穢れの源へと向かう正しい道筋を示し続けた。
途中で、ディグビーが毒々しい色のヒルに足を噛まれ、高熱を出して倒れてしまうというアクシデントもあった。モーガンは弟の苦しむ姿に狼狽し、一時は探索の中断さえ考えたが、ラーネが調合した特製の解毒薬と、アントが「これ食べたら元気になるって、おっきな樹さんが言ってた!」と半ば無理やり口に押し込んだ「黄金の木の蜜」のおかげで、ディグビーは奇跡的に回復する。この出来事を通じて、普段はぶっきらぼうなモーガンも、アントたちへの感謝と信頼をより一層深めたのだった。
「…お前たち、なかなかやるじゃないか。礼を言う」モーガンのその言葉は、何よりも雄弁だった。
3.「影の祭壇」の影と古代の記憶、そして新たな門番
幾多の困難を乗り越え、探索を続けるうちに、一行は沼の中央に浮かぶように存在する、黒い瘴気に覆われた巨大な古代遺跡らしき建造物が、徐々にその姿を現し始めているのを感じた。そこからは、ヌシ・オドロさえも比較にならないほどの、強大で冷たく、そして深い怨念のような邪気が放たれている。
「間違いない…あれが、穢れの源…大樹様が言っていた『影の祭壇』だ…!」銀狐が息を呑み、その毛並みを逆立てる。
祭壇に近づくにつれて、周囲には苔むした奇妙な石碑や、解読不能な古代文字がびっしりと刻まれた建造物の破片が散見されるようになった。銀狐が、そのうちのいくつかの文字を拾い読み、顔をしかめる。
「これは…古の森の民が遺した警告文のようだ…『大いなる災厄、ここに封印す…決して、目覚めさせてはならぬ…』と。一体、何が封じられているというのだ…?」
「ヌシ・オドロの涙」が、祭壇から放たれる邪気に呼応するように、これまで以上に強く、そして悲しげな光を放ち始めた。ラーネがその宝玉を握りしめると、彼女の脳裏に、断片的な、しかし鮮明な映像が流れ込んできた。
「見える…! 遠い昔の記憶…大きな戦い…そして、何か恐ろしいものが、この場所に封じ込められる瞬間が…! 封印が…長い年月を経て、弱まっている…!」
ラーネの言葉に、一行の緊張は極限まで高まる。
ついに、一行が「影の祭壇」の入り口と思われる、巨大な石門の前にたどり着いた時。
そこには、まるで永遠の番人のように、二体の巨大な蟲型騎士が静かに立ちはだかっていた。その姿は、ハチミツ村の洞窟で戦ったカマキリバチ型の「ロイヤルガード」や「ダーク・センチネル」に似ているが、より禍々しく、そして明らかに高い知性を感じさせる雰囲気を漂わせている。その黒光りする甲殻には、祭壇の石碑と同じ、不気味な古代文字のような紋様がびっしりと刻まれていた。
「「ここまで来たか、異郷の小さき者どもよ」」
二体の騎士が、まるで一つの意思であるかのように同時に声を発した。その声は、金属を擦り合わせたような不快な響きを持っていた。
「「この先は、我ら『祭壇の双璧』が、決して通すことはない。穢れの安寧を乱す者は、全てここで塵と化すがよい!」」
二体の騎士は、その手に持つ禍々しいオーラを放つ巨大な戦斧と長槍を構え、アントたちに明確な敵意を向けた。
「いよいよ本丸のようだね…みんな、覚悟はいいかい?」
ビバムが仲間たちを見回し、全員が力強く頷く。
目覚めの森の運命を左右する、そしておそらくは彼らのこれまでの冒険で最も過酷な戦いが、今まさに始まろうとしていた。




