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すいませんっ!ずっと会いたいと思っていた人が私を抱きしめて、頬に擦り寄ってきてます!
これはどうしたらいいですか!襲っちゃっていいんですか!?
ただ美麗過ぎて、心臓が持ちそうにありません!
「ちょ、ちょっと待って」
透明人間さん、あ、今はもう透明じゃないから、元透明人間さんか。
彼の肩に両手を置いて、頬を擽る唇から逃れるように身をよじると、少しむっとしたように元透明人間さんは顔を上げた。
さらさらと流れ落ちる蜂蜜色の金髪が揺れる。
「気が触れそうになるほど、待ったというのに、まだ待たせるのか」
「う、うん、ごめんね?でも、状況整理したいというか、それにこれからずっと一緒にいられるでしょ?」
「ずっと一緒に……ああ、そうだ」
気持ちが浮上したらしい元透明人間さんは、嬉しそうに甘く微笑んで体を起こし、私に手を伸ばした。
それに捕まりながら、私も体を起こし立ち上がった。
辺りは陽が傾き、壁に取り付けられた外灯が頼りない光で木々を照らしている。
「暗くなってきたから、お部屋行こう。透明人間さん、これ持てる?」
これ、と言ったのは、勿論デュラの事だ。
あれきり倒れたままの彼を流石にここに放置していくわけに行かず、でも自分では絶対持てない。
元透明人間さんは、眉を寄せて嫌そうなそぶりを見せたけれど、ここには誰も入ってこれない事、私が引きずって行ってもいいけど、時間がかかると話せば、渋々ながらもデュラを担ぎあげてくれた。
甘いマスクに似合わず、大の男を肩に担ぎあげるなんて、なかなかに男前だ。
「少し行った所に、人が待っているからそこまでだからね」
その後、無事ミハとアレンの所に辿り着いた私達は、え、誰?と驚く二人に、後で説明するからとデュラを引き渡す。
部屋に戻る途中でも、まさかの祭司長であるデュラが気を失っている事に、神殿の人達は慌てて彼を部屋に連れて行ったり、私が連れている元透明人間さんに最初不信いっぱいという顔をしたけれど、彼の神々しさというか、昂然たる姿に何かを感じたのか動揺しつつも、湯浴みに連れて行ってくれた。
私と離される事にかなり戸惑った元透明人間さんの姿に、悶えそうになったのは内緒にしておく。
私の方も、あの無駄に高そうなローブや衣服を手伝ってもらいながら、もう一度湯浴みをして、ようやく落ち着いたのは夜もかなり更けてきた頃だった。
「ミハは王城へ、報告に戻らせました」
アレンから紅茶を受け取り、一口飲んでうんうんと頷く。
確かシグ殿下とレィニアスさんが私の事で、あっちでは話し合いが持たれてるはずだし、まぁ夜中だから一旦終わってるかもしれないけど。カイル辺りはまだ起きてそうだ。
「アレンも、もう休んでいいよ」
「いえ、私はここに」
「んー、でも説明しようにも、私も彼とこれから話す感じだし」
言いながら、私の前のソファに身を沈める元透明人間さんに視線を上げる。
彼は少し疲れたように肘掛けに手を置き、その上に顔を預けてこちらを見ていた。
目が合うと、ふっと目を細めて緩慢に微笑む。
そういう目で見られると、一気に顔に血が上るからやめてほしい…!
「一応カイルには前に話してあるのね。カイルの事だから、レィニアスさんには話してると思うけど、アレンは私の事、何か聞いている?」
「……個人的な事は何も伺っておりません。だからこそ、今あなたの傍を離れるわけには」
「アレンが心配する事は何も無いよ」
今はって言葉をつけようとして、やめた。
何となくだけど、私は元透明人間さんの正体が、封じの器だって気付いている。
だって、完全器の上に乗っていた時に、そこから元透明人間さんが現れたわけだから。
気づかない方がおかしいよね。
この国の宝である彼を、私は勝手にここに連れてきたわけだけど、それを説明するには、私ももう少し元透明人間さんに対して、情報が欲しい。
夢だと思っていた相手が目の前にいるのだ。それだけならたぶん良かった。
それがまさかの、この国の宝とか、深く考えると、すっごくまずい状況なんじゃないかなぁと思う。
どうしたものかと悩む私の前で、元透明人間さんが気だるげに口を開いた。
「お前がいる限り、私は何も話さぬ」
わあ、俺様。
アレンがびっくりしたように目を見開いた後、むっと眉を寄せ、元透明人間さんを睨んだ。
「素性もわからぬ者と、この方を二人にするわけにはいきません」
「私の事を知らぬのは、お前が無知ゆえだ。または、知らせぬように永き時を持って、真実を隠匿してきたのだろう」
「……それは、どういう意味ですか」
私にもさっぱりわからなくて、目を瞬かせた。
というか、元透明人間さん、前に自分の存在が何かわからないって言ってたような気がしたんだけど、こっちに来てから記憶を取り戻したんだろうか?
めっちゃ聞きたい!いろいろとにかく聞きたい!
期待に胸ふくらませる私と違って、ますます警戒心を露わにしたアレンの視線を受けて、元透明人間さんは、ついっと顔を逸らせた。
これ以上は話しませんって態度だ。
よし、アレン出ていけ。
と、端的かつ厳かに告げようとした時だった。
私とアレンの見つめる先で、元透明人間さんの姿が、ふっとかき消えてしまった。
「なっ!?……アオイさん、これは一体どういう」
普段は冷静沈着に見えるアレンが、慌てふためく姿っていうのは結構面白い。
でも、今はそれを楽しむ余裕なんてない。
「アレンのせいだからねっ!とにかく今日は遅いし、もう寝るから、君も早く寝なさい」
ぎっとアレンを睨み上げたのに、彼には私のガン飛ばしなんて全く効かず、今目の前で消えた存在が気になって仕方がないと食い下がる。
「あのね、私に何かしらの力があるかもしれないってレィニアスさんからは聞いてる?」
「力の事でしたら、少なからずは」
「うん。その力のせいかもしれないし、もっと根本的に違うかもしれない。私にも本当よくわかってない。
明日、デュラとも話してみるけど、アレンはアレンでさっきの人が言った事、気にならない?」
「永き時を持って、隠してきた事ですか?」
「そう、あれすっごい意味気になるよね」
「それは、そう、ですが」
「とにかくアレンはそれ報告、調査!私は寝る!はい、決定っ」
言いながら、ぐいぐいと扉へとアレンの背中を押す。
まだ何か言いたげに扉に手をかけるアレンに、深夜にいつまでも女性の部屋にいようとするなんて、無粋じゃないの?って言い放ち、彼が唖然としたところで、扉をぱたりと閉めてやった。
そこで、はあっと一息ついたところで、ふわっと見えない何かに包まれた。
覚えのある感触。
「今のは、良くない」
元透明人間さんから、透明人間さんに戻っただけなんだろうなぁとなんとなく感じていたんだけど、やっぱりと思っていたら、耳元で低く囁かれた。
少し責めてられてるような感じがする。
「え?」
「ようやくお前と会えたという喜びを、いとも簡単に深淵に落としてくれる」
んんん?
何の事?と振りむいてみたけれど、視界に映るのは部屋だけ。
なのに、さっきよりぎゅうっと抱きしめられるから、そこに彼がいるんだなぁって、本当だったら、ザ恐怖体験再び!っていう場面のはずなのに、笑えてきちゃう。
異世界トリップからの、不思議体験を経験したばかりの私には、もう驚く事はないんじゃないかなぁなんて思ってしまう。
いやこれが本当に幽霊とかだったら、本気で悲鳴あげてるところだけど、さっきの美麗な姿が頭に焼き付いてるし。
なにより、ずっと会いたいと思ってた透明人間さんだ。
温かな空気の層に包まれる感覚、夢だと思っていた、この懐かしい感じ。
なんとかぐるりと体勢を変えて、こちらも正面から、その空気の層に抱き付いた。
さっきは硬かった体躯が、今はあの時と同じぽよんぽよんに、どうしたって頬が緩んじゃう。
「お久しぶりです?」
「……全くお前は、どうしてそう」
今度は呆れたような声音だ。
もうなんていうか、人って嬉しいが限度を超すと、ずーっと笑ってしまうよね。
たぶん、透明人間さん的には、この野郎って気持ちでがしがしと私の頭を力を込めて撫でつけたつもりなんだろうけど、私からすると空気の層だから、ちょっと強いかなぁくらいの柔らかい感じに頭を撫でられてるっていう事実には気づいてなさそう。
うくくと笑っていた私の身体が、ふいに抱き上げられた。
「すごいっ私今浮いてる!」
「………」
はあっと疲れたように、大きく溜息を落とされた。
いや、だってお約束でしょ!