彼の真実 1
これって……
見えないけれど、確かにそこにあるソレに私は手を滑らせた。
目に映るのは自分の手の動きだけなのに、そこには確かに何かがある。
表面は柔らかいけれど、押すとしっかりとした質量で手がそれ以上先に進むことを拒んでくる。
この感触って……
どくどくと自分の心臓が早鐘のように鳴りはじめる。
喉の奥から、何かが込み上げてくるような、たぶん緊張感が這い上がってくる。
自分の中の記憶を探るように、目の前にあるはずのそれに私は、不覚にも震えてしまっている両腕を伸ばし、更に形を確かめようと手を伸ばす。
あの時感じたぬくもりはない。
でも、これって……!
こくん、と唾を飲み込んだ。
その直後、後ろからの衝撃に私は見えない空気の層の上に置いていた手を滑らせながら、前のめりに倒れこんだ。
ひっと喉から出た空気が、顔面から飛び込んだ空気の層のような、ソレに当たる。
あと数十センチで岩というところで、私の体は止まっている。
「び、びっくりしたぁ」
これってはたから見たら、私の姿は浮いてるように見えるんだろうか?
なんていつか考えた事を、再度思ってしまう。
そんなある意味感動のシーンのような、びっくり体験再びみたいな……
って、とりあえずは!
「ちょっとデュラ!?危ないじゃないっ」
なんでいつも一番大事なところで邪魔してくるかなぁ!?
腰に腕を回され、背後からぎゅうううっと羽交い絞めにされている。
いつものふざけた抱擁というよりも、なんだか必死な感じがする力強さと、背中に押し付けられた頭のせいで、デュラの顔が見えないせいもあるかもしれない。
「こらこらーどうしたの?これ国宝でしょ?私思い切り乗っちゃってるんだけど!?」
集めの器に勇気を出して触れた時でさえ、あれだけ異様な目で見られたのだ。
今の状況が誰かに見られたら、しかもそれが、シグ殿下だったりしようものなら、私今度こそ首を刎ねられる自信がある。
それだけは本当勘弁なんですけどー!
「デューラー?」
「……った」
「え?」
「会いたかった、会いたかった、あの時からずっと」
はあ?
デュラの絞り出すような声には申し訳ないけれど、私の目は点だ。
いきなりこいつ何言い出してるの?ってそんな感じ。
いろいろ彼からは言われてきたけど、今更また何言いだしちゃってるの?とか思ってしまう。
「デュラ?」
なんとか上体をひねって、勢いをつけてぐるりと体を反転させた。
はっきり言って今デュラにかまってる場合じゃないけれど、もう本当の本気でかまってる場合じゃないけれどっ!
でも、重いし動けないし、とにかくどいてもらってから、もう一度最初から始めようと思って、デュラの肩に手をかける。
てか、反転したせいでデュラの押し付ける頭が胸の位置だし、なんかいろいろまずい。
ぐっと手に力を込めてみたけど、案の定デュラの体はびくともしない。
「ねえねえ、流石にこの体制はまずいって!私、完全封じの器の上に乗っちゃってるんだけど。壊したらどうするの」
私の説得に、相変わらずデュラは顔を上げない。
「本当にどうしたの?壊しちゃったら責任取れないよー!?私、全力で逃げるからね?ここでの事全部捨てて、日本に帰るからねっ」
帰り方わかんないけど、って言葉は続けられなかった。
デュラが悲壮な目で顔を上げたからだ。
「かえ、る?」
「う、うん。日本に帰る」
掠れた声に思わず答えてしまったけれど、ぶっちゃけそれどころじゃない。
だって、だってデュラの顔がぶれてる…!
な、何で……
絶句して、目に自分の目に何かついたのかと、思わずこすって瞬きを繰り返してみるけれど、変わらない。自分の目が悪いわけじゃないみたい。
震えそうになる手を伸ばすと、それが色とりどりの靄に覆われてる事がわかった。
いつもの怖い感じは一切しない、どちらかというとびっくりの気持ちが強いせいかもしれない。
その靄が、私の指先をすり抜けて、私の背中の方へと吸い込まれていく。
それと同時に、悲壮感が増したデュラの顔がはっきりと見えて、至近距離で見てしまった髪の色を濃くした灰群青のいつもは冷たさを感じるその瞳が、悲痛な色を宿しながら歪んで細められている事に気付いて、私は目をそらせなかった。
そんな私の視線の先で、デュラの口が震えながら、小さく開く。
『駄目だ、帰さない』
声が響くように、二重で聞こえた。
同時に、背後から延びてきた何かに抱きしめられる。
悲鳴を上げそうになった口は、それによって塞がれ、更に混乱が増した。
何!?と咄嗟にそれを見下ろせば、人の腕があった。たぶん、男の人の。
目を見開く私の視界で、その片腕がデュラの顔にかかる。
「それはお前のものではない」
触れただけのように見えた。
なのに、デュラの体がぴくっと揺れると、そのまま崩れるように私の腰の上から横へと、崩れるように滑り落ちた。
その目は閉じられ、乱れた髪がデュラの神経質そうな顔の上に乱れて落ちている。
咄嗟にデュラに伸ばした手が、背後からの腕に絡め取られ、彼に触れる前に止められた。
「駄目だ」
耳元で喘ぐように囁かれた声で、私はようやく気付いた。
この声って……
慌てて、ぐるりと体を回して、確かめる。
そこにはさっきまで確かに誰もいなかったはずなのに、人がいた。
蜂蜜を溶かしたような繊細な金色の真っ直ぐな髪は、片側だけ長めで、美麗に整った顔に影を落としている。
髪の色と同じ蜂蜜色の金の瞳は、確固たる意志を備えて強い光を宿し、私をじっと見つめている。
誰!
って、咄嗟に思ったけど、さっき聞こえた声って、だって。
私の心臓をぎゅっと掴んでくる、あの声って。
「どこにも行かせない」
薄く整った唇が、そう呟くなり、体勢がぐるりと入れ替わった。
上から抑え込まれるように、何処にも逃がさないというように、背中が石の冷たさを感じるよりも先に、彼の腕が私を捉えて、抱きしめられるとともに唇を塞がれた。
強く押し当てられた唇の感触には、全く覚えがないはずなのに、震える金の睫毛に覚えなんてないのに……
「とうめい、人間さん……?」
呟くように問いかけた私の声に、蜂蜜のような金の瞳がとろけるように笑った。
「お前はいつもそう呼んでいたな」
「うそ、だって、本当に?」
「ああ、こうやってお前と視線を合わせる事でさえ震えてしまう喜びがわからないのか」
「た、確かに前は透明だったんだから、視線合う事もなかったけど……」
「だろう。お前はいつもどこか違う場所を見ていた」
「だからそれは、そっちが透明だったからで」
「ああ、そうだ。今は違うが」
そう言うと、彼は私の手を取ると、自分の頬へと導いて、押し当てさせる。
少し冷たい、柔らかな感触に目を瞬かせる。
「あの時のように、確かめてみるか?」
私が本当にここにいるのかどうか。
そう言いながら、私の手を自分の顎へ滑らせ、喉をたどり胸元へと下ろしたところで、私は慌ててその手を取り返した。
だって恥ずかしすぎる……!
あの時の自分の行動を思い出すと、それはもう破廉恥な事いっぱいしましたけどね!
でもそれは見えなかったんだからしょうがないじゃないかっ
それに、夢だと思ってたんだから、大胆になってたっていうか……
「触らないのか?」
意地悪そうに笑う顔を見て、なんだか実感した。
うん、これ透明人間さんだ。
会えたら感動して泣いちゃう予定だったのに、逆に呆れて笑えてきちゃう。
「私の顔はお前の目にかなっているか?」
くいっと顎を持ち上げられ、至近距離で見つめさせられたその甘い顔立ちに、影を落として金色が濃くなった瞳に見つめられて、私はこくこくと頷くしかできない。
顔が熱くて、絶対真っ赤になっている自信がある。
そんな私に満足したのか、透明人間さんは意地悪な笑みから優しげな笑みにその表情を変え、私の頬に吐息を落とした。
「会いたかった、ずっと、ずっとお前を求めていた」
お前らの横で、デュラ倒れてるからああああっ(滝汗