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「尋ねたい事がある」
「はい、何でしょうか」
聞こえた声はレィニアスさんのものではなかった。
彼より幾分低く、落ち着いた声音に私は緊張しながらも、立ち上がる事はせず見えないように窓枠の下で壁に背を貼り付けた。
外よりもこの宮殿の建物の方が高い位置にあるため、こうしていると外からは思い切り中を覗き込まない限り、私の姿は見えない。
何のことだろうと疑問を浮かべながら、様子を伺った。
「アオイ・オーサカという異国の女性を探している」
私!?
いきなり名前を呼ばれて、目を見開いた。
思わずユーグの方を見上げると、彼もまた驚きの表情を浮かべている。
「この辺りで今日は働いていると聞いたのだが・・・その様子だと、お前が彼女と共に働いてるユーグか?」
「はい、自分の事です」
「では今彼女は何処にいる?」
その言葉に慌てて首を振った。
いません、いません、私はここにいません!
そんな気持ちを込めて、ユーグの顔を見上げながら必死に念を送る。
ここで、彼がちらっとでも私の方に視線を移したら、それだけで外の人には気付かれてしまうだろうけど、そこまで頭の回らない私は、両手を顔の前で合わせ、必死な形相を作る。
お願いだから、いないって言って!
私の願いが通じたのか、ユーグはこちらを見ないまま、少しだけ困った顔をして口を開いた。
「・・・今日は体調が悪いからと、先程部屋に戻られました」
「そうか? まず彼女の部屋へ行ってみたのだが」
「本当に今しがたの事ですので、まだこの辺りにいるかもしれません。良ければ探して参ります」
言って頭を下げ動き出そうとしたユーグに、外の人が言葉を続ける。
「いや良い。お前は仕事を続けてくれ」
「・・・はい。お役に立てず申し訳ありません」
胸の前に手を当てて、一歩下がって頭を下げる。
そのまま動かないユーグを緊張したまま見つめていると、ここから遠ざかる足音が聞こえた。
それから、何を言っているのか内容までは聞こえない程度の人の話す声が聞こえたかと思うと、数分もしないうちに人の気配はなくなり、風が揺らす木の葉の重なり合う音だけが辺りを満たした。
私はそこでようやく、身体に入っていた力を抜いて、ぺたりと両手を床についた。
「焦った~」
ほっと息を吐いて、ユーグを見上げる。
「ユーグ、ありがとねってどうしたの!?」
一礼の姿のまま固まっていたユーグが脱力するように座り込んだので、私は驚きの声を上げた。
首を傾げて様子を伺えば、じろりと恨めしそうに睨まれた。
「どうしたのじゃないですよ・・・」
うっそりゃそうだよね。
何かあるのかっていうユーグの疑問に対して、何の関係もないと否定したばかりだったのに、その相手が名指しで私の事を探しにきたんだから。
「えーっと・・・ごめん、ね?」
へらっと誤魔化すように笑うと、ユーグの眉間の皺が更に深まり、表情も険しくなる。
何て言おうか悩んでるうちに、彼は大きく息を吐き出して顔を背けた。
ユーグのいつも後ろで束ねている髪が揺れて、その表情を私から隠す。
やばい、本気で怒っちゃったかも!?
慌ててユーグの肩に手を乗せると、彼の肩がぴくっと反応した。
けれど、こちらを見ようとしない。
その時、彼の呟くような声が聞こえた。
「・・・・・・ないですか」
「え?」
それはあまりにも小さな声で、何を言っているのか聞き取れなかった私は、ユーグの肩に掴まるように更に彼に近付き、顔を覗きこんだ。
目を伏せたまま、彼が再度口を開いてくれるのを待った。
「・・・王家の方に嘘をついてしまいました」
「何だ、そんな事か」
辛そうな顔と重苦しい声音で何を言われるのかと思っていたので、思わずそう言う私をユーグが驚いたように顔を上げ、まじまじと見つめてきた。
いやだってほら。
「だって私がそうしてって頼んだからで、ユーグは悪くないでしょ」
身振り手振りだったけど、きっとユーグは目の端で捉えていたのだろう私の行動から、察してそうしてくれたのだから、最終的に責めは私にある。
「でも、本来ならあなたより王家の方を優先すべき立場です」
「ユーグは難しく考え過ぎだよ! ああもう、そんな暗い顔しないの!」
ユーグの肩に置いたままだった手を動かして、彼の肩をぱしぱしと叩くと、ふいにその手を捕られた。
ぐっとユーグの手に力がこもり、真剣さの中に少しの苛立ちを称えた濃い茶色の瞳が揺れる。
まだ幼さを残す顔立ちと不釣合いな目の強さに、私はどきっとたじろいだ。
「異国の方だからといっても、王家の方に対して、嘘を吐くという行為がどれ程の罪になるかわからないわけではないでしょう」
そんな事言われたって、そこまで深く考えた事なんて、人生で一度もない。
日本にまず王族なんて存在しないし、ここ数日の私の行動を振り返るならば、はっきり言って今のユーグの嘘なんて本気でたいしたことないと思えてしまう。
王宮内のあの花園は王子様達が自分で来る様な場所と思えば、ある意味、不法侵入しちゃったし、いろいろやった事ははっきり言って不敬罪とかに値すると思う。
でもほら、やっちゃったものはしょうがないし。
善悪に対して一般的な考えはちゃんと持ってるつもりだし、犯罪には絶対手を出さない。
手を出したっていい事なんて何もないしね。
事なかれ主義なんだよ、日本人て基本的に。
「私が物凄い犯罪者でそれを匿ったっていうなら、ユーグも罰せられるけど、これくらいだったら絶対大丈夫だと思うんだけど・・・」
「どうしてそう言い切れるんですか・・・そもそも、アオイさんはどういった方なんですか? 本当に僕なんかと一緒にこんな所で働いていいんですか?」
異世界人です。
なんてはっきり言ってしまってもいいんだけど、ユーグはからかわれたと怒る気がする。
いや既に私に対する不信感と怒りを顕にしているのだから、火に油を注ぐ感じになるかも。
だから、ここは慎重に言葉を選ばなければならない。
「私はユーグの知ってる通り普通の異国の人間だよ。ただこことあまりにも違う国から来たから、常識は少し・・・かなりズレてるかもね」
ユーグの手に捕らえられたままの指先に力を込めて、彼に気持ちが伝わるように真っ直ぐに見つめる。
「レィニアスさんはこの国に来た私の保護者みたいな存在」
「・・・王子自らが、保護者ってそれは、アオイさんも立場ある方だから」
「違う違うっそれはない!」
慌てて首を振り、言葉を続ける。
「確かカイルが管轄って言ってたから、そこまで立派なものじゃないよね。言葉のあやだった。あ、だからって犯罪者ってわけじゃないからね!」
「じゃあ、何故隠れる必要があったんですか?」
ぎく。
「それはその大人の事情っていうか・・・」
言葉を濁すと、ユーグの目がまた細められた。
うう、だってどう言えばいいのよ。
ぶっちゃけレィニアスさんとはちゅうまでしちゃった関係なうえに、あんな事やこんな事を昨日やったばかりで気まずいから会いたくないなんて、言えるわけないじゃないか。
昨夜の事を思い出すと、頬に熱が集まる。
我ながら、本気で恥ずかしい事をしたなって思っていたら、ユーグの息をのむ音が聞こえた。
ん? と顔を上げれば、彼が目を見開いて私を見ていて・・・
「アオイさんまさか・・・レィニアス様とできてっ!?」
「ないっ!!」
慌ててユーグの口を両手で塞いだ。
ああもう、誰かこの真面目一筋な少年を何とかしてっ!