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「・・・何をしている」
お酒の匂いが充満した部屋に、いきなり冷たい声が響いた。
それは私の胸の奥に甘い熱を宿させる声音なのに、今はその冷たさに私の背中を恐怖で震わせた。
何故なら私は今テーブルの上に押し倒されていて、私を押し倒した張本人であるデュラの顔からがっちり自分の唇をガードしている、そんな状態だからだ。
な、なんで・・・
固まった首を、なんとか動かして声の方向を確認する。
そこには見間違いのない真っ青な外套に身を包んだ、見目麗しいレィニアスさんが怒りを露にした表情で立っていた。
冷たい怒りを全身から滲ませ、こちらを凝視するその視線に、私の背中に冷や汗が流れた気がした。
綺麗な人が怒ると怖いって本当だ・・・!
「今度こそ、事後か?」
「ちょ、事後じゃないよっ!」
そんなレィニアスさんの背後から、ひょこりと顔を出して空気も読まずに笑うカイルを、私はこれでもかと睨んだ。
かなりお酒の回った身体は思うように力が入らず、デュラの腕から逃れられずに、何とか唇を守ろうと必死で抗っていたというのに、その状況を作り出した男の無責任さが腹立たしい。
なんでもいいから早く助けろ。
私の必死な形相に、カイルは軽く笑うとレィニアスさんの脇を通り抜けてこちらへ近付き、デュラの肩に手をかけた。
「お前人がいなくなった途端に何やってんだよ」
「ああ、後悔しているよ」
デュラは珍しく、カイルに放り投げられる前に姿勢を正す。
そして、余計な一言。
「部屋を変えてから事を始めるべきだったとね」
な、何言ってくれるの、こいつは!
慌てて上体を起こすと、くらりと酔いが脳を襲った。
うっと感じた眩暈に顔に手をあて堪える。
ちょっと飲み過ぎたな・・・と考える私の太腿に、何かが触れるのを感じて薄目を開けると、スカートを押さえるカイルの大きな手が映った。
「短いのは好みだが、無駄に男を煽る材料だな。気をつけろよ」
先程のデュラとの攻防で、どうやらスカートが捲くれ上がっていたのを直してくれたらしい。
けれど、私の口からはお礼よりも先に悪態がついて出た。
「カイルがいきなりデュラと2人にするのが悪い」
「はあ? しょうがねぇだろ、こっちだって仕事があるんだから」
「でもカイルが悪い! 酔ってる女をこんな危険人物と2人にするなんて!」
「心外だね。ただあなたを慕う男なだけなのに」
「デュラは黙ってて」
この場が安全となったのに安堵して、びしっとデュラを突っぱねた。
あの色気をむんむん出したデュラの発言の後、カイルは扉を叩くノックの音と共に現れた男の人達と一緒に「ちょっと出てくる」と外へ行ってしまった。
気持ちが乗ってきたデュラと、大分酔いが回ってきた女を部屋に2人きりにするなんて、どれだけ危険だったか・・・!
「本当に本気でやばかったんだからね!」
「あー・・・そうか、そうだな俺が悪い。悪かった謝る」
「男のくせに簡単に謝らないでよ!」
「・・・お前なぁ、俺にどうしろって言うんだよ。ったく、この酔っ払いが」
言うなり、ぶにっとカイルの手が私の顔を掴んだ。
なっ乙女の顔に、何するんだこの野郎!
前面から片手で両頬を掴むその手を引き剥がそうと躍起になる私と、私の反応を面白そうに笑いながら力を込めるカイル。
動くと更に酔いが身体を支配しているのが解る。
その熱が心地よいけれど、今はそれよりも良い様にカイルに遊ばれている事に怒る私に、カイルは益々声を上げて笑った。
手加減しているとはいえ只でさえ筋肉野郎のカイルの腕は力強く、酔って思うように力の入らない私は、こうなったらカイルを蹴るしかないと足を上げかけた所で、2人の間に影が入り込んだ。
カイルの腕が、横から掴み上げられる。
「随分仲が良いようだな」
声と共にカイルの手が外れ、視線を上げた私が見たのは、不機嫌さに彩られたレィニアスさんだった。
ぼうっとする視界でぽかんと彼を見上げた。
今の今まで彼の存在を忘れていた自分に、本気で酔ってきたな・・・と検討違いな事を考える。
カイルはそんなレィニアスさんの様子など気にもかけずに、肩を竦めておどけてみせた。
「そりゃ、殿下が俺に預けた分だけ、仲良くもなるってもんでしょう」
「・・・確かに、お前にアオイの事を任せたのは私だが」
むっとカイルを睨みながら口篭るその顔が好みだ。
さらりと肩から流れる緩い癖のついた髪も好みだ。
頬から顎へのラインも好みだし、蒼という私の名前の意味を持つせいで愛着ある色の青の外套を優雅に着こなす姿も好みだ。
運命なんて言葉を現実に信じたくなる、あの声は、勿論大好きだ。
「いきなり出てきて、横から攫う様な真似はやめて頂けませんか」
「・・・彼女が私を望んでくれたのだ。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「ありますよ。彼女は私の運命の相手ですからね」
デュラがまた勝手な事言ってるなぁ・・・
完全に酔いがまわった頭と身体で、男3人が何やら話しているようだけれど、ぼうっとする頭では基本的にほとんどが右から左へと抜けていく。
そして私の目は、レィニアスさんばかり追いかけてしまう。
何処から見ても文句付けようの無い程、素敵過ぎるんですけど。
本当に本当に本当にもーっ! ってくらい。
こんな人と少なからず、気持ちが通ってるんだよね。
そんな事を考えると、知らず口元が笑みを形作る。
でも、と思う。
きっかけとなる大事な記憶は共有する事は出来そうになくて。
彼には婚約者という天使様がいて。
彼が明らかに愛情を持って接してる姿を見た事があって・・・
うわああっ私可哀想っ!
「アオ?」
カイルが怪訝な顔をして私を振り返った。
その目が驚いたように軽く開いたのを見て、自分の視界が酔いのせいだけではなく薄く歪んでいる事に気付き瞬きをすると、ぽろっと涙が零れ落ちた。
「うわっ」
なんでここで泣くかな、私・・・!
慌てて目元をぐいっと腕でこすると、苦笑交じりのカイルの声が聞こえた。
「うわって、何言ってんだよ。ほらそんな強くすんな」
「私って酔うと泣き上戸だったのかも」
にへっと笑って顔を上げると、カイルの肩越しに困惑したレィニアスさんが見えた。
そういえば、レィニアスさんには泣いてる所ばかり見せてる気がすると思うと、やけに恥ずかしくなってしまう。
「アオイ・・・」
優しい声音でレィニアスさんに名を呼ばれ、やっぱりその声が好きだなぁと思う。
カイルに目元を拭われながら笑うと、レィニアスさんが私の傍に歩み寄り身を屈めた。
彼が手を伸ばすのと同時に、カイルが少し後ろに下がる。
「私達はまだお互いの事を何も知らない。もっとお互いを知るために話すべきだと、一緒にいるべきだと思う。お前はどうだ?」
問われて、私は頷いた。
それは確かにそうだ。
それに、私も確かめたい事がある。
確かめたくて、それでもどう聞いていいかわからない、あの夢現の事。
少しでも覚えてくれているのなら、もうそれだけでもいいかなと思う。
そして、聞いてみたい。
彼が、悲しそうに消えたいと願っていた透明人間さんが、あの場所から出れて、形は違えども今が幸せなのかどうか、それが1番聞きたい事。
「私もレィニアスさんの事、ちゃんとレィニアスさんから聞きたいよ」
まあぶっちゃけ、私と一緒に出たいとか、私がいいとか、私と恋がしたいとか言って私をときめかせまくった事を少しでも覚えているのなら、物凄く責めてやりたいってのが本音かもしれないけどね。
そんな事を考えながら両手を広げた私を、レィニアスさんは軽々と抱き上げた。
顔が近くなり、酔いが回った私は不躾ながらまじまじと彼の美麗な顔を凝視してしまう。
すると、彼の目元が赤くなった。
彼はその表情を隠すように、目を細めると視線を背後の2人に流した。
「カイル、デュラルース。悪いがこれは私がもらっていく」